―第126話 氷炎邂逅 ③―
割と拍子抜け?な結末で取りあえず2人の戦いを決着させています。
まだまだ前哨戦。少なくともこの章ラストでもう一回衝突することになるので、今はほどほどに。
爆炎と氷嵐が混ざり合う戦場から少し離れ、鉄橋の入口に立ち尽くす見届け人から思わず声があがった。
「あーくん、だめだよ……そのままじゃ」
その身はただの人間なれど、人工英霊との戦いを幾度となく経験していたヴァレリアには、あの2人の戦いの結末がどうなるのか、既に見えてしまっていた。
「だめ、なの? アスカ、負けちゃうの?」
両手で抱きかかえたフェブリルが心配そうに見上げてきた。本当に、健気でかわいいパートナーさんである。
本来なら、彼女を心配させまいと「だいじょうぶ」と声をかけてやりたいところだが……
「あーくん、すごくむりをしている。このままじゃ、ちからがなくなってたおれちゃう」
スタミナ切れ、という至極あっけない結末を幻視してしまったがために、言葉を取り繕うことも憚られた。
対する雪彦は、一見すると防戦一方に見えるが、その分余計な力を使わず温存できている。長期戦になればなるほど、じきに趨勢は逆転していくことだろう。
自分が助けに入れば、あんなアイスクリーム小僧など簡単にのしてしまえる。フェブリルもそれが分かっているため、懇願するような眼差しをヴァレリアに向けて来ているのだ。
だが、それは絶対に許されない。
「これくらいのこと……ひとりでなんとかできなきゃ、このさきたたかっていくことなんてできないから」
これは、ヴァレリアのみならず飛鳥本人が一番よく自覚していることだろう。
彼の周りには、彼以上の力量を持った頼れる味方が何人も付いている。
“白の魔女”クロエ=ステラクラインはその最たる存在であるし、まだ面識はないが“黒の魔女”の夜浪霧乃とてそうだ。
現《八葉》であれば、第八枝団長の断花竜胆。そして何よりヴァレリア自身がそうである。
今は姿を消しているが、元第二枝団長であり、彼の兄貴分である高嶺和真だってそうなのだ。
「そんな……! 言ってることは分かるけど、それでアスカが死んじゃったらどうしようもないじゃない!!」
「うん……そうだね」
フェブリルの言い分はまったくもって正論だ。ヴァレリアだって全面的に支持する。
けれど、そういう問題ではない。
辛くなったら誰かに頼る、ということ自体を否定するつもりは毛頭ない。手を携え、協力して困難に立ち向かうのは、人間が持つ史上最強の武器であると相場が決まっているのだから。
だからこそ、おいそれと使っていいものではない。
誰かを頼るということは、自分ひとりではどうにもならないと言外に認めてしまうことである。
何でもかんでもひとりでできる、なんてのはただの思い上がりだが――だからと言って、最初から自分の非力さを認めてしまうのは惰弱の極みだろう。
「どんなにくるしくてつらいことでも、たとえしんじゃいそうだとしても。じぶんのちからでがんばろうとしているあーくんを、わたしはとめられないよ」
「……アタシには、分かんないよ」
しゅんと腕の中で俯いてしまう健気な使い魔の頭を撫でてやりながら、ヴァレリアは再び氷炎の激突に視線を戻す。
炎の剣が砕かれ、全身から血飛沫を流す飛鳥の横顔が見え隠れするたび、自分の足が勝手に飛び出していきそうになる。
手を差し伸べてあげたい。
助けて、と今すぐ叫んでほしい。
(がんばれ……がんばれ、あーくん)
今のヴァレリアにできるのは、ただ祈ることだけ。
勝利ではない。ただただ大切な『弟』が、無事にこの手の中に帰ってきてくれることだけを、祈り続けていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「どうした、もう終わりか?」
そんなヴァレリアの読みは、違えることなく的中していた。
手足にいくつかの傷を付けただけの雪彦が、炎剣を杖代わりにしてよろよろと立ち上がる飛鳥に向けてつまらなさそうに声をかけた。
「何なら、後ろの女に加勢を願い出ても俺は一向に構わんが。少々骨はありそうだが、面白い戦いができそうだ」
「ふざけん、なよ……俺が、役者不足だとでも言いたいのか……」
痛みを噛み殺しながら二本の足で立ち上がる。
さっきまでの善戦が嘘のように満身創痍の状態だ。全身は氷の茨でずたずたに引き裂かれ、とめどなく流れる血液が地面の雪を赤く染めていく。
歯を食い縛りながら、脇腹に突き刺さった氷柱を引き抜いた。当然ながら余計に出血が増えるばかりだが、刺さったままでは傷口から全身の熱という熱を奪われ凍死する方が早い。
激痛と出血多量ですぐにでも意識を飛ばしてしまいそうになる。
「どうしてこうもあっさりと形勢逆転されたのか。解説は必要か?」
