―第124話 氷炎邂逅 ①―
人に厳しく自分に厳しい、スパルタンな『姉さん』か。
普段はすちゃらか、でもいざって時には頼りになる男前な『姉貴』か。
甘え放題甘やかし放題、ゆるゆるふわふわな『おねえちゃん』か。
さあ、あなたの好きなお姉ちゃんを選ぶがいい!!
「あーくん、あーくん♪」
異端の奇術師アルゴルを退け九死に一生を得た飛鳥であったが、ここに至って今度は別の脅威が彼に取り付いていた。
「はいはい何ですかヴァレリア隊長」
「そんな、たにんぎょうぎなよびかたは、や。いつもみたいに「リリィおねえちゃん」って、よんで?」
「一度たりともそう呼んだ記憶はございませんがね」
アスファルトに座り込んで息を整える飛鳥の背中から、手を回してしなだれかかってくるこの美女の存在である。
ヴァレリア=アルターグレイス。
《八葉》第一枝団隊長として、窮地に陥った飛鳥の救援にかけつけてくれた最強の味方である。
飛鳥とは同じ《八葉》所属の人間として、それなりに長い付き合いではある。
本来はその類まれなる戦闘能力の高さと、猫のような気まぐれな性格もあって、あまり人と関わることのない女性なのだ。
だが、何故か飛鳥のことはいつもこのように猫かわいがりしてくる。あまつさえ「あーくん」だの「おねえちゃんってよんで」だの、弟にだだ甘なダメ姉貴のような様相を見せるのである。
外見もまた、奇抜と言えば奇抜であろう。
肩下あたりまで無造作に伸ばした髪、瞳の色、はたまた身に着けているコートやボトムスに至るまで、全身くまなく灰色で統一されているのだ。
怪我人相手に遠慮なくぎゅうぎゅうと抱き着いてくるヴァレリアを引っ付けたまま、両脚に力を入れて立ち上がる。
「よし、休憩終わり。……ところで、隊長はおひとりでここに?」
「うん。あーくんがぴんちかもっておもったら、いてもたってもいられなくて」
ひとりで飛び出してきた、というのは人の上に立つ隊長として如何なものか。とはいえ彼女が来なければ本格的にまずかったのは事実。ここは素直に感謝しておこう。
肩に乗っかった彼女の腕をそっとほどき、正面に向き直る。
「……そんなにじっとみつめられたら、はずかしい。でも、あーくんだったら、いいよ?」
「何を言っているのか意味分かりません。ただ、ちゃんと正面向いてお礼を言おうと思っただけで……ってなんで目を閉じて唇突き出してるんですか」
「あいのこくはくじゃ、なかったの? ……ざんねん」
このやり取りで、おおよそヴァレリアの人となりはご理解いただけたことだろう。
眠たげな目付きで次々と爆弾発言を連発してくる、この頭のネジがゆるゆるな美女が《八葉》戦闘部隊の頂点に立っているのだから、世の中ままならないものである。
ともかく、こと戦闘においては比類なき援軍を得た。
女性の力をアテにする、ということに未だ抵抗感が拭えない飛鳥だったが、助けられた手前今更だろうな、と肩を落とした。
どうせ何を言っても彼女は飛鳥に付いてくるだろうし、存分に頼らせてもらおう。
今後の動きを頭の中で組み立てていると、ふと視界の端から小さな黒い影が飛び出してきた。まさか! と飛鳥は思わず後ろに飛びずさった。
「…………なんだフェブリルか」
「ねぇアスカ。まさかとは思うけど、さっきアタシをあの家庭内害虫と勘違いしなかった?」
「そんなまさか、鈴風じゃあるまいし……と言いたいところだが、すまん。つい条件反射で」
「正直でよろしい。はい頭こっち向けてねー」
ガブリ。
そもそもこんな雪の積もった寒空に『アレ』が出没するわけないのだが、身体に染みついた習性とは恐ろしい。
今日も虫歯ひとつない健康的で白い歯を脳天にガジガジしてくる使い魔を引き剥がしながら、飛鳥はきょとんと首を傾げるヴァレリアに説明する。
「隊長、この子はですね……」
「あーくん。ちっちゃいおんなのこがすきだからって、これはいくらなんでもちっちゃすぎるとおもうの」
「さーてどこからツッコんでやろうか!!」
