第9話 光
剛は初夏の日差しの中、高校指定のリュックを背負って学校へ向けて自転車を走らせていた。
国立東京第三高等学校――略称、トーサン――に入学してから既に二か月が経過している。
小金井市の自宅から国立市のトーサンまでの約9kmを、入学祝として買ってもらったクロスバイクで毎日通学している。
入学直後の4月ごろは学校まで25分ほど掛かっていたが、二か月経って体が慣れてきたのか今では20分程で学校に到着できるようになっていた。
(ただ、この先の梅雨の時期はレインコート着たりしなきゃいけないから、ちょっと嫌なんだよなぁ……)
雨だと見通しが悪くなる上に、レインコートを着込んだりしたら側方・後方視界も遮られ、音による気配察知も難しくなる。
とは言え電車を使うとなると会社への通勤と違い、掛かった交通費は自分――正しく言えば神野家――で負担する必要がある。
高校の通学定期券であれば、武蔵小金井―国立間は一か月3,000円程度なのでそんなに高い訳ではない。
だが、電車通勤となると、自宅から武蔵小金井駅までの徒歩7分、武蔵小金井駅から国立駅までの電車10分……そして、国立駅からトーサンまでの徒歩が20分程掛かるため、自転車で通学するのに比べると倍近い時間が必要になる。
自転車置き場に自転車を停めてカギを掛け、リュックを背負ったまま昇降口から靴を履き替えることなく――対妖魔特設校では有事を想定して土足のまま校舎内に入る事になっているため――1階の1年Dクラスの教室へと向かう。
1年Dクラス――対妖魔特設校では『組』ではなく『クラス』と呼んでいる――はトーサンの普通科クラスである。
Aクラス、Bクラスが特技科、Cクラスが特装科となっており、一学年8クラスの内5クラスある普通科の中で最も入試の成績が高かったグループである。
生徒は男子18名、女子16名の34名で……そして翔も同じクラスに在籍していた。
(何気に翔も本番に強いのか……同じクラスに成れたのはありがたいのは確かだけどね……)
オタクっぽさとチャラさを両立と言う中々高度な事をやってのけている翔だが、剛からすると気軽に話できる少ない――中学のクラスメートとはそれぞれの進路で別れたからこそさらに少ない――友人と言う認識である。
剛もトーサンに入学してから二か月が経過しており、別の中学から来たクラスメートの中には普通に話ができる友達も何人かいるのだが、やはり気心が知れていると言う点ではどうしても翔より上の相手は居なかった。
教室に入ってきた剛に対して、翔が手を上げながら近づいてきて話し掛ける。
「よぉー剛ちゃん、だいぶ汗かいてるなぁ」
「まーね。最近朝から25℃越えだってテレビでも言ってるし」
教室にはエアコンがあるのだが、時期的なものか気温的なものかまだ使われていない。
「ところで、土曜日の話は知ってるか?」
急に翔は声を潜めて剛に問いかける。
「土曜日の話?」
「そう……戸山公園に現れたって言う……」
都立戸山公園――新宿区に在る江戸時代は尾張徳川家の下屋敷だった庭園を整備した、箱根山と呼ばれる標高44mの築山を含めた緑豊かな公園――に妖魔が現れたのは、2日前の土曜日の昼過ぎの事であった。
その事は剛もスマホに配信されたニュースで知っており、そして少なくない――吉祥寺の厄災に比べたら被害は一桁少ないが――死傷者・行方不明者が発生した事も知っていた。
「で、戸山公園の話が何なんだ?」
剛は話が急すぎて何の事か理解が追い付かない。誰か身内や友達が戸山公園に居たと言うなら話は別かもしれないが、特にそう言う記憶は無かった。
すると翔が更に声のトーンを下げて、囁くように剛に語り掛ける。
「あの子が最前線に立ったらしい」
「!!」
剛の反応を見た翔は、更に衝撃的な事を口にする。
