―第134話 白き御旗を掲げよ ④―
「“無二の結末”――すべて打ち砕く!!」
触れるだけで壊滅という運命からは逃れられない――クラウ=マーベリックが放つ必滅の魔拳は、一寸のブレもなく見事に、金色の獅子の心臓目掛けて叩き込まれた。
後は、このシグルズ=ガルファードという男を構成する情報を『解析』し、破壊に至るまでの経緯を算出してしまえばそこで勝利となる。
細胞分裂の限界を超えることによる肉体の壊死、血液の流れを止めて心停止――どれほど強靭な肉体を持とうと、人間という名の物質である限りいくらでも破壊する手段は存在する。
(なんだ……これは!?)
が、クラウの脳内に駆け巡るのは『解析不能』のメッセージばかり。砂嵐になったテレビ画面を見ているような感覚で、シグルズの情報のじの字も読み取ることができなかった。
そして、盾を貫けなかった矛が辿る結末などひとつしかない。
「なんだそのひょろい拳はよお? 妙な小細工してるみてぇだが……しゃらくせえぞ舐めてんのかクソガキがああああああっ!!」
金獅子の咆哮、悲鳴をあげることすら許されない絶対上位者からの威圧に、クラウは拳を差し込んだ状態から指一本動かせずにいた。
逃げろ、逃げろと本能がけたたましい警鐘をかき鳴らしていたが、身体が動かし方を忘れてしまったかのようにぴくりともしない。
「あ――」
眼前に巌と見紛うばかりの拳が迫っていることに気付いた時には、既に手遅れだった。
「クラウっ!!??」
為す術もないまま、枯れ葉のようにグラウンドの端まで吹き飛んだクラウを追って、レイシアは血相を変えて駆け寄った。
「あ、あ、あああああ……」
無残、などという言葉では済まされない有様だった。
条件反射で身をよじって直撃を避けていたため、即死には至らなかったものの――シグルズの拳が触れた左肩を中心に、肉も骨も臓器もミキサーでかき混ぜたかのように壊滅していた。
認めたくはないが、クラウは数多の魔術師の中でも相当の上位に位置する実力者だ。
たとえ相手が魔術師ではない異次元の存在だったとしても、そうそう後れをとるようなことはないだろうと、レイシアは複雑ではあるが彼に確かな信頼をおいていた。
(それが……こんなっ! まるで、ハエを払うみたいな気軽さで、こうも簡単に……!!)
これまで決死の覚悟で潜り抜けてきた幾多の戦いが、それは子供のままごとだと吐き捨てられたような心地だった。
それと同時に、自分もじきに彼と同じ運命をたどるのかと――どれほど刃向かっても一顧だにされず、いともあっさりと命を摘み取られるのかと思うと言葉も出なかった。
「う……あ……」
「っ!? クラウ!!」
だが、今は心を折っていい場面ではない。
クラウの顔からみるみるうちに生気が消えていくのを見て、レイシアは溢れ出ようとする涙を必死に堪えながら彼の隣にしゃがみこんだ。
「“癒天女”――ふざけんじゃねぇわよ、こんなところでいきなりおっ死んだりなんてしたら、承知しないんだから……!!」
ここが戦場のど真ん中だろうと、次の瞬間に自分の首が吹き飛ぼうとも関係ない。
恐怖も屈辱も呑みこんで、レイシア=ウィンスレットは水の魔術師としてのすべてを懸け、ただひとりの少年の命を繋ぎとめるべく意識を集中させた。
「……酷い話よね」
手の一振り。
ドアを開けたり、虫を追い払うようなレベルの気安い一動作で、教え子であり優秀な魔術師である2人が戦闘不能に陥った。
クラウは見ての通り満身創痍。
レイシアも彼の治療に必死ということもあるが、少なくともシグルズに立ち向かおうという気概は叩き折られてしまっていることだろう。
刃九朗ですら相手にならなかったのだ、こうなることは分かっていたはず。
(信頼は時として毒にもなる……ってことなのかしら)
シグルズに特攻するクラウを最初から止めていれば、こうはならなかった。だが、もしかすると――そんな考えが一瞬でも脳裏をよぎった時点で、もうすべてが遅過ぎた。
この結末を止められなかったことに、夜浪霧乃は血が出るのも構わず強く拳を握りしめた。
「流石は、音に聞こえし“聖剣砕き”ってところか。一発芸としちゃ、まぁまぁ面白かったぜ。俺の身体の構成情報を読み取って、そこに魔術で作ったウイルスプログラムを送り込んで自壊させる――随分と面倒臭え戦い方をしてくるもんだ」
「一応あれでも、全世界の魔術師の中でも最高峰の攻撃力だったんだケド。……歯牙にもかからぬ、とでも言いたげね?」
「思ったよりも歯応えがなくて拍子抜けだったって感想は否定しねぇよ。あれならまだ、烈火の坊主の方がわりかしマシだった」
