第33話
温かな気持ちを胸に、村を後にして森の家へと続く山道を歩いていた。
夜道を歩くのは慣れている。葉だまりの準備で何度もこの道を行き来したし、カイさんからもらった小さな銀笛があれば、万が一のときは村の誰かが駆けつけてくれる。
けれど──
その夜だけは、空気が妙に重かった。虫の声が止み、風すらぴたりと止んでいる。違和感に気づいたときには、すでに手遅れだった。
茂みの陰から、ぬるりと現れる影。片耳が裂けた痩せこけた犬。その後ろに、目を光らせた同族たち。野犬の群れだ。五匹──いや、六匹。
牙を剥き、低く唸りながら、じりじりと、ににじり寄ってくる。
やばい……! 前の世界では野犬なんて見たことも無い。犬と言えばペットというイメージだったが、この世界では猟犬とかなのかもしれない。歯を剝き出しにして威嚇してくるその姿は、大型犬ぐらいありそうだ。
正直に言って、私は彼らの一匹と戦っても勝てるとは思えない。
私に戦う力などない。武器すら持っていない。手にあるのは、紙袋と小さな笛だけ。
震える手で、それを口に当てると、必死に息を吹き込んだ。
ピィ──イ、ピィ──イ……!
甲高く響く音が、静まり返った山道に木霊する。
笛の音は、獣よけにもなると聞いた。でも──野犬たちは逃げない。むしろ音に苛立ったのか、さらに牙を剥いて距離を詰めてきた。
カイさん……誰か、誰か気づいて……!
一歩、また一歩、追い詰められる。足はすくみ、心臓は痛いほど鳴っている。
そのときだった。
突如、山の上から風が切り裂かれるような音が響いた。
──シュンッ!
何かが宙を駆け、野犬の一匹に飛びかかった。重たい肉の潰れる音、犬の悲鳴。そして──一瞬で形勢が変わった。
銀色の毛並み、氷のような青い瞳。
それは──中型犬? いや、何となく違うような気がする。体のわりに大きな手足。大きく尖った耳。
狼!?
体は小さいけれど、野犬の群れなど相手にならないようだ。風のように動き、牙で威圧し、一匹ずつ地面に転がしていく。一分も経たずに、残りの野犬たちは逃げ出した。
息を呑んで立ち尽くしていると、その子はゆっくりと振り返った。銀色の体が、月光を浴びて輝いている。
狼にしては小さいのかな? 狼の方が犬より小さいとは思えない……これはまだ、子供なのかもしれない。
そんなことを考えていると、トットッと駆け寄ってきた。
「──えっ?」
大きな頭が、胸元に突っ込んでくる。そのまま、ざらざらとした舌で顔を舐められた。
「ちょ、ちょっと……! なにこれ……!」
ぺろぺろ、ぺろぺろ。
顔を舐められて、慌ててよろめく。けれど、そこに敵意はまるで感じられなかった。
むしろ──まるで、飼い主にじゃれつく子犬のように、甘えてきているのだ。
「あなた、私を助けてくれたの……?」
その子犬、じゃなかった子狼は、低く喉を鳴らすように「ゥゥゥ……ワン」と鳴いた。なんとも妙な音だった。恐る恐る、手を差し伸べてみると、子狼は、その手に鼻先を押し付けた。
子供って言っても……でっかいな……
大人になれば、どのぐらいの大きさになるのだろう。
今は、中型犬ぐらいの大きさ。それでも圧倒的な存在感と、どこか憎めない甘えっぷりが同居していた。
「君は……あのときも……」
思い出すのは、以前も、この道で犬の遠吠えを聞いた。その時に、チラリと見かけた銀の毛。あれは、この子狼だったのかも。
「……ありがとう。助けてくれて」
子狼は、くるりと尻尾を振り、また顔をぺろりと舐めた。
「わ、もういいってば……!」
そんなやり取りの中、山道の下から複数の松明の光が見えてきた。
「リセさーん! 大丈夫ですかーッ!」
駆けつけてくれたのは、近くの畑にいた村人たち。笛の音を聞きつけて、鍬や木の棒を持って駆け上がって来てくれたのだろう。
「こ、こっちは無事……でも……!」
五人の男の人たちに混じって、何故か、めん棒を持ったクロワさんまでいる。
「あ、あんた、それ……犬じゃあないぞ!」と男の人の一人が、子狼を指さして言った。
「あ、この狼の子供は大丈夫です。野犬の群れを追い払って私を助けてくれたんです」
ああ、もう! せっかく、村の人たちに誤解されて殺されないようにと、必死で説明しているのに、何で、この子は空気も読まずに私の顔を舐めてくるかな。
「いや、いや。狼でもないぞ……それ、信じられんけどフェンリルだぞ」
「……ん? フェンリルって何ですか? 犬や狼に近い動物なのですか?」
フェンリルという生き物は聞いたことが無いな。私も動物に詳しい訳ではないからな。コヨーテみたいに日本では生息していない動物なのか、それとも、この世界特有の生き物なのかな?
「ちょっと、リセさん、その子から離れた方が良いわよ。こっちにいらっしゃい」
お、クロワさんが焦っているようだ……あ、あれ? ひょっとして、この子狼じゃなかったフェンリルって危険な動物なのか!?
私に抱っこしてほしのか、ピョンピョコと飛びついて来るフェンリルを置いて、クロワさんの方に向かおうとするが、あー、やっぱり付いて来るよね。
で、何故か、追いかけっこが始まってしまったが――何だか、この子、嬉しそうだね。
何度か村人たちも交えてグルグルと追いかけっこをして、えぇっと……諦めました! どうやっても、この子の方が俊敏なので、私では、この子から逃げる事は出来ないようです。
このままでは、埒が明かない。仕方が無いので、この子を抱っこしながら、皆さんの話を聞いてみることにしました。
「その子の目は青いだろう。狼は金色っぽくって、犬は黒だ。青い目はフェンリルという魔獣だ。だからその子は魔獣フェンリルの子供という事だ」
ほうほう。そんな見分け方があるのですね。前の世界では、ハスキーなどで青い目の犬も居たけど、こっちでは違うのですね。
あ、いや。それは良いのですが、魔獣ですか! ……魔獣って、他の動物と何が違うのですかね??




