―第7話 ジェットセッター ―
その一歩は、途方も無く重い。
「鈴風ああぁぁっ!!」
クーガーに搭載された狙撃砲の照準は、違わず狂わず上空の鈴風とミレイユに向けられている。飛鳥の立ち位置は、丁度鈴風達とクーガーの中間。鈴風を助けに走るも、クーガーを倒しに走るも一歩足りない。
ならば決断せよ。
迷う要素など存在しない、思考など不要。
さぁ疾く、何もかも置き去りにして疾く駆けよ。
「え……飛鳥!?」
飛び出した飛鳥の到達点は、クーガーから放たれた銃弾。
音速を超える速度で射出された弾丸を、全力疾走しながら撃ち落とすなどさすがの飛鳥にも不可能だ。
今出来る事はただひとつ、鈴風の身に迫るその死の射線に割り込んで受け止めるのみ。
「グァ――――」
二刀から全開で放出された排炎を伴い飛翔した飛鳥の肩を、鋼鉄の弾丸が貫いた。
腕が千切れ飛ぶほどの激痛に、しかし悲鳴は必死に噛み殺す。
景色が逆転する。
連戦に次ぐ連戦、急激な超加速の連続使用、更にそこに受けた致命傷で飛鳥は限界だった。
衝撃でバランスを崩し、脳天から地上に向けて落下していく飛鳥が薄れゆく視界の中目にしたのは、大粒の涙を振り撒きながらこちらに向かって両手を伸ばす鈴風の姿だった。
――ああ、駄目だな。
――泣かせちゃ駄目だって、分かってるのに。
どれだけ一歩を踏み出しても、その背中は途方も無く遠い。
「……飛鳥ぁ」
飛鳥が鈴風を庇い、凶弾に倒れて丸一日が経過していた。
リーシェ達騎士団と共にオーヴァンに戻った鈴風は、すぐに負傷した飛鳥の手当てに奔走した。
幸いにも銃弾は貫通しており、飛鳥の身体能力の高さもあり負傷そのものは時間さえあれば問題なく治癒するものだった。それでも飛鳥が目を覚まさないのは、肉体的精神的疲労の蓄積によるところが大きい。
「傷はほとんど塞がっているようだ、心配しなくても大丈夫だろう。……あまり思いつめるなよ、スズカ」
「うん……ありがと」
リーシェは素っ気無く呟き、ベッドに横たわる飛鳥の隣で俯く鈴風の肩を小さく叩く。
蚊の鳴くような声で肯定の返事をする鈴風、一睡もせずに飛鳥につきっきりだったのもあるが一番の理由は心労であろう。彼女の表情は明らかに生彩を欠いていた。
そんな鈴風の様子にリーシェは小さく嘆息し、部屋を後にした。
純白の翼を揺らし離れていく背中を横目で見送り、
「……ほんと。駄目だなぁ、あたし」
誰に向かってでもなく呟く鈴風。この1日、眠ったままの飛鳥を見つめながら鈴風は考えていた。
突然の美憂の襲撃から今の状況に至るまでの出来事を思い起こす。
改めて痛感した、なんて自分は弱いのだろうと。
美憂の暴走を納める事も出来ず、劉功真に拘束され異世界なんて場所に連れ去られ、挙句の果てに自分を追って来てくれた飛鳥は、自分を庇ってこの様だ。
これではまるで疫病神だ、と鈴風は自嘲するように乾いた声で笑う。
しかし、自分は飛鳥達のような特殊な力を持っているわけでも、命の危険に晒されるような状況に直面した経験もない普通の人間だ。そんな人間に出来る事なんてたかだか知れているだろう。
だから仕方ない、仕方がないのだ――そう諦観してしまいそうになる鈴風だったが、
「フライング、デビィィルフラァァァッッシュ!!」
「ぴぎゃあっす!?」
突如後頭部にテニスボールがぶつかったような衝撃が走り、鈴風はよく分からない悲鳴をあげてしまう。いったい何事かと鈴風は自分にぶつかってきた『それ』を手に取った。
「説明しよう。フライングデビルフラッシュとは、このフェブリルさんが天高く舞い上がり渾身の力を脚に込めて相手を打ち砕く必殺技なのだ!……つまりはただの飛び蹴りだね!!」
「イヤすっげえどうでもいいわその解説! っていうかいきなり何すんのフェブリルちゃん!?」
