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【カムイ:皆さんは死にたいですか?】
ある日の夜中、とあるチャットルームに新しいメッセージが投稿された。
誰からもレスポンスはなかったが、カムイと名乗る人物からのメッセージは続いていく。
【カムイ:きっと、心のどこかでそう思っているのではないですか?】
【カムイ:僕もその一人です。新しい人生を歩みたいと日々思っています】
【カムイ:ですが、ただ終わらせるのでは面白くありません】
【カムイ:そこで提案があります。もし僕と同じ気持ちを抱いているなら、最後に一度会ってみませんか?】
それを最後にカムイからのメッセージは途切れた。
【名無しの匿名:いいよ。暇だし】
一分後、一つのメッセージが投稿された。
【カムイ:初めまして、名無しの匿名さん。ご賛同いただきありがとうございます】
【田中:いつ集まるの?】
続いて、田中と名乗る人物からもメッセージが投稿された。
【カムイ:初めまして、田中さん。まだなにも決まっていません。これから予定を合わせていければと思います】
【らいら:初めまして。もし良ければ私も参加したいです】
【カムイ:らいらさん、初めまして。もちろん歓迎します。人数も集まってきましたし、早速予定を立てましょう】
それ以降はチャットルームに鍵がかけられ、新しい人物が参加することはなかった。
カムイを中心にして進み、四人が会う予定は簡単に決まった。
そして四人が顔を合わせる当日の昼下がり。明るい暖かな日差しが降り注ぎ、初夏の訪れを感じさせる風が吹いていた。
ターミナル駅から少し離れたファミレスが四人の待ち合わせ場所。人通りもさほど多くなく、時折休憩時間であろうサラリーマンが過ぎ去る程度だった。
そんなファミレスの入り口付近に立っていたのは、カジュアルなスーツを身に纏った爽やかな男性。柔らかな髪は明るい茶色で、すらりとした長身はモデルと言ってもいいスタイルをしていた。
「あの、カムイさんですか?」
穏やかな笑みを浮かべる彼――カムイに遠慮がちに声をかけたのは、カムイと同じくらいの背丈の男性だった。シャツとチノパンを纏い、眼鏡をかけた男性はカムイに比べて控えめな佇まいをしていた。
「はい。あなたはどなたですか?」
「あー……名無しの匿名、です」
「あぁ、初めまして。カムイです」
男性に微笑みかけるカムイ。
カムイの微笑みで男性はいくらか緊張が解れたようで、安堵した表情に変わる。
「すみません……えっと、らいらです」
男性の次に現れたのは、栗色のロングヘアを靡かせる女性――らいら。
強張った雰囲気の彼女を和らげようと、カムイは同じように落ち着いた笑みを向ける。
「あとは田中さんでしょうか。まだ待ち合わせには早いですし、のんびり待ちましょう」
最後の待ち合わせ相手――田中が現れたのは、待ち合わせ時間丁度だった。
「……どうも、田中です」
「初めまして。無事に揃ったことですし、中に入りましょうか」
入店すると一番奥のボックス席に案内され、カムイは四人分のドリンクバーを注文する。
昼のピークを過ぎた、駅から離れている立地のせいか、カムイたち以外にほとんど客はいなかった。
「改めて、簡単に自己紹介でもしましょうか。僕はカムイ――本名は潮可夢偉と言います。気軽に可夢偉と呼んでください」
三人の陰鬱としていた雰囲気は、可夢偉の言葉で驚きと動揺に上書きされた。
「それって……本名ですか?」
「えぇ。なにか問題でも?」
初対面の人間、ましてやインターネットを介して出会った人間に、あっさり個人情報を教えるなんて。
平然と答える可夢偉に三人は戸惑いを隠せず、思わず顔を見合わせた。
「いや……一応個人情報だし……」
「皆さんが個人情報をばら撒くような人間ではないと思ったからですよ」
田中の小さな呟きに可夢偉は微笑みで応えた。会って間もない人間をどう評価したのかは三人には分からなかった。
「皆さんはチャットでのお名前でも、山田太郎さんと名乗っても問題ありません。ジョン・スミスさんでも構いませんよ」
可夢偉の言葉を最後に、四人の間に沈黙が訪れた。誰が次に口を開くか、お互いを窺っている空気だった。
店内に微かに流れる明るい有線は、四人の空気の中では浮いているように感じられた。
すると、可夢偉の隣に座っていた男性が小さく手を挙げる。
「藤波出雲。チャットでは名無しの匿名」
出雲と名乗る男性の声から覇気は感じられなかった。生気がないような、鬱屈とした雰囲気だった。
雰囲気に流されることなく、「よろしくお願いします」と微笑む可夢偉。
「えっと……梨羅、です。チャットではらいらという名前です」
出雲の目の前に座っていた女性――梨羅が軽く会釈する。
「……田中――いや、祢音」
梨羅の横に座っていた青年――祢音も梨羅に続く。祢音の視線はテーブルの下に向けられたままだった。
