8
出雲は糸で作った足場を頼りにアビスの巨大な足へ飛び移る。横から襲いかかる触手を足場を作って避け、再び巨大な足を駆け上る。うねる不安定な足場を走り抜け、段々と可夢偉へ近づいていく。
揚羽も出雲に追いつこうと、ダイオウイカのアビスの元へ走り出した。
「……やっと着いた」
遂に出雲は、手を伸ばせば可夢偉に届く距離まで辿り着いた。可夢偉が指示を出しているのか、触手が出雲に襲いかかることはなかった。
「お疲れ様です。ゆっくり話でもしますか?」
「違う。お前を倒しにきた」
出雲は静かに可夢偉を見据える。出雲の持つ小刀の刀身がキラリと光った。
「お前は可夢偉さんじゃない。可夢偉さんの姿をした偽物だ。……お前は、可夢偉さんの人生を奪った人殺しだ」
自分に言い聞かせるように口にしながら、出雲は可夢偉を強く睨みつける。
潮可夢偉は人を惹きつける魅力があった。巧みな話術と徹底された表情管理で、性別問わず惹きつけた。出雲も彼を一人の人間として憧れ、尊敬していた。自分とは正反対の完璧な人。自分もこんな人になりたいと、出雲は初めて会ったときから信仰にも近い憧れを抱いた。
そんな憧れを今、超えようとしている。
唇を引き結び、出雲は小刀を振り上げた。
「出雲」
可夢偉が穏やかな笑みと共に出雲の名前を呼ぶ。オーシャン専門管理局にいた――本物の潮可夢偉と同じ笑みで。
「……っ」
一瞬の躊躇いを見逃さなかった可夢偉は、出雲の手を掴んで止める。
「出雲に僕は殺せません。憧れを超えてしまえば、その先にはなにもないのでしょう?」
憐れむように、眉を下げて笑う可夢偉。
「出雲が僕を模倣しているのは知っています。君は僕の背を追っているだけの人間です。ですから、僕がいなくなって困るのは出雲自身ではないのですか?」
囁くように、可夢偉は出雲に語りかける。
可夢偉に手を掴まれたまま、出雲は「俺は……」と呟く。
「違う、俺は――」
「それは違います!」
出雲を遮るように叫んだのは揚羽の声だった。
刀を頼りによじ登ってきていた揚羽は、肩で息を切らせながら二人の前に立つ。
「憧れを超えた先にも先輩の生きる理由はあります。私の存在が、先輩の生きる理由だからです」
「瀬戸……」
出雲が伝えてくれた言葉は、揚羽にとっての希望だった。絶望の海に沈みかけていた自分を引っ張り上げてくれた。今度は自分が助ける番だ。
「これからは、私が先輩の希望になります」
力強く、真っ直ぐ可夢偉を貫いた。
無言で揚羽を見つめていた可夢偉はふっと笑う。
「……そう言ってくれて安心しました。僕も出雲を一番心配していましたから」
出雲の手を離し、可夢偉は安堵したように微笑む。
「では、これで終わりにしましょう」
終わり。つまりアビスの侵攻を止めてくれるということ。揚羽の中に安心感が溢れてきた。
出雲と顔を見合わせ、小さく笑い合う。
現実世界でアビスと戦っている梨羅たちとも合流しよう。これからのことはさておき、梨羅たちも可夢偉との再会を待ち望んでいるはずだ。
「――最後まで油断してはいけませんよ」
突如、可夢偉は出雲の手にあった刀を奪い取った。
(まずい……!)
完全に油断していた。この距離では出雲が危険だ。揚羽は取り返そうと急いで手を伸ばす。
それより早く――可夢偉は刀を自分自身に突き立てた。
「――え」
可夢偉は膝をつき、バランスを崩して海へ墜落していく。同時に、足場となっていたダイオウイカのアビスの姿が光となって消えていった。
「っ……!」
アビスが消えたことで揚羽たちも可夢偉と同様に、オーシャンの海へと落下した。
数メートル沈んだところで、揚羽はもがいて海面に顔を出す。揚羽の視界の先に広がっていたのは、アビスが一匹もいない美しい青空だった。
(今、なにが起きて……)
水面にぷかぷかと浮きながら、揚羽はたった今起こったことを理解しようとした。
思考しようとしたが、まずは安全を確保しようと砂浜へ向かう。揚羽が思うより遠くなく、砂浜へはすぐに辿り着いた。
(彼は自分で自分を刺した……?)
