―第100話 7月2日 熱血!白鳳学園最強料理人決定戦!! 後編―
こんなアホみたいな話なのに、割と重要なフラグを何個も入れてしまう暴挙。そしてなにげに100話達成。
「ある時、誰かが言いました――この世界で、一番美味いメシを作れる奴は誰なのか」
暗幕に覆われ、真っ暗闇と化したこの特設ステージ。
いったい何が始まるのかと、そわそわしながら待ち構える観客の耳朶を打ったのは、白鳳学園生徒にとっては実に聞き覚えのあるハキハキとした声だった。
「腹が減っては戦は出来ぬ、とはよく言ったもので。古来より、武芸よりも策略よりも、最も重要視されていたのは、何より『食』でありました」
中々に堂に入った前口上だった。これだけでも声の主は随分と場慣れしていることがうかがえる。
「そしてこれまた古来より、恋愛は相手の胃袋を掴んだヤツが勝ち、とも言われております。そう……即ち『食』とは、『料理』とは、戦いにおいてあらゆる敵を制する最強の武器であったのです!!」
冷静に聞けば結構な暴論であるのだが、場の雰囲気というのは恐ろしい。
静まり返ったステージの中央で堂々と繰り広げられるマイクパフォーマンスは、中身に何の根拠もないにも関わらず抜群の説得力を発揮していた。
八方からスポットライトの光が中央に向けられる。その光と観客の視線を一身に浴びる女子生徒――孔雀院佳那多の特徴的な巻き毛がくるんと揺れた。
「ならば料理人とは、すべからく『戦士』なのであり! ……そして、2人の戦士が出会ったならば、己が勝利のため、戦うが必定!!」
大仰に両手を掲げ朗々と語り上げる様は、まるで舞台上のヒロインのよう。
――だが、この場の主役は彼女ではない。
彼女の主張に則るのであれば、ここは戦場だ。
「そして今ここに! 我こそが最強の料理人であると2人の猛者が名乗りを上げました! 両者、入場です!!」
佳那多はあくまで立会人でしかない。
勝者には栄光を。敗者には絶望を。
ただただ当たり前の平等な不平等を両者に告げる、物言わぬ天秤のように。
戦え。
戦え。
戦え。
孔雀院佳那多は、ただそれだけを望む。
人間にとって、争いこそが最上の享楽であり、最上の暇潰しであると――悲しいくらいに達観してしまった彼女の心理を、この場にいた観客達が推し量れる筈もなく……歓声が飛び交う中、騒々しい舞台の幕が上がった。
――そして話は、冒頭へと巻き戻る。
何と表現すればいいのやらだが、休日の夜8時くらいにやってそうな料理対決のテレビ番組みたいな舞台セットのど真ん中で、燃える赤一色のコックコートに身を包んだ飛鳥と、 それとは対照的な薄水色のコックコートを纏ったレイシアが向かい合っていた。
「なんでこうなったのかしら……」
それはこっちの台詞だった。
もう説明するのも億劫になりそうだが、要するにここで存分に料理対決をしろ。と。
それでもって見せ物にしたら面白そうだから、こんな大袈裟なセットを作って観客呼んじゃいました、と。
状況確認、終了。なんだそりゃふざけんなと声高に訴えたかったのだが、周囲から降り注ぐ歓声がそれを許しはしないだろう。
もうどうなってもいいからさっさと勝負を終わらせて帰ろう――飛鳥はがっくりと肩を落として考えることを放棄した。
「それでは、両者出揃ったところで改めて選手を紹介いたします! 青コォォーーーナァァーーー! 雨と共に現れたイタリアからの刺客! 歌って踊れるツッコミ役として確固たる地位を確立した、人呼んで『スベりマーメイド』、レイシアァァーーーウィンスレットォォーーーーッ!!」
「アハハハハハハハハ人魚は足がないから簡単に滑っちゃうってか?……………………ブッ転がすわよこのテンプレ成金女ぁ!!」
そうやって律儀にノリツッコミなんてするから弄られるんだろうに――と、誰もが思わずにはいられなかった。
