第58話 Tokyo Road
その年の夏休みは土日から始まった。
前世までであれば、翔を誘って遊びに没頭する中学1年生の夏を過ごしていたが、前世までの記憶を持って夏休みを迎えた剛はそんな気分にもなれず、朝から中央線快速に乗ってトーフに向かっていた。
(……社畜とかワーカホリックとか、そんな感じに似ているのかな……)
JR新宿駅で中央線快速を下車し、いつもの道を歩きながらそんな事を考えていた。
3年生になるまでは特装用のロッカー――対象は特装ですらないのだが――は割り当てられないため、剛は自作の模擬戦用ハルバードを取りに1年Aクラスの教室に向かう。
教室には誰も居ないかと思っていたが、目的までは不明だが3名程の生徒が教室に居た事に剛は少し驚く。
教室で話をしていた生徒はチラっと剛の方を見たが、特に用がある訳ではないので視線を戻して話に戻る。
(ま、特に俺の方も用がある訳じゃないしな……)
そう思うと剛は教室内のロッカーに収納していた模擬戦用ハルバードを取り出し、格技棟に向かった。
格技棟入口の予約端末の前に行くと、剛は端末を操作して第3格技室を予約する。
予約が終わると第3格技室に向かい、4階層分の高さにある天井のフロアに入室する。
30m程先に的がある射撃系特技の訓練ブースに入ると、軽く準備運動を行ってから的に向かってハルバードを手に正対する。
(まあ、特装器じゃないから特技を増幅はしてくれないが……イメージトレーニング的に必要、かな……)
ハルバードを構えると、剛は片手で持って頭上に掲げる。
〈隕石群!〉
格技室の天井付近に現れた黒い隕石は即座に灼熱の赤い光を放ち、剛がハルバードを振り下ろすと熱を置き去りにするかのように赤い尾を引き的に向かって降り注ぐ。
その数、3個。
(前回よりだいぶ強化できているな……特装器でこれを使えば、10個の隕石を出せそうだ……)
隕石群による熱が引くまでの間、剛は次の特技をイメージする――発動させた炎の維持方法、青の個性の範疇である風を使わないで舞い上がらせる方法……熱による上昇気流と炎の発生位置の関係性、炎の範囲を拡大させる方法――一度イメージが固まったところで、剛は再びハルバードを構えて的を見据える。
〈火炎旋風!〉
的の傍に炎を円形に出現させると、炎の熱による上昇気流で高さ5m程まで炎が伸びる……のだが、伸びるだけで旋風と言うには回転する動きを見せず、そのまま暫くすると立ち消えになる。
(これだと火炎柱、と言ったところだな……どう旋風にするか……)
何度も試行錯誤するのだが、炎が高く伸びるまではできても炎が回転することがない。
中々イメージ通りに行かない状況に、剛は悩みながらも特技を放ち続けるのであった。
「あ、しまった」
3時間程第3格技室で特技特訓に励んだ剛は、昼休みになった時に自分の失態に気付いた。
夏休みに入っているため、トーイチ同様に学食での昼食は予約制の弁当になっていたのを失念しており、予約するのを忘れていたのだった。
昼食をどうするか途方に暮れて、模擬戦用ハルバードを教室に片付けた後昇降口に向かった剛は、ポニーテールを揺らして所在無げに立っている人影を見付ける。
「……希美?」
声を掛けられた希美ははっとして、声の主である剛の方を見遣る。
「どうしたんだ、こんな所で?って言うか学校来てたんだ」
剛は希美に近付いて声を掛けると、希美は困ったような笑顔を浮かべる。
「土曜日だし夏休みで、学食が開いてないのを忘れてて……どうしようかと」
その答えを聞いて剛はクスっと笑うと、希美は憮然とした表情になる。
「ごめんごめん。いや、俺も同じだったからさ」
剛の言葉を聞いた希美は一瞬きょとんとした表情をし、その後くすくす笑い出した。
「じゃあ、どこか行きましょう」
二人はトーフを後にして、新宿郵便局の前の道を南に進んだ後、大型家電商品店が立ち並ぶ――大小飲食店も多数立ち並んでいる――新宿西口エリアに歩を進める。
