―第8話 人工英霊概論・入門編 ―
次の日。
「どうやら傷は完治したようだな」
包帯を外した右肩を大きく回し、身体の調子を確かめている飛鳥の下へやってきた女騎士――ブラウリーシェ=サヴァンが感心したように言った。
彼女の目から見ても、飛鳥の回復速度は尋常ではなかった。
右肩を銃弾が貫通し、10メートル以上の高さから受け身も取れずに落下。
常人ならよくて重傷、全治数ヶ月の怪我に違いないが……
「おかげさまで。寝床を貸してくれてありがとう、ブラウリーシェさん」
感謝を告げる飛鳥からは、既にその傷も痛みも最初からなかったかのように消え失せていた。
“人工英霊”の身体能力は、紛れもない超人級である。
流石に心臓を撃ち抜かれたり、脳天を破壊されたりすれば即死だろうが、致命傷でさえなければ、時間経過次第で完全回復出来る性能を保持している。
そんな呆れるほどに馬鹿げた体質に、飛鳥は自嘲気味に小さく笑った。
「さて。病み上がりのところで申し訳ないが、我らが長がお呼びだ。一緒に来てもらうぞ、ヒノモリアスカ」
「飛鳥でいいよ。そんな呼びづらそうにフルネームで呼ばなくてもいいから」
「むぅ……ならば私もリーシェで構わん。親しい者は皆そう呼んでいる」
フルネームを呼び辛いのは私も同じだ、とリーシェと飛鳥は顔を見合わせ苦笑を交わした。
盛大な誤解とすれ違いがあったとはいえ、2人はつい先日命のやり取りをした関係だ。そのような事があった直後でもこうやって軽口を言い合えるのは、なし崩しではあったものの共同戦線を張ったことにより、互いの実力を認識しあえたからであった。
飛鳥もリーシェも、王道とは言えないかもしれないが剣の道を志す者同士。
剣士として追い求める強さに誠実であるが故に、自分が持ち得ない剣の強さを持つ者には敬意を払うべきであるという考え方が一致したのだ。
性格云々はともかくとして、こと剣に関しての向き合い方においては2人は似た者だったのだろう。
互いに口に出すことはないが、共に切磋琢磨できる仲間ができたことは、2人にとって望外の喜びであった。
リーシェの家を後にし、飛鳥は天を仰いだ。
雲ひとつない蒼天、その中心で網膜を突き刺すほどの白光を放つ太陽に飛鳥は思わず右手で目を覆った。
有翼人の里、《オーヴァン》。
標高約3000メートルの山脈の尾根に造られた空中の楼閣である。
建築物はすべて石垣で造られており、その光景は町や村というよりは遺跡に近い印象だ。
人の往来によって踏み固められた自然の舗装道をリーシェと並んで歩く。
道の左右には、緑色の大海原。視界全体を埋めつくす広々とした草原に、思わず走り出したくなる衝動にかられるほどだ。
道の向こう側から有翼人の女性が歩いてきた。
藁で編まれた籠に山となった衣類を詰め込んでいることから、おそらく洗濯に行く途中なのだろう。
リーシェと飛鳥に気付いた女性はからかうような口調で話しかけてきた。。
「おや、リーシェちゃん。殿方と一緒だなんて珍しいねぇ……ようやく春が来たのかしら?」
「違います。というか見ればわかるでしょう、彼はエトランゼです。長の下に案内しているだけですから」
素っ気なく淡々と応じるリーシェに、女性はつまらなさそうに口を尖らせた。
ふと、こちらと目が合った女性が笑顔を向けてきたので、飛鳥は軽く会釈して応じることにした。
一言二言他愛も無い会話を交わしてその場を後にする。ふわふわと両の翼を揺らしながら歩いていく女性の背中を見送った。
「ここは、平和なんだな」
「そうだな。少なくとも私のような騎士以外の者は、まともに武器を手に取った事すらない。この世界には、戦うべき敵など存在しなかったのだから」
そう、平和だったのだ。
しかしこの村に、戦う存在である『騎士』が存在するという事実が、飛鳥にこの平和が砂上の楼閣に過ぎない事を認識させた。
「リーシェ、君は始めて俺と対峙した時「また現れた」と言っていたが……『奴ら』と戦ったのはあれが始めてではなかったのか?」
「ああ、2年ほど前だったか。あの鋼鉄の獣たち、そしてそれを指揮する“エトランゼ”らしき者が現れたのが」
自分達に害をなす『敵』の出現に、有翼人は自衛の手段を身につける必要があった。それ故の騎士団、ということなのだろう。
しかし、今までまともな戦闘経験が無かった筈の有翼人達の中から、僅か2年でリーシェほどの練達者を輩出できた事が、飛鳥にとっては些か疑問だった。