全力でツッコミを入れる鈴風の掌の上で、「アタシいい仕事したわ」と言わんばかりの爽快な表情でフェブリルはサムズアップしていた。。
そんな様子にちょっぴり苛立った鈴風は報復として、まるでおにぎりでも握るかのようにミニサイズの使い魔をギュッギュッと両手で押さえこんだ。
「フギャーッ! ちょっ、ちょっと待った!? 首が変な方向に曲がってるって、アタシ三角形にはなれませんよ!?」
「お黙り、この手乗りプチデビル! お前なんか明日のお弁当になっちゃえばいいんだ!!」
きゃいきゃいと叫びながら2人はしばらく不毛な争いを繰り広げ――そういえば怪我人の前じゃん、なに暴れてんだあたし達、と同時に我に返った。
「それで? フェブリルちゃん、きみ結局何がしたかったの?」
「さっきのスズカ、何だか辛気臭い雰囲気醸し出してたからさ。……見ていられなかったのですよ」
ばつの悪い表情で見上げてくるフェブリルに、悪魔にまで心配されるだなんて相当酷い顔をしていたのだろうなと、鈴風は思わず苦笑してしまう。
「アスカから大体の事情は聞いてるよ? 聞いてるとさ、どう考えてもスズカは被害者だよね。まともに戦った事も無いのにいきなり巻き込まれて、しかもスズカは無関係の人間だ。それなのに、どうしてスズカは自分を責めてるの?」
……どうしてだろうか。
フェブリルの言葉は間違いなく正論だ。
鈴風は今の状況に怒りを感じて然るべきだろう。関係の無い自分を巻き込むな、日常に帰せと。
だが、鈴風はこうも考えるのだ。
何故自分は関係の無い立場にいるのか、何故自分には力が無いのか。
「あたしは当事者だよ、無関係だなんて言わないでほしいな。自分の知らないところで飛鳥が戦っていた。剣を振るって、血を流していたんだ。……それを知らずにのうのうと暮らしてた自分が許せないんだよ、あたしは」
小さくも強い口調で、鈴風は自身の心情を吐露し始める。
フェブリルは言葉を返さない。彼女の悔恨と決断を聞き届けるべく、ただただ真摯に見つめていた。
楯無鈴風のこれまでの人生は、とりたてて特殊性のあるものではない、いたって平々凡々と言えるものであった。
飛鳥のように、家族を事故で失っているわけでもない。
特殊な家系だとか、人には言えない使命があるだとか、そんな劇画的な背景を持っているわけでもない。
彼女自身はどこにでもいるごく普通の高校二年生だ。
物心ついたときから、鈴風と飛鳥はずっと一緒に成長してきた。
小学生当時の飛鳥はどちらかというと引っ込み思案で、よく同年代の子供にいじめの対象とされていた。
反面、幼少時から気丈で快活であった鈴風は、小学生時代いわゆるガキ大将と呼ばれる立場にあり、いつも飛鳥を守る騎士のように日々ケンカに明け暮れていた。
強きを挫き、弱きを助ける。それは鈴風にとってはごく当たり前の考え方だったのだ。
飛鳥を守れるのは自分だけなのだ、という使命感があった。
頼られている、という優越感もあっただろう。泣いて立ち止まる飛鳥と手を引いて、前へ前へと引っ張っていく――それが鈴風にとっては子供心なりの誇りでもあったのだ。
しかし7年前、羽州国際空港で起きた大規模な爆発事故がそんな関係を大きく変貌させた。
飛鳥は両親を喪い、生き残った。
きっと彼は悲しみに心が押し潰されそうになっている事だろう、だから自分が支えにならなければ。
「辛い事があったけど、一緒に頑張っていこう」、そう言って、飛鳥の手をとって再び一緒に歩き出すのだと、幼い鈴風は決意していたのだ。
しかし、飛鳥は泣かなかったのだ。
それは、涙を見せまいとする気丈さではなかった。
泣く事も出来ないほどに、心が壊れてしまったわけでもなかった。
ただあるがままに両親の死を受け止め、それを糧として前へと進み始めたのだ。
身体を鍛え、勉学に励み、泣き虫でだった頃の面影など微塵も残さず、常に毅然として。
はて、これは何かおかしいのだろうか?