それにしても、この孔雀院佳那多という女性。先ほどまでのわざとらしいお嬢様口調とは打って変わって、まるでベテランアナウンサーのような明朗かつ丁寧な話しぶり。口調まで変わっているあたり、相当深いレベルで演じ抜いているようだ。
暴れ出したレイシアをスタッフ(どこから連れてきたのかは不明)が押し止めるのを横目に、佳那多は飛鳥の方へと視線を向けた。
「対しまして、赤コォォーーーナァァーーーー! 皆さんご存知理事長先生の弟さんにして、昨年の報道部アンケートで『彼氏にしたい生徒ランキング第一位』及び『お嫁さんにしたい生徒ランキング第一位』という驚天動地のダブルスコアを獲得した、『みんなのお母さん』こと、日野森ぃぃーーーー飛鳥ぁぁーーーーーーーっ!!」
「……………………………マジか」
『みんなのお母さん』呼ばわりはまだ分かる。
自宅では家事全般を毎日こなし、クラスメートの制服のボタンが取れていたら常に携帯している(飛鳥にとっては当たり前)裁縫セットですぐに縫ってやり、家庭科の授業ではその高すぎる家事スキルのせいで、生徒というよりむしろ教師役になってしまう。世話焼きな性分も手伝い、周囲からはおかん的な評価を受けているのは自覚していた。
だからって、お嫁さんはないだろうに。
反応に困るランキング付けに対し複雑な気持ちになっていると、続いてステージ脇に横一列に並べられた長机に観客の目線が移っていた。どうやら審査員席のようである。
「続いて、2人の料理に厳正なる審査をしてくれる3人の特別ゲストをご紹介致します! まず1人目――見た目は怖いが実はいい人、という今時流行らないギャップ萌え! 2年1組、不良(笑)の矢来一蹴さん!!」
「おまっ!? (笑)ってなんだってか手前の都合でいきなりこんなとこに呼びつけといて何だその言い草はよぉ!!」
ツンツンの金髪頭が近寄りがたい印象だが、実は面倒見のいい兄貴分であり飛鳥の良き友人でもある一蹴。一方的な罵詈雑言を投げつけられても、ツッコミこそ入れるがレイシアのように暴れたりしないあたり、大人の反応であった。
「2人目はこの方! 学園一の美少女剣士として熱狂的なファンも多数! 剣道部部長、村雨蛍さん!!」
「よろしくお願い致します」
そう言って蛍は楚々とした仕草で立礼した。
この人はこの人で何やってんだ。
既に敵対の意思がないことは鈴風から聞いていたため、そう警戒していたわけでもないのだが……だからといってこんな馬鹿騒ぎに首を突っ込むような人だっただろうか。
ふと、蛍と視線が交わる。追及する意味で目付きを鋭くすると、心底困ったと言いたげな苦笑を返された。どうやら彼女も無理矢理巻き込まれたクチらしい。
「そして3人目! 才色兼備・大和撫子・絶対君主とはこの人のための言葉だ! 白鳳学園の頂点こと、日野森綾瀬理事長でーす!!」
「……この催し、貴重な学業の時間を浪費してまで行うべきものだったのかどうか、見極めて差し上げましょう。もしこれが単なる乱痴気騒ぎで終わろうものなら……覚悟はできているのでしょうね?」
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
熱狂の渦にあったスタジオが、一瞬の内に凍り付いた。
序盤の町の近くでレベル上げをしていたら、ザコと一緒にラスボスが現れました――今の一同の心境を例えると、そんな感じ。
(姉さん……よくこんなものに出るつもりになったなぁ……というかさっきの『覚悟』やらって、明らかに俺の方見ながら言ってきてるんだが)
こちとらやりたくてやっているわけではないと言うのに……理不尽ここに極まっていた。
そして姉の隣で我関せずと言わんばかりにオホホとわざとらしい笑みをこぼすあの司会者を見て、思いっきりぶん殴りたい衝動がこみあげてきた。
レイシアの事をとやかく言えない飛鳥であった。