「着いたぞ、あそこだ」
リーシェにその事を訊ねてみようと顔を上げる飛鳥だったが、どうやら長の住居に到着したようだ。
《オーヴァン》内の小高い丘の上にぽつんと建つ、他の住居に比べると倍近い大きさの石家だ。
入口には鈴風と、彼女の頭に乗っかっているフェブリルの姿が確認できた。こちらに気付いて、全く同じタイミングで大きく手を振る2人の姿はカルガモの親子を彷彿とさせる。
思わず苦笑しながら飛鳥は歩を速めることにした。
「お呼び立てして申し訳ありません。色々とお話を伺いたかったものですから……」
《オーヴァン》の長、メトセラの挨拶から始まり、飛鳥達は簡単に自己紹介を済ませる。どうやらここは集会所としても機能しているのだろう、総勢4人が入っていても充分に空間の余裕がある(場所をとらないフェブリルは換算していない)。
自分を呼びだした理由は分かっている、飛鳥は挨拶もそこそこにして立ち上がった。
「あのさ、まずはあたしから質問していい?」
「はい、どうぞ楯無くん」
教師にでもなった気分で、飛鳥は結構ノリノリだった。
黒板もあれば完璧なのだが……と心の中で嘆くが無理な相談だろう。
小さく嘆息し、鈴風に向き直る。
「そもそも人工英霊って何者なの? 飛鳥も、あと劉とかいう悪党もそうなんだよね」
「ああ、そこから話した方がいいか。……そうだな、鈴風はウルクダイトは知ってるよな?」
頷く鈴風だが、その表情からは「今の話に関係あるの?」という疑問が窺える。
ウルクダイトは、10年前AIT社が発明した相転移金属の通称である。
外部からの電気信号により、その形状を命令された通りに構築させる金属であり、ここ10年における世界の技術革新の火付け役でもある。
例えば、一度拳銃として鋳造したウルクダイトをハンマーで砕いて溶鉱炉でドロドロに溶かしたとしても、『拳銃』の形状を素粒子レベルで情報化しているため、時間経過で元の形に自動復元するのだ。
いわば形状記憶合金の究極形ともいえるウルクダイトの存在が世界中を席巻したことは、世情に疎い鈴風でも知っている出来事だった。
「一言で言えば、人工英霊とはウルクダイトの人間版なんだ。……実際に見てもらった方が早いか」
おもむろに、飛鳥は右手の指を打ち鳴らす。ライターでも使ったかのように、飛鳥の人差し指の先に赤々とした炎が灯った。
その指先を鈴風の正面に向けて、
「触ってみな」
「え!? ヤダよ、火傷しちゃうじゃない」
「大丈夫、そうならないようにするから」
飛鳥の言葉に、鈴風は恐る恐る灯火に触れた。
……驚きのあまり硬直しているようだ。
鈴風の驚愕は、振れた炎が熱くなかったこともあるが、何よりも炎に触れているという摩訶不思議な感覚によるものだった。
「今、俺はこの炎に対して『物質として触れる事ができる』、そして『触れても熱くない温度』という命令を出している。……つまり、この炎は俺の命令に応じてどのようにも形や性質を変える事ができるんだ」
この場合、ウルクダイトと飛鳥の能力の相違点は素材が『鉄』か『炎』か。あとは、形態変化の指示が『機械』によるものか、飛鳥自身の『意思』によるものかという2点のみなのだ。
飛鳥がこの能力に覚醒めて7年。
今更ではあるが、なんとも馬鹿げた力だと飛鳥は改めて思った。
この能力を、通称『精神感応性物質形成能力』という。
精神力により形成、構築される各人の心的特徴に応じた存在を具現化し、意思の力で使役する。
思い描いたものが現実になるなど子供の妄想ではあるまいに……とつい呆れてしまいそうになる代物だ。
だが、人工英霊の能力はそう御都合主義でもない。
どのようなもの、と言っても勿論限界はある。
これまでの戦いで、飛鳥は炎を剣として構築した。
それは簡単にやっているように見えるが、実際は量子化の際に武器の形状、材質、硬度といった設計情報やその製造過程を正しく認識し続ける必要がある。
なんとなく、で実用に耐え得る物など具現化しようがない。
当然といえば当然だ。
むしろ刀剣はまだ容易な方で、銃火器のような精密機械となると難易度は桁外れとなる。
内部を構築する大小のパーツ、その組み合わせに駆動方式といった膨大な情報を記した設計図を、丸暗記して脳裏に常時展開するといえば、その難易度の高さがご理解いただけるだろうか?