おかしくはない、おかしい筈がない。
まるで絵に描いたように理想的な立ち直り方ではないか。
いつの間にか、飛鳥は鈴風の手を離し、そして鈴風を追い越していった。
それに気付いた鈴風は、悲しみと喜びがないまぜになったような心境で飛鳥の背中を見つめていた。
ああしかし、どうしても鈴風には分かってしまう。
伊達に何年も飛鳥を見続けていたわけではないのだから。
飛鳥の、鋼鉄のように強靭に鍛えられたその背中、しかしその内側はまるで硝子のように脆く、儚く見えたのだ。
――駄目だ。飛鳥を1人で行かせちゃ駄目だ!!
飛鳥の進む道は、自分が砕け散る事をなんらいとわない奈落への道程だ。
飛鳥が涼しげな顔で歩いている姿が、鈴風にはどうしても、血を吐きながら歯を食い縛って這いずっているようにしか見えなかったのだ。
理由は分からない。自分の考え過ぎなだけならそれでもいい。
あまりにも曖昧模糊として、自分でも形として捉えられない不安。
毎朝飛鳥の家に立ち寄る事にしたり、何かにつけて一緒にいる時間を増やそうとしたのも、そうした言葉にならない不安から来るものであった。
そして今回の事件で、鈴風の懸念は確信に変わったのだ。
「……だから、さ。あたしは少しでも飛鳥の近くにいてあげたいんだ」
でもそれで足引っ張ってたんじゃ馬鹿みたいじゃない、と鈴風は自嘲する。
剣道を始めたのも、少しでも飛鳥に追い付こうとしてのものではあったが、まさかそういうレベルの話ではないとは思っていなかった。
努力とか才能とか、そういった概念で追い付ける背中ではない。
鈴風が追いかける飛鳥の背中は、最早別次元の領域で隔絶されていたのだ。
それは鈴風の決意を挫くには充分すぎる事実であり、彼女を見上げるフェブリルにはかける言葉が思いつかなかった。
「あたしは、どうしたらいいんだろうね」
今更無関係だからと目を背けることなんてできない。
しかし目標地点が、今の自分では決して辿りつけない地平であると理解できてしまった以上、今まで通りがむしゃらに走り続けるという事も困難だった。
諦めることも、諦めないことも出来そうにない。
そんな鈴風の慟哭を聞きとったかのように、
「悪い……知らない間に、随分心配かけてたんだな」
「飛鳥? 起きてたんだ」
ベッドに横たわる飛鳥の双眸がゆっくりと開いた。どうやら少し前から意識が戻っていたようだ。
無事に目が覚めた事を喜ぶ前に、鈴風は赤裸々な独白を聞かれた事に思わず赤面してしまう。
「俺のやってる事はどうしても血生臭い事ばかりだからさ。出来る限り鈴風を巻き込まないようにと思ってたんだけど……裏目に出てたんだな」
半身を起こし、苦笑して飛鳥は呟いた。
“人工英霊”となり、超常怪異と戦い続ける道を選択した飛鳥にとって、鈴風の存在はかけがえのない日常の象徴だった。
万難を排して守り抜くべき存在であり、間違ってもこちら側に巻き込むべきではない――飛鳥の言い分はよく分かる。
しかし……だからこそ、鈴風はそれに否と答えた。
認めない、認めてなるものかと、鈴風はありったけの気迫を込めて飛鳥に告げる。
「巻き込むとか、巻き込まないとか……前提から間違ってるんだよ、飛鳥は。あたしは最初から、自分の走る道に後悔するつもりも責任転嫁するつもりもない」
幼い頃、泣きじゃくる飛鳥の手を引いたあの時から、楯無鈴風は決意していたのだ。