「それでは、改めまして。司会の孔雀院佳那多です。こちらは解説の――」
「美味しいものが食べられると聞いて来たのになんで審査員席じゃないんですか。楯無鈴風です」
「いやだって、日野森さんに完全に餌付けされてる貴女じゃ公平な審査なんてできるわけないでしょうに」
「同じく解説のブラウリーシェ=サヴァンだ、よろしく頼む(ひぃぃぃ見られてる見られてる大勢の視線が私の全身をねぶるように見てるぅぅぅぅ!!)」
「……あの、なんでそんな生まれたての小鹿並に震えながら汗ダラダラ流してるんですか? 医者呼んだ方がいいですか?」
解説席も解説席で混沌とした様子だった。
試食できないことを知ってぶぅぶぅと文句を垂れる鈴風と、大勢の観客の視線にビビりまくっているリーシェに淡々とツッコミを入れる名(迷?)司会佳那多さん。どう考えても人選がおかしかった。
埒が明かない。やるならさっさと始めろと、飛鳥は佳那多に目配せする。帰ったらすぐに夕飯の支度をしなければならないのだから。
早々に、堂々と、粛々と――今はただ、勝利という単純な結末のみを思い描いて進むのみ。
隣のレイシアも同じ結論に達したのか、深い蒼の瞳の奥に熱を帯びさせていた。
ここで、司会の佳那多からこの料理対決のルール説明が入る。ルールと言っても単純なものだが。
①制限時間は30分
②食材はスタジオ内に用意されたもののみを使用すること
③テーマは『たまご料理』。そのため、料理には必ず卵を使用すること
④料理は何品作ってもよい。
さて、注目すべき点はどこだろうか。
黙考する間もなく、試合開始の銅鑼が高らかに鳴らされた。
――尺の都合上、調理シーンは音声のみでお楽しみください。
「おおっとレイシア選手のフライパンから炎が立ち昇ったー!!」「あたし知ってる、あれってフランベだよねフランベ!!」「確かそれってワインとかのアルコール飛ばすためだったよな? ……そんなの入れてたっけ? しかもあれオムレツだぞ?」「…………レイシア選手、火加減を間違えたぁー! 黒い煙がレイシア選手の陣地に立ち込めているぞー!?」「ぐえっほ、げっほ、こ、これも作戦の内なのよ! 煙幕を作ってこちらの手の内を見えないようにするためのね!!」「なんと! どう考えても後付けっぽいが、これはレイシア選手の巧妙な作戦だったー! さぁこれに対し日野森選手の反応は!!」「…………(黙々とボールでたまごをかき混ぜている)」「無視だぁーー! 日野森選手、我関せずと自分の料理に完全に集中している!!」「そりゃそうだよね。付き合ってらんないよね。それにしても飛鳥は何作ってるんだろ?」「泡立てた卵と、それに牛乳と、砂糖か? まさか、スイーツで挑むつもりなのか!?」「日野森選手、まさかのデザート勝負に出た模様! 確かにデザートが禁止されているわけではありませんが……これはいったいどういう作戦なんだー!?」「スイーツ……それは、楽しみかも」「おおっとこのスイーツ作戦、審査員の村雨さんには好感触の模様! やはり女性の心を掴むのは甘いものに限るということかー!!」「それだけの意味であの愚弟が菓子に手を出したとは思えませんが……まぁ、いいでしょう」「……帰りてぇ」
調理の時間が終わり、運命を決める試食の時となった。
双方の料理は、同じテーマで争っているとは思えないほどに対照的なものだった。
「まずはレイシア選手の料理から! これは……まるでお好み焼きですね。円形の生地の中に、ハムやほうれん草、キノコなどを入れて焼いた料理のようですが……」
「うむ、あれはおそらくフリッタータ(イタリア風のオムレツ)だな。シンプルな料理ゆえ、作り手の腕前がダイレクトに反映される……レイシアは余程あの料理に自信があるようだな。焦がしてたが」
「他にもカルボナーラに、グラタンまで! たった30分で3品も作ったんだー。焦がしてたけど」
