第六話 異世界に転移して絶賛大後悔中のおっさん、魔王と出会う。その名は虫歯大王。どうやらりんご歯科という病院の医師らしい…
「知っていますか、しのぶさん。声優になれば女性声優と結婚できるそうですよ?」
村に居候してから私は村人の野良仕事を手伝いながら、ヘンリーたちと一緒に警備の仕事をするようになっていた。といっても素人の私がモンスターと戦える術など無く、付き添いといった程度である。
「声優ねえ…」
来年には五十歳になる私にとってもはや女性の話題など、聞きたくも無いHRの時の先生のお説教に等しかった。おそらくヘンリーにとっては女性とは特別な存在で自身の生活に何らかの良い変化を与えてくれるのものだと思っているのだろう。所詮はガキだな。
「声優ですよ、声優。もしそんな女性が僕のお嫁さんになってくれたら素晴らしい生活が待っているんでしょうねえ…」
ヘンリーは夢見がちな少女のようにうっとりしている。まあ本人が幸福ならばそれでいい。水を差すのは無粋というものだ。
「ヘンリー、声優といっても人間には違いない。女はみんなビッチだ。妙な期待を寄せるな」
後ろで俺たちの会話を聞いていたケビンがムッとした表情で会話に割り込んできた。コイツきっと声優絡みで何か嫌な事があったな。俺は二人の仲が悪くならないよう配慮しながら、会話の経緯を見守る。
「なあ、ケビン。俺はお前を会話に入れてやったつもりはないのだが。勝手に他人の会話に入って来てマウント取らないでくれないか。気持ち悪いぞ、お前」
ヘンリーはトゲトゲとした様子で言い返す。どうやら声優との結婚は子のパーティーの間での地雷的な話題でパトリックは二人の態度が険悪化した瞬間に距離を置いている。陽キャも大変だな…。
「まあ、待て。ヘンリー君、仮にもお友達に気持ち悪いとか可哀想じゃないか?もっと歯に衣を着せたまえ。そしてケビン君、君も君だ。女性を理由も無くビッチ呼ばわりするのは失礼じゃないか。あえて理由は聞かないが親しきものにも礼儀あり、だ。一度落ち着くまで考えをまとめるといいよ」
私は二人に喧嘩をして欲しくなかったので、当り障りの無い言葉をかけてみた。二人は思うところがあったのかしばらくは黙っていた。まあ陽キャといっても彼らの全てが開襟しているというわけはなかろう。一度冷静になって考えれば態度を改めるはずだ。
四人はぎこちない空気を漂わせながら、よく手入れされている街道を歩き続けた。
しばらくして国境警備隊の本拠地であるサスーン城の近くまでやってきた時に黒いマスク姿の男が黒装束に身を包んだ一団を率いて私たちの前に現れる。
「我が名は生きとし生けるものを虫歯にせんとする混沌の申し子、その名も虫歯大王だ」
男はムスクごしに声高らかと宣言する。だがその頃、私たちは強の晩御飯の話題に集中していたのでついぞ彼の話を誰も聞いてはいなかったのだ(続く)。
PHASE 11 ATTRACTION
「中尉殿」
「何だ⁉」
すっかり感傷に浸っていて嬉しそうなふじわらしのぶ。己の身の危険よりも本性を晒した強敵との決戦に彼は心躍らせる。
――今は一時でも多く、この高揚感に浸っていたいという一心で。
しかしアドラーはとても冷めた顔で彼を見ていた。
「あれ直撃したら死にますよね?」
「死ぬな。フライパンの上に乗ったバターみたいに、ジュッてなるな」
ふじわらしのぶはさも当然のように返答する。
無論、リ・エスペランザの必殺の一撃を食らうつもりなど最初から彼には無かった。奥の手というものは最後の際の際まで残しておくものだ。
「アンタって人は‼」
ふじわらしのぶはバードマンの持つ剣を見る。
「これで受け止める。大丈夫だ、アドラー。耐久試験ではバリスタの最大出力射撃にも耐えている」
