―第123話 白を駆け行くは疾風、白を染め行くは迅雷 ④―
今回からクロエの魔術名も、まんまカタカナからルビ振りに変えました。クラウやレイシアの魔術と統一しないとおかしいわやっぱ……
雷の天女の抱擁が、風の勇者を二度と覚めない眠りへと引き摺り下ろす。
「うあああああああああああああっっ!!??」
悲鳴などあげてたまるか、そんな下らない意地など閃光の彼方に吹き飛ばされてしまっていた。
本来、人間は電気というものに対して極めて脆弱である。
例えば雨で全身がずぶ濡れになっている状態であれば、死に至るレベルの電圧とは1,000Vもあれば充分だとされている。
それでも雷が人体に到達するまでに、衣類や建築物、空気抵抗などの障害によって著しく電圧が減衰するために、「感電死」というものはある程度注意さえしていれば容易に回避できることが多い。【電流=電圧÷抵抗】という『オームの法則』を、学校の授業で聞いた覚えがある方もいるだろう。
だが、仮に……自然環境ではまず想定することすらできない状況であるが。雷の発生源と密着することで空気抵抗を0にし、軽く10億を超える電圧が放出された際の電流――果たしてそれは、生物が耐えることのできる現象なのか。
「が、ぎゃ、がああああああああああ!!??」
並の人間――いや、常識的な肉体構造をしている生命体であれば、まず跡形も残らず蒸発する。
鈴風が即消滅を免れ悲鳴をあげていられるのは、第二位階に達したことで強化された超人としての躯体と、護法刻印の活性化による――不完全な行使ではあるが――半強制的な再生能力により、生と死の狭間を何度も往復しているからに過ぎない。
即ち、楯無鈴風はこの時点で既に終わっていた。
「あはははははははっっ! この電流でまだ声をあげられるだなんて驚愕を通り越して敬意すら覚えます! さぁもっと、もっと、もっと! その命が擦り切れるさまを私に聞かせてください!!」
2人が立つコンクリートの地面は真っ赤な溶岩のようにぐずぐずに融解を始めていた。地表にある自動車や商業ビルの街頭ディスプレイは電流の過負荷によりところどころが炎上しており、この市街周辺が崩壊するのも時間の問題であった。
だからこそ――
「心配せずとも、貴女のご友人もすぐに同じ地獄に送って差し上げます! そうですね、手始めにあの忌まわしき魔女から――――――え」
劉麗風は失念していた。
鈴風ただひとりに怒りを集中させ、無数の電流火花が街を焼き尽くす光景に紛れてしまっていたがために。
「時間稼ぎご苦労。後は任せなさい」
自身に迫り来る六発の魔弾を、着弾前に察知できたのはほとんど奇跡に等しかった。
光の弾丸が頭蓋を貫く直前、落雷の抱擁を解除してなりふり構わず地表へと飛びずさった麗風の判断は間違いなく正しかった。
いったい誰が、という疑問はまったくない。
いや、そもそもどうして一番最初に『彼女』にトドメをささなかったのか。冷静になって思考すれば子供でも分かる明快な答えに至らなかったのは、劉麗風にとって最大の不覚だったと言えよう。
「流石の私も、さっきのはかなり危なかったんですよ? こんな絶好の勝機をわざわざ見逃していただき、誠にありがとうございました」
「クロエ、ステラクライン……!!」
ここで麗風の中ですべてのピースが合わさった。
鈴風がどうして正面から「自分が仇だ」と挑発まがいの発言をしてきたのか。
開戦と同時に空中戦を挑み、自然と戦場を移動させたのも。
おそらくビルの屋上に逃げたのも、彼女の銃撃を狙いやすくするため。
「すべて、計算づくだったと言うのですか……! すべては貴女という魔女を戦線に復帰させるための!!」
「……そういうことです(そこまで鈴風さんが考えていたとは思えませんけど。まあ否定するでもなし、別にいいでしょう)」
先程は柄にもなく鈴風を庇ったせいで、気絶などという醜態をさらす羽目になってしまたが、今度はそうはいかない。
それに――聞く限り、彼女はクロエも良く知る人物の姉だと言うではないか。
ぜひ言っておきたいことがあったため、いったん双銃を下ろしにこやかに笑いかける。
「私も、あなたの弟君――劉功真のことはよく存じています」
「……そうですか。弟はあなたとも戦ったのですね」
