―第108話 7月5日 鋼鉄に涙は流れるか 後編―
「……なぜだ」
それは、第三者からして見れば、完全なる『告白』であったと言える。
だが、その告白を受けた刃九朗の脳内は、無数の疑問符で埋め尽くされていた。
「俺は戦うためだけに造られたモノだ。戦うことでしか生きる意味を証明できない、剣や銃と変わらない、ただの武器でしかない。……お前は、そんな俺を否定するのか」
「ええ、否定しますとも。わたしには、そんな事情知ったことではありません」
苦し紛れの反論に対しても、美憂は凛と、毅然と、迷いなく切り返してくる。
初めて、刃九朗は彼女のことを『強い』と感じた。どうあっても勝てる気がしない――完全なる敗北感を、生まれて初めて味わった。
「――センパイ。センパイは、何をそんなに怖がっているのですか」
「怖がる、だと……」
恐れなどという上等な感情が、この人間兵器に備わっている筈などない。
だが、刃九朗の心の奥の奥――彼自身でも認識できないレベルの中枢で、彼女の指摘を否定しきれない自分がいた。
ああ、畜生、認めざるをえないだろう。
確かに鋼刃九朗は恐怖している。
武器とは、兵器とは、戦うために存在するものであり、それ以外の存在にはなれやしない。
仮に世界から戦争が無くなり、戦いという存在がこの世から消え去ったとなれば、真っ先に打ち捨てられるものなのだ。いや、その前に故障や損耗によって戦場に廃棄される方が先だろう。
故に、鋼刃九朗という『兵器』は、そう遠くない未来に捨てられることが決定しているのだ。
必要とされなくなる。
用済みのレッテルを貼られる。
「ああ、もう誤魔化しようもない。これこそが俺の中にある恐怖というものなのだ」
「……センパイ」
その怖れの感情は、いつの間にか言葉として発露していた。
初めて見せるであろう、鋼刃九朗の心からの叫び。
だが、それに対する美憂の答えは竹を割ったかのように単純明快だった。
「前々から思ってましたが……センパイって、結構バカですよね?」
――絶句、としか形容できなかった。
か弱い少女の小さな口から発せられたド直球の罵倒に対し、刃九朗の思考は完全に停止していた。
脳内のすべての回路がショートしてしまったかのようだ。馬鹿みたいに――正しく彼女の言葉通りだ――口を開閉し、声にならないうめき声をあげることしかできない刃九朗に、美憂は更なる追い討ちをかける。
「まず、「自分は兵器だ」とか言ってますけど、何も知らない人がそれを聞いたら結構イタい人に見えるでしょうね、ええ」
「うぐっ」
「それと、以前の中間テスト。涼しげな顔をされていましたが、確か古典の成績が赤点でしたよね? それも鈴風センパイ以下の点数だったとか」
「ぬ、うぅ……」
「あと、わたしのお弁当をいつも綺麗に食べてくれるのは大変嬉しいのですが、野菜メインのお弁当の時だけ、やけにお箸の進みが遅いですよね。……ところで、この間付け合せのミニトマトを食べずにそっとポケットに隠してましたけど、バレないとでも思ってましたか?」
「ぐはあっ!?」
散々な仕打ちであった。
飛鳥の烈火刃よりも、大型ブーステッドアーマーからの重機関砲よりもよっぽど強烈な一撃だった。まだミサイル弾の直撃を食らった方がマシだと思えるほどの激痛が全身を駆け巡っていた。
思わず床に手を付いて項垂れる刃九朗を見て、流石にやり過ぎたと思ったのだろう。バツの悪い表情を浮かべて苦笑いをする美憂であった。
「お、おま、お前は……俺になにか恨みでもあるのか……」