「必要ない、自分が一番よく分かってる。……俺はさっきの勢いで押し切れると判断したが、お前はそれを守り切れると判断した。俺の読みが甘くて、お前の読みが正しかったってだけだ」
射撃戦からの攻防は飛鳥に軍配に上がった。
その勢いを逃がさずに、一気呵成に攻勢に転じた飛鳥の判断は決して間違いではなかった。大雪という環境がじわじわと飛鳥の体力を奪っていき、逆に氷の使い手である雪彦の力を活性化させていく状況において、長期戦を挑むのは無謀と判断したのだ。
実際、それは正解であった。
「俺もお前も、もとより一方向の能力を極めた者とは言い難い。手数の多さや汎用性をとことんまでに求めたタイプである以上、一点突破や力技というものには適していない」
飛鳥の戦闘スタイルは、良く言えば『万能』、悪く言えば『器用貧乏』、その一言に尽きる。雪彦の “雪月花”もまた、複数武装を使い分けるオールラウンド型であったがために、下手な小細工で長期戦になるよりは、火力を集中させた短期決戦を選択した。
だが、今回はそれが完全に仇となった。
紅炎投影の分身による多重同時攻撃など、瞬間火力を引き上げることはできるものの、雪彦の守りを突破するには足りず、文字通り付け焼刃にしかならなかったということだ。
「……らしくないな、飛鳥。普段のお前なら一瞬の隙をついてこの場を離脱するなり、橋を倒壊させて足止めするなり、いくらでもやりようはあっただろうに」
だが、この結末に至ることは薄々ながら感付いてはいた。外野のヴァレリアでさえ気付いていたのだ、当の飛鳥本人が思い至らぬはずもない。
「そりゃあ考えたさ、実際やろうと思えばいつでもできた。けどな、そんな逃げ前提の一手を打つわけにはいかないんだよ……少なくとも、お前相手にはな」
逃げることが恥などとは思わない。無謀、無策で歯が立たない強敵に噛み付いて返り討ちになるよりは、よほど賢い選択である。
「それに、この戦いでよーく分かった。今のままじゃ勝てないってことにな」
「……お前、まさか」
だが、飛鳥は一度知っておきたかったのだ――『自分の限界』というものを。
万策尽きて背を向ける前に、自分の出し得るすべての力がどこまで通用するのか試してみたかった。
膝を折り、意識を失う寸前まで追い詰められて、ようやく飛鳥は決心した。
「よく言うだろう。限界っていうのは超えるためにあるってな!!」
流血を気にも留めず、四肢に力を漲らせていく。
本来であれば、先のアルゴル戦で使用することも想定していた飛鳥の切り札。これまでの戦いでは、状況的にこれを使うことはできなかったが……
「ふ……ふははははははっ! おいおい飛鳥、お前いったいどれだけ隠し玉持ってるんだ?」
心底おかしいとばかりに呵々大笑する雪彦を尻目に、飛鳥は自分自身の内側に向け意識を集中させていた。
心臓の更に奥の奥――きっと、人によっては『魂』と形容される部分から、無限に沸き立つ炎の力を汲み上げ、全身に循環させていく。これまでとは比べものにならない熱量の奔流が身体中を駆け巡り、手足の傷口からは、彼岸花の花弁のように鮮やかな紅色の炎が噴き上がった。
自らの熱で焼き殺されそうな感覚に、飛鳥は砕けんばかりに歯を噛みしめ耐え忍ぶ。
「自分の意思で能力を暴走させているのか……よくやる」
雪彦が呟いた通り、この技はいわば意図的に『火事場の馬鹿力』を発生させるようなもの。力のリミッターをすべて解除し、全能力を爆発的に増大させる捨て身の技だ。
荒れ狂う爆炎に身を委ね、すべてを燃やし破壊する獣と化す――“光炎転身”と名付けられたこの技により、飛鳥は間違いなく限界を突破していた。
自陣である《八葉》が目の前、背後にはヴァレリアが控えてくれている。こうも、後先考えずに全力を出し切れる環境であれば申し分ない。
後は、ただ無心で殴り掛かるのみ。
「ぐ……がああぁっ!!」
我ながら獣じみた声だな、と心の片隅で苦笑しながら、肉体は豹のごとき瞬発力で射出された。腕の傷口から噴出するマグマのように濃い赤色の粒子が、拳を含め腕全体に纏わりつく。
雪彦は最初に見せた氷の大太刀を正面に構え、防御と同時に再びこちらの熱を奪い取る構えをとってきたが、
「なに……!?」
しゃらくさい、とばかりにマグマを纏った腕の一振りで粉砕した。
“光炎転身”の発動中は、武装の形成に意識を割く余裕がまったくないため、必然的に武器は体ひとつとなる――と言うより、そもそも武器など必要ない。
「そんなもんで……俺の炎を消せると思うなああぁぁっ!!」
吠える。
理性の鎖が引き千切れるかどうか、ギリギリの境目を行き来しながら、飛鳥は裂帛の闘志を雪彦に見せつけた。
砕けた“霧桔梗”に意識を向けることなく、氷の騎士は滑るように後方へと下がり、次の武装を召喚する。
「四節――“乱水仙”」
