38.筋肉令嬢、新たな力に驚く
「ここは天国か……」
宙を眺めるブレーメンにイヌとネコは抱きついている。
あれからブレーメンの治療は大変だった。
ちゃんと魔力を流しているのに、中々ブレーメンの体が受け入れてくれなかった。
次第に叩くたびに苦しみ出して――。
「体が大きくなりましたね……」
「ははは、俺は昔からマッチョだったよ」
気づいた時にはブレーメンの体は大きく引き締まり、マッチョになっていた。
魂がどこかに行って筋トレでもしていたと言われてもおかしくないレベルで見た目が変わっている。
きっと強く叩いたことで筋繊維が破壊され、瞬間的に回復魔法で再生されたことで、筋肉が肥大していったのだろう。
私の新たな力に驚くばかりだ。
「そういえば、妻と娘を見てないか?」
「妻と娘……あっ、縄で縛られている親子なら見ました」
「本当か!?」
押し寄せて来るブレーメンがどこか別人に見えた。
筋肉があるだけで、今では頼り甲斐のある男性に見える。
確かイヌとネコを探していたときに、奥の扉を開けたところにいた気がする。
私はブレーメンをさっき会った親子のところまで案内することにした。
「ここの部屋にいた気がします」
私が扉を開けると、ブレーメンはすぐに部屋の中に入っていく。
「お前たち無事か!」
どうやら縄で縛られていた親子はブレーメンの家族のようだ。
家族に出会えて一安心だが、何か大事なことを忘れているような気がする。
「あなた来ちゃダメ!」
どこからか聞こえる女性の制止する声も虚しく、ブレーメンに向かって矢が飛んでいく。
そういえば、この部屋には罠が仕掛けてあるんだった。
「もう、部屋の中で弓を放ったらダメって教育されたなかったのかな?」
私はそんな矢を次々と掴んでは折り曲げていく。
さっきもこの部屋に入った時は、同じように矢が飛んできていたからね。
私が止める前にブレーメンが先に入ったのがいけない。
「それに毒付きって……危ないね」
稀に矢尻に毒が塗られているが、私には当たっても痛くも痒くもない。
ルシアン様の側付きマッチョだが、今だけはブレーメンを守りながら、親子の元へ近づく。
「やっと会えた……」
久しぶりにブレーメンは家族と会えたのだろう。
三人で仲良く抱き合っている。
その姿につい私の涙腺も崩壊して、涙が溢れ出てきそうだ。
私は邪魔にならないように、部屋を後にしようとしたが何故か扉が開かない。
「ははは、久しぶりの再開は楽しめたようだな」
どこかから声が聞こえたと思ったら、ブレーメンたちの足元から真っ黒な煙が広がっていく。
「……あれ?」
私が違和感に気づいた時には、もう遅かった。
「おい、どういうことだ……」
ブレーメンが抱きしめていた妻と娘。
その体が音を立てて崩れ始めたのだ。
腕の中で柔らかな髪が煙のように消えていき、娘の頬が、指が、黒く溶けて地面に染みのように広がっていく。
「な……なんだ、これは……! おいっ、嘘だろ……?」
ブレーメンは何度も自分の手を見て、腕の中のものを確かめようとする。だが、それはもう人の形ですらなかった。
「残念だったな、ブレーメン」
部屋の隅からローブを身につけた、小太りなおじさんがゆっくりと近づいてきた。
どことなく関わってはいけない人だと、筋肉が震えて教えてくれる。
「それは“本物”ではない。ただの幻……お前の愛情を利用した、俺の最高傑作だ」
ブレーメンは拳を床に叩きつけて、歯を食いしばっている。
「でも、安心しろ。本物はここにいる」
男の背後には揺らめく結界のような檻の中に、影が見えた。
震える小さな手と、泣き腫らした瞳。
「まさか……」
私は息を呑んだ。
そこには本物のブレーメンの妻と娘がいた。
「お前が裏切ったから、こいつらは今日から俺のおもちゃだ」
「パパ……」
男は娘に手を伸ばすと、ぬるりと這う舌が娘の頬に唾液の筋を残す。
舌が離れた後も、それは光を受けててらてらと光っていた。
まるで味わっているかのように、男は目を細めて微笑む。
「気持ち悪っ……」
静寂に包まれている中、私は本音が漏れ出てしまった。
過去に私も幼い頃に太った貴族から、そういう感情を向けられたことがある。
あまりの気持ち悪さに吹っ飛ばして、姿形が変わるまでポコポコと叩いたっけ?
