3.夢か現か
(現実世界で既に亡くなっている方が、仮想空間で行方不明……?)
祢音に教えてもらった日から、揚羽は潮可夢偉という男についての記事を漁り始めた。
潮可夢偉。若くして地位を築いた天才ハッカー。独自のセキュリティ技術を開発し、その才能と業績は国内外で高く評価されていた。また、爽やかな風貌から業界だけでなく、一般人にも多くのファンと支持者がいた。
しかしある日、突然の訃報に衝撃が広がった。警察によると金銭の類は奪われておらず、自殺の可能性も見て現在も慎重に捜査が進められているらしい。
オーシャンで行方不明になって死亡扱いとなったのか。それなら現実世界で遺体は見つからないはず。だが、死亡したならオーシャンで行方が分からなくなったと言われるはずもない。
そもそも彼は殺されたのか、それとも自殺か。
(どちらにせよ、不自然な点が多すぎる……)
真相を突き止めるにはさらに情報が必要だ。しかしネット記事には信憑性に欠けるものが多く、真相に辿り着きそうな情報もない。潮可夢偉個人に関する情報も表面上のものばかり。
揚羽はふぅ、と息を吐いて椅子にもたれかかる。
オーシャン専門管理局にいた頃の情報が、潮可夢偉の謎を突き止めるのに必要不可欠だ。祢音には口止めをされているために、表立って調べることはできない。
(……時間はまだあります。確実な情報を手に入れていきましょう)
パソコンをしまい、揚羽はジャケットを羽織って外に出た。
揚羽がオーシャン専門管理局に着いたのは十時近くだった。いつもなら九時頃に着いているが、潮可夢偉について調べていたら遅くなってしまった。
階段を昇りきったとき、揚羽は違和感にすぐ気がついた。毎日入り口のフェンスに寄りかかって煙草を吸っているはずの出雲がいない。
禁煙でも始めたのかと特に気に留めなかったが、勤務開始時刻になっても出雲は姿を現さなかった。
「先輩が風邪、ですか?」
驚く揚羽に「そうなの」と梨羅が眉を下げて答えた。
「珍しく熱が出たみたいでね、今日は家で寝てるって言われたの」
「そうでしたか……」
珍しくと言っているから、普段は風邪一つ引かないのだろう。
「出雲くんが心配?」
「え……そ、そうですね。先輩ですから」
危うく否定の言葉を口にするところだった。すぐに訂正できた自分を褒めたい。
揚羽の反応が面白かったのか、梨羅はくすりと笑う。
「仕事終わりに、みんなでお見舞いに行こっか」
オーシャン専門管理局から出雲の家までは五分も経たないくらいで到着した。
オートロックのついていないアパート。築年数がそれなりに経っていそうだが、リノベーションをされているようで、一概に古いとは言えない外観だった。
出雲の部屋は一〇二号室。他に入居者はいないのか、生活音は全く聞こえなかった。
梨羅がインターホンを鳴らしても、部屋の中から反応はなかった。
「……寝ているのでしょうか」
「きっとそうかも」
そう言って梨羅は鞄から鍵を取り出す。家主ではない人物が鍵を取り出した。それはつまり。
「合鍵をお持ちなのですか……?」
揚羽は目を丸くした。
オーシャン専門管理局のメンバー同士とはいえ、まさか出雲と梨羅がそこまで深い仲だとは。
思わぬ事実だが、祢音はこのことを知っているのだろうか。
急いで祢音に視線を移すと、祢音は興味なさげにスマホでゲームをプレイしていた。
「ちなみに、祢音くんの鍵も持ってるよ」
「え……?」
揚羽は誰の目から見ても困惑していた。
昼ドラ的な泥沼な関係をそんなオープンに話していいものなのか。
当事者である祢音は素知らぬ顔でプレイを続けていて、揚羽は呆然とするばかりだった。
「梨羅さん。そういうのいいから」
イヤホンを外しながら祢音は溜め息をつく。祢音の持つスマホの画面には『フルコンボ!』という文字が表示されていた。
「あはは、ごめんね」
「その言い方、誤解させる気満々でしょ」
祢音はやれやれといった顔で奥の部屋を指差す。
「隣が梨羅さんの部屋で、その奥が俺の部屋」
「お隣さん、ですか……?」
「そう」
後ろめたい関係でないことに一人安堵する揚羽。同時にある疑問を抱いた。
「先輩方の鍵をお持ちなのは、なにか理由があるのですか?」
「二人の生活が心配だから、すぐ部屋に入れるようにお願いしたの」
梨羅に言われて揚羽は大いに納得した。
煙草と酒が好きな出雲、日夜ゲームをしている祢音。どちらも不摂生な生活を送っているのだと、揚羽の想像に難くなかった。
「もう一つ質問なのですが、先輩方はなぜ同じアパートに住んでいるのですか?」
