第41話
いよいよ終わりが近づいてきました。
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嵐の夜が過ぎて数日が経ったが、空はまだ晴れる気配を見せていなかった。まるで空が、名残惜しげに涙をこぼしているかのように、シトシトと雨が降り続いている。
今日は朝から冷たい雨だった。村の広場も静まり返っていて、往来する人もまばらだ。灰色の空が村全体に薄いベールをかけ、季節は確かに夏の終わりから、秋の入り口へと足を踏み入れていた。
「リセさん、あのね……」
「うん?」
ユイナちゃんが、いつものようにカウンターの奥で手を拭きながら話しかけてきた。
「ミラさんちの隣の、あのおじいちゃん。ここ数日、姿を見てなくって……」
それを聞いた瞬間、胸にざわつくものが走った。
そのおじいちゃん――オルドさんは、「葉だまり」が開店して以来の常連のひとりだった。無口で不器用な感じの人、ふらりと立ち寄っては、私のハーブティーを静かに飲んでいく。
いつも決まって、ラレナ草、セントジョーンズワート、カモミールをブレンドした『森のやすらぎ』を頼むのだ。
「確か、あの、おじいさんって一人暮らしだったよね。ちょっと、心配だね……私、様子を見てくるよ」
「うん、私がお店見てるから大丈夫だよ!」
頼もしいユイナちゃんに背を押されるように、私はポチと一緒に傘を手にして店を出た。
前の世界の笑い話にも、毎日病院にくる老人が、今日は来ないなって思っていると、体調が悪くって寝込んでいたというのがある。
いつも見かけるお年寄りが、見えない時は気を付けた方が良いよね。余計なおせっかいかもしれないけど……何も無ければ、笑ってごまかそう!
雨の中を歩くと、足元の土がやわらかく、靴の底にじわじわと冷たさが染みてくる。それでもポチは元気に、時折振り返っては私の歩調に合わせてくれる。
オルドさんの家は、村のはずれに近い、少し傾いた石造りの平屋だった。窓は閉め切られ、外の桶も雨水で満杯になっている。戸を軽く叩いてみる。
「……オルドさん? リセです」
応答はない。何度か呼びかけると、中からかすかにうめくような声が聞こえた。
「……どうぞ」
扉の鍵はかかっておらず、そっと開けると、ひんやりとした空気と湿った埃の匂いが鼻をくすぐった。薄暗い部屋の奥、布団の上にオルドさんが寝ていた。
顔色は火照ったように赤い、額に手を当てると、やはり熱がある。
「……熱があるみたい。オルドさん、今、お湯を沸かしますね」
私は急いで台所に立ち、火を入れて鍋に湯を沸かした。そこに持ってきたハーブ――エルダーフラワー、フェンネル、カモミール、それに少しのショウキョウを混ぜて、お粥代わりにできるような、少しとろみのあるハーブティーを淹れた。
最近、急に寒くなったので、風邪をひいている可能性を考えて、風邪に効くハーブを用意して来て正解だった。
ポチはずっとオルドさんのそばに寄り添い、尻尾を小さく振りながら鼻をちょんちょんと当てている。
「ポチ……ありがとね」
私はそっと、温かいハーブティーを口元に運ぶ。数口飲んだあと、オルドさんのまぶたがゆっくりと開いた。
「……ああ……リセ、さん……かい」
「はい。お久しぶりです。ずっと来られてなかったから、ユイナちゃんが心配してたんですよ」
そう言うと、オルドさんは少しだけ口角を上げたように見えた。
「すまんね……この雨で……体がうまく……動かなくてな」
「大丈夫です。今日は、ポチと一緒にお手伝いします。お食事と、お薬代わりのハーブもありますよ」
雨の音が静かに屋根を叩く。部屋は静かだったが、私の声とポチの存在が少しだけ空気を変えていた。
私はそのあとも、何度かお茶を淹れながら、オルドさんの話を聞いた。
「……この村には、もう親戚もおらん。妻にも先立たれ子もない。だから、こんな雨の日は……さびしいもんじゃよ」
そう呟いたその言葉に、私の胸が締めつけられる。
「……けれどな、リセさん」
彼はゆっくりと私の方を見た。
「あんたのハーブティーを飲むと、不思議と気持ちが落ち着いて、眠れるんじゃ。まるで、昔……妻と過ごした夜のようにな」
私は、何も言えなかった。ただ、そっと彼の手を握ると、オルドさんは目を閉じたまま、ほんの少しだけ手を返してくれた。
◇ ◇ ◇
夕方になり、熱も少し下がった。オルドさんが眠っている間に、私は部屋の埃を拭き取り、窓を少しだけ開けて湿気を逃した。
「また、お店にも来てくださいね」