「カルボナーラはもちろん、グラタンのクリームにも卵がふんだんに使われています。たまご料理としては文句なしの出来栄えですね。焦がしてましたが」
「あんたら、とこっとんまでに私にケンカ売ってるわよねぇ! しかも事実だからなおのことムカつくわ……」
レイシアの料理が審査員席の3人の前に並べられていった。しかしリーシェはフリッタータなどよく知っていたものである。
それにしても、かなりの大ボリュームで作ったのか、取り分けても1人あたりの量は結構なものだ。育ち盛りの若者にとってはなんてことのない量なのだろうが……
「うん、うめぇうめぇ。俺は好きだぜ、こういう味」
「たまごの濃厚さが素晴らしいですね。とても食べごたえがあります」
「……ふむ」
思い思いの感想が述べられていく。概ね好評価、といったところか。
隣のレイシアは、まぁこんなもんでしょ、と言わんばかりに偉そうにふんぞり返っていた。
そして、飛鳥の料理の番が来た。
こちらは1品のみ。それも手の平に乗るくらいの小さな器たったひとつだけである。
「プリンですって! そんな、いったいどうやって!?」
レイシアから驚愕の声が上がる。それはいったい何に対しての驚きだったのか。
彼女の豪勢な料理の数々に、デザート1品で挑んだことに対して? いや、違う。
「私は料理に関してはてんで素人なので、よく分からないのですが……レイシア選手、プリン作りとはそんなに難しいものなのですか?」
「難しいってことはないわよ。プリンなんて簡単に言えば、卵と牛乳と砂糖混ぜたものを蒸して固めて冷やせばできあがりなんだから。でも蒸すのはともかく『冷やす』工程も含めてたった30分でできるわけないのよ」
レイシアの言い分は正しい。
実際、飛鳥も彼女の言った通りの手順でプリンを作ったのだ。
砂糖を煮詰めてカラメルソースを作り、牛乳と砂糖を加えた卵液を裏ごしして、順番に器に流し込む。これを蒸し器にかけて弱火で加熱する(時間短縮するならレンジでチンという大技もあるが、あえてやらなかった)。
ここまでの工程なら、慣れた人なら10分~15分ほどだろうか。
だが、器の粗熱が取れるまで待ち、冷蔵庫で冷やす――ここから完全に冷えた美味しいプリンが完成するまで、ざっと2時間はかかるのだ。
冬場なら粗熱が取れた時点で食卓に並べるのもありだろう。熱々のプリンというのも存外いけるのだ。
しかし、
「甘過ぎないから男の俺でも食いやすいな。それに、このクソ暑い季節にはやっぱ冷たい食い物に限るわー」
飛鳥が出したプリンは完全に熱が消え、ひんやりと食べ頃になっていた。
真夏の炎天下、しかも大勢の観客の熱気が合わさって最高に暑苦しいこの場ではその冷たさは格別だろう。
「絹のようにきめ細やかで滑らかな口当たり……時折感じる仄かな甘さは、オレンジでしょうか? こんなに美味しいプリン、はじめてです」
卵液を作る際、一般的にはバニラエッセンスやアーモンドオイルなどで香り付けをすることが多い。
今回、飛鳥はオレンジオイルを使用した。夏の暑さを和らげるには柑橘系の爽やかな甘味がもってこいと考えたからである。せっかく珍しい調味料が揃っているのだから使わなければもったいない、というちょっとした遊び心でもあったが。
そして、趨勢を決したのは理事長の一言だった。
「夕飯前のおやつに食べるにはちょうどいいくらいですね。……まあまあ、と評価しておきましょう」
「――――――――ああっ!?」
綾瀬の言葉を聞いて、ここでようやくレイシアは自らの失態を自覚した。
そう、今は放課後だ。
時計を見ると夕方の5時をまわったところ。さて、ここでよーく考えてみてほしい。
さぁ、今から家に帰ろうかという時間帯で、果たしてそんなにガッツリご飯を食べようと思うだろうか。大半の学生ならこう思うはず。
――晩ごはんが食べられなくなるかも!?