「何だかよく分からないけどすごい能力で、飛鳥も苦労してるんだなっていうのは分かった!!」
「うん、まったく教えた甲斐の無い返事だなコノヤロウ……まあいい、能力そのものの理屈は今はあまり関係ないし」
自分から質問しておいてなんだその答えは、とツッコむ気力も失せて眉間を押さえる飛鳥に、リーシェが話の続きを促した。
「いいから話を続けてくれ。私としては、そんなことよりリュウとかいう人工英霊が何を企んでいるのかという方が重要だ」
「正論だ、正論なんだが……なんでだろう、すっげぇ納得いかない」
「うにうに……」
しかもいつの間にか飛鳥の頭の上に移っていたフェブリルはすやすやと安らかな寝息をたてていた。
何だか涙が出そうになったのは、きっと飛鳥の気のせいだ。
「劉功真も、あの機械仕掛けの獣――クーガーも。奴らはAITによって造られた存在だ」
「あのメタリックワンちゃんはともかくとして……劉も、ってどういう事?」
クーガーがAITの技術によるものである事に、鈴風は大して驚きはしなかった。
2029年現在における機械工学の発展は著しいものであり、人工知能を搭載して人間や動物と遜色ない動きをするロボットなど珍しくはなかったからだ。
だが、人間である筈の劉功真も、とはどういう事か。
何秒か考えて、鈴風は「もしかして!」と弾かれたように頭を上げた。
「分かった、アイツ実はロボットだったんだ! 腕外してたし、きっとロケットパンチとか足からジェット噴射で空飛んだりとか出来るんだよ!!」
「漫画の読み過ぎだ……やりそうだけどな。残念ながら劉功真は人間だよ。俺が言いたかったのは、人工英霊もまたAITの科学技術の産物だってことだ」
「んんん?」
それは、つまり……飛鳥はAITに何かされたという事だろうか?
そう解釈して茫然とする鈴風をよそに、飛鳥は話を続ける。
人工英霊と呼称されている以上、それは自然発生的なものではなく、ましてや神秘学の産物などでは決してない。
「リヒャルト=ワーグナー。人工英霊とは、いわばその男の『研究成果』だ」
神が与えたもう奇跡の力? なんだそれは、まったくもって馬鹿げている――飛鳥の脳裏には、そう言って冷笑するリヒャルトの表情が思い浮かんでいた。
とはいえ、飛鳥も自身の能力の駆動原理を詳細に理解しているわけではない。少なくとも飛鳥が理解しているのは、
「“祝福因子”と呼ばれる何かを体内に投与、それに適合した人間だけが人工英霊になれるんだそうだ……その男いわくな」
この肉体は、リヒャルトによる人体実験という名の殺戮の中で作り上げられたものだということだ。
飛鳥の両親を含め、多くの人間が失敗作として破棄され、生き残った数少ない被検体が“人工英霊”として彼の研究材料になっていった。
超人というよりは改造人間だな、と飛鳥は自嘲した。
「劉を含め、多くの人工英霊はリヒャルトに従った。《パラダイム》という組織を名乗り、確認出来るだけでもざっと100人ほど――世界各地で奴らが目撃されている。最終的な目的は不明だが、篠崎さんを利用し、クロエさんを狙うような連中だ。看過は出来ない」
「……美憂ちゃん」
元の世界に置き去りにして来てしまった後輩の悲しげな顔が鈴風の脳裏にフラッシュバックした。
彼女もまた犠牲者なのだ。
クロエも指摘していたが、美憂は人工英霊には成りきれていなかった。
歪に変貌した右腕は彼女自身にも制御しきれていなかったようで、飛鳥たち戦闘者から見れば彼女の力は文字通り『蟷螂の斧』だった。
「実際のところ、奴らがこの世界で何をしようとしているのかは分からない。だが、少なくともそれは俺達にとっても、この世界に住む人々にとって害悪には違いない。……俺達の世界の人間が面倒を起こしているのだから、それを雪ぐのは同族である俺の役目だろう」
申し訳ない、と飛鳥は心苦しい気持ちでいっぱいだった。
本来接点などあるはずの無いこの世界の平穏を乱してしまっている事、そして何より一般人である鈴風を否応なくこちら側に巻き込んでしまった事に。
だからこそ、飛鳥はこれ以上彼女達を危険に晒さないためにも、早々に敵である“人工英霊”の撃破を優先すべきであると考えた。
元の世界への帰還に関してはその後でも遅くはないだろう。
