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「入江先輩! 私の声が聞こえますか!」


 揚羽の必死の呼びかけは、海へと向かう梨羅の歩みを止めた。


「……瀬戸、さん?」

「そうです! オーシャン専門管理局の瀬戸揚羽です!」


 ぼんやりとした梨羅の視線がゆっくりと揚羽に向く。


「先輩がどこかに行ってしまっては、オーシャン専門管理局を支えてくれる人がいなくなってしまいます。私たちには入江先輩が必要です!」


 それは本心から出た言葉だった。梨羅がいてくれるからオーシャン専門管理局が滞りなく過ごせている。梨羅がいなくてはオーシャン専門管理局がどうなっていたか分からない。

 梨羅の瞳に光が戻り、徐々に揚羽を視認していった。


「あ、瀬戸さん……」


 意識がハッキリしてきたのか、梨羅の顔はどんどん青ざめていった。


「あの、ごめんなさい、私のスキルで……」

「先輩がご無事でなによりです」


 いつもの梨羅に戻って揚羽はほっと安堵した。再びアビスが現れる前に急いで砂浜へ向かう。


(先輩のスキルは敵に回ったら恐ろしいとは思っていましたが……)


 精神に直接干渉できる分、出雲や祢音とは違う脅威となる。揚羽は今回身を持って実感した。


「揚羽! 梨羅!」


 砂浜に辿り着くと、マリンが手を広げて揚羽たちに飛びついた。


「心配したんだからぁー!」

「マリンちゃん、本当にごめんね」


 スキルを使ったことは覚えているようで、梨羅は申し訳なさそうに応える。


「……先輩のスキルは、アビスの発した光に反射したのでしょうか」


 揚羽がぽつりと呟くと、マリンは不思議そうに首を傾げた。


「と言うと?」

「ううん。私が油断してただけ」


 梨羅の真剣な瞳が二人に届く。


「最初のアビスがすぐ倒せたからきっと気が緩んでたの。それであの光のときに、思わず自分にスキルを使っちゃったんだと思う」


 ごめんなさい、と唇を引き結ぶ梨羅。


「謝らないでください。今こうして無事なのですから」


 梨羅に対して怒りの気持ちなど一切抱いていなかった。自分も梨羅と同じスキルを持っていたら同じ状況になっていたかもしれないと、揚羽は冷静に考察していた。

 すると、海の向こうにぼんやりとなにかが光っているのが見えた。

 祭りにぶら下がっている提灯のような、淡く落ち着いた光。


(いた……!)


 アビスが発している光だと揚羽はすぐに気がついた。

 一度は逃げられたが、今度は逃がさない。場を掻き乱した礼はたっぷりとしよう。


「先輩、私の姿がアビスに見えないようにすることはできますか?」

「もちろんできるよ」


 梨羅はベールを被せるように、揚羽に向けてふわりと手を翳す。


「これで大丈夫」

「ありがとうございます。それでは行ってきます」


 刀を具現化した揚羽はアビスに向かう。こちらを視認できていなければ、多少の水音など関係ない。海に入り、刀が振れるギリギリまで届いたとき、揚羽は柄を握りしめて光――アビスの発光器官を両断した。悶えたアビスは海から勢いよく飛び出し、砂浜に姿を現した。


(後は本体を倒すだけ……)


 表皮が滑って思うように攻撃ができない。――否。


(今なら倒せる……!)


 アビスは衣を纏うように、全身が砂に塗れていた。ぬめりのある表皮も、ざらざらとした砂に塗れてしまえば倒すのは簡単だ。まだ梨羅のスキルは継続しているようで、アビスは揚羽の姿を認識していなかった。

 刀を振り翳し、深々とアビスに突き刺した。


「お疲れ様でした」


 消滅したアビスを見送り、梨羅の方へ振り返る。今回は梨羅のスキルのおかげで倒せたと言っても過言ではない。


「瀬戸さん、血が……!」


 梨羅は笑顔ではなく、小さな悲鳴を上げて揚羽を迎えた。梨羅の視線を追うと、ワイシャツの袖口が赤く染まっていた。

 意識を引き戻すために、自身の手を切っていたのを揚羽は思い出した。アドレナリンが放出されているからか、不思議と痛みは感じなかった。


「問題ありません。少し切っただけです」

「戻ったら治療するね!」

「すぐ治りますから、ご心配なく」


 揚羽は手首をさする。傷口を見せてさらに心配させるわけにはいかない。

 不安そうな梨羅に「大丈夫ですよ」と念を押して笑みを見せる。


「先輩はオーシャン専門管理局に欠かせない方です。先輩がいなければ、藤波先輩も沖田先輩もまともに生活できていないでしょうから」


 決して間違ったことは言っていないだろう。冗談混じりに笑いながら揚羽は続ける。


「ご安心ください。私は先輩の味方です」

「……ありがとう」


 揚羽につられるように、梨羅は小さく笑みを浮かべた。


「私で良かったら、たくさん仲良くしてくれると嬉しいな」

「もちろんです。今度、美味しいコーヒーの淹れ方を教えてください」


 任せて、と梨羅は自慢げに応える。


「あの、瀬戸さんのこと、揚羽ちゃんって呼んでもいいかな? 歳は近いし、私のことも名前で呼んで」

「それでは……梨羅先輩でよろしいですか?」


 満面の笑みで頷く梨羅。揚羽はこのとき、梨羅と信頼関係が結ばれたと確信した。

 そんな二人のやり取りを、マリンは微笑ましそうに見守っていた。


「……揚羽ちゃん。一つだけ付き合ってもらってもいいかな」

「はい。なんでしょうか」


 梨羅はくるりと振り返り、穏やかな波が打ち寄せる海へと向く。

 一体なにをするのかと不思議そうにしている揚羽の横で、梨羅は大きく息を吸い込む。


「バカぁーーー!!!!」


 突然の叫びに揚羽とマリンは思わず耳を塞ぐ。


「私、あなたがいなくても絶対幸せになってやるんだからーーー!!!」


 梨羅のどこまでも通る声はオーシャンの海に響き渡った。


「……うん。スッキリした」


 微笑む梨羅の目元がキラリと光ったのを揚羽は見逃さなかった。


(先輩の中でなにか吹っ切れたものがあったのでしょう)


 自分が吹っ切れたきっかけになっていたら嬉しいと、オーシャン専門管理局に戻りながら揚羽は考えていた。

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