白鳳学園生の過半数は地元の人間で、当然ながら自宅から通っている。となると、家に帰れば家族が夕飯を用意して待っていてくれているわけで。
「あー、そうだな。お袋が作ったメシ残したら親父にぶん殴られるしなー」
「私も……おばあちゃんが夕飯を作ってくれているでしょうし……」
一蹴も蛍も、なし崩しにこの会場に連行されてきた身だ。そしていきなり聞かされた大試食大会。家に連絡して自分の夕飯を抜きにしてもらう暇もなかっただろう。
加えて気温の高さも手伝い、そんな環境下でレイシアの作った熱々の料理を食らうのは軽い拷問であった。
事実、審査員は3人ともレイシアの料理を少しずつしか食べていない。
逆に、プリン1つくらいの少量なら夕飯にも差し支えないし、何より夏場に食べるキンキンに冷えたお菓子は何よりのごちそうだ。
もう、審査も判定も不要だった。
「ま、負けたわ……完膚無きまでに、私の負けよ」
膝を折り、両手を床について敗北宣言をするレイシア。なんかもう、ひとりで逆恨みして、暴走して、負けを認めて、忙しない娘である。というかこの炎天下に焼きたてのグラタンとか出してくるあたり、ただの自爆であった。
「いや、だって、私の得意料理だったし。自信、あったのよぉ……」
レイシアの料理の腕前は決して低くはない。隣で見ていた飛鳥も、高校生としては相当のものだという感想だった(焦がしてたが)。
だが、彼女の敗因をあえて挙げるとするならば、『相手が食べたい料理』ではなく『自分が食べさせたい料理』を優先してしまった点に尽きる。
同じことを考えていたのか、綾瀬理事長がすっと席から立ち上がった。
「ウィンスレット。得意料理大いに結構ですが、最も大切なのは、食べてくれる人のことをどれだけ思って料理を作れるかでしょう。私達は貴女の自慢話を聞きに来たのではなく、ただ美味しいものが食べたかっただけなのですから」
「返す言葉もありません……」
手馴れている理事長は辛辣な言葉を浴びせつつも、項垂れるレイシアの肩を優しく叩いた。潤んだ瞳で見上げるレイシアに、姉は菩薩のような慈愛に満ちた笑みを向けていた。
「失敗は最高の教科書であり、そこから学んだことは金よりも尊い財産です。月並みな言葉ですが……敗北をバネとして成長しなさい。学ぶということに貪欲になれば、貴女はもっともっと強くなれる」
「り、理事長ぉ……」
「次に貴女の料理を食べる日を、楽しみにしていますよ」
すっと差し伸べられた理事長の手を、レイシアは両手でしっかと握りしめた。その心暖まる光景に、観客席も彼女の健闘を称えて盛大な拍手を鳴らしていた。
――なんだろうか、このベタな熱血青春ドラマのワンシーンみたいな光景は。
一応勝利したのは飛鳥だったのだが、気分は蚊帳の外だった。いや、あの中に混ざりたかったわけではないが。
ともあれ、この大勝負(茶番とも言う)もこれにてお開き。早く帰って夕飯の準備をしなければなるまい。
拍手が鳴りやまないステージの邪魔にならないよう、さりげなく去ろうとすると、
「あら、黙って出ていくだなんていけずですわね」
出口に仁王立ちして立ち塞がる、実況としての顔を脱ぎ捨てたお嬢様の姿があった。こちらも仕事は終わりということらしい。
ちょうどよかった。伝えておきたかったことがあるので今の内に話しておく。
「冷蔵庫の中に観客の人数分のプリンを入れてるから、後で皆に分けてやってもらえませんか? それと果物と余った牛乳でフルーツオレも作って入れてるんで、それも一緒に」
「い、いつの間にそんなことを……道理で1品だけだというのに30分間忙しなく動いていたわけですわね」
この暑苦しい場所では熱中症の危険もあるので、ついでに飲み物も作っていたのだ。プリンを出した時点で決着が付いてしまったため、審査員席に出さずじまいになってしまったのだ。
「プリン1つ作るのも100個作るのも、大して手間は変わりませんよ。遠巻きに見てるだけで食べることができないなんて、かわいそうでしょ? 鈴風あたりが後でいじけそうでしたしね」
勝負の最中でも周囲への気配りを忘れないこの余裕。果ては観客の熱中症の心配までしてくれている至れり尽くせりっぷり。
この心遣いのきめ細やかさは、まさしく。
「お、お母さんですわ……!!」
『みんなのお母さん』という渾名は、伊達や酔狂で付けられたものではないということだ。飛鳥は誇っていいのやら微妙な心地ではあったが。
「ってそんなこと聞きに来たのではありませんわ。私が伺いたかったのは、あのプリンをどうやってすぐに冷やし切れたのかですわ」
確かにステージには、業務用の大型冷蔵庫があったとはいえ……プリンの材料を混ぜ合わせて加熱し終えるまでの時間を差し引いたら、残り時間は10分もなかった。その短時間で、プリンを(しかも大量に)内側までしっかり冷やすなど物理的に可能なのか?