ダマスカスの主力人型戦車オルトロスの持つ最大の威力を秘めた射撃兵器”バリスタ”。
その威力は陸上艦の装甲を易々と貫き、波のQDならば一撃で破壊するほどであった。アドラーとて特務機関の情報将校としてグレートチタニウムの特性については知っているつもりだったが、目の前のアレをどうにか出来るとは思っていない。
(アレは異常だ。本当に人類が作り出した物か⁉)
アドラーが驚愕と混乱の中で事態を見守る中、ふじわらしのぶは終局の一手を切り出す。
彼はグレートチタニウム製の剣の刃を倒して、受け止める姿勢を保持した。
「そのカタナごと焼き切ってやる‼往生せいやああああッ‼」
獲物を狙う猛禽類のように、燃え盛る炎と化したリ・エスペランザがバードマンに迫る。
周囲の大気までも赤く染め、爆炎を纏って降下するその姿は流星のそれを思わせた。
(耐えてくれよ…)
ふじわらしのぶは内心冷や汗をかきながら、攻撃の余波が届く寸前で剣を前に出した。外観に違わぬ猛火の嵐に巻き込まれ、バーニングは一瞬で全身を焼かれた。
灰塵で雀の涙程度の効用しか期待できない冷却作業をするが、コックピットを除く部分は炎に焼かれ機体の大半は赤熱化していた。
「うらみますよ、中尉殿。貴方は自身の好奇心を満たす為にこうしたんだ」
ふじわらしのぶは手元のレバーを上げ下げしながら答える。
「そうだな、アドラー。やはり私はスリル中毒なのかもしれん」
最後に鼻から息を出して、フットペダルを踏む。同時にグレートチタニウム製の剣を残してバードマンの両腕が融解した。
ゴトッ‼
バードマンの指が溶けて、砂地に剣が転がる。
蔵人は間髪入れずにバードマンに迫るが、時すでに遅しバードマンの本体はそこにはなかった。
「上か…」
蔵人は歯ぎしりしながら上空を拝む。そこには両手を失ったバードマンの姿があった。その姿は飛んでいるというよりも浮いている状態に近い。
「バックドラフトからの、上空への緊急離脱。お見事です、中尉殿」
アドラーは皮肉たっぷりに上官を嗜める。自身の安全が確保された事に気がつくまで彼は怯えていたのだ。心機一転の為に伸ばした口ひげも汗で湿っている。
「君のアシスト能力が無ければ確実にやられていたな。今度、一杯奢るよ」
「それはどうも」
ふじわらしのぶはアドラーに向って一礼すると、今度は眼下の蔵人たちに通信を入れた。
「蔵人君、なかなか刺激的なひと時だったよ。降参だ。約束通り、君たちの今後は私が保証しよう」
「それはどうもありがとうございます」
蔵人は大きく息を吐きながら返答する。敵に比べれば蔵人の戦闘経験など微々たるものだが、機体の性能差をここまでひっくり返されようものならば対戦相手の存在に多少は興味を持つというものだ。
「アンナ、大丈夫?」
彼の心配は自分よりも妹のアンナにあった。想像通り、頭を倒したまま息を荒くしている。
リ・エスペランザと神経を繋げる行為には相応のリスクが存在し、ある程度の経験値が必要になってくる。蔵人はここに来るまで十回ほど、リ・エスペランザと同調をしていた。
「兄貴、とりあえずスポドリ補給したい。後はリリちゃんの…」
アンナはリリの豊かな双丘を指さした。
「おっぱい枕を所望する…」
「調子に乗るな」
がしっ‼
アンナは瞬時に首を極められて望み通りおっぱい枕(※別の意味での)を堪能することになった。
蔵人たちは勝利の報酬として軽いエネルギー補給を受ける事になった。
砂漠のど真ん中なので十分な補給にはならなかったが、相手もこれからダマスカスまで自分の足で帰らなければならないので仕方ない。
「オラ、チョコバー出せ。雑魚ども」
意識が戻ったアンナはダマスカス軍の兵士からチョコバーを徴収していた。合成食物から作られたチョコレートだが、味の方は本物と大差ないので軍内の支給品としてはかなり重宝されていた。
