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Dog Days  作者: Akira Clementi
光り輝く者

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第5話

 両親が去った夕暮れの病室は、静寂そのものだった。入院が続いていた私の部屋は、いつしか大部屋から個室に代わっていた。両親か翔、それか看護師さんでも来なければ、音なんてない。テレビもつける気になれなくて、私はぼんやりと一日を過ごしていた。


 受験すら受けられなかった私が、高校生活という舞台に立てるわけがない。何者にもなれず、私はただここにいた。


 でも最近思うのだ。

 私って、本当に生きているんだろうか、と。


 赤ん坊の頃から疾患があったせいで、私の心臓には補助人工心臓が取り付けられている。でもそれは電気で動いているから、私自身が動かしているわけではない。電気が通わなくなってしまったら、私の心臓は止まる。それって、電気が通っているから生きているように振舞えているだけであって、本当はもう死んでいるんじゃないか。そう思えて仕方なかった。


 私の状態がとてもよくないことは、私も分かっている。見舞いに来るたびに悲痛そうな顔をする両親を目にすると、暗鬱な気持ちになった。


 心臓移植しか、もう道は残されていない。

 けれど、ドナーはそう都合よく見つかるものではない。


 それでももし、ドナーが見つかったら?


 手放しでは喜べない。それどころか、恐怖心すらある。

 だってドナーが見つかるということは、誰かが死んでしまうということだ。もうとっくに死んでいるかもしれない私が、よく知らない人が生きる為に使うはずだった命を貰って、生きていく。そんな未来を、私は恐れていた。


 もう死んでいるかもしれない私は、人の命を貰ってまで生にしがみつく価値があるのだろうか。


 ドナーになってくれる人だって、もっと生きたかったはずだ。その人の無念さを背負って、それでも「ありがとう」と言って、生きていく。そんな人生に耐えられない。「頑張って生きるよ」なんて、どうやっても言える自信がなかった。


 そのときノックの音が響いて、私の思考を遮った。


「よう、六花ろっか

 面会時間ぎりぎりに現れたのは、かけるだった。まだ仕立てたばかりのはずの高校の制服姿だが、頼れるマッチョ兄貴という風貌に成長した翔にその制服はきついのだろう。ブレザーを脱いで抱えた翔は、シャツもボタンを二個ほど開けて、ネクタイを緩めていた。それでも分厚い胸板のせいで、シャツがぱつぱつだ。天文部って登山もするとは聞いていたけれど、こんなにマッチョになるものなんだろうか。


「遅くなってごめんな。これ、こないだの雪山登山のときの星ノート」


 私の疑問をよそに、翔はにかっと笑って最新の星ノートを差し出してくれた。中学校最後の部活で行くと言っていた、雪山登山のものらしい。

 私がそのノートを受け取ると同時に、面会時間の終了を報せるアナウンスが流れた。


「翔、高校楽しい?」

「おう。天文部も中学のときよりもっと本格的で、楽しいぞ」

「そっか……ひゃあっ!」


 突然翔に頭をぐりぐりと撫でられて、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。


「次はもっと時間に余裕持って来るから、そんな顔すんなって。また六花の好きな星の話、たくさんしてやるから」

「分かった、わかったからやめてよお」


 困り果てる私に、翔がきひひひといたずらっぽい笑みを浮かべた。翔はいつもこうだ。私がどれだけ沈んでいても、その明るさで陰鬱な空気を消し去ってくれる。


「じゃあまたな、六花」


 そう言うと、翔はひらひらと手を振って病室を出て行った。

 翔が来てくれるのは、凄く嬉しい。いつでもにこにこ笑顔で接してくれる翔という存在がいなかったら、今頃私はとっくに窒息していたかもしれない。


 けれども同時に、翔に会うのが恥ずかしくて憂鬱だった。


 部屋に置かれた据置型のバッテリーに繋がれている私は、運動しないせいで筋肉もすっかり衰えて、中学校のときよりも更にやせ細ってしまった。顔色が分からなくなるからという理由で、化粧もさせてもらえない。


