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「――っ!」
突如、アビスを中心にして眩しい光が辺りを埋め尽くした。目も開けられないほどの閃光に、揚羽は思わず手で顔を覆う。
(提灯部分の発光……!?)
かじった程度の知識はある。チョウチンアンコウは頭部にある器官を利用して餌を誘き出すのだと。しかしそれは魚類であるチョウチンアンコウの話。まさか目眩しに利用されるとは思わず、揚羽が目を開けられたのは数秒後のことだった。
目の前にはなんの姿もなく、揚羽は呆然と目の前に広がる海を眺めていた。
もしや海中へ逃げ込んだのでは。
「先輩、私は海の中へアビスを探しに――」
揚羽は梨羅に声をかけて駆け出そうとする。アビスもまだ近くにいるはずだ。
「……先輩?」
だが、梨羅から返事はなかった。
見ると、梨羅は一点を見つめて目を見開いていた。
驚きと悲嘆と絶望が混じった表情に、揚羽はすぐにただならぬ雰囲気を感じ取った。
「先輩? どうかしましたか?」
「なんで、ここにいるの……?」
呆然と立ち尽くしていた梨羅は、無理矢理と言った風に笑顔を見せる。
「……そっか。会いに来てくれたんだね」
笑みを浮かべたまま、梨羅は海に向かってゆっくりと歩き出した。
「先輩!?」
揚羽が呼んでも梨羅は止まらず、焦点の合わない目で海を見つめ続けていた。
「突然どうしたのですか!」
梨羅は一体なにが見えているのか。揚羽が視線を追うが、一面の美しい海が広がるばかりだった。
足元が海に浸かったところで揚羽は本格的に焦り始めた。このまま海に入っては溺れてしまう。なんとしても止めなければ。
「――揚羽」
梨羅の手を掴もうとしたところで、揚羽の後ろから声がかかる。マリンの声ではない、出雲でも祢音でもない男性の声。
「……え?」
振り返ると、そこにいたのは揚羽より歳上であろう男性の姿。爽やかで優しい雰囲気を持った男性は、ニコリと揚羽へ微笑みかけた。
男性の姿を目にして揚羽の瞳が揺れ動く。
「なんで、ここに……」
揚羽はよろけ、足元に波が立つ。
(……違う。ここにいるはずがない。だって――)
あのとき、もう、死んでいるのに。
だから違う、これは。
(幻覚を見せるスキルだ)
目の前に立っているのは梨羅のスキルによって生まれた幻覚。そうでなければ有り得ない。
そう結論づけた揚羽の頭に疑問が生まれる。
(なぜ先輩は私にスキルを使ったのでしょう……?)
アビスにスキルを使う際に運悪く巻き込まれてしまったのだろうか。もしかしたら、マリンなら今起こった状況を分かっているかもしれない。
「あの、マリンさん――」
マリンの方に振り返った揚羽の表情が固まる。マリンも梨羅と同じように、ぼんやりと海を眺めていた。
(あ、まずい……)
頭の中で警鐘が鳴り響く。これは自分がどうにかしなければならない。
どうすればいい。落ち着け。冷静になれ。自分も幻覚に飲み込まれては止められる人間がいなくなってしまう。
冷静さを取り戻そうとする間にも、揚羽の視界がゆらりと揺れ動く。新たな幻覚が揚羽に襲いかかろうとしていた。
(――そうだ)
揚羽の頭にあるアイデアが思い浮かんだ。急いで小刀を具現化し、手に横一閃傷をつけた。
「……っ!」
痛みは我に返る一番簡単な方法だ。息が詰まった感覚から解放され、揚羽にどっと安心感が押し寄せた。
視線を移すと男性の姿はどこにもなくなっていて、ほっと安堵する。
まずはマリンから解放しよう。揚羽はマリンの前に立ちはだかる。
(マリンさん、すみません……!)
心の中で謝罪の言葉をかけながら、揚羽はマリンの両頬を思い切り抓った。
「痛ったぁーーー!」
マリンの絶叫がオーシャンの海に響き渡った。
「ちょっと! なんでそんなことするの――あれ?」
飛びかからん勢いで揚羽に迫ったマリンは、一転してきょとんとした表情を浮かべる。
無事に幻覚が解けた。安心した揚羽はすぐに表情を引き締める。
「すみません、力加減ができなかったのは謝ります。あとでいくらでも怒っていただいて構いません。ですが、今は入江先輩を止める方が先です」
赤くなった両頬をさすりながらマリンは首を傾げる。
「入江先輩が私たちに幻覚を見せていました」
「梨羅が……なんで?」
「分かりません。ですが、きっと原因はあるはずです」
マリンさんはここで待っていてください、と踵を返して揚羽は砂浜を駆ける。梨羅は既に太腿の辺りまで海に浸かっていた。
今は濡れることを気にする余裕なんてない。揚羽が海に歩みを進めると、水の冷たさは一切感じられなかった。それどころか、足が濡れる感覚がなかった。
仮想空間だからなのか。水特有の抵抗も空気のように軽い。これなら梨羅にすぐに追いつける。
「入江先輩!」
腰ほどの深さになった頃、揚羽は梨羅に追いついた。
腕を掴んで止めるが、梨羅の歩みは止まらなかった。
「元気だった? 会うのいつぶりだろうね」
作り笑いを浮かべながら、梨羅は揚羽ではない誰かに喋りかけるように口を開いた。
「私、言えなかったことがたくさんあるんだ。今ならなんでも話せる気がする。あのときはちゃんと伝えられなくてごめんねって思ってる。時間はたくさんあるからゆっくり話したいな。そうだ、コーヒー淹れるのも上手くなったんだよ。一緒に飲む?」
眉を下げて笑う梨羅。切ないような、苦しいような、必死に取り繕っているように見えた。
つられて表情が歪む揚羽は、懸命に足を動かして梨羅の前に立ちはだかる。
「止まってください! 私です! 瀬戸揚羽です!」
虚ろな梨羅の顔を寄せ、無理矢理視線を合わせにいった。




