―第110話 7月6日 嗚呼大いなる『お約束』な一日 中編―
微エロ注意……ってほどでもないですが一応。
なんやかんや一悶着あったが、飛鳥達はようやく男女に別れて浴場までたどり着いた。
ずらりと並んだ洗面台に、壁面には見事な富士の絵画。澄んだ琥珀色の湯は、遥か遠方の有名な温泉を引いて来たものらしいが、詳しい場所や効能が記載されていないところを見ると、多分入浴剤入りのただのお湯だと思われる。
どこに出しても恥ずかしくない、日本の銭湯の姿がそこにはあった。
「うわぁ、すごいなぁ……!!」
海外から来たクラウにとっては、何から何まで驚きの連続のようで。挙動不審一歩手前レベルできょろきょろと周りを観察していた。
「で、なんでお前もいるんだよ一蹴」
「俺はガキの頃から風呂といったらここだったんだよ。別にお前らみたいな特別な事情がなくたってしょっちゅう来てらあ」
そして飛鳥は、これまた偶然遭遇したクラスメートの矢来一蹴と、湯船の中でこのあまりに連続した『偶然』というものに関して語り合っていた。
なお、明らかに全身垢塗れである刃九朗には先に洗面台で身体を洗わせていた。最初は面倒がっていたが「篠崎さんは清潔な男性が好き」と耳元で囁いたら、無言で全身に石鹸を塗りたくりはじめた。チョロい男である。
さて意図もせず、男性陣揃っての裸の語らいという展開になったが、飛鳥も一蹴も、あまり自分から饒舌に語るような性格ではない。お互い色々と騒動に巻き込まれる性分ゆえ、自発的に盛り上げること自体不要だったのだ。
だが、ボケ役がいないからと言って別段無口というわけでもない。
「最近、どうよ」
息子と距離感が掴みきれていない父親のような切り出し方だったが、一蹴の言わんとすることは理解できた。
「一旦は落ち着いた、だろうかなぁ。《八葉》にヴァレリアさんと竜胆さんが戻ってきて、クラウ達が絡んできた事件も一段落した。幸いにもそれで動ける人員は増えたから、不測の事態にも対応できるようにはなったか」
4月の異世界騒動を皮切りに、飛鳥の周囲の環境は目まぐるしい激変を見せていた。
義兄である和真の失踪という特大の負債を抱えた状態からのスタートだったが、戦闘人員で言えば鈴風とリーシェが加入し、5月と6月のそれぞれの事件を終えて、刃九朗、クラウ、レイシアが参入の意思を見せてくれた。
霧乃がこの街に腰を下ろしてくれたのも大きい。クロエと共に最大の切り札である《九耀の魔術師》が自陣にいることそのものが、大きな安心感を与えてくれる。
《八葉》の既存メンバーもこの街に帰還してきたことで、仮に明日や魔術師の軍勢が総攻撃を仕掛けてきたとて、充分に対処することは可能になっただろう。
だが、それですべてが丸く収まったわけではない。思わず頭を抱えてしまう。
「それでも問題は山積みだがな。結局和兄はどうなったのか。AITと《パラダイム》の繋がりは? 傀儡聖女を退けたことによって、他の《九耀の魔術師》たちにも間違いなく目を付けられただろうし、極め付けには昨日の一件だ……!!」
「お、おう。まさか俺の一言でそこまで思い詰めるとは思わなんだ。取り敢えず落ち着け、な?」
金髪の悪友はそう言ってぺしぺしと肩を叩いてくる。こうやって他人にフォローされるのは何だか新鮮な気分だった。
それにしてもこの矢来一蹴という男、もう付き合いは長いのだが未だに底が知れないと思う時がある。
外見は染め上げた金の頭髪をツンツンに固めた、どこからどう見ても立派な(?)不良そのものであるのだが。実際は気さくで付き合い易く、正義感の強い一本気の通った『熱い』男なのだ。
「俺にゃあお前の大変さを分かってやることはできねぇけどよ。それでも、そんだけ友達と仲間がいるってんなら、大概の事は何とかならぁな。どこまで手伝えるかしらんか、俺だっているんだしよ」
こうやって無骨ながらも心強い言葉をかけてくる辺りが、本当に熱い男である。堪らず涙腺が緩みかけてしまったのは絶対に秘密にしておこう。
身体を洗い終えた刃九朗とクラウも交え、話は自然と壁の向こう側にいる面々の話題となる。
「で? 飛鳥よ、お前さん結局誰が本命なんだ? クロエ会長と楯無のツートップは揺るぎないだろうが、対抗馬にリーシェちゃんか、はたまた大穴のフェブ公もありと俺は見てるんだがなぁ?」
