―第101話 7月3日 『姉』として、できること 前編―
2人のお姉ちゃん視点による前後編です。
ここでは、少しだけ飛鳥が抱える『狂気』の一端が垣間見えます。
「弟くん、そういうことで今から抜き打ちで家庭訪問するから一緒に帰るわよー」
「そういうことってどういうこと!?」
たまには思い出話にでも花を咲かせようか、と思い立ったが故の行動だった。
7月3日。
放課後のHRが終わり、珍しくひとりで教室を出ようとしていた飛鳥を呼び止めたのは担任の霧乃先生だった。
別段大した理由ではない。
“傀儡聖女”の一件でごたついていたせいで、ここ最近まともに飛鳥と話ができてなかったことを思い出しただけである。
とはいえ突然の提案だったので、当然飛鳥は困り顔をする。
もしかすると、放課後なにか別の予定があったのかもしれないが……ここは担任教師であり『姉』の強権を発動。
「弟くんが普段どんな生活をしているのか、お姉ちゃん先生にはそれを把握しておく義務があるのよ~」
「何ですかお姉ちゃん先生って……」
こうなったら言っても聞かない、ということを長年の付き合いで理解していたのだろう。すぐに飛鳥は白旗を上げた。
さて、せっかくなら彼と2人だけでゆっくりと話がしたいところではあるが、飛鳥の後ろと肩の上から「連れてけー連れてけー」と熱のこもった視線を向ける彼女達をどうするか。
「鈴きち、フェブりん? そんなわけだから弟くん借りるわよ。早い話がついてくんな」
「びっくりするくらいのド直球で邪魔者扱いされた!?」
「ブーブー、横暴だぞー」
予想通りの反応である。しかしこの子達はどこに行くにも飛鳥の後ろに引っ付いてきて、カルガモの親子じゃあるまいに。
とはいえ、軽く一睨みして牽制してやると大人しく引き下がってくれた。これも普段の調きょ……教育の賜物であろう。
ついでに念押しということで。
「あと扉の後ろに隠れてる生徒会長! あんたも例外じゃないからね!!」
「…………いきなり何を訳の分からないことを。私はたまたま通りかかっただけですよ? ええ、たまたま」
鈴風とフェブリルが雛鳥なら、こいつはストーカーか。
観念した様子で教室の外から姿を現したクロエに対し、霧乃は徹底的に釘を刺しておくことにした。
「あんた……仮にも生徒会長が、そんなとこで出歯亀なんてやってんじゃないわよ……情けなさすぎてちょっと涙出てきちゃったわよ」
「出歯亀とはなんですか! 私はただ、貴女がまた飛鳥さんをよからぬ事に巻き込もうとしていないかを監視するために」
「それが出歯亀以外のなんだってんのよ」
話を聞いていた周りの生徒達を見ると「そりゃそうだ」といった様子でうんうんと頷いていた。流石に飛鳥もフォローを入れようがなかったのか、気まずげに目を反らしていた。
「弟くん。ちょっと本気で周りの人間関係を見つめ直すべきなんじゃあないかしらねぇ?」
「の、ノーコメントで」
「ともかく! ともかくです! 飛鳥さんと2人だけになろうとなど、私の目の黒いうちは許しません! どうしてもと言うのなら、私も同行させていただきます。夜浪先生、よろしいですね!?」
「嫌に決まってんでしょうが鬱陶しい。あんまりしつこいようなら、私も強硬手段に出ざるを得ないわよ?」
「む……や、やれるものならどうぞ? こんなところで教師が暴力沙汰だなんて、一発で懲戒免職ものでしょうけれど」
強硬手段=暴力と考えるあたり、クロエはまだまだ未熟者だ。直接手を下さずとも、こんな小娘ひとりを退かせる術など掃いて捨てるほど存在するというのに。
仁王立ちして入口に立ち塞がる生徒会長を前に、霧乃がとった行動は。
「言ったわね? それじゃあ……あんた、家で家事を分担する時、専ら洗濯物を担当することが多いみたいね?」
「いきなりなんで家の話が出てくるのですか?」
「知ってんのよ? あんたがいつも洗濯前の弟くんのシャツに顔を埋めて匂いを「ぎぃやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」いや、かまかけただけだったんだケド……マジだったのね……」
ストーカー疑惑のあるクロエじゃあるまいし、人様の家の様子なんて知っているわけがない。だから、クロエならやりかねないと思ったことをふと口に出してみただけなのだが……まさかの図星だったらしい。
発狂したかのような悲鳴をあげてこちらの口を塞ぎにかかったクロエを軽くあしらい、霧乃は飛鳥の手を引いて教室の外へと躍り出た。クロエの完全に殺る気の裏拳を、ちょっと冷や汗をかきながら空いた手で受け止める。
「逃がすとでも、思っているのですか……」