戦地のど真ん中であろうが平常運転。
これは緊張感がないと叱咤されるべきなのか、豪胆であると評価されるべきなのか。
それは誰にも分からない。というかアホらし過ぎて議論する気にもなれなかった。
完全に《パラダイム》と会敵してしまった以上、こそこそと動き回る必要もない。
「おぉー! こいつは爽快だぁ!!」
幅広の大剣のような形状をした烈火刃・伍式“火車掛”は、ジェット推進力を持つスノーボードのような運用が可能となっている。
大通りを疾走していたかと思えば、ショートカットで路地裏に方向転換。曲がりくねった細道を蛇のようにうねうねと突き進んでいき、行き止まりが見えたら建物の非常階段の手すりに飛び乗ってジェット推進で大きくジャンプ。
雪に埋もれた街並みが目まぐるしいスピードで移り変わっていく中、再び飛鳥の胸元に潜り込んだフェブリルが歓声をあげていた。
「アスカアスカ! 今度は大ジャンプしながら空中回転するやつやってみてー!!」
「間違いなくお前は放り出されるが、それでもいいなら」
「……アスカ、運転は安全第一だよ。交差点に入ったら一時停止、右見て、左見て、もう一回右見てからわたろーね」
またテレビ番組の影響を受けているのか、無駄に派手なトリックを要求してくる始末。
残酷な事実を突き付け、首の下で銀髪の小さな頭がしゅんと項垂れるのを確認した後、飛鳥は後ろで腰に手を回してしがみついてくる同乗者に声をかけた。
「ヴァレリア隊長! 大丈夫ですかー!!」
「……やましい」
「え?」
しかし、ヴァレリアはぶつぶつと聞き取れないうわ言を呟くばかりで反応がない。
……なお、今の体勢はいわゆる自転車の2人乗りに近いものだが、共にコートで厚着をしているため、飛鳥の背中には魅惑の柔らかさは感じられなかった。残念などとは思っていない。本当だ。
炎の加速を少し緩め、聞き耳を立ててみると、
「うらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましい」
……なんか色々とヤバかった。
血走った視線を飛鳥の服の中にいるフェブリルに向けていることから、その言葉の意図は解説するまでもなかった。
「かわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわって」
「え? ひ、ひいいいいいぃっ!?」
後ろを向いた途端、全身灰色の女が虚ろな目で何度も何度も無茶振りをしてくる光景は結構ホラーである。さあっと血の気が失せた形相になったフェブリルは、恐ろしさのあまり飛鳥の服の更に内側へもぞもぞと身を隠していった。
「ゆ、ゆるすまじ……!!」
フェブリルが服の中でもぞもぞするからくすぐったいのと、ヴァレリアが血涙を流しながら、腰に回した手に力を込めてみしみしと背骨が悲鳴をあげる激痛がごちゃ混ぜになって、飛鳥はえも言われぬ気分だった。
市街地を抜け、断花重工のある北部地域の玄関口、玄冥駅を通過した。
日本屈指の工場地帯であるこの地域は、いくつもの人工の巨大浮島が頑強な鉄橋で連結されて成り立っている。
クロエ達は先に到着しているだろうか。
雪交じりの潮風を切り裂きながら、“火車掛”の速度を更に上昇させようと意識を集中させる。
「アスカ! あれ見て!!」
大橋を渡っている途中、フェブリルが頭だけをぴょこっと出して何やら話しかけてきた。
彼女の視線の先――水平線の彼方に薄ぼんやりと、見覚えのない建造物が見え隠れしていた。
おそらくあれが、学園にいる真散部長が言っていた『塔のようなもの』だろう。
今回の異常気象の原因、あの塔が関連しているのは間違いあるまい。今すぐ海を疾走して殴り込みに行きたい衝動にかられるが、
「あせっちゃだめ。いまは、みんなのところへいこう?」
「……そうですね。まずは皆の無事を確認してから。それからでも遅くはない」