「お前はこの状況がわかってないようだな」
「いえ……どうぞ、お話を続けてください」
「「……」」
私は影のように存在感を消す。
まだお互いに話した方が良さそうなことがありそうだしね。
結界の中で泣きじゃくる娘を背に、男はなおもいやらしく笑っていた。
「こいつらを返してほしければ……あの忌々しいルシアンを殺してこい。あのとき俺を裏切った代償を、たっぷり払ってもらうぞ」
男の指が空中をなぞると、魔方陣が音もなく浮かび上がる。
黒と紫に染まった禍々しいそれは、今にも何かを呼びそうな気配を漂わせていた。
それよりも……今ルシアン様と言いましたよね?
私の聞き間違いだったかな……?
「……裏切ったのはそっちだろ」
低く、絞り出すような声でブレーメンが顔を上げる。
その目は覚悟を決めていた。
「俺に逆らうつもりか。セラフがなくなれば、お前も家族もこの先見逃し――」
私は一気に詰め寄り、男の頭を地面に打ち付ける。
「グフッ!?」
「さっきから耳障りな言葉が聞こえるが気のせいかしら? そんなに舐めたいなら、床を舐めたらどう?」
やっぱり聞き間違いではない気がする。
セラフがなくなればってことは、ルシアン様を暗殺するように命令を出したことは事実だろう。
「お前何を――」
男がもがこうとした瞬間、私はさらに頭をぐいと押しつけた。
「ほらほら、早く舐めなさい! ルシアン様の名前を出したその気持ち悪い口で、たっぷりとね。恥ずかしがらずに、床の溝まで丁寧に!」
床の隙間から男の呻きが漏れる。
私はその声に、ぞくりと背筋が震えるような快感を覚えた。
「……あら? できないの? 娘の頬は気持ちよさそうに舐めてたくせに……あら、どうしたの? 動けないのかしら?」
男の肩を片手で押さえつけながら、私は耳元に顔を寄せた。
「だったらね、代わりに私が――舐めさせてあげる」
ぐいと力を込めて顔面を床にこすりつける。
床がミシミシというまで、顔を押し付けると男の悲鳴が高く上がる。
「やめろ! またルシアンを呪っていいのか!」
「ははは、ルシアン様を呪うですって? すでにルシアン様は呪いのように抜け出せなくなる魅力も愛らしさも持ち合わせているわ」
男は何を言ってるのかしら?
ルシアン様のあの愛らしさは一種の呪いみたいなものだろう。
私は手を止めることなく、むしろ嬉々としてさらに床へ押しつける。
「ルシアン様を侮辱したんですもの。それなりにお口のおしおきが必要でしょう?」
赤黒い液体が床に滲み、舌が割れたような呻き声が空気を震わせる。
「ねぇ――もっと言って? ルシアン様の名前をもう一度。その度に、私はもっと“あなた”を可愛がってあげるわ」
私はにっこりと微笑む。
頬をくしゃりと歪めて、私は言葉を続けた。
「あなたがどれだけ泣いても、謝っても……ルシアン様を傷つけようとするなら、私があなたの未来を拳で壊すわ」
男が痙攣するように震えだす。
腰のあたりから、じわりと濡れた音が聞こえてきた。
濃い臭気が立ちこめ、足元には小さな水たまりができ始めていた。
「怖い? ……ふふ、私もですよ」
そっと男の頭を持ち上げ、血まみれの顔を覗き込む。
「愛する人を守ることが、こんなにも楽しかったって知らなかったわ」
気づいた時には男はすでに気絶していた。
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