「私らに構っていていいのかしらー? 今の話、ここにいる全員がきっちりしっかり耳にしちゃってるわよー?」
血走った目で物騒なことをのたまう狂気の生徒会長の矛先を逸らすべく、霧乃は生け贄を捧げることにした。
……要するに、このスピード展開に付いてこれずに、ぽかーんとしてしまっている2年1組の教え子達である。
殺気満点の双眸で霧乃を貫き、ちらりと飛鳥の方に意識をやったクロエは、
「……どこまでも悪辣な女。後で覚えていることですね」
諦めやら羞恥やらがごちゃまぜになったような複雑な顔をしながら静かに教室に戻り、ゆっくりと扉を閉めた。証拠隠滅大いに結構だが、一番知られたくない飛鳥に知られてる以上、もう手遅れだと思うのだが。
この後、教室内でどのような惨事が繰り広げられるかは一切関知しない。霧乃は教え子達の尊い犠牲に感謝して、小さく敬礼した。
「さて、皆さんに恨みはありませんが……」「ア、アタシは何も聞いてないですよ! いやホント! 使い魔、嘘つかない!!」「ご存知ですか? 頭に強い衝撃を与えたら、そのショックで記憶を飛ばすことができるらしいですよ。……まぁ、力加減がまるで分からないので、少々痛いかもしれませんが」「聞いちゃいねぇよこの人!? 先輩、それは迷信、迷信ですって! マンガじゃないんだからそんな」「心配しなくても大丈夫。ほんの少し眠っていただくだけですよ。……なぁに、痛みは一瞬です」「それはもしかして二度と覚めない眠りなんじゃないでしょうか! 逃げてー! みんな逃げてええぇぇ!!」「付き合ってられっか、ここは戦略的撤退を――って開かねぇ!? なんか扉に魔法陣みたいなのが張られてるんだが!!」「ふふふふ……矢来くん。残念ですが、ひとりたりとも逃がしは致しません。恨むならあの担任を恨むのですね」「あのー、先輩。そう言いながら手に持ってる、その、鉄砲みたいなものは、いったい……」「この場で起きた事は、すべて幻、泡沫の夢に過ぎません……それでは皆さん、よい夢を」「ちょっ、待っ――」
飛び交う悲鳴、マシンガンばりの高速銃撃音、窓ガラス越しでも網膜を貫いてくる眩い無数のマズルフラッシュ。
今が番外編でホント良かった。本編だったら普通に阿鼻叫喚なシーンであった。
「あんた鬼だ」
「そこは頭脳派と言ってほしいわね? ささ、邪魔者が追い付いてこないうちに行くとしましょっか」
渋る弟をよそに、さっさと業務を終了させた(別の先生に押し付けた)霧乃は、
(たまには弟くんと放課後デートってのもオツなもんよねぇ)
能天気にそんなことを思いながら、2人並んで学園を後にしたのだった。
思えば、こうやって、飛鳥と2人で歩くのは何年ぶりだっただろうか。
ほんの数年前までは、霧乃よりも頭ひとつ以上背が低かった飛鳥だったが、今ではこちらが見上げる立場になっている。
外見も、内面も、本当に立派になった。
でも、なぜかその成長を、素直に喜べない自分もどこかにいたのだ。
「そういえば、先月の『天秤会談』は結局どうなったんですか?」
ふと、隣の少年からそんな質問が飛んできた。
飛鳥もクロエ経由でおおよそ事情は聞いていたのだろうが、会議の顛末を最後まで見届けていたのは霧乃だけだった。
「別に大したことなかったわよ? クロエが出てった後は、私含めて3人だけになっちゃったから、もう会議って感じじゃなかったからねー」
あの時、クロエが“傀儡聖女”ミストラルを(正確には彼女の『人形』を)木端微塵にしたのは他の《九耀の魔術師》にも当然知られていた。
だが、会談室に戻った霧乃に投げかけられた“征竜伯”アークライトからの言葉は、
「この会談を除けば、我らは本来相互不干渉であるべきだ。よって、貴公らがどこで何をしようと、どこでのたれ死のうと、我は一切関知も干渉もするつもりはない」
随分と拍子抜けしたものだった。
“白の魔女”と“黒の魔女”が結託し、反抗の兆し有り――そう勘ぐられる覚悟もしていたのだが。
座って目を閉じたまま微動だにしない“岩石狼”ゲイレールも、特に言葉を差し挟んでくることはなかった(まさか寝てるんじゃなかろうか)。
結局、そこからはいくつか情報共有があっただけで、会議はつつがなく(と言っていいのか微妙だが)終了したのである。
あれ、これなら別にクロエ先に行かせなくてもよかったんじゃね? と若干スベった感覚に襲われた霧乃だった。
「まぁ、とりあえずは静観ってとこかしらね。ミストラルも当面は手出ししてこないだろうし、他の《九耀の魔術師》の連中は引きこもりだったり自由人だったり、こっちから手を出さない限りは無害だから」
「だったら、いいんですけど」