正面から無策に渡り合うのはまずいと踏んだのだろう、麗風も話を合わせて剣を引いていた。
体力の回復、あわよくば一瞬の隙を付いて再び雷撃を放とうとする魂胆だろうが……じきに、そんな事は考えられなくなる。
「ええ。あなたの弟は本当に……ほんっとうに、素晴らしいと思えるほどの雑魚でしたよ! 私もこれまで数多の敵と戦ってきましたが、彼以上に救いようのない雑魚はいませんでしたよ! ご存知ですか? 彼は無関係な女の子を人質にとっては不利になったらすぐ逃げ出し、威勢よく殴り掛かってきたかと思ったら簡単に四肢を斬り落とされ、そして私に足蹴にされた後は抵抗ひとつせず「助けてくれ」と命乞い! もうあの時思わず笑っちゃいそうになりましたもの。ああ、世の中にはこれほどまでに性根の腐りきったドブネズミ以下の人間がいるんだなって! どうせ私達に出会わなくても、遅かれ早かれどこかでのたれ死ぬ運命だったんでしょうし、別に悲観しなくてもいいでしょう? あんな屑一匹が死んだくらいでぎゃあぎゃあと」
「―――――――――――――――――――は、え?」
いかに劉功真が救いようのないクズっぷりだったのか……クロエは身振り手振りと、時には失笑を交えてひと息に伝えきった。よく舌が回ったものだなあ、と我ながら関心した。
そして、効果はてき面だったようだ。
鈴風との会話は(無駄にうるさかったのもあり)薄らと聞こえていたが、これで『誇り』だ『魂』だなどとほざいているのは本当に失笑ものであった。根拠こそ違うが、今回ばかりはクロエも鈴風の言い分に完全に同意していた。
さて、どう来るか。
「嘘、そ、そんな……」
雷の剣鬼は剣を取り落とし、ありえないと何度も呟きながら両手で顔を覆いうなだれる。
彼女の言い分に則るのであれば、誇りある戦いをした上で強者に倒されるなら弟も本望だっただろう、という時代錯誤ここに極まった考えだったようだが……蓋を開けてみれば、一般人を盾にしたあげく負けて逃げ帰り、クロエに瞬殺されて恥も外聞もなく命乞いしていたわけだ。
「他人に偉そうな口を叩く前に、姉弟揃って、まずは自らの行いを顧みてはいかがでしょうかね? この……お・ろ・か・も・の」
「う……うあああああああああああああっっ!!」
ああ、本当に。
どうしてこうも、人は脆いのか。
ご大層な信念やら矜持やらを後生大事に抱えながら、それをちょっと突っつかれるだけいとも簡単に精神が崩壊する。
完全に獣と化し、絶叫と稲妻を撒き散らしながら飛びついてくる人工英霊の成れの果てに、クロエはただ粛々と拳銃を持つ手を引き上げた。
「あえて申し上げましょうか。――遅い」
雷電を伴った爪牙を、拳銃“クラウ・ソラス”の先端に付いた銃剣で正面から受け止める。にやり、と唇が裂けるほどに凶暴な笑みを浮かべる麗風に対し、クロエはただただ失笑するばかり。
少しでも触れたが最後、感電死させてやるつもりだったのだろうが、
「光子魔術展開式09――“不変にして不侵の聖衣”」
光の衣はすべてを祓い、拒み、弾き返す。オーロラにも似た淡い光の幕が、クロエの全身を包みこんでいた。雷電はそのヴェールの外側を滑るように流されて、行き場を失ったまま周囲の建造物に触れては消えていった。
「そん、な……」
「雷を統べる能力――なるほど確かに脅威的でしょう。ただ……たかがその程度で、遍く限りの『光』を統べる私に敵うとでも思っていたのですか?」
これは、いわば彼女が鈴風に投げかけた言葉の意趣返しだ。
とはいえ別に鈴風の仇討ちなど意識していたわけでなく、圧倒的な力が分かっていないなどと、何ともしゃらくさい台詞を吐くこの女が気に食わなかったからではあるが。
茫然としたままの麗風、そのガラ空きになった腹部に至近距離から引き金を二回引く。
「は、あぐっ!?」
勢いよく血液が流れ出た腹部を押さえながら、顔面を蒼白にしてじりじりと後退していく手負いの雷神を追い撃つことなく、クロエは興が冷めた様子でふうと溜め息をついた。
「逃げたければどうぞご自由に」
「な、なんですって……!!」
「言わなくともその表情と気配で分かりますとも。別に私はあなたをどうこうしたいわけでは一切ありませんし。何より面倒です」
さっきの一合だけでお互いによく分かった筈だ。
