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 月曜日。午前九時頃。

 揚羽がオーシャン専門管理局に行くと鍵は既に開いていた。人のことは言えないが、随分と来るのが早い人物がいるようだ。

 中に入ると部屋の電気は点いておらず、モニターの明かりと太陽の光が頼りだった。目を凝らすと、ゲーミングチェアに誰かが座っているのを見つけた。そこに座るのは一人しかいない。


「沖田先輩。おはようございます」


 艶のある黒髪がちらりと見え、祢音だと確信した。揚羽は部屋の電気を点けて声をかける。

 しかし祢音から返事はなく、揚羽は片眉を上げた。

 確かに、オーシャン専門管理局に来てから祢音とは会話という会話をほとんどしていない。現状関わりがないに等しいから、気を許していないのだろう。

 だが、揚羽はその程度で凹むような性格ではなかった。返事が来るまで挨拶をしてみようと試み、祢音が座るゲーミングチェアへ近づく。


「先輩、おはようございま――」

「は? 本当××××」


 精一杯の笑顔を見せる揚羽の声を遮ったのは、祢音から発せられたFワードだった。


(……ん?)


 聞き間違えたかと、揚羽は自身の脳内で反芻する。日本語で会話をしていれば、おおよそ聞くはずのない言葉。


「……おはようござ――」

「あーラグ。ふざけんなよクソが」


 揚羽は言葉を失い、軽蔑に近い表情で祢音を見やる。気に入らないにしても、なにもそこまで言わなくてもいいのでは。

 雑言を口にした祢音は大きな溜め息をつき、ヘッドフォンを外して肩にかける。


「……あぁ、おはよ」


 立ち尽くす揚羽の気配を感じ取ったのか、祢音は軽く挨拶をして、すぐにモニターに視線を戻す。目が合ったのは、時間にして一秒ほど。

 あまりにも粗末な態度に、揚羽は唖然としたまま動けなかった。


「先輩、さっきの言葉は……」

「なに?」

「その……Fワードです……」

「別にあなたに向けて言ったんじゃないんだけど」


 祢音は机の端に置いていたエナジードリンクを飲み干す。それ以外にも飲み終わったらしいエナジードリンクの缶がいくつも並んでいた。


「自意識過剰じゃない?」


 ヘッドフォンを装着し、ゲーミングチェアに座り直す祢音。コントローラーを手にして、視線は完全にモニターへ移動していた。

 祢音の背を見下ろしながら、揚羽はわなわなと拳を握りしめる。

 祢音の会話能力が著しく低いのは揚羽も分かっていたが、そもそも祢音から会話を続けようとする意思が全く感じられない。


(……それなら、会話が広がる話題にしましょう)


 揚羽は祢音とその周辺の物に注目した。よく見れば、モニターではウェーブ・サバイバーの試合が行われているではないか。祢音の指捌きは華麗で、操作に合わせて画面も忙しなく動いていく。

 これだ。きっかけを見つけた揚羽は、取り繕った笑みで祢音に微笑みかける。


「沖田先輩、ウェーブ・サバイバーをプレイされているのですね」

「……」

「そういえば、先日世界大会がありましたよね。私も決勝戦からですが観戦していました」

「……」

「優勝された田中さんという方は、日本人でしたね……」


 段々と声が小さくなっていき、揚羽の口角がぴくぴくと引き攣る。

 完全に無視をされている。ヘッドフォンをしているから聞こえていないだけだと信じたい。


(藤波先輩がマシに思えるレベルなんて……)