「競馬みたいな予想してんじゃねぇ!!」
「いや、実際に学園内じゃ結構盛り上がってんのよこのレース。ちなみに、今は1着会長、2着楯無、3着リーシェちゃんの、4着は夜浪先生だ」
「着ってなんだ着って……そして4位の下馬評はどこから出てきた」
中学生の修学旅行じゃあるまいし、今更そんな話題で盛り上がるような子供ではないのだ。というかこの男は人の恋愛事情を食いものにしているのか。さっきまでの感動を返してほしかった。
呆れてものも言えない様子の飛鳥だったが、
「ぼ、僕にはクロエ様を恋愛対象として見るなんて、恐れ多くてとてもじゃないけど無理ですよぉ……さすが飛鳥先輩、やはり只者ではありませんね!!」
「今後のために、他人の恋愛観とやらも学習しておく必要があるか……」
誰も彼もノリノリだった。
しかし、以前にフェブリルにも突っつかれたこの話題、いつまでも宙ぶらりんにしておけないのもまた事実。いずれははっきりと回答をしなければならないのだろう。
(今更「恋愛ごとにかまけている暇なんてない」なんて逃げ口上は通用しないだろうしなぁ)
昨日の美憂と刃九朗に触発されたわけではないが、飛鳥も何かしらのアクションは起こすべきだろう。
差しあたっては――
(ああ、そういえばクロエさんとの約束も延び延びになっていたよな……)
それは、6月の『傀儡聖女』事件の時のこと。
電話でクロエと話していた飛鳥は、日頃の労いの意味も兼ねて彼女を買い物に誘ったのだ。あの時の心境は、湯にのぼせてしまったのか薄ぼんやりとして思い出せないが。
しかし事件の後処理や諸々で忙しく、またクロエからも何も言ってこなかったためにこの話は自然消滅してしまっていたのだ。
おそらく――というか、間違いなく。
(クロエさんが忘れているとは思えない。たぶん、俺に気を遣って言い出せないでいたんだろうなぁ……)
本当に申し訳ない気持ちになってしまう。
野郎同士の語らいがきっかけというのも色気のない話ではあるが、いい加減こちらの方から行動に出るべきだ。まだ何のプランも立ってはいないが、このままお流れにするわけにもいかない。
「悪い、先に出る」
「おーう、がんばりな」
たったこれだけのやり取りで飛鳥の意思を汲んでくれる一蹴は、やはり得難い親友であった。
頭を冷まして、そしてはまずは精一杯謝罪することから始めなければ。
「あ、先輩。それじゃあ僕も」
「まぁまぁ待ちな後輩くんよ。今はあいつひとりにしてやんな。そんなことより……この銭湯に来たら、男なら必ず通らなきゃならねぇ道ってのを、教えてやんよ。刃の字、お前さんもだ」
「な、なんですか、それ……」
「……聞こうか」
その頃、女湯。
「わーい!!」
「とあー! なのじゃ」
子供だったら絶対やる、銭湯で怒られること第一位――湯船にダイブをお約束通り実行した2匹のチビっ子。幸いにも、共に超スモールサイズの身体だったので、
「ざぶーん! じゃなくて、ぽちゃっ、て入ってった。他の人の迷惑にはならなかったからいいけど、なんだか物悲しい気がするのはあたしだけかな……」
随分と迫力に欠ける飛び込みになってしまっていた。複雑な気持ちでそれを見届けた鈴風は、ふと隣からの強い視線を感じて振り向こうとした。
「あんた……卑怯よ! 体育会系のおバカキャラは大体貧乳だって相場が決まっているのに――何よその無駄に立派な乳は!!」
「にょわあっ!? れ、レイシア!?」
が、その途端背後のレイシアによって自らの双丘を鷲掴みにされてしまった。一切の遠慮もなくこね回され、揉みしだかれるものだから流石に痛い。
というか何なのだ体育会系おバカキャラとは。そんなレッテルを貼られる筋合いは――いや、結構あった。
とにかく痛いので振り払う。
「ちょっと力加減してってば! おっぱいに恨み持ってるのは知ってるけど、あたしに八つ当たりするのはお門違いってもんじゃない!!」
そういって振り向いた鈴風の視界に、レイシアの一糸まとわぬ肢体が飛び込んでくる。
「うわぁ……」
思わず息を呑んでしまった。
痩せているわけでも、当然太っているわけでもない。
肩から腰にかけての体の曲線は、まるで穏やかな水の流れを体現するかのように滑らかで。
「な、なにジロジロ見てんのよ……」