「女性の好意に対して答えを返そうとする気配すら見せない所に関しては、ちょっぴり恨んでますかね? まさか、わたしがここまでやっておいてまだ気付いてないなんて言いませんよね?」
罵倒を止めるどころか、むしろトドメをされてしまった。
刃九朗は力無く畳の上に倒れ込み、虚ろな目で天井を見上げたまま動けなくなってしまった。
「あはは、そういうところですよ」
「……?」
何が可笑しいのか、急に声をあげて笑い出した美憂の方に首だけを向けてみる。
「そうやって、いつも何も動じないように見えて、実はすごく打たれ弱いところとか。わたしがセンパイを好きになったところのひとつです」
「…………」
理解、できなかった。
そんな、人の弱さをさらけ出したような部分をどうして『好き』になれるのか。
「他にも、センパイの言葉には決して『嘘』がないところとか」
それは、嘘をつく必要などなかったからだ。
「制服をいつも綺麗に着こなしているところとか。清潔感があって素敵ですよ」
校則に則って、見本のまま着用しているだけだ。
「教室の掃除がすごく丁寧で、センパイが当番の時はホコリひとつなくてとってもピカピカだって。夜浪先生が教えてくれました」
あの女は美憂に何を吹き込んでいるのだ。
「それは、みんなみんな、あなたのことです。兵器がどうとか、戦いがどうとかじゃない、鋼刃九朗というあなたのことです。わたしが好きになった、あなたのことなんです」
どうして……泣いているのだ。
「いいじゃないですか、戦わなくたって。弱くたって、いいじゃないですか。そんなものなくたって、わたしの知っている今のセンパイは、いなくなったりしないんですから」
――その言葉が、心に染み入るようだった。
頭の中は空っぽのままで、でも胸の内には 理論ではない、確かな『心』の温度を確かに感じたまま。
「センパイ?」
美憂の顔を見ないように腕で目元を覆い隠す。
駄目だ。きっと、今彼女の顔を見てしまったら、きっと自分の中の何かが決壊してしまう。
「……俺は、戦うことを止めることはできない」
「はい」
「今日に限ったことではない。俺の近くにいると、またいつ争いに巻き込まれるか分からん」
「はい」
「俺はいつ、どこで命を落としてもおかしくはない」
「……はい」
「それでも……お前は」
そこで思い直し、言葉を区切る。
自分は美憂に何を期待しているのだろうか。硝煙と銃声に彩られた、血塗られた道を共に歩んでほしいとでも思っているのだろうか。
――否、断じて否だ。
リヒャルトに毅然と立ち向かおうとした彼女を無理にでも引き留めたのは何故だ。
彼女がこちら側に来てしまうことを、何よりも許せなかったからではないのか?
「…………美憂」
篠崎美憂が己の進むべき道を決断したように。
鋼刃九朗もまた、決断しなければならない。
腕をどけ、重い瞼を開き、ゆっくりと身を起こす。
「お前は、何があっても絶対に戦うな。どう考えても足手まといにしかならん」
「っ……」
拒絶の回答に美憂は小さく唇を震わせるだけであった。必死に感情を抑え込もうとしているのが、ありありと伝わってきた。
おそらく美憂の中では、縁を切るべきだとか、もう会うべきではない、といった二の句が予想されているのだろう。
ああ、だがそれは早合点というものだ。
「だからお前は……黙って俺に護られていろ」
淡々と、平然と、いつものように無機質な態度で言葉にしたつもりである。
だが、嗚呼、自覚はしている――どう思い直しても緊張で声が上擦っていた!!