 出雲は無愛想ながらも会話は成り立つ。だが、祢音はそうではなく。

 改めて揚羽は思い知った。沖田祢音は藤波出雲より厄介かもしれないと。

 無視されているのだから仕方ない。諦めた揚羽はソファに腰掛けてパソコンを開いた。


「おはようございまーす」


 十時近くになり、梨羅の朗らかな声が揚羽の耳に届いた。揚羽はパソコンから顔を上げ、梨羅に向けて軽く会釈した。


「おはようございます」

「祢音くんはゲーム中?」

「はい。挨拶をしましたが完全に無視をされています」


 どこか低い声色の揚羽に、「ごめんね」と梨羅は眉を下げる。


「祢音くん、ゲーム中は話しかけてもなにも答えてくれないの。でも、なにを話しかけているかは聞こえてるから安心してね」


 それならそうと言って欲しかったと揚羽は息を吐く。差し引いても態度の悪さは酷いものだが。


「……もしかして」


 なにかに気がついたらしい梨羅が、祢音にずんずんと歩み寄る。仁王立ちと言ってもいいスタイルで祢音の横に立つ。


「梨羅さんだ。おはよ」

「祢音くん、また寝てないでしょ」


 一試合終えたらしい祢音を、梨羅は手に腰を当てて見下ろす。


「三時間寝たから十分」

「それは仮眠って言うの。六時間は寝てっていつも言ってるでしょ」


 母親のような物言いで叱責する梨羅だが、祢音は反省の色を一切見せなかった。


「はよー」


 二人の会話を縫うように、出雲が気怠そうな挨拶とともに入ってきた。


「出雲くんからも言って。またずっとここに篭ってたみたいなの」

「どうせこの前の反省会でもしてたんだろ」


 出雲の言葉に「正解」と祢音が平坦な調子で答える。

 気の知れた仲のやり取りだと、揚羽は三人の会話を黙って聞いていた。


「また倒れたらどうするの?」

「そのときは梨羅さんたちがどうにかしてくれるでしょ」


 平然と答える祢音。口ぶりから察するに、どうやら前科があるようだ。

 もう、とぷりぷりと効果音がつきそうな顔で怒る梨羅。非常に愛らしくて本気で怒っているようには見えなかった。


「今ご飯作るから、ちゃんと食べてね」


 梨羅はキッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。いくつかの食材を取り出して料理を始めた。


(入江先輩は結構世話焼きなタイプなのですね……)


 祢音の面倒を見るなど、自分ならまっぴらごめんだ。梨羅の面倒見の良さはどこから来ているのだろうかと、揚羽は梨羅の背を見ながら考えていた。


「瀬戸さんはウェーブ・サバイバーって知ってる?」


 料理の手を止めないまま、梨羅は揚羽に問いかける。


「はい、知っています。先日世界大会がありましたよね」


 揚羽の答えに反応したのは、「へぇ」という出雲の声だった。


「ちゃんと知ってるんだな」

「オーシャンを知るために勉強していますから。当然です」

「勉強って……やっぱ真面目だな」

「真面目だけが取り柄なので」


 揚羽はパソコンを閉じ、先日の決勝戦の光景を思い出す。スポーツ観戦をしていたのかのような興奮は今でもきちんと覚えていた。


「優勝された田中さんという方は日本人でしたね。素人の私から見ても圧倒的なプレイヤースキルだと思いました。いわゆるプロゲーマーでしょうか」

「だってさ、祢音」


 出雲はいつもと変わらない――否、どこか弾んだ声で祢音を呼ぶ。


「それはどうも」


 スマホを取り出して別のゲームを始めようとしていた祢音は、顔を上げないまま応える。

 なぜいきなり祢音に話題を振ったのか。揚羽は首を傾げる。


「沖田先輩がどうしたのですか?」

「それ、俺」

「えっと……沖田先輩はプロゲーマーなのですか?」

「違う。田中」


 スマホから顔を上げずに会話を続ける祢音。会話に対してあまりにも語彙が足りないと、揚羽はやきもきした。


「プレイされていた田中さんが――ん?」


 そこまで言葉を続けて、揚羽はようやく気がついた。


「沖田先輩が田中さん、ですか?」

「そう」


 まさか祢音があの熱狂的な試合を展開していたなんて、目の前の寛いでいる姿からは想像がつかなかった。

 そんな祢音から発せられた一言は、どこか誇らしげに思えた。

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