選択したのは、戦括棍というかなりトリッキーな武器だった。棍の外側部分には鋭い氷刃が取り付けられているため、刃付き戦括棍というのが正しいか。
半透明の氷のトンファーを両手に構え迎撃の姿勢を見せる雪彦目掛け、疾走を続ける飛鳥は無造作に蹴り足を繰り出す。それに合わせて正面にはギラリと輝く蒼刃が構えられたが、意にも介さず。
「まるごと蒸発させてやる……!!」
全身から立ち上る赤銅色の闘気を身に纏ったその姿は、もはや人間大の火の玉であった。足がトンファーの刃に触れる直前、燃え盛る波動により雪彦の武装は急速に融解し始めていた。
勢いのまま、技術も何もないドロップキックを叩き込み、砕け散るトンファーもろとも雪彦を更に後方へと吹き飛ばした。
追撃。体制を直す暇も与えはしない。
焔色の残像を伴いながら、超絶疾走で雪彦の懐にまで入り込み、腹に重い拳を一撃。
「ごっ、はあっ!?」
アッパーで打ち上がった敵手を追いかけ跳躍、逃げ場のない空中で乱打による蹂躙を開始した。拳、膝、肘、頭、全身のありとあらゆる部位を凶器と化して、炎の魔人が氷の化身を粉砕していく。みるみるうちに身体中を壊滅させられた雪彦は、受け身も取れずに橋の中央へと落下していった。
とどめの一撃――といきたかったが、飛鳥の肉体にも限界が来ていた。
着地と同時に膝を付き、“光炎転身”を解除する。
「あーくん!!」
「アスカ!!」
勝負あり、と見て取れたのだろう。後方から見守っていたヴァレリアとフェブリルが堰を切ったかのように飛び出してきた。
流石に、出血多量の状態での限界突破は無理があった。全身から急激に力が抜けていき、立ち上がることすらままならない。痛みの感覚もなく、ただただ強烈な眠気が襲ってくる。
「しっかり、あーくん」
前のめりに倒れ込もうとしていた飛鳥の上半身を、横合いからヴァレリアの腕が支えてきた。そのままぎゅっと胸の中に抱きかかえられて、少しだけ息苦しかった。
「すいません、ちょっと、げんかいかも……」
「ん、いいよ。あとはまかせて、ゆっくりおやすみなさい」
労わるようにそっと頭を撫でてくれる感触に心地よさを感じつつ、飛鳥の意識はスイッチを切るかのように一瞬で暗転した。
ここで意識を失ったのは、飛鳥にとって幸運だったのか、不運だったのか。
「気を失ったか」
何事もなかったのように軽い動作で立ち上がった雪彦に対し、ヴァレリアは驚くでもなくただ射抜くような視線を投げかけるだけだった。
雪彦を倒し切れていないことは分かっていた。
それでも、これ以上の飛鳥の無茶は許せなかったために、灰色の女帝は横紙破りになろうとも彼を護ると決めていた。フェブリルも彼女の肩に掴まりながら「フカーッ!!」と猫の威嚇みたいな鳴き声をあげていた。
「あーくんは、やらせない。これいじょうやるなら、わたしがあいてになる」
「心配しなくとも、さっきの攻撃で俺とて全身ガタガタだ。流石に分は弁えている」
我が子を護るように飛鳥の身体を両手でしっかりと抱きしめるヴァレリアに、手負いの氷騎士は思わず苦笑をこぼした。
「随分と愛されているな、その男は」
眠るように気を失った飛鳥に向けて親しげな表情を見せる敵の様子に、ヴァレリアはふと気になったことをぶつけてみた。
「きみは、あーくんのともだちなんだよね。……どうして、あーくんとたたかわなきゃならないの」
「友達……そうだな、友達だったんだよな、俺達は。ほんの数か月前のことなのに、ひどく懐かしいとさえ思えてしまう」
先の戦闘を見るに、雪彦は恨みつらみで戦っているわけでもなければ、いやいや戦わされている様子もなかった。
あえて表現するのであれば――使命感、だろうか。
事情は知らないし、大事な弟を殺しにくるような事情など知りたくもないが、ヴァレリアは彼のことを嫌いになれそうにはなかった。
今、満身創痍の雪彦を倒すのは赤子の手を捻るより簡単だろう。けれど、それは自分の役目ではないと分かっていたから。
「わたしたちは、いくよ。きみがなにもしてこないのなら、わたしもなにもしないから」
雪彦からの返答を聞く前に、ヴァレリアはぐったりとした飛鳥を背負い、彼の隣を横切って《八葉》への道を急いだ。
追ってくる様子はない。少しして、背後から聞こえる足音が少しずつ遠ざかっていくのが聞き取れたことから、どうやら素直に退いてくれたらしい。
「あ、アスカぁ……」
血の気を失って真っ青になった飛鳥の顔色を見て、フェブリルが泣き出しそうな声をもらす。
いくら人工英霊とはいえ不死身ではないのだ。一刻を争う事態に、ヴァレリアは踏み出す足に一層の力を込めた。
どうでもいい話ですが、飛鳥の武器や技の名前は漢字の日本語読みが大半です。
紅炎投影と光炎転身のみ横文字なのは、この名前を最初に付けたのがクロエだから、という裏設定があります。