―第94話 シン・アンド・スレイヴ ⑩―
「終わった、の……?」
けたたましく鳴り続いていた銃声も、爆音も、今となってはまるで聞こえない。この夜に起きた出来事がすべて幻であったかのように、外の空間は静まり返っていた。
決着の気配を感じ取ったレイシアは、こんな所で言い争いをしている場合ではないと建物の外へと急行した。
冷たい夜風がレイシアの頬を撫でる。ひしひしと、胸中から緊張がこみ上げてくる。どちらが勝ったのであれ、どんな決着をしたのであれ、レイシアにはまだひとつだけ大仕事が残っている。
――この復讐を、終わらせなければならない。
後ろから近づいてくる足音。真散と鈴風が追い付いてきたのだろう。
レイシアは振り向くことなく、ただ淡々と告げる。
「ここから先は、口出しも手出しも許さないわよ」
言葉が返ってくることはなかった。それを無言の肯定と受け取ったレイシアは、遠くから歩いてくる3つの影をじっと見据えた。
どうやら最悪の結末だけは避けられたようだ。そのことには内心ほっとしていた。
「レッシィ……」
「勝ったのね」
「……うん」
勝ったというのに、何とも歯切れの悪い返事。まあこの状況で小躍りしながら抱き付いてくるような性格でないことくらい分かってはいるのだが。
クラウが右手に持っていたものが目に入る。
「ミストちゃん……!!」
それは、今にもバラバラになってしまいそうなほどに傷付いた、薄汚れた女の子の人形だった。真散の反応からして、これがどうやらミストラル=ホルンの『本体』なのだろう。うっすらとだが、人形の内部に魔力の気配が感じられた。
クラウの手で(魔術的に)拘束されているのと、瀕死レベルの消耗により、もう意識を別の対象に移し替えることもできないだろう。ミストラルは特に抵抗するような様子も見せず、ただされるがままになっていた。
『ふ……ふふふふ……お久しぶりかな、レイシアちゃん』
「そうね、お久しぶり。こうやって面と向かって話をするのは、『あの夜』以来かしら」
それはテレジアが殺された夜。家路に着く直前に、半ば強引な形でレイシアはミストラルの話に付き合わされていた。
『本当なら、こんな形で再会することはなかったんだよ? あの夜――すぐにでも、レイシアちゃんを迎えに行くつもりだったんだから』
人形の首がふるふると動き、そのビー玉の瞳がレイシアの視線と絡み合う。
ミストラルの計画としては、あの夜の内にすべてを終わらせるつもりだったのだろう。テレジアの心臓を確保し、その足でレイシアも後を追わせるつもりだったのか。
「そいつは残念だったわね。……そろそろ話してもらおうかしら? 『ローレライ』ってなに、お母様と私を殺してそいつを手に入れる理由って何なの?」
レイシアにはそれを問う資格がある。ミストラルに――ひいてはその『ローレライ』とやらのせいで人生を滅茶苦茶にされたのだから。
『……そうだねぇ。じゃあひとつだけ教えてあげる。アレはね、ミストにとっての理想の世界を作り上げるために、どうしても必要なものだった。そのためなら、どんなことでも……どんな罪でも背負う覚悟を決めたから、ミストはテレザちゃんを殺し、レイシアちゃんも同じように殺すつもりだったの』
悪びれることもなく告げるミストラルだが……その意思が単なる狂気じみたものではなく、確固たる『覚悟』を抱いて行ったものであることは、レイシアにとっては意外だった。
だからといって、彼女の暴挙を許せるかどうかは別問題だ。
どの道、ミストラルはここで終わりだ。レイシアがこの手で終わらせる。これ以上聞くことはないと、クラウに向けて手を差し出す。
「クラウ、その人形をよこしなさい。この場で引き千切ってお母様への手向けとするわ」
「……レッシィ、ちょっと待ってもらえないかな」
クラウの視線はレイシアの後方――真散の方へと向けられていた。それだけで彼の言いたいことは概ね察しがついた。仕方がないか、と小さく溜息をつく。
「レッシィだけじゃない、部長だってこの一件の当事者だ。だったら、部長にも少しくらい話をさせてあげてもいいと思う」
「……好きにしなさいよ」
珍しい、とレイシアは少しばかり驚いていた。
いつもは自分の言い分に粛々と従っているばかりだったクラウが、こうも真っ向から拒否の姿勢を見せてくるとは。それがあの小さな部長のためだからなのかと考えると、胸に小さな棘が刺さったような痛みを覚えた。
