―第93話 シン・アンド・スレイヴ ⑨―
あまりに身勝手。あまりに我儘。そしてあまりに愚かしい。
ミストラルの胸中は、幾多の感情がごちゃませになって掻き毟りたくなるほどに――彼女を苛立たせた。
『さっきまで殺意剥き出しで殴り掛かってきた子のセリフとはとてもじゃないけど思えないなっ♪ もしかして……ミストに同情でもしてるのかな?』
最後の一言はやけに冷たい、静かな怒りを押し殺してのものだった。
先の一撃で自分の心の中を探られたことは、ミストラル側でも認知できていた。真散とミストラルとの関係性は、これで完全に露呈したと言っていいだろう。
クラウが真散と親密な関係にあることは――恋人どうこうという意味ではない――最初から分かっていた。
(最初は何の冗談かって思っちゃったけど……)
自らの創造主である水無月真散とは、目には見えない『繋がり』というものが確かに存在する。
“支配者の繰り糸”で真散を操ることはできない。できたとしてもやりたくはない、というのが本音だが。
だが、彼女が見ている映像や、彼女が何を考えているのか。白昼夢にも似た形で、ミストラルと真散の意識は薄ぼんやりと繋がっていた。
だからこそ、ミストラルは真散の目を通してここ数日のクラウやレイシアの動向を掴めたわけだし、それ以前からの彼女の学園生活を除き見ることもできた。“白の魔女”が生徒会長なんてものをやっているのにも驚いたが、先月に“黒の魔女”が教師として学園に赴任してきた時はひっくり返りそうになったものだ。
(だからクラウちゃんはこの街を逃亡先に選んで、真散ちゃんと出会った。……偶然、なんて一言で片付けていいものなのかな?)
本来、ミストラルはこの街に帰ってくるつもりはなかった。“ローレライ”を手にして、自身が完全な存在になるまで、真散と接触するつもりは毛頭なかったのだ。
この街に来て(厳密には『人形』として支配化に置いていた鳴海双葉に意識を移して)迅速にレイシアの身柄と、クラウの持つテレジアの心臓を確保するつもりであったが……真散がこの事件の渦中に飛び込んできてしまったことにより、大幅な路線変更を強いられることとなった。
《パラダイム》と手を組み――一時的なものではあるが――わざわざ民間人の被害を最小限にするために戦いの舞台を街中ではなくこの場所に設定し、人工英霊なんていう大敵と正面からやり合うリスクを背負ったのもそのため。学園や白鳳市――真散の愛した場所を戦火で焼き払わないようにするための配慮だった。
(これで、真散ちゃんがここに来さえしなければ完璧だったのになぁ……)
彼女さえいなければ、彼女が悲しみさえしなければ、ミストラルは一切の躊躇なく周辺一帯を灰燼と化し、目に映るすべての人間を皆殺しにしていた。……そうする筈だったのだ。
(でも……クラウちゃんを殺しちゃったら、きっと)
クラウの亡骸の前で悲痛に叫び蹲る彼女の姿が思い浮かび、心が締め付けられるようだった。
真散がクラウに対してどんな感情を抱いているのか。精神だけでなく魂レベルで結びついているミストラルにとっては手に取るように理解できた。
だが、もう後戻りなどできようはずがない。テレジアを手にかけた時点で、クラウとはどう足掻いても敵対する運命でしかない。
今更だ。既にこの手は幾千幾万もの人の血で穢れきっている。和解とか、話し合いとか、考える資格などあるはずがない。
だから。
「僕は、部長も、レイシアも、誰も泣かないように済む道を選びたい。ただそれだけなんだ。ここで何も考えずにお前を殺してしまうと、きっと部長は……」
甘過ぎる。そう即答してしまいそうな程に、クラウの発言は世間知らずの日和ったものにしか聞こえなかった。
誰かが泣くのが嫌だから、仇とか復讐とかは全部水に流してお手手繋いで仲良くしましょう? それができればとうの昔にこの世から争いは無くなっている。
『テレザちゃんを殺したのはミストだっていうのに、よくそんなことが言えたものだね。仮に、クラウちゃんがミストを許したとしても、レイシアちゃんは絶対に反対するだろうけど?』
「そうだ。だから、ちゃんと話したいと思ったんだ。お前の目的――テレジア様の命を奪ってまで、いったい何がしたかったのか」
『それを聞いたところで、はいそうですかと納得してくれるわけ? テレザちゃんが死んだのは仕方がなかったことなんだって、ミストを笑って許してくれるのかな?』
クラウの言い分も分からなくはない。ミストラルとて快楽や酔狂のためにテレジアを殺したのではない。
だが『どうしようもない事情があったら人殺しも許される』、そんなわけないだろう。人生を奪うというのは、大切な人を失った悲しみと怒りとは、そう簡単に決着付けられるものではない。そんなもの自分が一番よく分かっている。
「……許すことはできない、と思う。正直、復讐がいけないだとか、お前と手を取り合って今までの事を水に流そうとは思えない」
『……へぇ』
意外な回答だった。てっきり『ここで憎しみの連鎖を断ち切るんだ!』みたいな歯が浮くような台詞が出てくると思ったのだが。
「僕はただ、レイシアと部長の悲しむ顔が見たくないだけだ。だから、何が何でもお前を倒すし、でも絶対に殺さないと決めた」
『…………………は?』
