―第111話 7月6日 嗚呼大いなる『お約束』な一日 後編―
またまた2話連続投稿。
今回、クラウの盛大なるキャラ崩壊があります。
さて、古くからある銭湯においての『お約束』。
そして、年頃の男女が同時に風呂に入っているという環境下での『お約束』。
「覗きに決まってんだろそんなもん」
嗚呼、かくも男は馬鹿なのだと。
分かっていても抗えない禁忌にこそ、世の雄は惹き付けられるものなのだ。
「あ、暑い……そして狭いぃ……」
「電子回路がショートしそうだな」
開業60年。この『賽の湯』には、かつての先人達が残していった大いなる遺産が存在する。
男湯と女湯の間は、実は一枚の壁で隔てられているわけではなく、給湯ポンプやガス機器の通り道としてほんのわずかな隙間が存在する。
一般の客が足を踏み入れることはまずないが、脱衣場の隣にある従業員用の扉からいとも簡単に侵入できるのだ(そしてこの銭湯の従業員はそれを黙認している)。
「そんでもって、女湯の壁にはところどころガタが来ていることもあってな。……ここまで言えば、後は分かるだろ?」
「ま、まさか……そんな、覗きだなんて!!」
「なんでぇ、嫌なのかい?」
「いえ、素晴らしいです。ぜひ最後までご一緒させていただきたく」
清々しいまでの肯定の返事をするクラウに、それでこそ男だと一蹴は豪快な笑みを返す。
この後輩、草食系に見せかけて実はかなり欲望に忠実な肉食系男子だったようだ。
「刃の字はどうだい?」
「俺は戻る。……あいつがいない以上、あちら側に興味などない」
「なぁ刃の字。それはつまりあんたのいい人がいたら覗く気満々だったってことだよな?」
これはある意味予想通りではあった。流石に昨日彼女ができたばかりの男が、いきなり別の女にうつつを抜かすのも問題有りだろう。とはいえ、本命さえいたら覗く気を隠そうともしないのは男として天晴れだった。
音も無く去っていく刃九朗を見送り、一蹴とクラウの2人はパイプが入り組んだ細道をかき分け進んでいく。
「おっと、ここだ……」
一蹴が目を向けた先――浴場の壁面からほんの僅かに漏れる光が見えた。
さぁ、あの先には男が夢見てならない女湯が待ち受けている。
「ど、どうしましょう!!」
「ばっか声がでけぇよ! いいか、女ってのは異様に勘が鋭い生き物だからな……息を殺し、足音も立てず、そっと覗きこめ。な、簡単だろ?」
可愛い後輩に手本を見せてやるべく、一蹴は意気揚々と覗き穴の前にその身を置いた。
さて、聞く限り今日は極上のターゲットばかりだ。こんな機会そうそう巡ってくるものではない。
クロエ会長、鈴風、リーシェ、夜浪先生、真散、レイシアと学園きっての美女が(全裸で)一同に会しているなど!!
自然と鼻息が荒くなるのを止められない。いざ往かん、と光の中へとその目を飛び込ませ――
「やっぱり……こんなことだろうと思いましたわ」
視界に飛び込んできたのは、肌色尽くしの楽園ではなく、薄茶色の眼球。薄く血走っているその瞳、そしてあまりに聞き慣れた声が、一蹴の全身を震わせた。
「お、おまっ、おまえ……!!」
「いっしゅうぅ? 貴方のようなエロ猿がやろうとしていることなんて、全部筒抜けまるっとお見通しなんですのよ!!」
この似非お嬢様口調、間違いない。
「なんでお前も入ってんだよ、沙羅ぁ!!」
「おほほ、単なる偶然ではなくて? まぁ、悪の栄えたためしなし、神様が貴方に裁きの鉄槌を食らわせるべく、私をここに呼び寄せたのかもしれませんわねぇ?」
一蹴の幼馴染にして《八葉》が誇る天才科学者、加賀美沙羅のものであった。
まさか大いなる一歩目から頓挫してしまうとは。それに、
「取り敢えずどけお前。別にお前の裸なんざ見たくもなんともねーんだから」
はっきり言って、眼前にいる彼女の裸体にはこれっぽっちも興味がなかった。
第三者からの視点であれば、沙羅もまた人並み外れた美人であるのだが、如何せん付き合いの長い一蹴にとってはどうでもよかった。
まさか覗きに来た男相手に戦力外通告されるとは思わなかった沙羅は、怒気を滲ませ叫び出す。
「こんの女の敵めがぁ……そこを動くんじゃありませんわよ! 今すぐここにいる女性全員でフルボッコにして差し上げますわ!!」
「おわっ!? お前目潰しはやめろって! 冗談抜きで目ぇ潰れちまう!!」
「潰すつもりでやりましたのよ!!」
覗き穴からにゅっと出てきた指による目潰し攻撃を華麗に避けた一蹴は、クラウの方に振り向き意味深な笑みを浮かべる。
「これで邪魔者はいなくなった。女全員で来るつってたが、ありゃブラフだ。……まさかあいつも、実はもうひとり別のヤツが覗こうとしていたなんて思ってねぇだろうから、警備は薄くなる筈だぜ」
「ま、まさか、矢来先輩……僕のために?」
「はっ、俺もたまには先輩らしいとこ見せとかないとよ」
感動の涙を流すクラウとガシッと男の握手を交わし、一蹴は沙羅を引き付けるべくわざと大きな足音を鳴らしながら建物の外へと走り出していった。
「む、逃がしませんわよ! 皆のもの、追え、追いますのよー!!」
「ふ、ふふふふふ……あの男、ついに本性を現したか。ここで会ったが百年目、今日こそ私の剣の錆にしてくれるわ!!」
一蹴追跡班に、どう考えても殺す気満々切り捨て御免な女騎士が加わっていた気がするのだが――本当に大丈夫なのだろうか? これが今生の別れにならないことを切に願うクラウであった。
(よし……)
しかして、血路は開かれた。
一蹴の身体を張った陽動作戦により、今この女湯の中は手薄!!