何なのだこの気障ったらしい台詞は。とても自分自身の口から出た台詞とは思えない。
「え……あ……う……?」
今度は美憂の方が馬鹿みたいに固まってしまう番だった。
刃九朗とて、今さら取り繕うつもりもない。
「あ、あの、センパイ、それって」
「言葉通りの意味だ、二度は言わん。……俺も恥ずかしいんだ、言わせるな」
造られたモノとしての、兵器としての使命ではない。
ただの人間、鋼刃九朗が、理屈も理論もすべてかなぐり捨てて、ただただ彼女を護りたいと望んだだけのこと。
だが、自分の感情に気付いてしまったばかりの思春期の少年――刃九朗を示す言葉としては些か語弊があるかもしれないが――には、この胸を掻き毟りたくなるような羞恥心は耐え難いものであった。
潤んだ瞳で見つめてくる彼女から目を背ける――両手で頬を掴まれ、ぐりっと正面に向き直された。
「傍にいても、いいんですか?」
「ああ」
「待っていても、いいんですか?」
「ああ」
「キスしてもいいですか?」
「ああ…………ん? いや待てお前今何と言った!?」
条件反射で答えてしまう刃九朗だったが時既に遅し。
両手で顔をホールドされたまま(しかも異常に力が強い!)意を決した表情で目を閉じゆっくり顔を近づけてくる美憂にされるがままとなってしまう。
(ああ、これが俗に言う肉食系というタイプなのか……)
そんなどうでもいいことが頭に浮かんでいた刃九朗、抗う気はとうに失せていた。触れ合っている彼女から仄かに香る、香水とは明らかに違う甘い匂いにより、脳内回路が無数の理解不能を弾き出していた。
徐々に近付いてくる小さな桜色の唇に意識を奪われたまま、そして――
「ストォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーップ!!」
突如、横殴りに叩き付けられた大音響に、2人揃ってずっこけた。
同時に、『場の雰囲気』という名の金縛りから解放された刃九朗は、美憂の肩を掴んでぐいと距離を離した。
「……ちっ」
今しがた聞こえた舌打ちの声は全力で聞き流すことにした。追及しようものなら生命活動に多大な危機を及ぼすことを、刃九朗は完全なる本能で察していた。
ともあれ、すんでの所で踏み止まれたことには感謝せねばなるまい。制止をかけた声の主に向き直って、
「鈴風センパイ? なに折角のいいところを堂々と邪魔してくれちゃってるんですか? いやがらせですか? いやがらせなんですね。ええ、ええ、よぉく分かりました。センパイはわたしのことが相当お嫌いということなのですね」
「え、待って、ちょっと美憂ちゃんこわい。と言うかあなたそんなヤンデレさんみたいなキャラだったっけ? そういうのはクロエ先輩ひとりでおなかいっぱいなんですけどって、ねぇ……なんで、流れるような動作であたしの首を両手で掴んでいるんでしょーか……」
何も言わずに部屋を後にした。
あれは無理だ。
「わたし、昔は鈴風センパイのこととっても大好きでした。ところどころアホみたいな部分もあるけど、それもまた可愛らしいところだと思ってました」
「どうして過去形なんだろう? そして仮にも先輩に向かって直球でアホ呼ばわりするのはどうかと思うの」
「でも、今回ばかりは笑って見過ごせるような事態じゃあありませんよねぇ? ああ、そういうことか。今わたしが鈴風センパイのことをどう思っているのかがようやく理解できました。つまり、かわいさ余って憎さ百倍」
「いや、いやね? 今のは美憂ちゃんのことを思って止めたのですよ? ほら、ジン君だってああ見えて一皮剥けば、美憂ちゃんにあんなことやこんなことを強要してくる野獣みたいな男かもしれないじゃない! いや、男はみんな野獣なんだよ! たぶん!!」
「……鋼センパイがそうならどれだけ楽だったか(ボソッ)」
それ以降の会話はすべて刃九朗の記憶からシャットアウトした。悲鳴とか断末魔の叫びなど一切聞いていない。
どちらにせよ、これ以上話ができるような雰囲気でもない。今日のところは大人しく帰路につくことにしよう。
玄関口で靴を履こうとしたところで、ふと動きを止める。
もう夜も更けている。美憂も帰るのであれば、家まで送ってやるくらいの甲斐性は見せるべきか。
「篠崎さんは、今日はウチに泊まってもらうから心配するな」
「……よく分かったな」
背後から声をかけてきた飛鳥の配慮により、その点の心配は不要なようだった。しっかり美憂の親御さんにも連絡済みらしい。この男の真の恐ろしさは、炎の能力でも冷静な戦況把握能力でもなく、その異常なまでの根回しの早さなのではなかろうか。