“傀儡聖女”の一件のせいで、魔術師絡みの動きに神経質になっているのだろう。飛鳥を安心させるために、霧乃はおどけた物言いで伝えてあげた。
だが、それもあくまで一時的なもの――嵐の前の静けさには違いない。
これ以上飛鳥の頭痛の種を増やしたくはないので、わざわざ口に出すつもりはないが。
学園に続く坂道を下り切り、河川敷に出たところで、霧乃はふとこんなことを聞いてみた。
「弟くんはさ。どうしてそんなに頑張ろうとするの?」
「頑張る、ですか……?」
我ながら曖昧模糊とした、どうにも要領を得ない質問だった。
正直なんとなくといった気持ちの問い掛けであったが、生真面目な飛鳥は真剣に考えてくれているようだった。
足を止めて、河川敷の芝生に腰を下ろす。ちょいちょいと隣を指さし、飛鳥も一緒に座らせた。
オレンジ色に染まっていく空が、どこか悲しげだ。夕日を見ながら生徒と一対一で語り合う――往年の熱血教師ドラマの1シーンのようで、霧乃はほんの少しだけ胸を躍らせた。
「これまでの戦いもそう、家でクロエや他の子達の面倒を見てあげているのもそう。刃九朗の一件や“傀儡聖女”絡みで弟くんに頼り切りになっちゃった私が言うのもなんだケド……弟くんはいつも頑張ってる。頑張りすぎてるようにしか見えないのよ」
頑張っている――それは、ありとあらゆる事件、困りごと、それこそ目に映る限りの何から何にまで。飛鳥は率先して介入し、解決のために身を砕いている。霧乃から見た、今の日野森飛鳥という人間はそんな印象だ。
「自分にできることをやっているだけですよ」
簡単に言ってのける飛鳥だが、それがどんなに狂っていることなのか、彼は理解してはいまい。
例えば、テレビで外国の紛争のニュースが流れたとしても、普通は心を痛めはすれども、自分には無関係だと割り切ってしまうだろう。それが悪いことだとは思わないし、実際にどうこうできるわけでもないのだから。
だが飛鳥が言っているのは、仮に紛争をどうにかできるのであれば、自分がやらなければならないということだ。
「自分には力がないからとか、関係のないことだからとか。そんな理由で、助けられるかもしれない命に背を向けたくないだけなんです。自分ひとりに出来ることなんてたかが知れてるでしょうけれど……だからって、手を伸ばす努力をしないわけには、いきませんから」
――歪んでいる。
霧乃が抱いた感想は、ただそれだけだった。
そんなことができるのは、それこそ空想の世界のヒーローだけだ。
世界一の力を持ったから、全世界の人類のために戦えと?
見ず知らずの人間のため、命を放り出してその身を捧げろと?
そんなことができるのは、仏の心でも持った聖人君子か、あるいはバカみたいな正義感を掲げた『勇者さま』くらいだろう。
「弟くんが介入することで、より事態が悪化したり、より大勢の人が傷付くかもしれないのに?」
何も知らないガキが出しゃばるなよ――本来なら、心を鬼にしてそれくらい直截に言葉をぶつけた方がよかったのかもしれない。
でも、言えるわけがない。
「分かってます。これが自分の我が儘で、俺が動くことで余計に傷付く人が増えてしまうかもしれないことも。でも。……いや、だから」
「…………」
「俺は、俺が行うすべてに責任を持ちます。今まで関わってきたすべてに、これから関わるであろうすべてに、最後まで関わり通すことで」
そう、この子はすべて理解している。
『力』を持つという意味を。
『責任』をとるという重さを。
それは安っぽい正義感なんかでは、決してなく。
「それが、弟くんの『信念』ってやつ?」
「『義務』ですよ、これは。きっと」
「……そっか」
これ以上、この話題に触れることはなかった。
霧乃も飛鳥も、これ以上はきっと平行線だと分かっていたから。
その道が正しいとか、間違っているとかではなくて、もう決めたことだから。
だから、霧乃はこれだけは伝えておきたかった。
「弟くんが、これからどんな選択をして、どんな決断をするとしても。ひとりで悩んで抱え込むんじゃなくて、私に相談しなさいよ? 私は、弟くんの『お姉ちゃん』なんだから」
血が繋がってなくても、飛鳥は大事な大事な『弟』なのだ。
《九耀の魔術師》としての霧乃でも、担任教師としての霧乃でもない。
「……うん。ありがと」
珍しく砕けた口調で、恥ずかしそうに、柔らかく微笑む『弟』のためにも。
霧乃『お姉ちゃん』も頑張るとしよう。
嬉しいことも。
辛いことも。
楽しいことも。
悲しいことも。
一緒に笑って分かち合えるように。
だって、私たちは『家族』なのだから。
飛鳥は登場人物の中では常識人っぽいですが、実は一番の狂気を抱えたキャラでもあります。
この辺は4章から少しずつ明らかにしてく予定です。