第90話 Kingdom of Desire
「ただいま」
季節は過ぎて6月――最も日の長い時期ではあるが、剛が帰宅したのは既に日も暮れた午後8時を少し回っていた。
リビングに顔を出すと既に剛以外の3人は夕飯を済ませており、剛の分だけがダイニングテーブルに残されていた。
「……アンタ最近たまに遅い時あるけど、こんな時間まで何やってんの……?」
恵はリビングの座卓に胡坐をかいて座りながら、魔王軍に囚われた姫様が拷問と称した数々の誘惑に屈する配信アニメの第2期を見ていた。
「模擬戦の後、ちょっと調べ物してたら遅くなったんだよ」
そう言って剛は自室に向かい、着替えてから再びリビングに戻ってくる。
母親の雫が温め直した夕飯を食べ始めた剛に、テレビの前に陣取る恵が声を掛けてくる。
「アンタ、希美ちゃん達付き合わせてないわよね?中学生の女の子がこんな遅くに帰宅してたら親御さん心配するわよ」
剛はとんかつを頬張りながら否定する。
「希美達は先に返してるよ。勿論翔も。心配は要らないって」
ふーんと疑わし気な目で恵は剛を見るが、その辺りは翔をとっ捕まえて聞けば真偽の程は判るので話を打ち切って再びアニメに集中し始める。
遡る事2時間前――
3人と別れた剛は新宿歌舞伎町の奥まった場所に足を運んでいた。
日本最大の歓楽街であり、夕方5時を回ると酒を伴う飲食店が煌々とした明かりで周囲を照らし始める。大人向けの場所にトーフ生の剛はどう見ても似つかわしくなかったが、目的の場所に辿り着くと剛はビルの階段を降りて地下に向かい、決められた手順で鉄の扉をノックする。
20秒程待つと鉄の扉が軋む音を立てて内側に開き、扉の向こうには身長180cmを超える体格の良い黒服が立っており、黒服が剛に背を向けて階段を降り始めると剛もその後をついて階段を降りる。
階段を降り切ると正面と左側にまた扉が存在しており、左側のドアを黒服が開けるとその先は廊下になっていて、廊下の左側に幾つかの扉があるのが見える。
幾つかの扉の一つに通された剛は、4畳半程の部屋のテーブルに置かれた覆面プロレスラーのようなマスクを手に取って頭から被る。
服も用意されていた黒いジャージのような物に着替えると部屋を出て、扉の前で待っていた黒服に促されて一番奥の右側にある扉を開けた。
そこは下り通路になっており、その先に眩いばかり光が溢れているのを剛は目にしながら、通路を降りて行く。
通路の先には一辺が7mくらいのリング――ボクシングやプロレスなどで使われる、正に闘技場と言った雰囲気を醸し出す、4本のロープで囲われた――が存在していた。
眩く照らし出されたリングの上では黒いスーツに蝶ネクタイを締めたリングアナウンサーが声を張り上げて場を盛り上げると、リングを囲んだ四方の観客席――座席と言うよりレストランやラウンジの席を思わせ、実際に酒食を楽しんでいる者も少なくない――から歓声が上がった。
剛が辿り着いたこの場所は地下闘技場……対妖魔特設校に通い特技を身に付けながらもSUADに入隊が叶わなかった、或いは自ら辞退した者や、独自に特技を身に付けた腕自慢などが自らの技で賞金を稼ぎ、観客は勝敗を賭博の材料とする、表には知られていない闇のコロッセウムであった。
剛はリング下の階段前に歩みを進めると、リングアナウンサーが一旦声を潜めて会場が静かになる。
「それではお待たせしました。本日の、メインイベントーー!!赤コーナー!12戦9勝1敗2分!ロックブレイカーーーー!!」
リングアナウンサーが声を張り上げて先に相手の名乗りを行うと、再び観客席から歓声が上がる。
程なくして歓声が収まると、再びリングアナウンサーが声を張り上げる。
「青コーナー!3戦3勝!トリコロールフィロスーーーー!!」