小さい小さいと本人が卑下している胸も、それは無駄を極限まで削ぎ落とした芸術品じみた美しさだ。すらりと伸びた長い脚は、まるで人魚と見紛うばかりの白さとしなやかさを併せ持っていた。
モデル体型と言ってしまえばそこまでだが、レイシアの身体はそんな野暮な表現は似つかわしくない、触れてはならないような神秘的な『美』を備えていた。
「きれい……」
「なっ!? あ、あああああああんたいきなり何を口走って!? ま、まさか鈴風、あんたもしかしてそっちの――」
「んなわけないでしょうが」
レイシアのいつも通りの暴走トークにはっと我に返る。
いやはや、「黙ってさえいればとびきりの美人」という男子生徒どもの勝手な評価も今なら頷ける。
それだけ、この軽くうざったさすら覚えるツッコミ役気質のせいでもったいないというか、それはそれで彼女の持ち味というか。
「レイシア、その身体でプロポーションがどうとか言って噛み付いてくるのは結構嫌味に聞こえるよ? 女のあたしでもつい見惚れちゃったくらいだもん」
「ふ……ふぅん? まぁ、私が誰もが羨む超美少女であることなのは分かり切ってたことだけどね?」
やっぱりイラッとしたので軽く殴っておくべきだろうか。
悪い気はしない、と言いたげに鼻を鳴らす水の魔女と一緒に湯船に浸かり、ほぅと一息。
「それに、あんただって充分、人から羨ましがられる体型してると思うけど?」
「んー? そうかなー?」
肩まで湯に浸かってほっこりしている鈴風にレイシアからそんな台詞が飛んでくる。あまり自分の体付きを気にしたことはなかったのだが……どうなのだろうか?
「しっかり鍛えて筋肉付けるのと、女性らしい丸みを両立するのは結構難しいもんよ。あんたの場合、意識してんのかしてないのか知らないけど、そこんとこ凄いと思うわ」
レイシア曰く――鈴風には「健康的な色気」とやらがあるらしい。それでいて出るとこは出て、引っ込むところはしっかり引っ込んでいるものだから、
「男が好きそうな身体付きだと思うわよー。今までも、思春期の男どもからジロジロ見られることとかあったんじゃない?」
「あー、体育の授業の時とか、やたら視線を感じる時があるけど、そういうことなのかなぁ?」
だが、鈴風は自分がどれほど男子生徒から好意を寄せられているのか、とんと自覚していなかった。
それは彼女自身の無頓着さによるものでもあるが、より直接的な原因は他にあった。
「いや、だって。今まで何回か、お風呂場とかで裸のまま飛鳥とバッタリってことがあったんだけどね」
「日野森家ではそんな日常的にラッキースケベ展開が横行してるっての!?」
「その時の飛鳥って、だいたい顔色ひとつ変えずに「あ、すまん」って一言だけで行っちゃうから、あたしには女の子としての魅力なんて全然ないと思ってたよ」
「うん分かった。後で日野森は5万発殴る」
現実は、飛鳥の態度は単なる照れ隠しであったのだが、その辺を見抜く眼力を鈴風さんに求めるのは酷というものであった。
タオルを頭に乗っけて、湯船の縁に両手を乗せて「ふぃー」と気怠い息をつく。隣から「おっさん臭い……」という呟きが聞こえたが無視だ無視。
そんなことよりも、他の面々はまだ入ってこないのだろうか。もしかしてまだ喧嘩しているのだろうか、あの白黒魔女たちは。
「だから、私は、人前で裸になど――」
「ああん? 女湯でなに戯けたこと言ってんの。別にあんたの身体になんか誰も興味ないんだから、自信過剰もほどほどにしときないよー」
脱衣場の扉が開いて聞こえてくる言い争いの声。聞かずともすぐに彼女達だと分かる。
「お待たせ鈴きち、レイちん。こいつが風呂はひとりで入るからってごねだしてねー」
そう言って湯船の前で腕を組んで立ち止まった黒髪の女性を、レイシアと2人揃って見上げる。
威風堂々と、頭のてっぺんから足の先まで隠すつもりはないとばかりに仁王立ちする姿は女どうこうの前に男らしい。しかし、その自信を体現するかのように、全身からは大人の女性の色気を醸し出している、まさに『女王』の風格だった。
「ま、かく言う私もこいつを持ってくるのに手間取ってさー」
そう言って霧乃が持ち上げたのは――つい数日前にどこかで見たような気がする一升瓶。この女王、銭湯で酒盛りする気満々だった。
