第89話 未来
翌朝――
翔が登校して3年Aクラスの教室に入ると、希美の席に剛と奈緒が集まって話をしている姿を目にする。
(……確か昨日、希美が剛に話があるって言ってたよな……あの話だと思うんだが……)
希美の席の後ろが翔の席なので、自然と3人に近寄る形で翔は自分の席に向かう。
「おはよーさん。何話してたんだ?」
「翔おはよう」「おはようございます、翔」「翔んるんおっはー♪」
三者三様で剛に挨拶を返す。
「屋外での模擬戦をどのくらいのペースで実施するか、話し合ってたところなんです。勿論翔の意見も聞かせて欲しいと思ってます」
そう翔に語り掛けた希美の、憑き物が落ちたような穏やかな表情を見て、翔はおや?と思う。
(何か……あの話は無かったみたいな表情だな……)
その日は始業式の翌日であり、トーフ入学式が行われたため、剛達3年生も第2格技室に移動して入学式に参列した。
「なあ、希美。昨日剛とあの件話したんだろ?」
入学式が終わった休み時間、教室に戻った翔は前の席に座る希美に話し掛けると、希美は振り返って翔に穏やかな顔を向ける。
「はい。でも、もうあの話は良いんです」
翔はまたもやおや?と思う。昨日はあれほど苦しそうな表情をしていたのに、今日になったらそんな素振りを全く見せない希美を不思議に思った。
「剛は剛ですし。それに剛が私達にとって悪い選択をするとは思えませんから」
その希美の言葉を聞いて、翔はふーんと言った顔をした後、口の端を上げてニヤリと言った笑い顔を見せる。
「羨ましい事だ。剛ちゃんも良いパートナーに恵まれて」
放課後、第9格技室――
「わしょーーい!わしょーーい!」
そこにはハンマーを振るう奈緒と、躱しながら細剣を突き出す翔の姿があった。
(……俺はパートナー運には全く恵まれねぇな……)
ボケとツッコミと言う意味では非常に相性が良い奈緒と翔であったが、男女の中と言うか、翔にとっては奈緒に対して恋愛感情と言うものが全く涌いてこない。
むしろ翔の心情を一言で表すなら“面倒臭ぇ”であった。
「二人とも、攻撃の時の隙がかなり小さくなってますね」
二人の模擬戦を眺めていた剛に、希美が話し掛けて来た。
剛の目から見ても以前に比べて力や勢いではなく、流れを重視した一撃、一閃になっているように見え、希美の意見に同意するよう頷く。
(ここまで上達すると、トーイチ3年生でも勝つの厳しくなってるだろうな……)
剛と翔は模擬戦後、途中まで希美と徒歩で岐路に就き、東京メトロ西新宿駅入口前で別れて丸の内線に乗車して荻窪駅に向かう。
「希美、すっきりした顔してたな」
声を掛けられた剛は翔の方を見ると翔はニヤッと笑う。
「剛ちゃんと希美の通じ合ってる関係が羨ましいねぇ。愛の力かな?」
翔に揶揄われた剛は苦笑いで応じる。
「そんなんじゃ無いって。ただ……」
「ただ?」
剛は車窓を眺め――地下鉄のため、何の変哲も無いコンクリートのトンネルの壁しかないのだが――ゆっくりと想いを吐露する。
「この先ずっと、二人で、寄り添い合って行けたらいいなって。そう思っただけだよ」
(……そう言うのを本当の愛って言うんじゃねぇの?)
翔は剛の横顔を見ながらそんな事を思っていた。
「翔こそいい加減奈緒と付き合っちゃえば良いんじゃないか?」
翔はいきなり思わぬ反撃を受け、ぎょっとした後強固に首を振る。
「ムリムリムリ。ぜってーやだ!まだ恵姉ちゃんの方が100倍マシだわ」
翔の様子を見て今度は剛がニヤニヤしながら翔を揶揄う。
「えーっ、剛と奈緒が付き合っちゃえば、奈緒が毎回デートデートって言わなくなるって思ったのになぁ」
「俺にだって選ぶ権利はあるっ!」
そんな翔の慌てっぷりに剛はふっ、と笑みを浮かべる。
別に奈緒は残念な容姿をしている訳では無い。希美とはまた違う可愛らしい顔立ちで、むしろ、美少女と呼んで差し支えないと剛は考えていた。
ただ、容姿は良いのだが――残念っぷりを発揮しているのは性格の方で、例え希美が居なかったとしても、剛も奈緒と付き合うかと言われると首を振るだろう。
(でも、ウチの姉ちゃんの方が100倍マシって……翔ってスレンダーな方が好みなのかな……?)