「誰がアップしたか知らないけど……既に削除されてるけど動画がアップされて、あの子が……《《サイクロプスを倒した》》」
「サイ!!……っ……」
サイクロプス――二足歩行型の妖魔としては確認されている限り最大種で、体長は4mと成人男性の倍以上の巨体を誇る。
当然ながら巨体に伴い一撃の破壊力は凄まじく、軽自動車程度ならパンチ一発で原型を留めない程にする力がある上に、その巨体からはイメージできないが雷撃を操る事もできるという、一体出現するだけで災害級の被害が発生しかねないランクB指定の妖魔である。
SUADでも通常は五名程度の[班]でサイクロプスにはあたる事になっており、一人で対応する……どころか、一人で倒すなどと言う事は考えられない。
それをあの子――星野希美は遣って退けたというのだ。
剛の口からは乾いた笑いしか起きない。
「……は、ははっ……ははっ……」
「剛ちゃん……拝金ネズミになっちゃった……?」
「……ははっ……何だよ、拝金ネズミって。中の人に消されちゃうよ……?」
「いや中の人って言う方が消されるだろ……」
「しかし、吉祥寺のあの時点で凄いとは思っていたけど……そこまで《《バケモノ》》じみているとは……アンドロイドとか、防衛省極秘の生態兵器って事は無いよなぁ……」
「いや、その剛ちゃんの発想力の方が俺は驚くわ」
そうは言いつつも、実際に動画を見た翔は希美が数秒――僅か3撃で巨大なサイクロプスを倒したのを見て、「はぇ?」と間の抜けた声が出た事を覚えている。
それ程常人離れした――それこそ《《バケモノ》》としか形容し難い、翔ではなく今は亡き父親が高校生頃に遊んでいたと言う家庭用ゲームに出てくる[舞うように死を与える存在]――翔はゲームではなくノベライズされた小説で知ったのだが――強くなりすぎて人でなくなった、もはや架空世界にしか在り得ない存在を思い浮かべていた。
(あの小説の主人公は仲間に恵まれていたからそんなに疎外感を感じていなかったけど……あの子の場合はどうなんだろう……)
考えても正解など分からない事に、翔は思いを馳せていた……
「ねぇねぇ、聞いた?アレ……」
「聞いたよぉ。まさか……サイクロプスを瞬殺だって……」
「何て言うか……もう《《バケモノ》》よねぇ……」
少女たちの会話が小声で繰り広げられているのは国立東京第一高等学校――略称トーイチ――の1年Aクラスの教室である。
Aクラスに所属していると言う事は1年の中で――それも全国の対妖魔特設校の1年の中で――トップクラスに位置付けられているのが少女たちであるが、それでも彼女は《《違った》》。
「そ、そんな……流石に失礼じゃない、《《バケモノ》》は……あっ」
話している中の一人が取り繕うとしたその時、教室に姿を現したのは――星野希美。
「おはよう」
表情一つ変えず、希美は挨拶の言葉を残して自分の席の机に背負っていたリュックを置き、椅子に座る。
(今更……か。私が《《バケモノ》》なのは……)
「お客さん景気悪い顔してまんなぁ~。それやと運気逃げてまうで~」
希美の目の前には赤味がかったミディアムウェーブの髪の少女が、前の座席の椅子に逆向きに座ってにこやかに語り掛けて来ていた。
「誰がお客さんよ。あと何その偽関西弁」
「ま、それは置いといて。土曜日はお疲れ様だったね」
目の前の赤毛の少女――トーフ時代から同じクラスで過ごして来た、1年Aクラスのクラスメイトである鈴木奈緒が希美に対してそう声を掛ける。
ん、と軽く頷くと奈緒の止め処ない――と言うか他愛もない話に希美は付き合わされる。
数分も経たずに予鈴が鳴ると、奈緒は話を切り上げて席を立ち、自分の席に向かおうとして……希美に一声掛ける。
「希美……貴女に闇は似合わないよ。貴女はあたしの……あたし達の光だから」
第9話 『光』 宇多田ヒカル