「そこは、こう、主婦力でパパッと」
「まだ超能力とか言われた方が信憑性ありますわよ……」
実際、普通の手段ではどうあがこうと間に合わないだろう。よって、飛鳥はこっそりと自身の能力を使ったのだ。
飛鳥の人工英霊としての固有能力“緋々色金”。それにより彼が掌握するのは『炎』であり、同時に『熱』も該当する。
炎の自在制御がどういうものであるかは最早説明不要だろう。武器としての物質化、推進力などなど、これまでの戦いでも数多く披露している。
では、『熱』の制御とは如何なるものか。この能力の最も基本的な使い方は、触れたものの温度の調整だ。
戦闘時であれば、烈火刃の刀身の温度を、状況に応じて0度~10,000度以上の間で自在に行き来させることができる。
要するに、際限なく熱を上げることができれば、下げることもできるのだ。
今回飛鳥は、蒸し終わったプリンの器に触れて、そこから熱をほとんど奪い取ったのである。ちなみに、加熱時も同じ要領でやろうと思えばできたのだが、流石に怪しまれると思い断念していた。
「まぁ、今回は主夫の知恵ということで納得しておきますわ。それで――せっかく勝ったのに何の賞品もないのも寂しいでしょうし、これを差し上げますわ」
佳那多はパチンと指を鳴らすと、スタッフの1人が両手で何かを抱えながら近付いてきた。
50㎝ほどの大きさの、ずっしりと重量感のありそうなその丸くて白い物体は――
「……卵?」
「卵ですわ。知人からいただいた物なのですが、扱いに困っておりまして。せっかくの機会ですので日野森さんに押し付け――有効活用してもらおうかと」
「押し付けるつもりだったんだな」
それにしても、卵としては破格の大きさである。ダチョウの卵なんて目じゃないくらいのお化けサイズだ。
そして、白地に緑の斑模様という若干気味の悪い殻の色合い。とてもではないが食欲が湧くような類のものではない。飛鳥の知るどんな種類の卵とも符合しない――あえて言うなら、漫画に出てきそうな怪獣(恐竜ではない。ここ重要)の卵を彷彿とさせた。
「これ、何の卵ですか?」
「……さぁ?」
「その知人の方はどこからこの卵を持ってきたんですか」
「存じ上げないですわねー」
もう怪しいなんてものじゃなかった。
恐る恐るスタッフから卵を受け取る――生温かかった。
さぁっと血の気が失せる。
間違いなく、目玉焼きにできる段階は過ぎ去っていた。内側で何かが蠢く感触があったので、おそらく秒読み段階である。
「孔雀院さん、これいったい何が産まれ――っていねぇし!!」
卵の様子に気を奪われている隙に、佳那多もスタッフもいずこかへ逃げ去っていた。
なんて女だ。勝手に料理対決に巻き込んで散々引っ掻き回した挙句、こんな訳の分からない置き土産まで残していくとは。
(明日クロエさんにシメてもらうか……)
あんな女でも生徒会役員だ。ここは生徒会長であるクロエからビシッとお叱りを受けてもらうことにしよう。その結果、佳那多が二度と太陽の下を歩けなくなるほどのお仕置きを受けたとて、飛鳥は一切関知しない。
――そんなことより、この卵どうしよう。
「ずるい!!」
夕焼けが帰り道を照らす中、非難ごうごうといった様子を見せるのはフェブリルだった。
先の料理対決中、ずっと飛鳥の学生鞄の中で昼寝していたため、料理を食べ損ねてしまったことにお冠らしい。
「あのプリンは絶品だったな!!」「ねー! 暑い日にはアイスとかかき氷だと思ってたけど、うんと冷えたプリンもいけるもんだよねー!!」「うぅがあぁぁぁ! アタシも食べたかった食べたかった食べたかったーー!!」
食い意地No1使い魔のフェブリルさんは、悔しさのあまり飛鳥の頭にしがみついて小さな手でペシペシと叩いてくる。全然痛くはないので飛鳥はされるがままにしていた。
「また作ってやるからそれまで我慢しなさい」
「ホント! だったらバケツプリンを作ってほしいの! あの金色の大海原に全身で飛び込むのが夢だったから!!」
「えぇっ!? リルちゃんだけずるい! あたしも食べたいんですけどー!!」
「却下だ馬鹿者。あれだけ大きいのを上手く固めるの大変なんだぞ? せめてボウルのサイズで妥協しなさい」