まずは敵拠点を捜索するところから始めなくては――飛鳥は話を締めくくり部屋を出ようとした。
「アテも無く探すつもりか? 翼も持たずにどうやって移動するつもりだ」
そこにリーシェからの制止がかかった。
腰にさげた長剣の柄を軽く撫で、呆れたような口調で言う。
正直、リーシェには飛鳥の話は半分程度しか理解できなかったのだが、少なくとも飛鳥が《オーヴァン》の人々のために戦おうとしてくれている事は分かっていた。
ならば、為すべき事はひとつ。
「私も行くぞ。お前の言葉を借りるのならば、それはこの地の騎士たる私の役目だ。よそ者にすべてを委ねるなど、私の矜持が許しはしない」
それはリーシェの騎士としてのここにいる理由でもあるのだ。
人々を守る盾であり、外敵を切り裂く剣であれと。
その誉れある役目を奪ってくれるなと、リーシェは飛鳥を眼光鋭く睨み付けた
。
そして、リーシェの声に呼応するように鈴風とフェブリルも立ち上がった。
「こらこら、あたし抜きで話を進めるんじゃないよ。2人だけで行くだなんて駄目なんだからね」
「置いてくなー、連れてけー!!」
「あのね君たち、遠足に行くんじゃないんだから。どれだけ危険なのかは身を以て分かってるだろ、それでも来る気か?」
飛鳥にとっては概ね予想通りの展開ではあった。
真摯たる決断を瞳に込めてこちらを見つめる鈴風と、頭をぺチペチと叩いてブーイングするフェブリル。
彼女らにも進む理由がある。
友情であれ、主従であれ、責務であれ、飛鳥にはその意思に優劣を付けるつもりなどはない。
「「あったりまえよ!!」」
気持ちのいいほどに共鳴した二人の返事に思わず嘆息。それでも、無意識に飛鳥の口元は綻んでいた。
話が纏まったところで、飛鳥はここまで静観を貫いていたメトセラの方に向き直った。
「わかった、オーケー了解だ。……メトセラさん、そちらの騎士殿をしばらくお借りしても構いませんか? リーシェの言う通り俺達には空を飛ぶ手段がないもので」
「本人たっての希望です、咎める理由などありはしません。……ただ、ひとつだけお願いを聞いては頂けませんでしょうか?」
悲痛の感情を押し殺したような声に、飛鳥は眉をひそめた。
メトセラの依頼――それは行方不明になっているひとりの有翼人の捜索だった。
話を聞くと、彼は2年ほど前に唐突に姿を消したのだという。
そのタイミングが、丁度この世界に人工英霊達が干渉してきた時期と重なっていることもあり、あまり希望的観測はできそうにないと判断する飛鳥だったが、
「兄様は里一番の剣士だった。あのような連中に後れをとるとは思えん。きっと何か事情があって戻ってこられないだけなのだ」
失踪者の名はジェラール=サヴァン。
リーシェの兄であり、元々は彼が蒼刃騎士団の団長であったという。
里の民たちには無用の混乱を与えないために、彼は旅に出たと説明している。
そしてリーシェたち現騎士団の面々で、現在に至るまでジェラールの捜索が行われていたのだ。
「しかし、あの鋼鉄の獣どもが厄介でな。私はともかく他の騎士達では力不足、下手に動けないのが現状なのだ。……そこにお前が来たわけだ、アスカ。口惜しいが、お前の力量は私よりも上のようだし、奴らの動向にも詳しい。この機に、我々としても決着をつけたいのだ」
それがどのような結末であれ、私にはそれを見届ける義務がある――そう言葉を締めくくるリーシェの瞳の奥は小さく揺らいでいた。
断れるわけがないだろうと、飛鳥は本日何度目になるか分からない溜息をついた。
なんとまあ、随分と厄介事が重なったものだ。
だがそれこそが自身に課せられた『義務』なのだと、飛鳥は強く認識する。
「どこまでできるか分からないけど、最大限努力させてもらう。……だがこちらもひとつ、頼みがある」
「おお、おお……すっごおおぉぉいっ! 飛鳥、見て見てこれ本物の剣だよ! あっ、あっちには槍とか斧もある!!」
飛鳥の頼みとは他でもない、丸腰の鈴風のために武具を見繕ってほしいというものだった。
しかし当の鈴風は、初めて見る『本物』の剣や槍が所狭しと陳列されている武具棚を前に、さながら遊園地に来たような興奮状態ではしゃいでいた。端から見たら、男子生徒が修学旅行のおみやげで木刀を買ってテンションを上げているのと同じ光景だった。