入間からぺったん娘呼ばわりされている姉の姿を思い浮かべて、剛はそんな事を考えるのであった。
「そうか、姉ちゃんは奈緒とは会った事無かったんだっけ」
夕飯の席にて、剛が翔に奈緒と付き合えば、と言った話の途中で、恵は希美とは会っているが奈緒と会っていなかった事に気付く。
「そうね。去年の4月に来たみたいだけど、あたしとは入れ違いだったから会って無いわ。それで翔は?」
恵は箸でご飯を口に運んで食べながら尋ねる。
「全力否定だったよ。姉ちゃんの方が100倍マシだ、って」
「……そのマシって表現が微妙よね……喜ぶべきところなのか、腹立てるべきところなのか」
「でも、その奈緒って子は剛から見たらどうなの?」
何故か他人の恋バナなのに妙に食い付いて来る恵に対して、剛はこれまでの奈緒の言動を思い起こす。
「見た目で言えばかなり可愛い方だと思うけど……何故か待合せに買い食いしながら来たり、少しでも休みの話するとデートデートって煩いんだよねぇ。希美も呆れてたりするよ」
「何それむしろ可愛らしいじゃないの。まあ、アンタとか希美ちゃんとか、恋愛に疎そうだからね。実際どうなの?希美ちゃんとは」
翔と奈緒の話から、自分と希美の話に切り替えられて、剛はムッとしながら応える。
「……希美の事は大切に思ってるさ……」
剛の答えに恵は天を仰いではぁーっと大きく息を吐く。
(ダメだこりゃ……これじゃ手も握った事無さそうね……)
そう思った恵であったが、実際は二度も深く抱擁を交わしており、仮にその事を恵が知ったら椅子をひっくり返す勢いで立ち上がる程驚愕するのだが、その機会は今のところ訪れる見込みは無かった……
夕食後、剛は自室のベッドの上に仰向けに寝転んでいた。
(希美の事は大切に思ってる、か……思うだけなら簡単だが……じゃあ、何をすれば大切にしてる、になるんだ……)
恵との会話の中で言った自分の言葉を思い返し、剛は思い悩む。
あれだけ一緒の時間を過ごして来たのに、希美の事を考えると実は知らない事だらけである事に気付いてしまった。
希美にとって何が幸せなのか。どうすれば希美を幸せにできるか。そして、それが自分にとって幸せであるのか……
(希美の幸せが俺の幸せ……って、そんな単純なものなのか?希美の幸せが、俺とは交わらない生き方だとして、俺はそれで幸せになれるのか……?)
そんな取り留めも無い事を考え続けながら、いつしか剛は深い眠りに就くのであった……
翌日――
午前中の授業を受け終わった4人は、何時もの如く学食で昼食を取っていた。
剛は昨日恵と話してから、頭にこびり付いて離れない考え事を思い起こし、希美に尋ねる。
「ねえ……希美って、何が一番幸せなの?」
余りにも哲学的で漠然とした剛の質問に、希美は丁度口に運んだ箸を止めたままきょとんとした顔をする。翔と奈緒に至っては、いきなり何を言い出したんだと顔を見合わせて首を傾げる。
「幸せ、ですか……」
希美は口から箸を離して顎に手を置き、少しの間考えて答えを出す。
「こうして、剛や奈緒、翔と一緒に過ごせるのが、今の私にとって一番の幸せです。ここが自分の居場所……居て良い場所がある、と言うのは幸せな事だと思います」
その希美の答えに、翔も、奈緒も、そして剛も笑顔で応えるのであった。
第89話 『未来』 コブクロ




