―第133話 白き御旗を掲げよ ③―
区切りが難しかったため今回は短め。
それなりに武術の心得があるといっても、矢来一蹴は正真正銘普通の人間だ。
秘められた特殊能力があるわけでも、無数の武器を創り出せるわけでも、魔術を使えるわけでもない無力な凡人だ。
「勝算は……あるのかよ」
「どうでしょう。やってみなきゃ分からない――なんて答えじゃ、ダメですかね?」
困った顔で頬を掻くクラウに対し、そんな一蹴は二の句が告げられなかった。
止めてこの場が解決するわけでもなく。
一緒に行って何ができるわけでもない。
刃九朗を倒した敵手が、さっきまで戦っていたクローンどもとは比較にならない化け物であることくらい、今自分の肌に刺すように伝わってくる気配だけで充分理解できた。
「矢来。体育館にはここに避難してきた街の人が大勢詰めかけてる。……任せていいかしら」
死地へと赴く2人の魔術師。
すれ違いざまにレイシアから託された依頼に、一蹴はただ無言で頷いた。
(ちくしょう、情けねぇ……!!)
怖いだろうに。逃げ出したいだろうに。
頼りなさげだった後輩の少年や、レイシアのような華奢な少女までもがそんな恐怖心を噛み殺して、震えを隠して勇み足を踏んでいる。
彼らのような少年少女を、ただ見送ることしか許されない自分の無力さが腹立たしかった。
苛立ち任せに校舎の壁を殴りつける。壁に亀裂が入って崩れ落ちる、なんてことはなく、ただ自分の拳から無駄に血が流れ出ただけだった。
「邪魔です」
「どぉわあっ!?」
自身の無力さを噛み締めていた一蹴の身体がいきなり宙に浮き、少し離れた場所にぽーんと放り投げられた。
おちおち落ち込ませてもくれないのか――粗大ゴミみたいな扱いをしてきた白髪の少女に向けて文句のひとつも言いたくなったが、
「無様ですね『鍛冶師』。それでも私と同じ、マスターによって命を与えられる名誉を受けた兵器ですか? 恥を知りなさい」
「今回ばかりは返す言葉もないな……」
痛烈な言葉を投げかけながらも、倒れていた刃九朗に肩を貸そうとする彼女を見て言い留まった。
ああ、本当に情けない。
誰もが必死に頑張っているというのに、自分だけ悲劇の主人公気取りで俯くばかり。これでは邪魔者扱いされても当然だろう。
パンッ! と両手で思い切り自分の頬を叩いて気合いを入れ直す。
「君は昔のスモウレスラーかい?」
「うるせぇ、ちょっと自分に気付けを入れただけだよ。……今は俺達にできることをやるまでだ」
マッドサイエンティストでも相撲とか見るんだな、などと思いながら、一蹴はこれからの行動方針を組み立てていく。
遅からずここも危険区域になるだろう。そうなると、体育館に籠もったままの避難民を別の場所に誘導する必要がある。
その上で応援要請だ。この異常気象、異常事態。飛鳥たち《八葉》が黙認しているわけがない。
今後の道筋も決まったところで、一蹴はふと思い出した。
「そういや博士さんよ。あんた、ここの体育館に何かあるような口振りだったよな?」
「ああ。そもそも僕は『それ』を回収するためにこんな場所にまで来たのだからね」
「なんなんだよ、『それ』って」
アルヴィンが人の学び舎にどんな危険物を置いているかは知らないが、もしかするとこの状況を打破する助けになるかもしれない。
一縷の期待を込めて、一蹴はその正体を問いただした。
「体育館の地下。そこにあるのは、僕が造った渾身の傑作――『白旗』だよ」
「あ、お帰りなさいなのですよー! ……って、あれ、矢来くん?」
「おっす水無月先輩。先輩もここにいたんだな」
アルヴィンから話を聞いた一蹴は、まずは体育館にいる人達の様子を確認することにした。
一般の学園よりも広めに作られている体育館だが、それでも足の踏み場に困るほどの人が集まっており、被災地の病院さながらの熱気に包まれていた。
互いの無事を喜んでとっくりと話し込んでいる時間もない。一蹴は真散部長に手短に状況を説明した。
「そうなのですか……クーちゃん達、またそんな危ないことを」
「じきにここもヤバくなるかもしれねぇ。逃げ出す準備だけはしておいてほしい」