「皆さんありがとうございます。自己紹介も終わりましたし、早速……と言いたいところですが、特に話したいことは思いつかないのです」
可夢偉は眉を下げて笑う。
「……私から、質問してもいいでしょうか」
梨羅がおずおずと可夢偉に視線を向ける。可夢偉は「どうぞ」とにこやかに会話を促した。
「その……可夢偉さんは、どうして私たちと会おうと思ったんですか?」
「死のうと考えている人が、どんな人物なのか気になったからです」
梨羅の質問に可夢偉はあっさりと答えた。
「僕はチャット内で会おうと書きましたよね。それ以上でもそれ以下でもありません」
可夢偉はソファにもたれかかり、テーブルの上で手を組む。
「あのチャットにも書いた通り、僕は死にたいと思っています。早くこの人生を終わらせたい」
可夢偉から発せられるのはファミレスに似つかわしくない会話のはずなのに、口調は暗い雰囲気を全く感じさせないものだった。
「僕と同じような考えを持つ人が一人でもいたらいいと思う程度でした。それがまさか、三人もいるなんて」
出雲たちをゆっくりと見やる可夢偉。
見定めるような視線に、出雲たちは息を呑んで可夢偉を見守った。
「先に伝えておきますが、僕は皆さんと一緒に死のうとは思っていません。タイミングや方法もそれぞれ考えているでしょうし、気持ちが変わる可能性だってあります。強要するつもりも一切ありません」
笑みを絶やさずに紡がれる言葉は、不思議と出雲たちに不安を与えることはなかった。
「他にはなにを話しましょうか。無難に趣味でも教え合いますか?」
可夢偉は冗談めいた口ぶりで笑う。
「ドリンクバーも注文しましたし、飲み物を取りに行きましょうか。それか僕が取りに行きますよ。全員コーヒーでよろしいですか?」
ソファから立ち上がる可夢偉を、「あの」と出雲が引き留めた。
「可夢偉さんは……なんで死にたいと思ってるんですか?」
「この時代での人生を十分に生きたと思ったからです」
可夢偉の表情は自信に溢れていて、臆する様子など微塵も感じられなかった。
再びソファに腰を下ろし、小さく笑みを浮かべる。
「自分で言うのもなんですが、僕の人生はそれなりに満たされていました。家族には恵まれず、友人と呼べる友人はいませんでしたが――いえ、これはいいでしょう。ですので、一度区切りをつけて次の人生を歩もうと決めました。悲観したから人生を終えようというわけではありません」
可夢偉は今日の天気と同じような爽やかな笑みを浮かべていた。
「表情から察するに、あなたは僕とは違う理由のようですね」
僅かに頷く出雲。
「俺も、あなたみたいに人生が満たされたって言いたかった」
「だから死にたいと?」
「……というより、俺は生きる気も死ぬ気もないのかもしれない。でも、このまま生きててなにか希望があるわけじゃない。だったら、死んだ方がマシなんじゃないかって思った」
静かに呟く出雲の声はどこか諦めが混じっているように見えた。出雲に続いて「私も、」と梨羅が声を上げる。
「私も……可夢偉さんたちと同じような気持ちを抱いています。けど、身近な人に相談できるかといえば、そうじゃない気がして……」
俯く梨羅の手は微かに震えていた。
「俺は……俺として生きられる世界は別にあると思ってる。それはこの世界じゃない。だから、俺も……」
視線を動かしながら祢音も言う。最後の方の言葉は掠れていた。
「……なるほど。皆さんの事情はなんとなく理解しました。それぞれ救ってくれる神様を紹介できたらいいのですが、生憎僕には神様の知り合いはいません。その類の知り合いもいないですし」
哀愁を含んだ笑いで可夢偉は告げる。
重くなり始めた空気を、「そうしたら」と可夢偉は明るい調子でガラリと変えてみせた。
「皆さんの思いの丈を、今ここで全て打ち明けましょう」
呆気に取られる出雲たちに向けて、可夢偉は名案と言わんばかりに続ける。
「僕たちは過程こそ違えど、根底には同じ、死にたいという気持ちを抱いています。チャットでは話せないような内容もあるでしょうし、口頭ならそのうち記憶から消えます。こうして集まったのですから、今さら隠す理由もないでしょう」
顔を見合わせた出雲たちは、その言葉を皮切りに、ぽつぽつと己の心情を吐露し始めた。
可夢偉は聞き役に徹して、決して無理強いはしなかった。しかし、出雲たちは誘われるように自然と口を開いていた。
「本日はお付き合いいただき、ありがとうございました」
結局、四人は日が暮れるまでファミレスの一角に居座っていた。
店を後にした四人は出会った当初の余所余所しさも、重苦しい空気もなくなっていた。
「今日集まったのは、僕の呼びかけに偶然応じてくれた赤の他人です。明日以降はもう会うことはないでしょう」
可夢偉はニコリと微笑む。
「それでは、次は来世でお会いしましょう」
出雲たちに告げた言葉はまるで、今生の別れのようだった。
可夢偉の一言で四人は解散した。