彼の犠牲を無駄にしないためにも、少年は危険を顧みず死地へと飛び込んだ。望遠鏡を見る要領で、片目に力を入れて視力に全身全霊を注ぎ込む。
(くそ……湯気でよく見えない)
これもまた『お約束』の湯けむりマジック。
きゃいきゃいと姦しい女の子の声が聞こえるだけで、クラウの視界はただ真っ白なだけだった。
そこに、
「ねぇ部長。それって、やっぱり本物なのよね」
「あ、当たり前じゃないですかー! ……レイシアちゃん、そんなにおっきなお胸が羨ましいですか?」
(ぶふぅっ!?)
聞き慣れた2つの声が極めて近くから発せられた。ピンポイントすぎる組み合わせに思わず吹き出しそうになってしまう。
「ありえないわよ、それ……だってそんなにデカいのに垂れる様子も見せやしない、まるで重力という軛から解放されているかのような、奇跡の乳……!!」
「れ、レイシアちゃん? なんだか目が怖いのですよ――って、ひゃんっ!?」
ああ、分かる。クラウの目には見えないが今目の前で何が起きているのかはよーく分かる。
部長の巨乳を羨むレイシアが、いたずら心で(本当にそれだけだろうか……)彼女のたわわな胸に手を出したのだ!!
「おかしい、絶対おかしい……こんなに大きいのに感度は抜群で、しかも吸い付くような柔らかさとハリを両立しているだなんて……」
「ひゃっ! やんっ、あんっ!? レイシアちゃん、そんなに乱暴に揉んだら、ダメなのですよー!!」
嫉妬のあまりレイシアが完全に壊れているようあったが、そんなことはどうでもいい。
――いいぞ、もっとやれ。
クラウの頭の中はもうそれだけだった。
(ああでも、この湯気さえなければ……! 2人の姿はすぐそこにあるというのに、ちくしょう!!)
目の前にありながら、手が届かないもどかしさ。気になる2人の女性のくんずほぐれつな光景をこの目に焼き付けられない悔しさ。
常人であれば、ここで涙を飲んで背を向けただろう。これも青春のほろ苦さかと、後で思い出として語ることもできたろう。
ああ、しかし――クラウ=マーベリックは“聖剣砕き”だ。
艱難も、理不尽も、すべてその両の拳で打ち砕く破壊の申し子。
……ちょっと格好付けて表現したが、まあ要するに力技で何とかしようと思えばできる少年だということである。
「え、あ、あれ?」
青い少年の純情は、本人の自覚なく浴場の湯煙を『破壊対象』として捉えていた。
湯気とは即ち気体化した水。その定義を破壊するなど造作もなく。
握りしめた両手から特大の魔術陣が展開。浴場内にある蒸気を対象とし、強制的に『気体の形状を保てなくなるまで冷却』という命令を与える。
「あれ、何だか急に寒くなったような……?」
「隙間風、にしてはいきなり過ぎるのです? なんなのでしょう?」
「や、やばっ!?」
クラウ自身も意図していなかった魔術式の発動に、慌てて壁から手を離そうとするが、時すでに遅し。
――――ピシッ。
この不吉な音が聞こえた時点で、もう手遅れだった。
考えてもみよう。
万象すべてを打ち砕く最強の魔拳が壁に触れていて、壊れないわけないじゃない。
「え?」
「あらー」
「あ、あああ……」
あまりにあっけなく、3人を隔てる壁は取り除かれた。
湯煙ではなく土煙と瓦礫に塗れながら、クラウはついにその瞬間を網膜に焼き付けた。
「あれ? く、クーちゃん……?」
ぽかんとした表情のまま固まった真散部長の上半身……一瞬メロンかスイカと見間違えるほどに立派な双丘がぷるんと揺れる。
「か、き、く、クラウ……」
唇の端をぴくぴくと吊り上げて、意味不明なポーズのまま硬直しているレイシアに視線を移す。雑誌のモデルとは比較にならない均整のとれた肢体、慎ましやかな胸の先端にちらりと見えた桜色の蕾を目にした途端、鼻の奥から鉄錆の匂いがこみ上げてきた。