しゅんと項垂れてしまう小さな先輩の気持ちが、一蹴には痛いほどよく分かった。
だからこそ、このまま落ち込み続けることを放ってもおけない。
「呆けてる場合じゃないぜ、先輩。さっき刃の字が負傷した。悪いけど手当ては任せた」
「え!? ジンちゃんがなのですか!?」
「お、おう……その、ジンちゃんがだ」
あの男、「ちゃん」呼ばわりされていたのか。
あまりにイメージと違い過ぎる呼び名に驚きはしたが、そこを掘り下げている場合ではない。
避難民の男手を借りながら、今にも崩れ落ちそうな足取りで歩いてくる刃九朗にぱたぱたと駆け寄る真散部長を見送った後、一蹴は体育館に入ったきり別行動をとっていたアルヴィンとフランシスカの背中を見つけた。
どうやら誰かと話しているようだが、その相手は――
「――と、そういうことなんだ。悪いけど『アレ』、使わせてもらうよ」
「人様の学園に勝手に仕掛けを施しておいて、どの口がそんな偉そうに……と言いたいところですが、状況が状況です。少しでも生徒達の危険を回避できるのであれば、好きになさい」
「……理事長?」
あの藍染の着物、椿の簪、間違いない。
飛鳥の姉にして、この学園の理事長である日野森綾瀬だ。
その女帝とも呼ぶべき威風堂々とした態度に、アルヴィンの隣にいた少女が怒気を剥き出しにしていた。
「マスターに向かって無礼な口を……今すぐこの場で首を断たれたいですか?」
「フランシスカ、今は黙っていたまえ。彼女はこの地を統べる長であり、我々は余所者。上下の関係は言うまでもなく明らかだ。聡い君なら分かるだろうに」
「も、申し訳ありません……!!」
意外にも礼儀を弁えているアルヴィン博士だった。
一蹴もその輪に近付き、目が合った理事長に軽く会釈をする。
「矢来ですか。お前も来ていたのですね」
「ついさっきなんすけどね。……それで、さっきこの胡散臭い博士から話聞いたと思うんすけど」
「ええ、ここの地下に格納しているものを使いたいとか。それで場が収まるであれば好きにするよう返事をしたところです」
即決即断、揺るぎ無し。
理事長と言うか、むしろ支配者としての貫録が滲み出ている着物姿の美女には敬服の念しか出てこなかった。
綾瀬理事長はただでさえ抜き身の刃のように鋭い双眸を更に細め、一蹴に訝しむような目線を向けてきた。
「ところで矢来。まさかとは思いますが……お前まで戦おうなどと言い出すつもりではないでしょうね?」
「それができるならとっくにそうしてるっすよ。けど、俺はピンチに都合よく力が覚醒するヒーローなんかじゃないっすからね。身の程は弁えてます」
「前に出て力を振るうだけが戦いではありません。……胸を張りなさい、矢来一蹴。立ち止まって俯くことなく、がむしゃらにできることを模索することもまた、立派な戦いなのですから」
さっきまでの不甲斐ない自分の心を見透かしたかのように、理事長は一蹴の肩を軽く叩き、柔和な笑みを浮かべていた。
ああ、自分は一生この人に勝てる気がしない。日野森綾瀬はそう思わせるに足る大きな人だった。
(そりゃこんな姉貴がいたら、あいつがああなるのも分かる気がするわ……)
それと同時に、同い年だというのに一流の警備会社の隊長を任され、多くの人の信頼を勝ち得ている親友の苦労を思った。
何はともあれ、これなら話が早い。
「理事長、ありがとうございますっ。それじゃ博士、フランシスカ、行くぜ」
「何故あなたが当たり前のように指揮をとっているのですか……脳天かち割りますよ」
「これも青春、なのかねぇ……」
足を揃えて大きく頭を下げた一蹴は、奇妙な仲間たちを引き連れて体育館の地下へと歩を進めた。途中彼が先導していることにご不満なフランシスカからぶちぶちと文句が飛び、アルヴィンはその光景を一歩後ろから見つめながら、隠居したおじいちゃんみたいな台詞を口走っていた。
「《パラダイム》――彼らが来ているのですね。すぐ、そこに」
一蹴は気付いていなかった。
彼らを見送った綾瀬理事長がそんな言葉を呟いていたことに。
寒風吹きすさぶ戦場に向け、誰にも感付かれないほどに自然に、ゆっくりと歩き出していたことに。