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ダメ女のエール ~笑顔のキセキ~  作者: F'sy
第一章・過去
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母親としての責務

 産まれて一ヵ月半頃からユヅキを保育所に預け、働きに出ることにした。とはいえ、私はまだ十七歳。高校も中退しているので、すぐに雇ってもらえる仕事といえばアルバイトぐらいしかない。それでも、できるだけのことはしようと思った。

 しかし、職場は転々とすることになる。子供が熱を出したり伝染病に罹ったりするとそのたびに仕事を休まなければならなくなり、それが何度も続くとクビになる。また次のアルバイトをして、休みがちになって、クビ……。その繰り返し。前途多難だ。


 見兼ねた父が、「高校も出てないんだし、何か資格でも取ったらどうだ」とアドバイスしてくれた。私は早速、資格を取るための資料を集め始めた。

 よく耳にするパソコンや法律に関わるもの、外国語、医療事務などをはじめ、中には絵画や写真、聞いたことのないようなものまであって、色々な資格があるんだなぁ……と感心しながら資料を隅々まで読んでいた。

 比較的短期間で取れるらしいことと、多少の興味もあって──高校を選んだ時と同じく、特別な理由はない──医療事務を選び、学校へ通った。資料に記されていたとおり意外と簡単に取ることができ、資格を持ってからは病院の受付で働くようになった。

 だが、それも長くは続かなかった。最初のうちは子供の都合で仕事を休むことに理解を示してくれていた病院も、回を重ねるごとにだんだんと嫌な顔をされるようになり、一年もしないうちにアルバイトの時と同じく辞めさせられた。


 仕事と子育ての両立……想像していたよりはるかに難しい。父の言葉の意味が、ようやく少しわかった。

 しかも私は十代。まわりの人たちは、きっといろんな想像や憶測を巡らせながら私のことを見ていただろう。嫌なことを思い返したくなかったので、これまでの経緯を詳しく話した人は誰もいない。白い目を向けられることも多々あり、仕方ないとは思いつつもそんな視線がつらかったし、時には恐怖すら覚えた。

 ──好奇の目。心に大きな傷を負う、ある種の暴力だと思った。


 そうやって二年ほどせわしなく過ごしてきたが、こんな不安定な生活を続けていくわけにはいかないので、お金になる仕事をしようと考えた。

 風俗……に行く勇気はなかったし、そもそも嫌だった。だが、キャバクラならできるかもしれない。夜は父にユヅキの世話をしてもらい、私は生活を昼夜逆転させる。

 しかし、それではユヅキを産む前に自分で言ったことを曲げてしまうことになる。

(自分でユヅキの世話をしなきゃ意味ない。わかってる。でも、お金がなきゃ育てられない。自分で稼がないと意味ないし、父の稼ぎには頼れない。どうしよう……)

 ユヅキの寝顔を見ながら、何日も悩んだ。そうして出した結論は……夜の仕事に就くこと。

(今のうちにたくさん稼いで、ある程度蓄えたら昼の仕事に就こう。父に世話を頼むのは短い時間だけだし、保育所の送り迎えとか朝晩のご飯を作ったりはできるはず。……よし、それでいこう)


 父に話すと、当然のごとく反対された。それでも説得を続ける私に、父は吐き捨てるように言った。

「それなら完全に自分の稼ぎだけでやってみろ。俺は仕事を辞めるから」

 私はまた迷った。だが迷っているということは、やはりどこかで父をあてにしていたことになる。ここまで言われた以上はやるしかない。私は父に「わかった」と答えた。

 その夜すぐに、自宅近くの小さなキャバクラへ面接に行った。ガチガチに緊張して店の中へ入ったが、実際に面接が始まると来るもの拒まずといった感じで、すんなりと採用された。


 キャバクラ……今までの仕事とは世界が違う。『できるかもしれない』と思ったのは、母の店を手伝っていた経験があったから。

 だが甘かった。スナックとはいえ個人営業の単なる飲食店とキャバクラの違いは想像以上に大きく、お客さんも母の店の時のように甘くはない。きついことを言われたり、いやらしい手つきで触られたり……。

 ママやお姉さんたちもとても厳しく、少しのミスも許してはくれない。テーブルの下で足を蹴られる。接客中でも呼び出され、奥の部屋で注意を受ける。何度ママに怒られて、ロッカーでひとり泣いたかわからない。

(……私、この仕事続けられるかなぁ……)

 そう思うたびに辞めようと考えた。しかし生活のため、ユヅキのために、なんとか踏ん張った。しばらくはほぼ毎日、夜八時から朝四時までがむしゃらに働いた。


 毎日が勉強の日々。怒られながらも徐々にこなせるようになり、同時に自分に付いてくれるお客さんも増えてきた。そうなると、とても楽しく仕事ができた。

 ママやお姉さんたち、同時期に入った女の子たちとも仲良くなり、より一層楽しくなってきた。指名が増えれば、同伴やアフターも増える。毎回のように夕方五時から同伴、店が終わってから朝八時ぐらいまでアフターに付き合っていた。

 本当に楽しかった! 一番自分らしくいられて、自分で言うのもなんだが一番輝いていた時期だったと思う。銀座や赤坂のような高級店でもないのに、おこがましくも『私の天職かも?』などと思ったり……。戻れるものなら今でも働きたい。


 喧噪から解放された耳にスズメの鳴き声が心地好く響く、ある日の早朝。仕事を終えて家に帰り、そっとユヅキの寝顔を見る。習慣にしていたことだが、ふとあることに気付く。

(私、ユヅキを悲しませてない……?)

(寂しい思い、させてない……?)

 ──夜、目が覚めると誰もいない。お母さんは昼間なのに寝てる。なんで? ──

 子供の頃の記憶がよみがえる。ユヅキがそう思ってないか、とても不安になった。

(自分が親にされていたことを、私は自分の子にしてる……)

 ユヅキの寝顔を見つめ、考える。

(……決めた。日曜の昼は、ユヅキと思いっきり遊ぼう!)


 それ以来、日曜と月に一度の店休日にはユヅキと出掛けて、二人の時間を大切に過ごした。ユヅキはまだ二歳なので、家の近くを散歩したり公園で遊ばせたりするぐらいだが、その時間が大事だということが私にはわかっていた。──私自身が、そういうことをしてもらった憶えがないから。母との間に少しでもそういう記憶があれば、いつまでもこんな寂しい思いを引きずってはいない。

 だから私は、できるかぎりのことをしたい。そうすればきっと、ユヅキは私のようにはならない。そうさせたりはしない。


 十二月。三歳を迎えたユヅキは七五三、翌年の正月に二十歳になる私は成人式だ。一緒に着物を着て、家の近くの写真館で写真を撮った。

 ユヅキのあまりの可愛さに、親馬鹿だとは思いながら何回もカメラのシャッターを切ってもらった。店の人はたぶん呆れていただろうが、可愛いものは可愛い。〝図々しくなったが勝ち〟と言わんばかりに、気の済むまでその時間を楽しんだ。


 家計もそこそこ潤ってきた。思ったとおりユヅキも休日のお出掛けを楽しみにしてくれているようで、少し安心した。

 母親としてちゃんとやれているか、と問われれば「はい」と即答できる自信はない。しかし、今の私にはこれが精一杯。

(ごめんね、ユヅ……。でも、いつか必ず幸せにするよ!)

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