「飛鳥さん、作ったことはあるんですね……?」
「バケツプリン……何なのだ、私の中の子供心を絶妙にくすぐるその単語は!!」
これもまた、いつもの帰り道の光景だ。
馬鹿騒ぎをする鈴風とフェブリルに飛鳥がツッコミを入れ、リーシェが素っ頓狂な発言で場を和ませる中、クロエは一歩退いたところからやれやれといった様子で見守っている。
ただ、唯一異なる点があるとすれば、
「あの、飛鳥さん。その卵、持って帰るおつもりなのですか?」
「ほったらかしにもできませんしねぇ……」
抱っこ紐で飛鳥の背中にぐるぐる巻きで括りつけた奇妙な卵を指差し、クロエは困惑混じりの笑みをこぼす。
というか抱っこ紐で背中に背負っている飛鳥の姿が、どうみても赤ん坊をあやしている専業主婦の姿にしか見えない。堂に入りすぎなのである。
しかも正体不明の中身入りときた。鬼が出るか蛇が出るか――そんな言葉が冗談に聞こえないのだから始末に負えない。
「害を及ぼす前に、いっそ消し飛ばしてしまいましょうか――」
「ダメに決まってんでしょうが」
剣呑な声で呟き、どこからともなく白銀の銃剣を取り出す白の魔女の頭に軽くチョップ。何でもかんでも力技で解決しようとするのは彼女の悪い癖である。
「何が産まれてくるにせよ、この子に罪はありませんよ。ただの鳥なら何てことないですし、危ない生き物だとすれば……その時は、ちゃんと俺が責任もって面倒見ます」
「うぅ……かしこまりました」
わざとらしく頭を押さえるクロエに苦笑しつつ、飛鳥達は帰路につく。
もしかすると、また新しい家族が増えるのかもしれない。不安でもあり、どこか楽しみでもある複雑な気持ちを抱えながら、飛鳥は背中に触れる優しいぬくもりを感じていた。
「――さて、どうなりますことやら」
そんな心温まる光景を遠巻きに見つけていた今回の騒動の主は、そう言って頬に手をあて艶やかに微笑んだ。
佳那多とて、単なるノリや勢いであの卵を飛鳥に託したわけではない。
あれは、いわば“パンドラの箱”だ。一度解き放たれれば、あれは完全純粋たる『絶望』として、この世界に災いをもたらすものだ。
「本当に、あれでよかったのですか?」
いつの間に隣につかれていたのか。横合いから疑念を差し挟んでくる女生徒――村雨蛍の姿に、佳那多は特に驚くでもなく言葉を返す。
「もちろん。だってその方が面白そうですもの」
「貴女は相も変わらず退屈を持て余しているということですか。孔雀院さん――いえ、今はもうマステマですか」
蛍の鋭い眼光を受け、孔雀院佳那多――否、マステマと呼ばれた女性は芝居がかった仕草で両手をひらひらとさせて降参のポーズをとる。
「ええ、そう、まったくもってその通りですわ。ワタクシのことをよくご理解いただけているみたいで感激ですわ」
「……リヒャルト様には、このことは?」
「特に伝えてはいませんけれど、彼でしたらワタクシがこうすることくらいお見通しでしょうよ。彼は日野森さんにはご執心のようですし……反対されるとも思いませんしね。だから、その射殺さんばかりの眼差しはやめていただきたいのですけれど?」
「この学園内は私の管轄であると、再三申し上げた筈です。生徒会に潜り込むところまではまだ容認しますが、あまり勝手な真似が過ぎるようでしたら――」
日本人形のような愛らしい容貌のくせに、放つ殺気は阿修羅に等しい。このアンバランスな魅力を持った現代のサムライを、マステマはいたく気に入っていた。
「あらあら♪ 『辻斬り』ともあろうお方が随分丸くなったものですわね? まるで日野森さん達を庇い立てするかのような言い分ですこと」
「……何が言いたいのです」
少なくとも、こうやって苛めてみたくなるくらいには。
とはいえ彼女を本気で怒らせてしまっては、冗談ではすまないほどの血と破壊の雨が降り注ぐので、この辺でやめておく。
「もう、そうやってカリカリしてたら、せっかくの可愛い顔が台無しですわよ」
今にも『抜刀』しそうな勢いの蛍だったが、幸い、肩を軽く叩いてまぁまぁと諌めてやれば、渋々といった様子で構えを解いてくれた。
蛍はとても聡い女性であるようだ。