「ミストちゃん……わたしのこと、覚えてるですか……」
『…………』
ふらふらと、夢遊病のような危なっかしい足取りで前に出てきた真散に対し、ミストラルはただ沈黙を返すだけだった。
怒っているのか、悲しんでいるのか、憐れんでいるのか。人形の姿えはその感情を読み取ることもできない。
「ずっと、ずっと謝りたいと思っていたのです。あの時、護ってあげられなくて、ごめんなさい……逃げてしまってごめんなさい……ごめん、なさい……」
ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、それでも懺悔の言葉を絶やすことのない真散の姿を見て、ミストラルはいったい何を感じ取ったのだろう。
それは感動の再会であっただろうし、また長い長い因縁を清算すべき瞬間――真散にとってもミストラルにとっても、『覚悟』を見せるべき場面であっただろう。
だから、と言うべきか。
それでも、と言うべきか。
ミストラルの回答は――
『――――――――あなたは、だぁれ?』
泣きじゃくる真散の嗚咽が、一瞬で停止した。信じられないとばかりに目を見開く。
『もしかして、以前どこかで会ったことがあるのかな? でも残念、ミストは《九耀の魔術師》――魔術師の頂点に立つ存在。そんなミストが、とるに足らない無力な人間の顔を、いちいち覚えているわけないじゃない』
「え……あ……そ、そん、な……」
思ってもいなかった言葉を矢継ぎ早に繰り出され、真散は何も考えられなくなってしまう。
覚悟を否定され、懺悔を蔑ろにされ、いったい何という言葉を返せばいいというのか。
恨み言でもぶつければいいのか? いや、違う。ミストちゃんは何も悪くない。
そうだ、もっとちゃんと話をすれば、きっと――
『もう一度はっきり言ってあげる。ミストは、あなたなんて知らない』
――こころが、砕け散る音が聞こえた。
膝から力が抜けて、ぺたんと崩れ落ちた。
「殺してやる」と言われた方がまだよかった。「お前のせいだ」と罵られた方がまだ幸せだった。
「は……あはは……」
ああ、そうか。これが罰か。
謝ることもできない、償うこともできない、苦しみや悲しみを受け止めてあげることさえ許されない。
『忘却』されることこそが最大の罰だったのだ。
ひび割れた笑いをこぼしながら、ただ行き場のない涙を流すことしか、今の真散にできることはなかった。
――思えば、それはきっと彼女なりの優しさだったのだ。
そんな彼女の真意に気付けたのは、きっとただひとりだけ。
恨まれても、憎まれても、大切な人のためなら死すら厭わない――そんな決意を交わした少年のみ。
『すきありっ♪」
「うわっ!!」
火花が走るような音とともに、クラウの手から人形が弾き飛ばされた。
“聖剣砕き”の魔力によって掌握されていたのも関わらず、なぜミストラルはまだ動くことができたのか――その疑問をかき消すように、ミストラルが哄笑をあげる。
「ミストラルッ! 逃げる気!!」
『うふふっ♪ レイシアちゃん、そんなにカッカするものじゃないよっ♪ 大事な大事なテレザちゃんを殺された復讐劇――そう簡単に終わったらつまらないでしょ?』
ふわりふわりと宙からこちらを見下ろしてくる小汚い人形の姿に、レイシアの理性も最早限界だった。
「っっ! ざけんなあああああっっ!!!!」
咆哮と同時に水霊の剣を瞬時に発動。蛇のようにうねる水の刃をミストラルに向けて撃出するが、遅かった。
『次に会う時はこんなものじゃない……もっと、もっともっとド派手で楽しいゲームにしましょっ♪』
ミストラルはそんな捨て台詞を残して、音もなく、瞬きの間に姿を消していた。そして行き場を失った水の蛇が施設の壁面に激突し、表面に鋭い爪痕を残して霧散した。
「…………」
誰も、何も言えるような状況ではなかった。
力を結集し、ようやく倒したミストラルをこうもあっさり逃がしてしまったこと。長い、長い夜を乗り越えて得たものが、こんなあっけない結末になってしまったこと。
厚い曇り空は既に晴れ、ちらほらと瞬く星が雨に濡れた地面を照らしていた。
だが、一同の顔は決して晴れるようなものではない。
俯いたまま動こうとしないレイシアに、誰もかける言葉が見つからなかった。
戦闘の後処理は実に迅速であった。
破壊された施設の修復、打ち捨てられた機動兵器群の撤去。水平線の向こう側から朝日が顔を出す頃には、断花重工の全容は襲撃前と何ら区別がつかないレベルにまで復旧していた。