帰り際、そう声をかけると、彼はまどろみの中で、小さく頷いた。
ポチと一緒に「葉だまり」に戻ると、ユイナちゃんが笑顔で迎えてくれた。
「おかえりなさい、リセさん! ポチも!」
「ただいま。ありがとう、店番、助かったよ」
「ううん、私も……ちょっとだけ、リセさんの真似して、お客さんにお茶を淹れてみたの」
そう言って笑うユイナちゃんを見て、私はふっと肩の力が抜けるように笑った。
外の雨はまだ止まないけれど、心の中には確かな温もりが残っていた。
誰かを想い、手を差し伸べるということ。
それは、薬草にも勝る、心の癒しなのかもしれない。
外の雨は、まだ止む様子を見せていなかった。
降り続く雨音が、まるで誰かの囁き声のように静かに耳に触れながら、「葉だまり」の店内にやさしく響いていた。
ユイナちゃんと二人、お店を開けてはいるものの、新たなお客さんの姿はなかった。天気のせいもあるのだろう。冷たい雨に濡れてまで外に出たい人は、そう多くない。
「静かだねぇ……」
カウンターに肘をついて、私は雨にけぶる窓の外をぼんやり眺めた。濡れた石畳と、霧に包まれた道。傘を差す人影さえ見えない。
「でも、なんだかちょっとヘンな感じ。静かすぎるっていうか……」
ユイナちゃんが、レジ横の小さな箱に手をかけながらぽつりとつぶやいた。
そのときだった。
「ああ、今日も開いてたね」
カラン、と穏やかな鈴の音と共に、優しい声が扉の向こうから聞こえてきた。
「ノアさん!」「おじいちゃん」
私とユイナちゃんは、顔を上げて一斉に声を上げた。
立っていたのは、村長のノアさんだった。相変わらずの長身と、ちょっと猫背な姿勢。そして優しげな目元には、ほんの少し疲れの色が差していた。
「よう、二人とも……なんとか、営業してくれてて助かったよ。誰かここで温かいお茶を淹れてくれてるってだけで、安心する人もいるからね」
「どうぞ、奥の席に。すぐに温かいハーブティーをお持ちしますね」
私が言うと、ノアさんはいつものように、ゆっくりと頷いてから席に向かった。
そしてしばらくして、湯気の立つマグを前にしたノアさんは、しんみりとした声で語り始めた。
「……実はね、ここのところ村で風邪が流行っていてね」
「えっ……!」
「最初は、季節の変わり目だから、何人かが体調を崩すくらいかなと思っていたんだ。でも、日に日に増えていって……いまは、もう十数人が寝込んでる。中には子どももいてね」
ユイナちゃんが心配そうに私の方を見た。
私は、つい先ほど見たオルドさんの苦しげな寝顔を思い出した。彼は一人暮らしの老人だが、たとえ家族が居ても同じような辛さを感じている人が、村にたくさんいるのだと気づいて胸が痛んだ。
「でも、おじいちゃん。薬は……村にある分じゃ足りないの?」
ユイナちゃんがノアさんに聞いた。彼はため息をついて、ゆっくりとマグを両手で包むようにして口を開いた。
「そうなんだよ。雨が続いてるだろう? それで風邪に罹った者が多くってな村の在庫の薬も底をつきかけてる。配るには足りなくてね。それにどうも、患者の数の増え方を見ていると、まだ増えそうな勢いなんだ」
「じゃあ……!」
「ああ、そこで、エンドラに町まで出てもらうつもりだ。明日の朝、馬車で出発して町の薬屋で購入して持ち帰ってもらうよ」
「そうね。おじちゃんなら買って来れるから大丈夫だね」
「リセさんのハーブティーも、すごく助かってるよ。軽い症状なら、それだけでずいぶん違う。ありがたい」
「そんな……私、ほんの少しでも役に立てているなら……嬉しいです」
雨音が、また少しだけ強くなったように感じた。
でも、店の中は確かにあたたかい。ハーブティーの香りと、ノアさんの穏やかな声。ユイナちゃんの優しい笑顔。
この小さなお店は、今この村にとって、ちょっとした避難所になっているのかもしれない――そんな気がした。
「ひとまず、今日と明日は、村の様子を見て回るつもりだ。なにかあったら、すぐに知らせてほしい」
「はい、もちろん。ハーブティーも、必要な分を持っていってください。すぐにブレンドします」
ノアさんは目を細めて、小さく笑った。
「君がいてくれて、よかったよ。本当に」
少し照れくさくて、私はそっと目を伏せた。
ユイナちゃんも、そんな私を見てふふっと微笑む。
雨はまだ止まないけれど、誰かのために心を尽くす――その想いが、確かに村の中に静かに広がっているように思えた。
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