一人ひとりが人工英霊という超人で構成された武装組織である《パラダイム》――その悪鬼羅刹の巣窟の中で、3本の指に入ると言っても差し支えない実力者であるマステマに、正面切って挑みかかることが如何に無駄であるということかを、彼女はよく理解している。
「それで、日野森さんにあの卵を託していったい何を期待しているのですか?」
蛍も諦めが付いたのだろう、これ以上の追及は避けることにしたようだ。
そんな彼女が額に手を当てて思い悩む姿をひとしきり堪能した後、マステマはもう見えなくなるところまで遠ざかっている飛鳥達の背中に目を向ける。
(さぁ、それを『絶望』のまま解き放つか、それとも『希望』として昇華せしめるのか……すべては貴方次第でしてよ、日野森さん。その時が来るまで、今しばらくワタクシも道化を演じると致しましょうか)
どちらに転んだとしても、マステマの途方もない退屈を満たすための刺激になってくれることに変わりはない。
そう遠くない未来、必ず訪れるその日を待ちわびて。
マステマは再び孔雀院佳那多として日常に埋没していった。
【おまけ】
「今日も一日お疲れ様っと。さて、明日の英気を養うために〆の一杯ってね~」
その日の夜のことである。
教師としての業務を終えて帰宅する前に、行きつけの居酒屋で軽く一杯――これが白鳳学園に赴任してからの霧乃の日課となっていた。
無口だが料理の腕は確かな大将の作る焼き鳥をかっ喰らいながら、キンキンに冷えた生ビールを一気に
あおる。最近は、なんかもうこの瞬間のために一日頑張って働いたんだなぁ、と思うこともしばしばだった。
だが、その日の居酒屋『八鳥』に、何やら見慣れない姿が――いや、ある意味超見慣れた姿がひとつ。
「いらっしゃいませー! あれ、夜浪先生?」
「レイちん……なんで、こんなとこいんの……?」
居酒屋のユニフォームである紺色の作務衣とバンダナ姿だったから一瞬気付かなかったが、給仕にやってきたのはレイシアだった。
しかしまぁ、居酒屋の格好がおそろしいほどに、
「ぜんっぜん似合ってないわねぇ、それ……」
「私も自覚してます……」
お世辞を挟む余地がないくらいに、絶望的に似合ってなかった。
元々モデルばりの体型に薄水色の髪という浮世離れしたルックスなのだ。言うなれば、ファッションショーでランウェイを歩くような外国人の姉ちゃんが、いきなり和丸出しの割烹着とか着て現れるようなもので、そりゃあ違和感バリバリである。
ともかく、なんでまた居酒屋バイトなど始めたのか事情聴取である。
聞くに、今日飛鳥と料理対決をしてコテンパンにやられた。
自分には、相手の事を想って料理を作ることができていなかったから、だから負けたのだと。
だからまずは、霧乃がいつもリクエストしてくる酒のおつまみになる料理を習得すべく、この居酒屋に弟子入りしたらしい。
「どう考えても2つ目から3つ目に飛ぶまでの経緯がぶっ飛んでるとしか思えないんだケド……」
レイシアの頭の中でどんな段取りが組まれてこんな結論に至ったのか知らないが、元を正せば彼女の料理にダメ出ししまくった霧乃が諸悪の根源といえばそうである。
流石に責任を感じてしまう霧乃だったが、
「今、私すごく充実してるんです! ここの大将からお墨付きもらったら、次は中華料理屋に弟子入りして、今度こそあの鉄分マシマシ男をギャフンと言わせるような激辛料理を作ってやるんですよ!!」
「そ、そうなの。が、がんばってね~」
鼻息荒く今後の展望を熱く語ってくるレイシアを前に、二の句が告げられなくなっていた。
本人が楽しそうだからまぁいいか、とも思うのだが……
(わたしゃ担任としてどうすりゃいいのかしらね……進路相談で「料理の武者修行に行きたいです!」とか素で言ってきそうだわあの子……)
そもそも、あんた魔術師だとか歌とかもっと優先すべき事あっただろうに。
だが、あんなに健やかな青春の汗を流す若人には、とてもじゃないが言い出せない。
新米先生霧乃の教師生活。その道は長く険しいものになりそうだった。
マステマの名前は64話の鴉のセリフでちょこっとだけ出てきています。
なお、5/16~17で第一章をまるごと加筆修正しました。内容はまるきり同じですが、人物描写も増やしているのでまた見てみてください。