触らぬ酔っ払いに祟りなし。鈴風とレイシアはそーっと目を背けてなるべくとばっちりを受けないようにした。
「……ちなみに、私を無視しようとした瞬間にこの瓶の中身全部流し込むわよ」
「さぁさ先生、お酌させてくださーい!!」
「肩でもお揉み致しましょうか、霧乃様!!」
鈴風とレイシア、実は長いものには巻かれろ主義だった。自分の周りには逆らいようがない怖い女性が多いなぁ、と鈴風は内心で涙した。
「はぁ……何をやっているのですか貴女たち。霧乃さんも、いい大人が子供の前で羽目外し過ぎです。生徒の規範たる教師として、少しくらいは自重していただかないと」
そこに救いの女神現る。
流石はクロエ、この酔っ払い相手にも臆することなくビシッと正論を叩き付けた。
「ぬぬぬ、まさかあんたにそんな真っ当な意見を突き付けられるとは……」
度が過ぎたという自覚はあったのだろう。霧乃はぐうの音も言えずに、沈没する船のように浴槽の中にぶくぶくと沈んでいった。
これはクロエの評価を改めなければなるまい。いつも対抗心バリバリで歯を剥きだしてくる相手ではあるが(これは鈴風自身にも当て嵌まるが)今回ばかりは素直に礼を述べておかなければ。
「いやー先輩助かったよ。どうもありが――」
「流石はクロエ様。感服の至りでございま――」
そう思いクロエに向き直った瞬間、感謝の言葉は尻切れトンボに終わってしまった。
絶句、忘我、頭の中が真っ白に――いや、真っ赤に染まる。
「な、なんですか2人していきなり固まって。私の身体がそんなに変ですか」
羞恥を露わにして両手で胸を隠すクロエの姿に、2人の視線はなお釘付けになる。
率直に言おう。……エロい。
浴場の湿気で薄く濡れたプラチナブロンドの髪が肩から下に貼りつき、彼女のスタイルの美しさをより浮き彫りにしていた。
手で隠そうとしても零れ落ちてしまっている豊かな双丘がむにゅりと形を変える様は、耐性の無い人なら一発で鼻血を噴出して卒倒しかねない。
染みや傷などあるはずのない、白磁のようなきめ細かい肌を、一粒の水滴が滑るように落ちていく。
「「ご、ごくり……」」
触れれば壊れてしまいそうなほどに細い腰、彼女が身じろぎするたびにふるんと揺れる小さな臀部。
それはまるで天使か妖精か。御伽話に出てくるような『美』の象徴を、リアルな人間大にして神が創り上げたかのような禁断の果実。
ふと、鈴風の脳裏にあるまじき感情がよぎる。
――汚したい。
今すぐ彼女を押し倒し、全身のありとあらゆる部分に触れ、吸い付き、舐めしゃぶり、汚して汚して汚して穢し尽くしてしまいたい。
同じ女ですらこうなのだ。もし今目の前に男が――例えば、飛鳥がこの場にいたのであれば、きっと彼は耐えられまい。
理性の鎖など瞬時に引き千切り、情欲を剥き出しにした一匹の獣と化してしまうのは間違いない。
そんなのダメだ、許せない。
飛鳥の手にこの美味しそうな獲物が渡るくらいなら、その前に自分が――
「はい鈴きち罰ゲーム。一気いってみようかー?」
「はえ? ちょっ、霧乃さそれはってもごががががが!?」
そんな危険な思考に至る直前、背後からいきなり一升瓶を口に突っ込まれた。
すんでのところで意識を取り戻せて一安心――すると同時に今度はアルコール地獄のお時間だった。
「身体を温めた状態でお酒を入れると、アルコールが身体にまわり易くなる――要するに酔い易くなってしまうのじゃ。だからお風呂でお酒の一気飲みなんて、よい子もよい大人もマネしちゃダメなのじゃよ? 急性アルコール中毒で本気で死んじゃうのじゃからなー」
「むぐももももぐぐぐもももまごごごご!(丁寧な解説どうもありがとう!) まぐごごごごまままむぐぐぐもごごごむごがががごむぐぐもももががが!?(でもそれだったらまずは助けてくれるのが正しい行動なんじゃないかな!?)」
洗面器の中でぷかぷか浮いていた博識チビドラゴンに言葉にならないツッコミを入れつつ、鈴風は喉の奥で暴れ狂うお酒の熱にノックダウンされてしまった。
意識を失う直前――
「ありゃりゃ、遅くなってごめんなさいなのですよー」
「ひぃっ!? モンテローザ(イタリア・スイス国境にあるとても高い山)!?」
遅れてやってきた真散部長こそ、女性陣最強の乳の持ち主であったことをまざまざと見せつけられつつ、撃沈した。