「本来、断花重工が要する機械技術は、災害救助や復旧作業に特化したものが主ですから。工業施設一棟くらいであれば朝飯前ですとも」
そういって小さく笑うのは、ミストラルの逃亡と同時に意識を取り戻した鳴海双葉であった。
彼女曰く、ミストラルとの接点に覚えはないとのこと。ただ、数年前にイタリアに旅行で訪れたことがあるらしく、もしかするとその際、気付かぬうちにミストラルに触れられていたのかもしれない――それが一同の出した結論だった。
「ミストラルが施した術式はすべて解除しました。これで今後操られるようなこともないでしょう」
「ありがとうございます、クロエさん」
日の出と同時に駆け付けてくれたクロエの魔術によって、鳴海隊長に施された“支配者の繰り糸”は完全に消滅させられた。
肝心な時にまた間に合わなかった、と落ち込む彼女を慰めるのは当然ながら飛鳥の役目である。
「あんな大口を叩いておいて、まるでお役に立てず……本当に申し訳ありません……」
「そんなことないですって。……それにしても、こんなに早く戻ってきてくれるだなんて思わなかったです。帰りの飛行機の便、すぐに手配できたんですか?」
「残念ながら、帰りの便はいっぱいで取れなかったので……飛んできました」
「え?」
「ですので、飛んできました」
どういう意味ですか、と問いかける気力はもう残されていなかった。もう引き攣った笑みで応じるしかない飛鳥だった。
さて、と飛鳥はこれからどうしようかと考えを巡らせる。
鈴風とリーシェは極度の疲労と負傷でダウン。医務室で死んだように眠りこけている。おそらくフェブリルも一緒だろう。
刃九朗は一切の疲労も見せないけろりとした様子で各部の復旧作業に手を貸していた。元々奴はまったく心配していなかったのでどうでもいい。
飛鳥もまた作業の陣頭指揮をとっていたが、右腕の複雑骨折などぶっちぎりの重傷だったため、無理やりに医務室に押し込まれた。
仕方なくベッドで横になっていたのだが、寝ぼけた鈴風が同じベッドに入りそうになったところでクロエが帰還。ギニャーとかフギャーとかいう叫び声が医務室に響いたのが今から約一時間前の話である。
「また始末書ものなんだろうな、これ……」
「今回は相手が悪すぎた、というのもあります。それに“傀儡聖女”や《パラダイム》を内側に招き入れた私の責任ですから。隊長職を辞する程度で償える不祥事ではありません」
そういってずぅんと落ち込む《八葉》の隊長2人。
そんな中間管理職特有の悲哀に共感できないクロエは、あははと愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
「そ、そういえば! 魔術師の彼らはどちらに?」
下手な会話の転換だったが、思い悩む飛鳥には確かな効果があった。
今、最も苦しんでいるのはあの3人だろう。
おそらく今頃、気持ちの整理――いや、決着をつけようとしている。部外者が立ち入るべきではないとそっとしていたのだが、やはり気にもなる。
「多分、外の公園でしょうね。様子、見に行ってきます」
「では私もご一緒します。かわいい『後輩』に挨拶のひとつでもしておかなければ」
それは生徒会長としてなのか、それとも《九耀の魔術師》としての言葉だったのか。ちょっぴり昏い笑みを浮かべるクロエを見て、果たしてクラウ達と引き合わせていいものなのかと些か判断に困る飛鳥だった。
結局のところ、クラウ達を取り巻く環境は何ら変わっていない。
クラウとレイシア共通の仇であるミストラルを打倒するには至らず。真散部長にとっても、彼女に贖罪を乞う資格すら与えられなかった。
それにしても、昨夜の最後のやり取り――あの三文芝居にどのような意味があったのか。飛鳥にも思うところがあって、クラウ達とミストラルの間に割って入るような真似はしなかったが……
(クラウ……お前はこれからいったいどうするつもりだ)
クラウ達の姿は実に簡単に見つかった。
昨夜の半壊した様子が、まるでなかったことかのように元通りになった噴水広場。そこから大気を震わせる怒声と岩を砕いたような轟音が響いていたからだ。
「あんたは……あんたはいったい何考えてんのよっっ!!!!」
いわずもがな、声の主はレイシアだ。
おそらく昨夜の件でクラウを思いっきりぶん殴った後なのだろう、彼の顔面が石畳に思いっきりめり込んでいた。