あいつの中身って実は男なんじゃなかろうかと、飛鳥は鼻息を荒くして武器を物色する鈴風の感性をちょっとだけ疑った。
ちなみに飛鳥も、本物の剣に心躍らせる気持ちは理解できないでもなかったが、能力を使って刀剣を自前で作成可能である今では、そのような感情はとうに錆付いていた。
「ええい、うるさいぞスズカ! 自分の身を守る大事な武具なのだぞ、もっと真面目に選ばんか!!」
リーシェに一喝されても、鈴風は興奮冷めやらぬとばかりに次から次へと武器を取っ替え引っ替えしていた。
そんな騒がしい光景から少し離れ、手近な剣や槍を観察していた飛鳥は、ふとした違和感に気付いた。
陳列されている武器はどれも切れ味鋭く、洗練されている。
そう、洗練され過ぎている。
この世界の文明レベルは、服装や建築様式で判断すれば古代ギリシア・ローマ相当といったところだろう。高地に住まう少数民族である事を考慮しても、中世以上の文明は保持していないと推測される。
(だが、リーシェの剣はクーガーの装甲を容易に切断していた。あれは剣術の技巧だけで実現できるものじゃない)
刀剣で鉄を切る、という芸当は決して不可能な話ではない。
それは過去の歴史においても実証されており、明治時代に天皇の御前で行われた『天覧兜割』では同田貫(日本刀の銘のひとつ)を用いて鉄兜を一刀両断したという逸話もある。
とはいえ、それとは条件が違いすぎる。
クーガーの表面は特殊合金製の重装甲であり、生半可な斬撃では間違いなく剣の方が折れ飛んでしまう。
飛鳥の場合は、烈火刃の超高熱斬撃により無理矢理焼き切ったため、歴史上の剣豪並みの技術が無くとも『斬鉄』が実現できたのだが。
一振りの剣を手に取ってみると、刀身は薄い青みがかった金属で構成されていた。さらに、その剣は飛鳥が思っていたよりもずっと軽量で、少なくとも一般的な鋼鉄の重さではなかった。
外に出て、近くにあった自身の身の丈ほどの高さの岩に向けて斬り込んでみる。
「!!……こいつは凄いな」
岩石に刃を打ち付ける感触すら存在しなかった。
ほとんど力も入れていなかったにも拘らず、まるで豆腐でも切ったかのような感覚だった。
飛鳥が感じた違和感の正体がこれだった。
生活面の文化と、これらの武器の製造技術との文明的均衡が明らかに不整合なのだ。
気になった飛鳥はリーシェにこの疑問を訊ねようとしたが、
「シャキーン! 飛鳥みたいに二刀流も格好いいよね!……おろろ、バランスが」
「ヒィッ!? ちょっ、当たる当たる!? こっちに刃先を向けないでー!!」
「……お前達」
リーシェはちょうど鈴風――フェブリルは完全にとばっちりだが――に雷を落としている真っ最中だった。邪魔してはいけない(面倒なので関わりたくない)と、飛鳥は静かに目を逸らすことにした。
ふと、そらした視線の先に見覚えのある背中を見つけたので声をかけてみた。
「ミレイユさん? こんな所でどうしたんだ?」
「え?……あれ、誰かと思えばアスカさんじゃないですか! お怪我はもう大丈夫なんですか?」
べリエ高地での戦闘中、鈴風を抱えながら飛来してきた彼女の顔を、一瞬の邂逅ではあったが飛鳥は覚えていた。
あの時飛鳥は鈴風だけでなくミレイユも一緒に庇おうとしていたため、彼女の安否も気になっていたのだ。
「これでも人並み以上に頑丈な身体なんで。心配ご無用です」
「よかったぁ……」
軽く右肩を叩いて無事をアピールする飛鳥に、ミレイユはほっと胸を撫で下ろした。
しかし彼女の表情は曇ったままで、どうやら飛鳥を負傷させた事に責任を感じているのだろう。
俯くミレイユに、どう言葉をかけたものだろうかと飛鳥は視線を彷徨わせた。
「むぅ……あ、そういえばミレイユさんの武器って変わってるよな。それって誰が作ってるんだ?」
仕方がないので飛鳥は無理矢理に話を逸らす事にした。実際に気になっている事でもある。
彼女の腰に下げられた一対の短剣もまた、リーシェ達と同じ空色の金属で造られたもののようだ。その材質や鍛冶技術が分かればと思ったが、ミレイユは小さく首を横に振った。
「実は……分からないんです。この剣も含めて、ここにあるすべての武具を誰が作ったのか皆知らないんです。私が物心つくころからあるものなので、きっと大昔の御先祖様が造ったんでしょう」
……再び違和感。
本当にそうだろうか?