自らのリング名を呼ばれた剛は階段を駆け上がってリングロープを潜り、リング内に立って右手を突き上げる。
リングアナウンサーがリングから降り、入れ替わってレフェリーがリングに上がって対戦する二人に説明と注意を行う。
それが終わるとレフェリーもリングから降り、剛と、ロックブレイカーと呼ばれた190cm程の筋骨隆々の男はそれぞれのコーナーに戻って対峙する。
剛は体を軽く揺さぶって大きく息を吸い、目を伏せて大きく息を吐くとロックブレイカーを見据えたそのタイミングでゴングが鳴らされた。
試合開始早々、剛は右に跳躍すると突進してきたロックブレイカーが青コーナーに激しく衝突する。
既に剛が調べていた通り、ロックブレイカーは緑の個性を活かして身体強化による開始早々の突進と、剛腕を活かした左右の強烈なパンチが主体となる攻撃手段であり、先ずは突進を避けた事で剛は自分の間合いを作り出す。
〈岩石弾〉
今は入間製作の特装器を持っておらず特技は増幅されないため、剛は小指の先程の石を10個生み出してロックブレイカーの足元に打ち出す。
ロックブレイカーは危険を察知して跳躍するが、それは剛の思う壺だった。剛と希美が以前対峙した猿に似た修羅のように跳躍した後空中を蹴って動きを変える事は普通の人間には出来ず、一度跳躍したら自然落下を待つしかない。
剛はロックブレイカーに駆け寄ると自らの右腕に緑の法力を纏わせて、ロックブレイカーに向けて全力で振るった。
〈剛力斬〉
裏拳のような形で放たれた剛の一撃をロックブレイカーは両腕でガードするが、空中で受けた衝撃を受け流す事も出来ずに場外に弾き飛ばされ、観客席と試合会場を仕切る透明な壁に激しく衝突して地面に落ちていく。
リングサイドレフェリーが駆け寄ってロックブレイカーの様子を確認し、斜め上に広げた腕を二回交差させると、リング上にレフェリーとリングアナウンサーがすかさず戻る。
レフェリーが剛の右腕を取り、掲げると同時にリングアナウンサーが今日一番の勢いで声を張り上げた。
「勝者!トリコロール、フィロスーーーーー!!」
すると観客席からは高い歓声と、低い嘆きの声が聞こえる。嘆きの声の方が多く聞こえると言う事は、観客の多くはロックブレイカーに賭けていたと言う事だろうが、剛としてはそんな事は関係なく、今は感情を出す事無く淡々と自分の勝利を受け入れていた。
剛は試合終了後、控室――着替えを行った4畳半程の個室に戻ると、黒服が無言で扉を開けて入って来た。
「今日の出場料20万と、勝者賞金100万だ」
黒服はそう言うと1cmちょっとの厚みのある茶封筒を差し出し、剛は無言で頷いて受け取る。
「……次回はいつにする?」
制服に着替えている剛に黒服が尋ねると、着替え終わった剛がスマホを手にカレンダーを確認する。
「3週間後の7月1日」
その言葉に黒服は頷くと、控室を後にした。
剛がカバンを背負い控室を出ると黒服が待っており、その後をついて入って来た道を戻って階段を昇り、剛は新宿歌舞伎町の街に紛れて行った。
7月に入って最初の月曜日、剛はその日から右手に長さ10cm程の黒のリストバンドを着けていた。
「何?剛ちゃん中二病?」
目敏く気付いた翔が揶揄うように訊ねてきたが、想定済みだったため剛は想定通りの答えを返す。
「特務実習中に汗が目に入ると一瞬動きが止まるだろ?こいつで汗拭けると思ってね」
確かに、と翔は納得したような表情をする。傍に居た希美や奈緒も成程、と軽く頷いていた。
だが、翔も、奈緒も……そして希美も、剛が人が触れてはならない禁忌に手を出していた事を、この時点では知る由もなかった――
第90話 『Kingdom of Desire』 TOTO