落ち込んでいた様子だった真散部長も、流石に見ていられなくてレイシアを必死に羽交い絞めにしていた。
「おおお落ち着くのですよー! こんな形でクーちゃんに復讐しても何にもならないのですよー! 頭が地面に埋まったまま死んじゃった、なんてもう苦笑いしかできない最期になるのですよー!!」
「いやあんた心配する部分そこじゃないでしょ! あいつの死に方の心配する前にもっと身体の心配してやんなさいよ!!」
立ち入れない雰囲気――というわけではなさそうで。
ドツキ漫才ができるくらいには元気だったことを喜ぶべきなのか。じたばたしている2人を止める意味合いもこめて、飛鳥は少し大きめの足音を出して近付いていった。
「痴話喧嘩なら敷地外でやってくれな」
「なぁにが痴話喧嘩よ! てか『反逆者』、あんただったら大体察しはついてんでしょうが、私がクラウを殴った理由くらい」
「その呼び方はやめてくれー……知らないうちに勝手に付けられた名前だし、結構恥ずかしいんだぞー」
羞恥で飛鳥は思わず頭を抱えてしまう。
飛鳥自身、『反逆者』という渾名を名乗った覚えはない。これは過去に《パラダイム》のとある人工英霊と交戦した際に、
『人工英霊としての運命に、そして己が力の弱さに反逆し続けるのか、君は。……なるほど、まさに『反逆者』と呼ぶに相応しい強き意志であるな!!』
そんな捨て台詞を残して逃げられてしまったことがあり、それ以来恥ずかしさばかりがこみあげる厨二病満載の渾名が定着してしまったのである。誓って飛鳥のセンスではない。
あの変態ナルシスト人工英霊は、今度会ったら顔の原型を残さないほどにボコり倒すと心に決めていた。
……話が脱線してしまった。ともかく今はクラウのことだ。
「クラウがミストラルを、わざと逃がしたことか?」
「……ええ、そうよ。だからこうやって問い詰めてんのよ、拳でね」
いや、そこは言葉で問い詰めろよ――と咄嗟にツッコみそうになったが、目の前で母の仇に逃げられたレイシアの憤懣も理解できるので、そこは堪えた。
「やっぱり、飛鳥先輩にはばれちゃってましたか」
頭からだくだくと流血をこぼしながらクラウが立ち上がった。話をする前に手当てが先じゃないかとも思ったが、場の雰囲気からしてそうも言えそうにない。
「――ほう? ミストラルを? わざと? 逃がした?」
だって背後から身の毛もよだつ絶対零度のプレッシャーがひしひしと伝わってきているのだから。
連れてきたのは自分とはいえ、彼女の前で迂闊なことを言うものじゃなかったなー、と飛鳥は内心後悔していた。
「ん? あんた鈴風やブラウリーシェ以外にいったいどんだけの女囲ってんの、って………………あ…………れ…………?」
朝日を受けて煌めくプラチナブロンドの髪。潮風にはためく純白のコート。一目見て全身から滲み出る、息が詰まりそうなほどに圧倒的な魔力の奔流。
「ま……まさか……あんた、いえ、あなた様は……!!」
「初めまして、レイシア=ウィンスレット。どうやら私から名乗る必要はなさそうですね?」
知らない筈がない。
“傀儡聖女”ミストラル=ホルン。
“腐食后”テレジア=ウィンスレット。
その両名と並び立つ、レイシアやクラウにとっては、王と仰ぎ、頭を垂れるべき絶対的存在。
「あ……“白の魔女”、クロエ様……!!」
「残念ですが、ここであなた方と友諠を深めるようなことはできそうにもありません。先の発言の真意――その回答次第では、今ここで……って飛鳥さん? どうしたんですかそんな『あっちゃー』みたいな顔をされて」
飛鳥は今にも攻撃体勢に入ろうとしていたクロエの肩を叩き、無言で首を横に振った。
その様子から、クロエは何となく自分が『やっちまった』ことに気付いたようで。
「も、申し訳ありませんクロエ様! まさかクロエ様御自らおいでいただけるとは思ってもおらず……で、ですがどうか! どうかここは私に一任くださいませんでしょうか! ……ほらクラウあんたもさっさと頭下げんのよ! 逆らったら灰も残らず消し飛ばされるわよ!!」
「え、あ、ご、ごめんなさい……?」
ずざざーっ! と神速で膝を折り土下座スタイルを完成させたレイシア(と無理矢理頭を押さえ付けられたクラウ)の清々しいまでのへりくだりっぷりを見て、クロエの頬が思わずひくひくしていた。
「あ、会長さんおはようなのですよー」
そんなグダグダな空気など我関せずと、呑気に朝の挨拶をしてくる真散部長の声にちょっぴり癒される飛鳥だった。