これらの武器の鍛造、というより製鉄技術は極めて未来的だ。一般的な鋼鉄製の剣よりも密度や硬度を向上させつつ、更に軽量化もされている。
この世界にしかない特殊な金属という線も考えられるが、それはどうにも都合が良すぎる気がした。
人工英霊の干渉があるまでまともな戦いを経験したことのない有翼人が、実は鍛冶技術だけ飛びぬけて発展していた?
有り得ないだろう。むしろ別の世界から持ち出されてきたもの、と言われたほうがまだ納得できる。
何かに気付きそうではあったが、現段階では判断材料が少なすぎた。
考えるのは後でもいいだろうと、飛鳥はその疑問を一旦棚上げすることにした。
「飛鳥ー。見て見て、どうこれ似合ってる?」
そこに一振りの槍を携えた鈴風がほくほく顔で近付いてきた。
バトントワラーよろしく片手で風車のように回転させている鋼槍は、先端部分が戦闘機の主翼のような鋭角の流線を描いている。装飾はほとんどなく、ただただ武器としての有効性を追求した機能美重視の槍と言えた。
「あれ、剣にはしなかったのか?」
「あたしも最初はそのつもりだったんだけど。でも飛鳥もリーシェも剣の使い手でしょ、だったらあたしは違うタイプがいいかなーって。――それに、多分あたしにはこっちの方が、性に合ってる!!」
「!!」
鈴風は危なげなく槍を躍らせ、先程飛鳥が縦に両断した大岩に勢いよく突き出した。
その刺突の威勢と速度は凄まじく、飛鳥の目には閃光が疾っただけにしか見えなかった。
そして槍の先端は大岩を砕く事なくきれいに向こう側へと貫通していた。いかにその一閃が鋭く、ブレの無い一点突破であったかが目に見えて理解できた。
鈴風の実力を侮っていたわけではない。
武器性能の恩恵あってこそのものだろうが、それでも並の人間には真似のできない神技には違いなかった。
(何だ今の動きは……人工英霊並みの速さだったぞ)
下手をすれば自分でも躱しきれないかもしれない武技を人工英霊でもない鈴風が為し得た事に、飛鳥は感嘆よりも戦慄していた。
それに気付いた鈴風は意気揚々と鼻をならす。
「どーよ飛鳥、これならあたしも足手まといにはならないでしょ!……あれ、どうしよ抜けない……ふんがっ!?」
「キャーッ! ちょっとスズカちゃんダメその格好は! パンツ見えてる、見えてるからー!?」
岩を貫通した槍を両手でしっかと握りしめ、鈴風は顔を真っ赤にしながら引っこ抜こうと格闘していた。
先程までの勇姿はどこへやら、がに股になって岩にへばりつき唸る鈴風の体勢は、角度によっては下着が丸見えという非常に危険な姿だった。
そんな彼女をミレイユが体を張って必死に覆い隠そうとする光景を、飛鳥は引き攣った笑みを浮かべながらそっと視線を逸らすことにした。
そう簡単に鉄が斬れたら鎧なんて意味ねえだろ! というお話。