「く、クーちゃん、鼻血、出てるですよ……?」
嗚呼、もう満足。満足だ。
これでもう悔いはない。
美の化身たる女神の彫像が憤怒に彩られた阿修羅像に変貌していく中、クラウは悟りを開いた修行僧のように澄んだ心で佇んでいた。
「レッシィ」
「な、なによ……」
「胸が小さいなんてひがまなくてもいいじゃない! だって、そんなに綺麗な形しているんだか「死ねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」」
仏の道へと足を踏み入れたクラウが最後に目にしたのは、憤怒と羞恥で顔を真っ赤に染める愛しい幼馴染の――血みどろの鉄拳だった。
「ああ、もう、騒がしいですね……」
そんな覗きという名の浴場破壊テロが行われる少し前の時点で、クロエは先んじて風呂から上がっていた。
これはクラウにとっても幸運なことであったろう。仮にクロエの肢体が彼の目に触れていたのであれば、おそらくこの銭湯ごと跡形もなく光の彼方へと消え去っていた。
入口の暖簾をくぐり、ひとり外へ出る。夜の涼しい風が、風呂上がりの火照った身体に心地よかった。
「明日は、七夕ですか」
そうひとりごちて、夜の空を見上げる。
この国――というより、この街で過ごす夏はこれで2度目だ。時が経つのは早いものだと、異郷の魔女は小さく笑う。
こんな他愛のない、それでも大切だと思える日々は、いったいいつまで続いてくれるのだろうか。
出会いがあれば別れがあるように、こうやって家族や友人と一緒に騒がしく暮らす日常にも、いつかは終わりが来る。
(その時、私はどこで、誰と一緒に生きているのでしょう)
ちょうど1年前の自分を思い出す。
この街に少しずつ馴染みだし、それでもまだ自分の殻の中に閉じこもって、誰とも交わろうとしなかった頃の自分だ。
贖罪を誓い、償いのためだけに生きようとする自分を、確か、あの人は――
「クロエさん」
過去への旅路を、後ろから聞こえた声が呼び戻す。
「飛鳥さん。お早かったのですね」
「ええ、まぁ……思い立ったが何とやらと言いましょうか」
意図が見えない飛鳥の返答に、クロエは小さく首を傾げた。
「明日は学校が休みで、それに七夕ということもあります。それを普段通り家で過ごすというのも勿体無いでしょうから――」
いつも冷静な飛鳥にしては珍しく、どこか慌てた口調で矢継ぎ早に言葉を紡いでいる。
湯上りということを差し引いても、不自然に頬を朱に染める様が見慣れないものだからつい、可愛らしいなぁなどと思ってしまう。
「あぁ、いや、そんなお題目を並べたいわけではなくて、要するに、その」
「ふふ、どうなされたのですか? 私は逃げたりなんてしませんから、ゆっくり、落ち着いて」
所在無げに握ったり開いたりを繰り返す彼の右手に触れて、落ち着かせるためにゆっくり、優しく撫でてあげる。
たまには年上のお姉さんらしいことをしてあげたかったのだ。柄ではないかもしれないが、それでも今の飛鳥には充分効果があったようで一安心。
「す、すいません。あまりこういう事には慣れていないもので、やはり緊張する……」
「?」
後半の言葉はクロエにではなく、自分自身に言い聞かせるものだったようだが……飛鳥はいったい何を伝えたいのだろうか。
「クロエさん!!」
「は、はいい!?」
いきなり両手を掴んで、ぐいと顔を近付けてきたものだから、クロエも思わず上擦った声をあげてしまった。
普段の、いつも頼りになるリーダー的存在の彼ではなく、16歳の年相応の少年の姿で。
日野森飛鳥は正面からクロエ=ステラクラインに対し、告げた。
「明日……俺と、デートしましょう」
純粋なコメディパートはここまで。
次のデート回が終わったら、ようやく本編再開の第4章へと突入します。