アンナは無造作に押収したチョコバーの包装紙を開いて、かぶりつく。カカオマス成分多めのほのかにビターな味わいが口いっぱいにほろがる。
そして後には濃厚なミルクと甘さが心と身体を満たした。至福である。
「ああ…、いつもの合成ビスケットとは天地の差だねえ」
ボリッ、ボリッ、ボリッ。
アンナはおよそ三口ほどではチョコバーを完食してしまった。それを恨めしそうにダマスカスの軍人たちは見ている。
「イヌのウンコ、踏め。クソガキッ‼」
チャーリーは中指を立てるが、それも心の中での話だ。
ふじわらしのぶとの決闘の後、同僚のロジャーに事の発端がチャーリーの”副業”であった事をバラされてアンナとリリに袋叩きにされた後だった。
よほど日頃の鬱憤が堪っているせいか誰も彼に味方する者はいなかったという。
「ヒゲのオッサン、念の為に聞くけど決闘はアタシらが勝ったんだからストーキングするのは止めろよな」
アンナは帳面を見て沈痛の面持ちとなったりアドラーに向って言い放つ。アンナの眼力は人並み以上で、機体を降りてすぐにダマスカスの軍人たちの人間関係を看破してしまった。
ちなみにチャーリーとジークフリードは下から数えて二番目らしい。
「心外だな、岡嶋アンナ。我々は仮にも”人民憲章”を持ち出し、誓い合ったうえで決闘を行ったのだ。当然(中尉殿の全責任で)今後は君らがダマスカス領内にでも侵攻してこない限りは干渉しないと約束しよう。だがルシタニアとホライゾンは管轄外だという事を忘れないでくれたまえ」
アドラーはそれとなくわかる感情を殺した声で宣告する。彼はこれまでQDでの戦闘(実戦、模擬含めて)は無配だっただけに、年下の青年と少女らに負けてしまった事に苛立ちを覚えている。
「上等。それだけ聞ければ十分だから。兄貴、さっさとジェノバに向おう」
オブライエン、ロジャーらと話込んでいた蔵人はアンナの方を見る。リリはマリアとオットーに頼んでリ・エスペランザにガソリンを補給していた。惑星アトラスで産出される石油は不純物が少なく、排気ガスも少ないので未だに人型戦車の補助燃料として使用されていた。
「もう行くのかい?」
蔵人は二人に会釈するとアンナのところに向かう。
「うん。リリちゃんを早くお家に返してあげたいし、それに…」
「それに?」
アンナは空に向かって指をさす。
「何かさっきから嫌な感じがしてさ…。こう、ウンコがまだ腹に残っているような…」
「お前、その言い方何とかしろ‼」
妹のあまりに下品すぎる比ゆ表現を聞いて蔵人は激昂する。一応アンナには教育用の人工知能と教材を使って年齢相応の教育をしているが、実際には幼年学校の初等部までしか行っていないので一般常識その他もろもろは怪しい部分が多かった。
「だってー」
アンナは頬を膨らませた瞬間、百メートルほど離れた場所に何かが落ちた。
「人型、戦車…か?」
ロジャーは恐る恐る双眼鏡で着地地点を見る。
シュボオッッ‼
そこには炎が、眩いばかりの炎熱を纏う巨人が立っていた。否、人型戦車も十分に大きいのだがこれは桁が違う。砂上戦艦ほどの大きさの巨人がこちらをにらんでいたのだ。
「ヒィッ‼」
ロジャーは小さく悲鳴を上げると双眼鏡をアドラーに渡す。
「何だ、アレは…」
アドラーはひどく落ちついた声ででそう言った。もう一度目を細めて双眼鏡を覗き込む。
「人型戦車なのか?…他の人型戦車を積載して誇ベル超大型の人型戦車が他の都市で建造されているのは知っているが…」
視線の先にあるは巨大なオブジェはアドラーの知る物とは全く違っていた。
強いて言うならばかつて地球に存在していたという古代ギリシャの神像に近い。
