第39話
朝、森の家から村へ向かう山道を、ポチと一緒に歩いていた。
今日も葉だまりは開店日。道の途中、朝露に濡れた草の香りがほんのりと鼻をくすぐる。私は深呼吸しながら歩を進めた。
ポチが先を歩き、ときおり振り返っては「早くおいで」と言わんばかりにしっぽを振ってくる。
「はいはい、わかってるってば」
小さく笑いながらポチのあとを追い、やがて村の出入口にたどり着いた。
村に入ると、何やら広場の方から賑やかな声が聞こえてくる。
ん? 今日は祭りでもないし、何かあったのかな? 広場に着くと、そこには荷馬車が数台停まっていて、その周辺には村人たちが集まっているようだった。店を開けに行かないといけないのだが、私も気になってしまった。
「ポチ、ちらっと覗いてみる?」
人たちの間をすり抜けながら、覗きに行ってみると、大きな敷物を広げて露店販売をしているようだ。ふむ、私も村で売っている品で見たことも無い物は沢山あるから自信は無いけど、ちょっとあか抜けているというか、何だか見慣れない品物が並んでいる気がする。
「今日は行商の人が来ているよ」と近くにいた女性が教えてくれた。
へぇー。行商が来るのか……あ、そういえばノアさんの息子さんが行商しているって言っていたっけ。おっと、もう行かないと。
私はポチとともに葉だまりへと急いだ。
店を開ける準備をしていると、扉が開き、見慣れない男性が現れた。長旅の疲れを感じさせない笑顔を浮かべている。髪は栗色で、陽に焼けた肌が健康的だ。
「おお、ここが噂の“葉だまり”か。雰囲気のあるお店だね」
彼は穏やかな口調で言った。
「はじめまして。私はエンドラ。ノアの息子でね、今は隣町との交易をしている行商人なんだ」
ノアさんの息子……ユイナちゃんの話に出てきたことがある。
「はじめまして、リセです。ノアさんとアデルさんには、いつもお世話になってます」
エンドラさんは笑いながら店内を見渡し、カウンターに腰を下ろした。
「ハーブティーをいただけるかな。何かおすすめはある?」
「それでは『森のまどろみ』は如何ですか。おすすめですよ。ラレナ草とレモンバーム、カモミールを加えています」
「じゃあ、それをいただこう」
私はお湯を沸かし、丁寧に茶葉を淹れていった。やがて香り立つ湯気が立ち昇り、カラスのティーカップに注ぐ。
エンドラさんが一口飲むと、目を見開いた。
「……これは驚いた。まるで森の中にいるような、清々しい味わいだ」
少し照れながら「ありがとうございます」と返すと、彼は真剣な顔になった。
「この味……町でも売れるよ。いや、きっと売れる。あの町には疲れてる人が多いからね、こういう優しい味はきっと好まれる」
町でも売れる。エンドラさんの言葉に、私はふと、自分のハーブティーがこの小さな村を出て、もっと多くの人に届く可能性を想像してしまった。
「そうだ、エンドラさん行商という事は色々な商品を扱うのですよね。茶葉の苗とか見たことは無いですか?」
「んー、俺は詳しくないけど、そういう専門の店なら隣町にあるよ。そうだな、苗や種を扱ってる店なら、街道沿いの市場かな」
その情報は貴重だった。茶葉の自家栽培は、目下の目標でもある。
そんな話をしていると、店の裏庭からユイナちゃんが現れた。店の手伝いに来てくれていたのだ。
「ユイナちゃん、おはよう」
「お……おはようございます……」
ユイナちゃんは、エンドラさんを見るなり、少し複雑な表情になった。
「おじさん……お久しぶりです」
いつも明るいユイナちゃんにしては珍しく、ちょっとそっけない態度だ。
エンドラさんはそんな様子にも気付いたようで、目を細めて言った。
「ユイナ。久しぶりだな。元気そうで安心したよ」
「……うん」