つまらなさそうに息をつくシグルズの不遜極まる発言は、実際に彼が生物として圧倒的上位者であるがゆえに許されるものだ。
現実問題として、今の霧乃には奴を打倒するに足る手段が存在しない。
肉体強化の極致である“覇龍顕現”の能力は、およそ思いつく限りの攻撃手段をことごとく無効化する。
いっそ全身に重りでも括りつけて深海の底に沈めるか、スペースシャトルに乗せて宇宙空間に放り出すなんて発想が出てくるくらいだ。
(実現できたとしても無理そうな気がするケド)
眼前のこの男の顔が悲痛に歪み、死の恐怖に怯える様がどうあっても想像できそうにない。その時点で負けを認めてしまっているようなものだった。
よって、この場で霧乃にできることは限られている。
「足止めくらいはさせてもらうわよ……」
打倒ではなく生還が第一目的である以上、戦術はおのずと決まってくる。
魔術式の構築は一瞬、展開は一呼吸で終了した。
「“首刈塚”――しばらく自分の影で溺れてなさい」
「お?」
周囲にいるフランシスカクローンを一網打尽にしたのと同じ、影の沼による拘束だった。
足下の影が泥のような粘性を帯びて、シグルズを地面の下へと引きずり込んだ。
当の金獅子は特に抗う姿勢を見せようともせず、涼しげな顔をしたまま、首から下までを影の空間へと埋め込むこととなった。
「はっはは! こいつぁ面白え! いったいぜんたいどういう仕組みなんだ?」
「懇切丁寧に教えてやるほど、わたしは親切じゃなくってね。別にここからタコ殴りにしてやってもいいケド、それは他の人が全員逃げ切った後のお楽しみにしといてあげる」
呆気ないとは感じたが、霧乃の魔術拘束――それも一切手加減なしの全力だ――から逃れるなどまず不可能。《九耀の魔術師》の中でも、特にこういった搦め手の術式においては彼女の右に出るものはいない。
身体が動けなくとも殺される心配はないからと、シグルズは虚勢を張っているだけと思いたかったが――
「ほうほう、なるほど――そういうことか」
今、一番聞きたくなかった台詞を耳にしてしまった。
理屈ではなく、第六感で理解してしまった。
(私の術式を……解読された!?)
自分の内面を他人に覗き見されたような、吐き気がするほどの不快感。
くつくつと含み笑いを浮かべるシグルズを睨み付け、霧乃は攻撃用の術式を展開すべく『小烏丸』を振り上げようとした。
だがその前に、
「よっと」
小刻みな揺れが足下から伝わり、シグルズを中心に、広大になグラウンドに蜘蛛の巣状の亀裂が入っていく。
ああ、畜生――次に何が起きるのか、見るまでもなく理解できた霧乃は、倒れ伏したクラウと治療に専念するレイシアに走り寄り、
「じっとしてなさい!!」
「え?」
2人まとめて、霧乃自身の影に放り込んだ。
それと同時――激震。
その瞬間、まさしく地球が悲鳴をあげた。
立っていられないほどの揺れが襲い掛かる中、グラウンドの地面が風船のように歪に膨れ上がっていく様子を見て、霧乃は全身を震わせた。
「馬鹿げてる……」
戦う気も失せようというものだ。
つまるところあの男は、霧乃の魔術拘束を力技で食い破って、無理やりにこじ開けようとしている。
(なんてーか、あれね。『ぼくがかんがえたさいきょうのヒーロー』ってやつね、あれは)
どんな攻撃も受け付けず、捕まえようとしても力づくでこじあけて、反撃すればあらゆる敵を一撃KO――とてもではないが、現実世界にいていいようなキャラではない。どうか漫画の世界の中だけで暮らしていてほしいキャラだった。
霧乃が乾いた笑いを浮かべるしかできなくなったの同時、轟音とともに地面が大きく捲れ上がった。
一部始終を説明するとこうだ。
グラウンド全体の地盤が丸ごと持ち上がり、浮遊大陸みたいに学園の校舎よりも高く浮き上がったかと思ったら、中空で次々と崩れ去り土砂の雨となって再びグラウンドを埋め立てていった。
――なんだそりゃ。
霧乃は内心で、そんな呆れた感想を述べることしかできなかった。
「ぺっ、ぺっ! あー口ん中に土が入った。お気に入りの一張羅も泥まみれじゃねぇかよ、堪んねぇな」
土と泥のシャワーをかき分けながら、歪なコミックヒーローが悠々とした足取りで近付いてきた。
あのにやけ面を泥まみれにしてやれたんだから、一矢報いたことにはなるだろうか……なんて、前向きな後ろ向きとでも言うべき感想が頭に浮かんだあたり、既に勝敗は決していた。
(ああもう、あのバカ弟子め! こういう時に限っていないんだから役に立たない!!)