もう勝敗はどう考えても揺るぎないのだから、さっさと諦めろ。クロエは遠まわしに(むしろ直球だっただろうか?)そう伝えたかったのだ。
「くっ……」
悔しさと憎悪にまみれた顔をこちらに向けてきてはいるが、かかってくる様子はない。
要するに、麗風の戦意は完璧に折れきっていた。すり足で少しずつこちら側との距離を離そうとすることからも読み取れた。
「人工英霊というのはどいつもこいつも……力に溺れて頼り切っているせいで、だから自分より強い相手に出会った時にこうも簡単に叩き伏せられるのです」
人工英霊という存在が、なまじ強者として君臨し続けていたせいであろう。逆境や強敵に対してやたらと耐性が低いのは、何もこの姉弟に限った話ではあるまい。
何か言いようのない苛立ちを覚えたクロエは、踵を返そうとする麗風に向けて言葉を続けた。
「私は……人工英霊の中でも、群を抜いて弱い人を知っています。その人は小さな頃からとても身体が弱かったらしく、人工英霊になって、ようやく人並みの身体と体力になったのだと聞いています」
「い、いきなり、なにを……」
「彼は、努力しました。人工英霊だけじゃない、ありとあらゆる脅威に立ち向かうため、必死に、頑張って、強くなろうと努力し続けました」
雷鳴がなりを潜め、風も止んだ真っ白な街の中で、ひとりの少女の声だけが響き渡っていた。
「ある日、彼は世界中の誰もが恐怖する、とびきりに凶悪な『魔女』と出会いました。街を焼き払い、悪逆非道を尽くすその魔女に、彼はたったひとりで立ち向かいました。絶望的な力の差も承知の上で、命懸けで立ち向かったのです」
どうして、自分でもこの話をしようと思ったのかは分からない。喋りながら、何故か目頭が熱くなってきた理由も、よく分からなかった。
「彼と、彼を助けた多くの人達のおかげで、悪い魔女をあと一歩のところまで追いつめました。ですが魔女は最後のあがきで、彼の心臓を隠し持っていたナイフで貫いたのです」
知ってほしかったのかもしれない。
「そして、魔女は死んでしまいました。彼は、自分ももうすぐ死んでしまうことが分かっていました。そして、動かなくなった魔女の亡骸にそっと近付いて、こんなことを言ってきたのです」
私の知る人工英霊の少年は、こんなにも立派で、素敵で、格好いい人なんだぞと。
「一緒に死んであげることはできないけれど、一緒に生きることならできる――彼は自分の命を『半分こ』して、魔女に分けてあげたのです」
――自分が死んでしまうよりも、目の前で誰かが死んでしまうことの方がよっぽど辛くて、悲しかったから。
あの後、彼に理由を聞いた時にそんな答えが返ってきたのをよく覚えている。
「あなたは確かに強いのでしょう。鈴風さんを圧倒し、隙をつかれたとはいえ私を戦闘不能にまで追いつめたのですから。……ですが、それでも、あなたは彼より弱い」
「…………」
最後まで退かずに立ち止まっていたのは、麗風にも何か感じ入る部分があったからか。苦虫を噛み潰すような表情で、俯いたまま動こうとしなかった。
クロエが言っている人物が誰の事を示しているのか、おそらく彼女もよく知っている筈。
「……今は退きます。ですが、次に会った時には」
「ご随意に。今度は、あなたの言う『誇り』とやらが、言葉だけの薄っぺらなまのでないことを期待しています」
苦痛に眉をしかめながら、チャイナドレスの女はゆっくりと背を向けた。
ひとまず、今はこれでいいだろう。
本来、クロエが矢面に立って敵勢力と正面からぶつかるのは色々とまずいのだ。《九耀の魔術師》という、世界最強の魔術師集団の一柱であるクロエがみだりに力を振るうことは、良くも悪くも周囲に多大な影響を及ぼす。
飛鳥が直接関係しているのであれば力の行使を躊躇ったりはしないが、今回は特別だ。
「まさか鈴風さんに助けられる日が来ようとは……我ながら何とも情けない」
借りは返す。
どうしても好きになれない恋敵への、これが精いっぱいの返礼であったのだ。
どうしてクロエが病的に飛鳥に心酔しているのか、その理由の一部が出てきました。2人の過去編はどこかしらで1章丸々使ってやるつもりです。
クロエの魔術名の表記ですが、過去に出た分も順次変えていきます。なんて名前にしようかな~、厨二病がうずくな~。