身体各所の装甲のスリットから見える関節の機構は機械というよりも生物のそれである。何より頭部と思しき部分から見える瞳の輝きには一個の生物の知性が垣間見えた。
この時代において禁忌とされる人工知性を気取ったアドラーは目の前の脅威に戦慄さえ覚える。
「蔵人君」
その時、蔵人の頭上から男の声が聞こえる。ふじわらしのぶの声だった。
「うわあッ‼」
蔵人は声の方を見上げると思わず驚いてしまった。
ふじわらしのぶの豊満な肉体がボンレスハムのように縄で縛られ、逆さ吊りにされていたのだ。
「ひどいな、蔵人君、私にこのような仕打ちをしたのは君の妹さんだよ。まあそれはいいとして、アレはもしかしてリ・エスペランザの同胞ではないかね?」
ふじわらしのぶの顔は逆さ吊りにされていた為に血の気が引いて、真っ青になっていた。心なしか声にも精気が感じられない。
「マツダさん、どうなの⁉」
蔵人は大慌てでリ・エスペランザに尋ねた。
「えー。相手がメカだからって何でもアッシの親族にされちゃあ困りますよ、坊ちゃん」
リ・エスペランザは器用にカメラアイを明滅させながら答える。しかし彼の首は蔵人たちの方では無く、明後日の方向を向いていた。
(清々しいまでに白々しい…)
知り合いである事は間違いないだろう。
「おい、マツダ。こっち見て話さんかい」
アンナがドスの効いた声で尋ねる。
「さもないとこの先ずっとあのオッサンの死体を、ストラップとして吊るす」
「お嬢ッ‼それはダブルミーニング的な意味でアウトですぜ!?」
アンナはリ・エスペランザのつま先に唾をペッと吐いた。
「早く言え」
リ・エスペランザのカメラアイから光が消える。そしてわずかな沈黙の後、こちらに接近しつつある脅威について語り始めた。
「アレはですねえ、多分…多分ですよ?IFの世界線での話ですぜ?アッシの前の職場の上司じゃないかと思います」
ガンッ‼
アンナのつま先蹴りがもう一発、リ・エスペランザの足に当たった。
「続けろ」
「あい…。アイツっていうかアイツの世代は何というか恩着せがましい連中が多くて、何でも命令口調で当時かなりムカついていたんですよ。だからちょっと、ちょっとですよ?ほんの遊び心で、背後からハチの巣にしてメッタ切りにした後で衛星軌道上から叩き落としてやったんでさあ。はっはっは」
リ・エスペランザの合成音が渇いた笑い声を漏らす。一堂は沈黙を持って彼の告白を聞くしか無かった。
「ちょっと待ってよ‼マツダさんが父さんたちに発見された時は上半身の一部しか無かったって…」
「ああ、それね。あの野郎なかなかしぶとくて再浮上した後に第二太陽の近くでドンパチやった後でアッシも地表に落下したという次第でさあ。いやあ、あの頃は若かった」
ドスンッ‼ドスンッ‼
リ・エスペランザに近づくにつれて対象の足音が大きくなっているような気がする。もう絶対に確信犯というヤツだった。
「謝ろうよ‼全力で土下座すれば向こうだってきっと」
ドスンッ‼
気がつくと巨大な影が一足飛びで、蔵人たちの近くまで迫っていた。そして兜の隙間から見える橙色の瞳でリ・エスペランザを捉える。
「兄貴、とりあえず乗ろう。マッちゃんしばくのはその後で‥。リリちゃんもこっちおいでよ」
「うん」
かくして蔵人とリリはアンナに急かされる形でリ・エスペランザに再搭乗する。
二体の巨人は真正面から睨み合う形となった。
「憐れな、カーボノイドの走狗になり果てたか。六熾天エスペランザ、いやアフラマヅダよ」
目の前の巨人はよく通る声でリ・エスペランザに語り掛ける。
「お久しぶりですね、先輩。元六熾天ブリーシンガメン、アグニ。どうやらご無事だったようで」
マツダの声の抑揚から明確な闘志を感じる。彼はアグニと呼ばれる存在に真っ向から敵意を持って相対していた。