霧乃が思いつく限りで、あの暴虐の獅子を相手にまともに対抗できるのはクロエくらいだった。
あるいは、とも思ったが――それはあまりに希望的観測が過ぎた。
「それで? ここからどうするよ。戦うなら大歓迎、逃げるなら追わねぇさ。……まぁ、選択肢は決まってそうなものだろうがな」
「この学園にいる全員がいなくなるまで昼寝でもしてくれるってんなら、喜んでスタコラ逃げてやるわよ、分かってるくせに。アンタとことん性格悪いわね。絶対に一生結婚できないわよ、断言していいわ」
にっと犬歯を剥き出しにして呵々大笑するシグルズに苛ついたので、霧乃は言葉の暴力で応戦することにした。
制限付きとはいえ、《九耀の魔術師》を相手にここまで圧倒的な力の差を見せつけられては、霧乃もまともな手段で勝ちを拾えるとは――悪口で勝っても仕方ないのだが――思っていなかった。
「おうおう手厳しいな、今日一番効いたかもしれねぇ! まあ、こんなナリになっちまってからは、まともな人付き合いなんざ諦める他なかったからな。お前さんの言い分にはグゥの音も出ねぇよ」
ほんの少し……本当に少しだけだが、今の発言にシグルズの『本心』が垣間見えたような気がした。だが、そこに対して触れる理由も、そうする意味もなかったため、霧乃はあえて聞き流した。
さて、霧乃とシグルズの戦いはたった一合のみのやり取りだったが、この時点でほぼ『詰み』となっていた。霧乃が“聖剣砕き”以上の火力を持たない時点で、いくら攻勢に転じてもかすり傷ひとつ与えられないことが証明されていたからだ。
後は、来るかどうかも定かではない援軍を祈っての時間稼ぎくらいしか、霧乃にできることはない。
だが……それでも、逃げ出そうとは思わなかった。
「私は教師だからね。生徒が見ている場面で情けないところを晒すわけにはいかないのよ」
悪逆非道な魔女だろうと、大仰な信念のない女であろうと、夜浪霧乃はその前にひとりの大人なのだ。
教え導く子供たちが歯を食い縛りながら踏ん張っているというのに、大の大人がそこに背を向けてしまっては絶対にいけない。
会心の笑みを浮かべ、教師霧乃は“小烏丸”の切っ先をシグルズの顔面に突き付けた。
「そんなわけでかかってきなさい、図体がデカいだけのクソガキが。この場で叩きのめして、こんな大人にだけはなるんじゃないっていう実例として、次の授業で教材として使ってやるわ」
「くくく……ははははははっ! いやはやスゲぇよ“黒の魔女”様! マジで惚れちまいそうだぜ、おい!!」
「死んでもゴメンよ、アンタなんざ。さぁ、行くわ――って、え?」
互いに言いたいことをぶつけ合い、いざ激突……その寸前、視界の端に見えたありえない人影を見つけて、霧乃は絶句した。
ひた、ひた、と。
溶けた雪道の上を静かに歩むその姿に、霧乃もシグルズも言葉を失い立ち尽くしていた。
それはすべて、彼女が無意識に振り撒く『雰囲気』というものなのだろうか。
藤の色の和傘を差し、藍染の着物の上に小紋柄の羽織という出で立ちが目に鮮やかで、霧乃は一瞬、ここが戦場であることを完全に忘れて見入っていた。
崩壊したグラウンドが、まるで風光明媚な庭園に変貌したかのような錯覚が見えるほどに、彼女の存在感はまさしく異彩を放っていた。
「あ、綾瀬……」
「いったい誰が無遠慮に騒いでいるのかと思ったら……霧乃、女性たるもの慎ましさを忘れるべからずと、何度も言ってきたでしょうに」
どうして、と。
もっともこの戦地に似つかわしくない、吹けば飛ぶような撫子が一輪――日野森綾瀬という花が、怖れを知らずに凛と咲き誇っていた。