 翔は共学高校に進学したから、そこにはきっと年相応に身だしなみを整えた可愛い女子がいっぱいいる。薄化粧をして、髪型にも気を配って、おしゃれをした女子がいるはずだ。


 それに比べて私ときたら、化粧っ気もないばかりか美しさに欠けている部分ばかりだ。髪だってどんなにいいシャンプーで洗ってもぱさつくし、病院内の理髪店では可愛い髪型なんて望めない。せめてパジャマくらいは可愛くしたかったけれど、からからに乾ききった私が可愛いデザインのパジャマを着ても妙に浮いて見えて、最近では無難な無地のものばかり着るようになっていた。


 翔が来てくれるのは嬉しくても、こんな私の姿を彼に見られるのが恥ずかしくて、少し憂鬱だった。


 でも翔は、私がどんな状態でも変わらず接してくれる。きっとそんな翔を好きだという女子は、いるはずだ。年頃なんだから、翔だって恋のひとつやふたつするに違いない。それに翔はあの性格だから、友達もたくさんできるだろう。


 こうしてまた翔との距離が離れてしまうのかなと思うと、純粋に寂しかった。


 翔から受け取ったばかりの星ノートを、ぱらりとめくる。機材がいいからというだけでなく、翔の腕前もあるんだろう。貼られている写真はどれも驚くほど鮮やかで、冬空の冷気すら伝わってきそうなほど活き活きとしていた。


 ねえ翔、私は星が好きなわけじゃないんだよ。あなたが夢中で語ってくれる話が好きなんだよ。


 そう思いながら、翔が私の為だけに作ってくれた星ノートを読み進めた。


 週末、翔は約束どおり面会時間に余裕を持って現れた。ちょうど重苦しい空気をまとった両親が帰った後だったから、翔の笑顔に癒される。翔のおかげで、私はようやく深く息を吸えた。


 ベッドで上体を起こした私のそばで椅子に座り、翔が日々のことを教えてくれる。高校の天文部もやっぱり合宿があるみたいで、さっそくゴールデンウィークに行くらしい。


「もっといい写真撮ってくるから、楽しみにしとけよ」

「うん。楽しみに待ってる」


 翔が写真を撮るのは部活動の一環だと分かっていても、その写真を私に見せてくれて、私の為だけにあれこれと説明してくれるのはいつになっても嬉しい。


「そうだ六花、こないだ渡した星ノート出してくれよ。今日はそれの話をしたかったんだ。読んだだけじゃ分からないこともあっただろ? なんでも訊いてくれよな」

「なんでも?」

「おう」


 近くの棚から真新しい星ノートを引っ張り出した私に、翔が自信満々の声を返してくる。

 そんな翔に、ちょっとだけいじわるしてみたくなった。


「翔よく病院に来るけどさ、彼女とかいないの?」


 さすがの翔も、この問いは予測してなかったらしい。一瞬きょとんとした彼だったが、次の瞬間にはまたいつもの笑顔に戻ってこう言った。


「だって俺、六花が一番の親友だから」


 その様子に、私はつられて笑ってしまった。


「なにそれ、全然答えになってないじゃん」

「えー、でも本当だしさ。俺、六花のこと大事だよ」

「そっかそっかあ。覚えておくね」

「おう、ちゃんと覚えとけ」


 翔、そんな答えずるいよ。一番の親友とか大事とか、そんな言葉嬉しいに決まっている。でもそんな答え方じゃ、翔に彼女がいないっていう答えにはならないんだよ。

 なんだか笑いが止まらなくて、私たちは笑い続けていた。

 笑いながら、私は胸の奥でたしかな痛みを感じていた。


 ああ、私、翔に恋をしているんだ。


 だから中学校で三木原さんが私たちの間に入ってきたとき、嫌な気持ちになったんだ。三木原さんが翔のことを「翔くん」って呼ぶくらいの距離感になったときに、嫉妬したんだ。私の中で長年眠っていた感情が、今このとき、ついに芽吹いてしまった。


 翔、私が好きなのは星じゃないの。私がずっと好きなのは、あなたなの。きらきらした目でいろんな星の話をしてくれるあなたの言葉も、あなたが私の為だけに繰り広げてくれる世界も、あなたが私のそばにいてくれることを強く感じさせてくれるの。だから私は、あなたから星の話を聞くのが楽しみなんだよ。


 伝えたい言葉はあるけれど、言葉にできない。だって生きているかどうかも怪しい私なんかじゃ、翔みたいに眩しい存在を繋ぎとめられる気がしなかったから。

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