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「あー……ご心配おかけしました」
翌日。出雲は昼頃にオーシャン専門管理局に姿を現した。
「出雲! もう元気になったの?」
マリンが目を丸くして出雲に近づく。
揚羽たちも出雲が来るとは思わなかったのか、驚いた表情で出雲を迎えた。
「マリン、来てたんだな」
「ちょうどアビスが現れたからね!」
出雲の目の前に来たマリンはニコニコとしながら出雲の頭を撫でる。
「なにしてんだよ」
「もう少し休んでてもいいのに、頑張って来てくれたから褒めてるの」
まんざらではなかったのか、それとも抵抗する元気はなかったのか。出雲は素直にマリンに撫でられていた。
撫でられている横から、梨羅が「出雲くん」と呼びかける。
「今日のアビス退治は私と瀬戸さんで行ってくるね」
「梨羅と瀬戸で?」
「出雲くんも祢音くんも、瀬戸さんと二人で行ったことあるでしょ? だから私も行ってみたいなーって」
「そういうことか。じゃあ二人に任せるよ」
マリンに撫でられ終わった出雲は、「気をつけろよ」と言って外に出ようとした。
「出雲くん」
声がワントーン低くなった梨羅が出雲を呼び止める。部屋の温度が一度低くなった気がした。
「……なに?」
「煙草吸いに行こうとしてるでしょ」
梨羅の視線はポケットへ向いていた。出雲は気まずそうに視線を逸らす。
「病み上がりなんだから駄目」
「吸ってた方が元気出るんだよ」
「まだ万全じゃないでしょ」
無言で目を光らせる梨羅。珍しく出雲がたじろぎ、静かにスツールに座った。
「祢音くん、出雲くんのこと見張っててね」
「はーい」
火の粉が飛ばないようにしているのか、祢音は素直に応えてゲーミングチェアをくるりと回した。
「それじゃあ、瀬戸さん。よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
梨羅の笑顔の裏に鬼が潜んでいるように思えて、揚羽は気圧されながら頷いた。
(やはり、オーシャン専門管理局で一番の権力者は入江先輩かもしれないですね……)
内心ビクビクしながら、揚羽は梨羅とマリンとオーシャンへ向かった。
アビス退治は拍子抜けするほどあっけなく終わった。
今回はエイの姿をしたアビス。巨大なヒレを動かして空中を悠々と泳いでいた。梨羅がスキルを使って混乱させている間に、揚羽が刀を具現化して斬っていった。
倒している中で、アビスは個体によって強さや統率力に違いがあると揚羽は気がついた。初めに出会ったイワシの姿をしたアビスは群れで動いていて、二回目に出会ったマグロのアビスは個々で襲いかかった。クラゲのアビスも決定的な攻撃をしてきたわけではない。
(今回は個々で襲ってきた……どのような法則性があるのでしょうか)
アビスを研究することは不可能に近いため、倒しながら見つけていこう。ヒレを斬り落としながら揚羽は自問自答した。
(それにしても……)
アビスを倒す際、あることを思いついていた。もし出雲がこの場にいたのなら、「エイヒレは日本酒と合う」とでも言ったかもしれないと。そんなことを考える余裕ができてしまったのだから、慣れと時の流れは恐ろしいと揚羽は思った。
アビスを退治し、砂浜にいた梨羅とマリンの元に戻る。
「お疲れ様。瀬戸さんももうすっかり慣れたね」
「先輩がサポートをしてくださったおかげです」
「これからもできる限りのサポートはするから安心してね」
自信たっぷりな梨羅に思わず揚羽の顔が綻ぶ。梨羅のスキルがあれば大抵のアビスを相手にできるだろう。
「それでは戻りましょうか――」
「待って、アビスがいる!」
手を差し出そうとしたマリンが勢いよく海の方を向いた。揚羽たちの空気がピリ、と張り詰める。
しかし、どこにもアビスの姿はなく、身構えていた揚羽たちの気が緩む。
「……どこにもいませんよ?」
「えぇ? 今いたよぉ」
「マリンさんの勘違いでは?」
「いや、マリンちゃんレーダーは完璧なはず……」
腕を組んで唸るマリン。
いつレーダー機能を搭載したのか。いつものマリンのおちゃらけた言動――と思いたかったが、マリンは真剣な表情で海を眺めていた。
「入江先輩。少し近くを見て周りましょう。どこかに潜んでいる可能性もあります」
表情を引き締めて梨羅は頷く。気を抜いてはいけない。何事も慣れてきた頃に一番油断をしてしまう。
砂浜を踏みしめながら慎重に辺りを見回す揚羽たち。マリンが嘘をつくとは思わないから、確実にどこかにいる。
揚羽が海に視線を移したとき、小さく波が起こった気がした。
風はない。それで波が起きたということは。
(あそこにいる……!)
揚羽は小刀を具現化して海に投擲する。
当たればいいと願っての行動は幸運にも命中したようで。巨大な魚――チョウチンアンコウの姿をしたアビスが砂浜に姿を現した。
魚類としてのチョウチンアンコウもグロテスクな見た目だが、アビスになると一層醜悪さが増したように感じられた。大きさは魚類のチョウチンアンコウの何倍もあり、目算でも三メートルは超えている。不気味な姿に思わず目を細める。
刀を具現化し、揚羽はアビスに向かって走り出す。刃を突き立てるが、表皮が滑って思うように攻撃することができなかった。斬りつけて攻撃するべきか、弱点を探し出して確実に突くべきか。作戦を考えながら刀を握り直し、再びアビスに向かう。
「瀬戸さん、下がって!」
後ろから聞こえた梨羅の声に、揚羽は身を翻して躱す。
梨羅のスキルがあれば少しでもアビスを倒しやすくなる。梨羅がいなければスムーズにアビスを退治できなかったかもしれない。
今回も同様に梨羅のスキルで撹乱して、その隙にアビスを倒す。
となる予定だった。