ふたりの間に流れる、どこかぎこちない空気。けれど、それも長くは続かなかった。
「リセさん、次のお湯準備しておきますね」
「うん、お願い」
ユイナちゃんは笑顔を取り戻して動き始めたけれど、その背中はどこか落ち着きがなかった。
うーーん。ユイナちゃんは孤児でノアさん家の養子になっていると聞いているから、たぶんエンドラさんの養子ということになっていると思うけど、なんだか奇妙な雰囲気だとは思ったが、そこにいきなり他人の私が首を突っ込むのも変な話だ。
とりあえず、私はは普通のお客さんとして対応しておけば良いかね。そうは思っていたが、エンドラさんは話が上手く、聞いている内に、つい、わくわくし始めていた。
その日の午後、再び店に訪れたエンドラさんが、私に小さな紙束を手渡してくれた。
「これは町の地図と、茶葉苗の市場の案内だ。君がもし町に行くなら、きっと役に立つと思う」
「ありがとうございます……!」
私は素直に喜び、紙束を大事に抱えた。
けれど――ふと顔を上げると、店の隅でこちらを見ていたユイナちゃんの瞳が、どこかさみしそうに揺れていた。
ん? どうしたんだろう?
エンドラさんが帰ったあと、ユイナちゃんは静かに後片付けを手伝ってくれていた。
「ありがとう、ユイナちゃん。助かるよ」
そう声をかけても、彼女は「うん」と小さく頷くだけで、いつもより少し元気がないように見えた。お祭りのときの、あの笑顔とはどこか違う。
ふと気になって、私は作業の手を止めた。
「……どうしたの? なんだか、元気がないような?」
ユイナちゃんは一瞬、戸惑った表情を浮かべたが、やがて少しだけ口を開いた。
「リセさん、町に……行っちゃうの?」
「え?」
私は驚いて聞き返した。
「エンドラおじさんが言ってたでしょ。町でもお茶、売れるかもって……それで、町に行くんでしょ?」
ユイナちゃんの声は、ほんの少し震えていた。
「そっか……そのことで、心配だったんだね」
私はそっと、ユイナちゃんの頭を撫でた。少しだけ、彼女の肩の力が抜けるのが分かった。
「まだ、行くって決めたわけじゃないよ。ううん、たしかに気にはなってる。町のことも知りたいし、茶葉の苗のことも気になるし……でも、それとここでの暮らしは別なの。この村でユイナちゃんと一緒に過ごす日々、ポチと森を歩く時間、それが私の大切な毎日だよ」
「ほんと……?」
「ほんと」
私はにっこりと笑った。ユイナちゃんも、ほんの少しだけ笑い返してくれた。
「でもね、いつか、行ってみるかもしれない。それは、誰かに何かを届けたいとか、知りたいって思ったとき。ユイナちゃんが、もし一緒に行きたいって言ってくれたら、そのときは一緒に行こうよ」
「うん……そのときは、一緒に行く」
ようやく、ユイナちゃんのいつもの笑顔が戻ってきた。
ポチが庭先でくるりと尾を振っていた。きっと、私たちのやりとりを察していたのかもしれない。
私は静かに、今日一日のことを思い返した。
エンドラさんがもたらしてくれた新しい風は、たしかに私の心を揺らした。それは、この世界の広がりを感じさせる風だった。でも、それと同時に気づいたのだ。
――私はもう、「帰る場所」ができていたのだと。
ここには、ユイナちゃんがいて、ポチがいて、葉だまりがある。誰かにお茶を淹れて、ほっとした顔を見せてもらえる。そんな毎日が、私にとって、どれほど温かくて、大切なものか。
いつか、旅立つ日が来るかもしれない。でも、それはここがあるからこそ、できること。
明日もまた、お茶を淹れよう。夏の風に似合う、すっきりとしたハーブティーを。ユイナちゃんとポチと一緒に、ゆっくりと、優しく暮らしていこう。
――今日は、そんな風に思ったんだ。