「取り敢えず……おめでとう、でいいのか?」
「余計なお世話だ」
当面は今日のことでからかわれることを覚悟していた刃九朗は、意地悪げな笑みを浮かべる飛鳥にそう吐き捨てた。
ちょうどいい。飛鳥にも話しておきたいことがあったのだ。
「それよりも、俺が会ったあの男のことだ」
「リヒャルト――確かにそう名乗ったんだな」
本来、今は好いた惚れたの話で浮かれているような状況ではない。
《パラダイム》の首魁にして人工英霊の生みの親。飛鳥にとっては両親の仇であり、因縁の深い相手なのだと聞いていた。
刃九朗からすれば敵性勢力の司令塔であり、そして最優先撃破対象である。
だが、実際は勝敗以前に、同じ土俵に立つことすら許されなかった。
「精神操作の能力、それも抵抗する間もなく術中に落ちてしまうほどに強力なものか」
「奴の口振りからして、他にもまだ能力を隠し持っているようだ。我ながら不甲斐ないが、あの時はどうあっても勝てる算段が付かなかった」
「いや、それでもすぐに篠崎さんを連れて逃げたのは正解だった。……悔しいが、今の俺達にどうこうできる相手じゃあない」
遅かれ早かれ、いずれは激突しなければならない相手だ。
今回の接敵がイレギュラーなものだったとはいえ、こうもお話にならないほどの力の差を示されると、どうしたらいいのか途方に暮れてしまいそうになるものだ。
しかし、そうなるとひとつ気になる点が浮かび上がってくる。
「あれほどの能力があるのなら、どうして今まで奴自身が攻めてこなかった? 仮に先月の《八葉》での戦闘に奴が現れていたならば、俺達はいとも簡単に終わっていただろうに」
リヒャルトの能力の全容が掴めているわけではないが、彼の力はどう見繕っても、単身で戦局そのものをひっくり返せる――いわば『戦略級』と呼ぶべきものだ。
あれほど強大かつ驚異的な手札を、どうしてこれまでの戦いで切ってこなかったのか。
「遊ばれている……いや、試されているんだよ、俺達は」
「なに?」
そう言って眉をひそめる飛鳥に対し、刃九朗は訝しげな声を出して話の先を要求した。
「今までの奴の言動や行動からして、奴は俺達の成長を促しているようにしか思えないんだよ。鈴風を助けるために別の世界に向かう扉を用意したり、先月の一件では、腕試しだとでも言いたげにシグルズをけしかけてきたりな」
それは、例えばRPGのストーリーに酷似している。
レベル1の主人公を、なぜ最初からボス級の敵に襲撃させて一瞬の内にゲームオーバーにさせないのか。
理由は不明だが、道中に御誂え向きに倒せる敵を配置して主人公を徐々に強くしていき、最終的にラスボスと互角に戦える状態にまで持っていっているわけだ。
要するに、飛鳥はそれを現実の世界でさせられている気分になっていると言いたいのだ。
「だから、俺にも、他の誰にも。リヒャルトの目的が、そもそも目的なんてものがあるのかどうかすら分かっていない始末だ」
だが、倒すべき敵には違いないと飛鳥は言う。
7年前の飛行機事故の黒幕であり、現在も世界中の紛争地域に現れては、手駒の人工英霊を使って破壊の嵐を撒き散らす。既存の法に照らし合わせても、飛鳥個人の憎悪の情からしても、リヒャルトは十二分に断罪されて然るべき相手だ。
それでも、飛鳥はどこか迷っている様子だった。
「……奴にどのような思惑があるかしらんが。ともかく今の俺達には力が足りないというのは明白だろう」
「そう、だな」
だが、例えどのような『裏』があったとしても、今我々がすべきことはたったひとつなのだ。
「ならば、強くなる他あるまい。計略も、策謀も、諸共薙ぎ払って進んでいけるほどにな」
そうしなければならない理由は今できた。
兵器としての義務ではない。
鋼刃九朗というひとりの男が、ただ「強くなりたい」と希う理由が確かにできたのだ。
そんな鋼鉄の男の意思表明に、紅蓮の男は少し面食らっているようだった。
「刃九朗……お前、なんか変わったか?」
「質問の意図が抽象的すぎて理解しかねる。俺はもう行くぞ」
話すべきことは話した。
伝えるべきことは伝えた。
手早く靴紐を結び、玄関を通り抜ける。夏の夜特有の、暑さと寒さが同居した微風が髪を揺らした。
この穏やかな夏の日も、いつかは無情に崩れ去る。
遅かれ早かれ、再び鉄火舞い踊る戦場にこの身を置くことになるのは必定なのだ。
逃げ出すことはできない。逃げようとも思わない。
(ああ、そうだ。あいつがいるこのまちを護るために、俺は)
だから、鋼刃九朗は銃を取る。
この身が血潮と硝煙に塗れようと、鉄屑となって打ち捨てられようとも。
それでも、心底「生きたい」と願ったのだ。