落ち着かせるように腰を優しく叩いてくるヴァレリアのおかげで、冷静な判断力を維持できた。
そして、断花重工に繋がる一際長い鉄橋にさしかかったところで、飛鳥は急激なブレーキををかけることとなった。
「あわわわわわわ! 落ちる、落ちる!? 急ブレーキは事故のもとー!?」
「おー」
炎のスノーボードを進行方向と垂直に転換し、アスファルトの地面にがりがりとボディをぶつけながら、一行は橋の途中で立ち止まった。
コートから転げ落ちそうになっていたフェブリルを支えてやりながら、飛鳥は橋の中心でひとり佇む影に一層剣呑な殺気を放った。
遅かれ早かれどこかでぶつかるとは思っていたが、まさかここまで早い段階で出会うことになるとは思わなかった。
「……待っていたぞ」
そう言って音も無く近付いてくる男の影に、飛鳥はあえて挑発的な声で応じた。
「いきなり退学したから、どこで何やってるのかと思ったが……こんなところで職探しか、雪彦?」
「くく……久方ぶりの再会だと言うのに、随分とつれないな、飛鳥」
男はその発言に怒りを覚えるでなく、ただ可笑しげに含み笑いを漏らす。
色素の薄い長い髪と、群青色のロングコートが潮風にはためいていた。いつも身に着けた筈のぶ厚いレンズの眼鏡をかけていないが、彼なりの決別の現れなのだろうか。
行方不明だった親友との再会――さて、こういう時普通はどんな行動をとるべきなのだろう。
無事だったんだなと涙ながらに抱擁を交わすか?
今まで何やってたんだと追及するか?
それとも――
「積もる話もあるだろうが……俺とお前の間で、今更腰を据えて交わす言葉もそうあるまい」
「そうだな。……ああ、本当に今更だ」
あの日。
飛鳥にとって『始まりの日』とも言えたあの邂逅から、2人の道は決定的に別たれていたのだから。
2人の間に立ち上る戦意を敏感に察知したヴァレリアが、感情を消した表情で一歩前に出る。先ほどまでとは別人のような濃密な殺意の奔流に、飛鳥の背筋が思わず震えた。
「きみ、だれ? あーくんをいじめるわるいやつなら……ぶちころすよ」
「いじめる、というのは少々趣が違う気もするが。どうなんだ飛鳥?」
「隊長。ここは俺ひとりにやらせてください。あいつとは……そうしないといけないんです」
彼女に助けられた手前偉そうな事は言えないだろうが、それでもあの男とだけは、誰の邪魔も入らずに決着をつけたかった。
襟元でどうしたらいいのか迷っているフェブリルをヴァレリアに預け、飛鳥はひとり歩を進める。
「お前に感謝しなければならないかな? 後ろの女と連携されれば、まず俺に勝機はなかっただろう。さっきの気配だけでよく分かった……あの女もまた、埒外の化け物だとな」
「2人掛かりでお前を倒したところで何の意味もない。お前にどんな事情があるのか知らんが、俺がこの手できっちりと叩き潰してやる。話を聞いてやるのはそれからだ」
「そうだ、それでいい。そうでなくては前には進めない。俺も……お前も」
単なるつまらない男の意地と言ってしまえばそこまでだ。
だが、この男――霧谷雪彦との衝突は、飛鳥にとって特別な意味を持っていた。
飛鳥は炎、雪彦は氷。
飛鳥が陽なら、雪彦は陰であろう。
鏡写しになった自分自身と向き合っているようで、とことんまでに同族嫌悪が過ぎる相手。
「では、いざ『進化』の階段をひた走るとしようか。――《パラダイム》所属、霧谷雪彦。お前の炎ごと、霧氷に包んで眠らせてやろう」
「《八葉》所属、日野森飛鳥。だったら俺は、その氷ごとお前を燃やし尽くす」
開幕の合図も終わった。
後はただ、戦うのみ。
「烈火刃・壱式――“破陣”」
「雪月花・一節――“霧桔梗”」
熱火燃えたぎる大剣と、研ぎ澄まされた絶氷の大太刀が生み出されたのはまったくの同時。
相反する力と力――無限大の熱量と、絶対零度の洗礼が重なり合った瞬間、鉄橋を中心に蒼紅の嵐が吹き荒れた。
主人公対ライバルの戦いはバトルものの王道中の王道。でも今回はまだ前哨戦ってとこです。