(そう言えば、学食以外で希美と二人きりで食事するなんて前世でも無かったな……)
新宿西口の路上を歩いて飲食店を物色しながら、剛は前世までの記憶を掘り返す。
そもそも学校外で一緒に行動するのは殆どが特務実習かそれ関連であり、純粋な遊び目的での外出は奈緒に乗せられた中野ブロードウェイ散策の時くらいである。
「ねえ、このお店なんてどうかな?」
そんな事を考えていると、希美が足を止めて目星を付けた店を指さす。
その店は干物を炭火で焼いて出す定食屋だった。店内は長いコの字型に席が設けられており、8割程座席は埋まっていた。
空いていた横並びに座ってから注文したのは……剛も、希美も、サバの文化干し定食。
剛は翔に言われた事を思い出していた。
(ホント、意図せず同じもの頼んでるよな……)
出て来た定食を隣り合って食べている時、剛がこの後の行動に誘う。
「ちょっと行ってみたい所があるんだけど、時間空いてるなら付き合ってもらえるかな?」
珍しいな、と言う思いで希美は右隣りの剛の顔を見る。
「時間は空いてるけど、どこに行くんですか?」
「それは行ってからのお楽しみ、って事で良いかな?」
昼食を済ませた剛と希美は、再び新宿郵便局の前の道を今度は北に向かって進む。
左に曲がればトーフがすぐそこと言う交差点を曲がらずに真っ直ぐ進み、次の交差点で道の反対側に渡ると剛の目的地があった。
「……美術館?」
希美の疑問に剛は頷く。
「トーフ周辺の時間潰せそうな場所調べた時に見付けたんだ。高校生以下は無料で入れるって書いてたし」
剛と希美は1階の受付で学生証を見せて入館を済ませると、エレベーターで最上階の5階に上がる。
エレベーターのドアが開くと、剛達の目に飛び込んでくるのはダークブラウンの床と白い壁と天井、そして壁に展示されている幾つもの絵画。
「何か……凄いな……」
トーフから徒歩5分もかからない場所にこんな空間があるとは想像していなかった剛は、意味のある言葉を発する事が出来なくなっていた。
「この絵は……ロートレック?フランスの画家みたいね」
展示物の説明から作者の情報を辛うじて得る事が出来た希美が、その繊細かつ流れるようなタッチの絵を見ながら感嘆の様子を見せる。
「この絵は……見覚えがあるな……」
剛が足を止めたのは、キャバレのアリスティド・ブリュアンと言う題名の1枚の絵。
黒の帽子と外套、手袋に、オレンジのマフラーを巻いた壮年の男性の絵で、ロートレックの代表作とまでは行かないが有名な作品の一つである。
そう言った一つ一つの絵画を眺めながら、剛と希美は5階から4階の展示物を堪能して3階に降りて行く。
そこには圧倒的な存在感を誇る作品が展示されており、剛も希美も息をするのさえ忘れるような感覚に襲われた。
――フィンセント・ファン・ゴッホ『ひまわり』――
ファン・ゴッホが描いた花瓶に挿された向日葵の絵画は7点が確認されているが、剛と希美の目の前にあるのがその内の1枚である。
教科書などでこれまでに見た事はあったが、実物を目の当たりにすると二人は圧倒されるしかなかった。
長い時間――実際は3分に満たない時間であったのだが、目を奪われ続けた剛と希美は、どちらともなくお互いを見て、軽く頷くと『ひまわり』に背を向けて美術館を後にするのであった。
二人は無言で青梅街道を西新宿駅方面に歩いて行く。歩道は人通りが多く、外国人観光客の姿も少なからず存在している。
統制が取れていない歩行者を避けながら剛は希美を気遣い歩を進め、混雑を避けるように新宿警察署手前のビルの地下に降りてコーヒーショップに入った。
二人はアイスコーヒーを注文して受け取り、席に着いて一口飲み下して気持ちを落ち着かせる。
「……凄かったですね……」
「……ああ、凄かったね……」
息を飲む程の圧倒的な存在の余韻に、剛も希美もまだ浸っていたのであった――
第58話 『Tokyo Road』 Bon Jovi