今クラウの言った言葉の意味が、いまいち理解できなかった。ブリュンヒルデの頭部カメラアイでクラウの姿を拡大する。
これまでに見た、憎しみで我を忘れた復讐者でも。悩みと苦しみに押し潰されそうだった少年でもない。
会心の笑みを浮かべ、威風堂々と立つひとりの魔術師の姿がそこにあった。
クラウとミストラルの対話を少し離れた場所から見守っていた飛鳥と刃九朗だったが、
「ふ……はははははははははっ! なんだなんだ、あいつもやっぱりそういう奴だったか!!」
突然大笑いし始めた飛鳥を見て隣の刃九朗の眉がぴくりと動いた。
「そういう奴、とはどういう意味だ」
「いやなに。あいつも俺達と同じってことだよ」
「……ますます分からん」
刃九朗は、腕を組んだまま頭の上に疑問符を浮かべていた。
別にわざわざ説明するようなことではない。
それは、飛鳥にとっての『信念』であり、刃九朗にとっての『使命』である。鈴風であれば『勇気』と呼ぶだろうし、クロエならば『義務』なのかもしれない。
大事なもののためならば、どんなに道理に適わないことであったとしても、どれほど痛みを伴うものだったとしても、周囲から否定され蔑まれても、それでも決して諦めずに、命を懸けて立ち向かう。
「要するに、俺もお前もあいつも、皆揃って『馬鹿』ってことだ!!」
「……成程、理解した」
男揃って3バカ、大いに上等。
そんな馬鹿を共有できる新たな『仲間』ができたことに、飛鳥は胸の奥が熱くなるのを抑えられなかった。
「飛鳥先輩、鋼先輩!!」
ブリュンヒルデの威容を睨みつけたまま、クラウが叫ぶ。2人は無言で一列に並び立つ。
「おふたりとも、やるとすればどんなやり方がいいでしょうね?」
「そうだな……火炙りか細切れにするなら任せてくれ」
「鉛玉をあるだけ叩き込んで穴だらけにするのはどうだ」
「僕なら、全身ぶん殴りまくって原型を残さないほどにボコボコにしてから、中身を無理矢理引きずり出しますね」
『な……なにを言って……』
ブリュンヒルデから発せられた電子音は、困惑と動揺で明らかに震えていた。
こいつはいい、と3人は含み笑いをこぼした。策士ぶって大上段に構えていた奴の鼻っ柱をへし折る時ほど、胸がスカッとすることはないだろう。
覚悟は決めた、啖呵も切った。あとは、
「「「どうやってお前をぶっ潰してやろうかに決まってんだろ」」」
ただ戦うのみ。
先陣を切ったのはクラウだった。ブリュンヒルデの各部位に搭載された幾十もの砲口がずらりと向けられているにも関わらず、小細工なしの真正面突撃を敢行した。
『ッ!? 気が触れて自棄になったのかなっ!!』
先程までとは明らかに違う動きを見せたクラウに若干動揺するも、ミストラルは躱そうとする素振りも見せない相手に躊躇なく全火力を集中させた。バルカン砲、ミサイル兵器、レーザー砲塔――現代科学の粋を結集させた銃火器のオンパレードだ。
四方八方から銃弾が殺到し、迸るスパークが襲い来る。生身の人間ひとりに行使するにはあまりにオーバーキル。だが、慌てる必要も躱す必要もない。
「“葬月”――全弾撃ち落とす」
クラウの周囲に展開された8枚の光る円盤――飛鳥が顕現させた烈火刃・肆式“葬月”は、高圧縮された熱エネルギーにより形成されたビーム・チャクラムとも言うべき武装。鉛玉程度なら触れたそばから瞬時に融解させ、電子エネルギーを吸収して蓄積・反射する機能をも有する。
葬月に直撃したレーザー砲をそのまま反射、ブリュンヒルデの武装群に撃ち返し悉く沈黙させていく。
『まだそんな隠し玉持ってたなんて……なら、これならどうっ!!』
ならばとミストラルは鋼鉄の巨腕を振りかぶった。どんな仕掛けを持った兵器であっても、単純な大質量の前には無力。ブリュンヒルデの巨体にとっては造作もない、人間ひとりなど蠅を潰すような気軽さだ。
が。
「その動きは命取りだ」
抑揚のない無機質な声が、クラウの背後から飛び込んできた。クラウが空中で僅かに身をずらす。その後ろから姿を現したのは、身の毛もよだつ程に馬鹿でかい、銃口。
対物ライフル“グレイヴディガー”――発射、発射、発射。
照準は、大きく振りかぶったことにより剥き出しになった、肘の関節部。照準が固定できない中空でありながら、刃九朗が放った3発の徹甲弾は装甲の隙間を見事に撃ち抜いた。必然、振り上げた腕は力無くだらりと垂れ下がる形となる。
『なっ――!?』
懐ががら空き。ミストラルがその事実に気付いた頃にはもう遅い。
クラウとミストラルの距離は、互いの瞳の奥に映る自分の姿がはっきりと見えるほどに近く。
「あああああああああああああああああっっ!!!!!」
“アンサラー”の魔力粒子が夜空を照らす。
これが正真正銘、最後の一撃。握った拳に込めるのは、必滅の魔力とありったけの思い。
ブリュンヒルデの胸部――本来であれば搭乗席にあたる部分。もう『解析』をするまでもない。拳が触れたそばから、表面装甲がひしゃげ、腐り、溶け、あらゆる現象が入り乱れながら『破壊』という結末に導かれる。
「いい加減……終わりにしようか、ミストラル」
13層にも及んだ装甲版を貫き通した先――その中心にクラウの手が触れたと同時に、ブリュンヒルデの全機能が停止した。
長い長い夜がやっとこ明けます。