彼の歩む道が自分の進む道なのだ、と。
凄惨な事故が心を傷つけたとしても。
その身が人ではない何かに成り果ててしまったとしても。
進む道の先が屍山血河だったとしても、決して揺るがず追いかけ続けると決めたのだ。
「ひとりでなんて、行かせるもんか。……ああ、決めたぞあたしは。力がどうとか関係ない、何が何でも飛鳥に追い付いてやる。否定はさせない、邪魔もさせない、これこそがあたしが決めたあたしの道だ」
狂っている、と他人は言うだろう。
鈴風の道とは、要するに滅私忘我で他人のために生きる道だ。
自己犠牲の精神と言ってもいい。
あなたの笑顔が見られたならば、自分はそれだけで幸せだ――極論だが、鈴風の思想はそういった破滅願望に限りなく近い。
だが、それの何が悪い。
大切な人のために何かをしたいという気持ちを、鈴風は誰よりもひたむきに体現しようとしているだけのことだ。
「す、鈴風……?」
「滅茶苦茶だ……アスカといいスズカといい、今の時代の人間はこんな人ばっかりなの!?」
開いた口が塞がらない飛鳥とフェブリルを尻目に、鈴風は勢いよく立ち上がり不敵に笑う。
「ねえ飛鳥、これからどうするの?」
「え?……そうだな、この世界には恐らく奴ら――劉功真たちの拠点があるだろうから、まずはそれを探すことから始めるつもりだが」
「いよっしゃ! それじゃあ出かける準備しないとね。お弁当は必須でしょ、あと武器とか防具も欲しいよね、リーシェさんに頼めば分けてくれるかな?」
「ちょ……待て、待て待て。まさか鈴風、ついてくるつもりか!?」
「あったりまえでしょうが! それともなにかい、ここまで巻き込んでおいて、まさか大人しく待ってろだなんて言わないよねぇ?」
底意地の悪い笑みを向ける鈴風に飛鳥は茫然としてしまう。
うじうじ悩んでいる暇すら惜しい、まだ自分は何もできていないのだ。
今の自分には手も足もちゃんと付いている。
だったら動けよ、走れよ、諦めるかどうかなんて死んだ後にでも考えろ。
「そいじゃ、ちょっくらひとっ走りしてくる! 飛鳥はちゃんと休んでるんだよー!!」
まるで意思を持つ台風のように、鈴風は外へと駆け出していった。
土煙を巻き上げながら青空の下を疾走していくその背中を、フェブリルはぽかんとした表情で見送り、そして飛鳥は思わず吹き出してしまっていた。
「……ははっ! そうだな、そういえば鈴風はああいう奴だった」
幼少の頃の鈴風はいつだって騒動の中心だった。
いじめっ子の上級生にひとりで喧嘩を売りに行ったり、泳げもしないのに、川で溺れる猫を助けに飛び込んで行ったり。
最近では、近所にたむろしていた不良グループ相手に竹刀一振りで挑みかかっていった事も――その時、飛鳥も影でサポートしていたのだが――あった。
いつも忙しなく慌ただしく走りまわる鈴風を、クロエがこう揶揄していた。
『まったく騒々しいですね鈴風さんは……まるで“ジェットセッター”のようです』
“ジェットセッター”とは、飛行機に乗って世界中を飛び回る人々のことを言う。本来は、世界を股にかけて活躍するビジネスマンなどを表す言葉だが、クロエは鈴風のその底なしの行動力を見てそう評したのだろう。
なかなかどうしてぴったりな渾名ではないか、飛鳥はそう思わずにはいられなかった。
その日、力強くも優しい一陣の風が《オーヴァン》を駆け巡っていた。