一瞬のことに頭が働かなかった。なにがあったというのか。
「……先輩?」
そこで、揚羽は未だ出雲たちが砂浜に上がっていないことに気がついた。
もしかしてまだオーシャンの海を彷徨っているのか。そんなことはないと思いたかったが、一向に姿が見つからない。
不安になった揚羽は再び海へと向かう。水が足首を超えたあたりで、出雲が海面から頭を出した。
「先輩――」
「揚羽ちゃん!」
揚羽の歩みを止めたのは、揚羽の後ろから聞こえた梨羅の声だった。
「梨羅先輩……」
「無事で良かった!」
梨羅は揚羽に抱きつき、揚羽を優しく包み込む。梨羅の後ろからは、祢音とマリンも揚羽に駆け寄ってきた。
「揚羽、現実世界のアビスは全部いなくなったよ!」
満面の笑みで、梨羅の反対側から揚羽に飛びつくマリン。
「……出雲さんは?」
揚羽の浮かない表情から察したのか、心配そうな声色で祢音が尋ねる。揚羽は梨羅とマリンから離れ、海に体を向ける。
見ると、出雲が可夢偉を背負って砂浜に歩いて来ていた。
「可夢偉さん!」
悲鳴にも近い声で、出雲の元へ駆け寄る梨羅たち。揚羽も遅れて出雲の元へ向かう。
出雲に背負われた可夢偉は、アビスが消滅するのと同じようにゆっくりと消えていた。
「可夢偉さん、どうしたの……?」
状況が飲み込めない梨羅たちの間に動揺が広がる。
「こいつは可夢偉さんじゃない……可夢偉さんのスキルで複製された偽物だ」
出雲の低い声に梨羅たちは目を見開く。
「じゃあ、本物の可夢偉さんは……?」
「……あのニュースのとき」
そこまで言って出雲は言葉を詰まらせた。
出雲がなにを伝えたいのか、梨羅たちはすぐに理解した。梨羅は口元を覆い、祢音は静かに唇を噛み、マリンは悲しげに目を伏せた。
自分たちが探していた人物は、とうの昔に死んでいた。
「なぜ、ここまで連れて来たのですか……」
背負われていた可夢偉の問いかけは非常に弱々しかった。
「……沈んでいく可夢偉さんを放っておけなかった」
「そうでしたか、出雲は優しいですね」
「……本当は、それより前に救いたかった」
その言葉に、可夢偉から返事はなかった。
砂浜に優しく寝かせられた可夢偉は、ゆっくりと揚羽たちを見つめる。
「看取られるというのは、このような状況なのでしょうね」
ふふ、と控えめに笑う可夢偉。
真剣な面持ちの揚羽は可夢偉の横に膝をつく。
「先ほど、なぜあのようなことをしたのですか」
「先ほど……あぁ、出雲には僕がいなくても平気だと思ったからです。オーシャンも十分楽しみましたし」
「……あなたは随分と身勝手な方なのですね」
「そうかもしれません。自由奔放と言えば聞こえはいいでしょうか」
可夢偉の冗談めいた笑いで、二人の会話は終わった。
揚羽たちは光の粒となって消えていく可夢偉を、黙って見守ることしかできなかった。
「……可夢偉さんと、もう少しゲームしたかったかな」
祢音が可夢偉の横にしゃがみ、小さく笑う。無理矢理口角を上げているようにも見えた。
「手応えあるの、可夢偉さんしかいなかったから」
「そういえば、祢音とも色々なゲームをやりましたね」
「この前さ、俺世界チャンピオンになったんだよ。可夢偉さんにも見てて欲しかったな」
笑う祢音の横に、涙を拭いながら梨羅がしゃがむ。
「可夢偉さんが私の淹れたコーヒーが美味しいって言ってくれたの、今でも覚えてるよ」
「梨羅の淹れるコーヒーはいつも絶品でしたね」
ありがとう、と言った梨羅の瞼から涙が流れ始める。
「可夢偉さんは俺たちを引き合わせてくれた。神なんて目指さなくても、少なくとも俺たちは救われてた」
「……そうでしたか」
出雲に言われ、可夢偉は微笑む。どこか自嘲と後悔が含まれているような気がした。
「神になった暁には君たちを真っ先に救おうと考えていましたが、どうやら必要なかったようですね」
可夢偉は微笑みながら揚羽に視線を向ける。
「潮可夢偉さん」
揚羽は可夢偉の横に膝をつく。
「あなたはこれから眠りにつきます。寝て、少し長い夢を見るだけです」
「なるほど、眠りですか。いい例えですね」
ぼんやりとした笑顔で遠くを見つめる可夢偉。明るく眩しい日差しが揚羽たちに降り注いだ。
「おやすみ。いい夢見ろよ」
出雲は小さく、堪えた顔で笑ってみせた。
「おやすみなさい。……それでは、次は来世でお会いしましょう」
その言葉を最後に、可夢偉は光となって消えていった。