「近くに住んでる方が色々便利だと思って」
今回の体調不良のように、なにかあったときに助け合える。近くに住むのはいいことだと納得する。
以前、出雲が梨羅に夕飯を作ってもらおうと言っていたのを揚羽は思い出した。この距離なら完成した料理を渡すのも簡単だ。いや、そもそも作ってもらおうと思う方が間違いだ。
自分の食事くらい自分で作るべきだと、出雲の怠惰さに揚羽は呆れる。
「お邪魔しまーす」
梨羅が鍵を開けると部屋の電気は点いておらず、玄関から先は暗かった。
揚羽は視覚情報より先に、微かな煙草の匂いが鼻についた。
出雲はよく外で煙草を吸っている。しかし、部屋から流れる空気からはそれほど強い匂いがしない。足元に置かれている消臭剤のおかげか。玄関から見えている範囲も揚羽の予想と異なり、意外と整理されていた。もしや梨羅に掃除を任せているのではないかと揚羽は邪推した。
「出雲くーん。体調どうー?」
電気を点けて部屋に上がる梨羅。
「どうぞお先に」
「あ、ありがとうございます」
祢音に促され、揚羽も中に入る。
部屋の大きさは七畳ほど。入ってすぐ目についたのは机とノートパソコン、その横に私服がいくつかかかったハンガーラック――どれも皺が一つもないから、きっと梨羅が丁寧にアイロンがけをしているのだろう。三十インチほどのテレビと、向かいにローテーブルとクッション、本棚――そして出雲が寝ている木製のローベッド。
黒と茶色を基調としていて出雲らしいといえば出雲らしい、シンプルな部屋だった。
「……誰?」
照明の眩しさで目が覚めたのか、出雲がベッドからのそりと起き上がる。
普段カジュアルなジャケットを羽織った姿に見慣れているからか。スウェット姿の出雲は揚羽にとってどこか新鮮に感じられた。
「梨羅でーす。祢音くんと瀬戸さんもいるよ」
生返事をしながらベッドの横に手を伸ばす出雲。伸ばした手は空を切るばかりで、なにをしているのかと揚羽は立ち尽くす。
「眼鏡はここだよ」
「……あー、悪いな」
枕の横に置いてあった眼鏡を手渡す梨羅。
世話焼き且つ察する能力が高いと、梨羅の一連の行動を見て揚羽は感心した。
眉間に皺を寄せていた出雲は、眼鏡をかけてようやく揚羽たちを視認した。
「……祢音と、瀬戸も来てたんだな」
「もう、今言ったでしょ」
梨羅はぷんぷんと効果音がつきそうな表情を浮かべる。
体調不良というのは本当なのだと、揚羽はいつも以上に覇気がない出雲を見て納得した。
「熱は下がった?」
「下がった。もう平熱」
「良かった。ご飯は食べた?」
「なんも。起きんの怠いから」
「朝お粥作って行ったのに。今あっためるね」
梨羅は鞄を置いて廊下にあるキッチンへと向かう。
鼻歌を歌いながらキッチンに立つ梨羅の姿は、オーシャン専門管理局で見る光景と全く同じだった。
祢音も揚羽を追い越して当然のようにテレビをつけ、近くのクッションに座り込む。
「出雲さん、偏った生活してるからでしょ」
「ほぼ毎日徹夜してるお前には言われたくねぇよ」
祢音はまるで我が家のように寛いでいた。出雲もベッドに胡座をかいて、祢音とバラエティ番組を見始めた。
穏やかな空気に揚羽も危うく寛ぎかけたが、我に返って鞄を置き、キッチンへと向かう。
「先輩、良ければお手伝いします」
「ありがとう。そしたら、お粥とりんごを盛る食器を出してもらってもいい?」
戸棚からそれぞれの食器を取り出し、キッチンの端に置いた。
お粥を温める横で、梨羅は冷蔵庫からりんごを取り出して器用に皮を剥いていく。
「以前から思っていましたが、先輩は料理がお好きなのですか?」
「趣味レベルだけどね。掃除も好きだから、もしかしたら家事が好きなのかも」
へぇ、と揚羽は感心する。揚羽はそれほど家事が好きではないために、梨羅のような考えを持つ人は素直に尊敬した。
あっという間に一口大に切られたりんごと、温められたお粥が皿に盛りつけられた。
「お待たせ。食欲なかったら無理しないでね」
「平気。いただきます」
出雲はベッドからローテーブルに移動し、置かれたお粥を一口、口に入れる。
「ん、美味いな」
「良かった」
二人の間に流れる空気は和やかで、揚羽もつられて気分が安らいでいった。
「俺も腹減ったし、先帰るね」
出雲の横から、祢音が手を伸ばしてりんごを一つ口に放り込む。
「お願いだから、今日こそちゃんと寝てね」
「いい試合できたらね」
お疲れ、と祢音は部屋を出て行った。
気軽に会える距離はいいのかもしれない。遠くから鍵の開ける音を聞きながら揚羽は思った。




