最後の抗ガン剤
四回目の抗ガン剤治療がスタートした。あと一ヵ月で最後──そう思っても、当然ながら寂しい気持ちなど微塵もない。もう二度とやりたくないと思うだけだ。
前回同様、つらいことに変わりはないが体は慣れている。しかも今回は、身体的な面を考慮して薬の量が前回までより少ないので、ひと月もかからずに終わるだろう。それもあって、楽な気持ちで治療に臨むことができた。
抗ガン剤を流し終えた翌日、家族が見舞いに来た。
「ちゃーちゃん、運動会来れる?」
ユヅキは嬉しそうに、昨晩の電話で聞いた二週間後の運動会の話をしてきた。体の調子もまずまずだった私は、この先に待ち構えているものを考えずに返事をしてしまった。
「うん、先生のOKが出れば行けるよ!」
「ホント? やったー! 一緒に親子競技しようね!」
普段の話を聞くかぎりでは、ユヅキは学年の中でも体育の成績が良いらしく、かけっこはいつも一、二位を争うほどのようだ。それを見せたいのだろう、私の返事にユヅキはとても喜んでいた。
だが、運動会の二日前。採血の結果、白血球の数値は六〇〇まで落ちてしまっていた。運動会どころか隔離だ。病室を移る前、家に電話してユヅキにそのことを話す。
「ごめん、ユヅ〜……。ちゃーちゃん、隔離になっちゃって運動会行けないや〜……」
「え〜っ!? やだよ〜!」
久しぶりに駄々をこねるユヅキの声を聞いて、先日の安易な返事が悔やまれた。
「ちゃーちゃんも行きたかったよ。でも、外に出られなくなっちゃったから……」
「……う〜ん……」
一所懸命に理解しようとしているユヅキ。とても楽しみにしていたことなので、納得するのに時間がかかる気持ちはよくわかる。
「……わかった。じゃあ、ちゃーちゃんが戻ってきたら、運動会の報告するね! 楽しみにしててね!」
「……ごめんね、ユヅ。あ、リレーのアンカー頑張って! 来年は絶対出るからね!」
「大丈夫だよ! 頑張ってね、ちゃーちゃん!」
「……ありがと……」
私は、何度反省すれば気が済むのだろう……。ユヅキが成長した、などと喜んでいる場合ではない。健気に励ましてくれるユヅキの言葉に、公衆電話の通話口を手で押さえて「ごめんね……」と言いながらこっそり泣いた。
薬の量が少なかっただけあって、隔離の時も今までほどつらさを感じず、わずか五日間でもとの病室に戻ることができた。あとは体力の回復を待つだけだ。
夜、そろそろ寝ようかと思い読んでいた本を閉じた時、久しぶりにナミさんからメールが来た。
『よ。元気? って言うのはヘンか(笑)』
『ううん、元気だよ! そろそろ四クール目も終わるしね。』
『そっか、なら良かった。悪いね、最近行けなくて』
『大丈夫だよ、ありがと!
あ、そうだ。もうすぐシュウの誕生日なんだ!
その前に一周年記念なんだけど♪
それでね、手編みのマフラーなんてどうかな〜と思って。
編み方知ってたら教えて!』
『もう一年かぁ、早いね。
てか、あんたが手編みのマフラーねぇ……。
編み方は知ってるよ。明日、毛糸持って行こうか?』
『うん、お願いしま〜す!』
(そういうナミさんも、全然キャラじゃないと思うけどねっ)
私はくすくすと笑いながらメールを返した。
翌日の午後、ナミさんがいろいろな毛糸玉と編み棒を持ってきてくれた。一から編み方を教わり、試しに少しだけやってみると意外と簡単にできた。
「進めてくと大変になるだろうけど、頑張って一日ひと玉は編むんだよ」
「うん、ありがとう。愛情込めて編むよ!」
初めて作る、手編みのマフラー。というより、編み物そのものが初めてだが。
(完成したら、きっとすごい達成感だよね。頑張ろ!)
それから毎日、シュウのことを想いながらマフラーを編んだ。ナミさんの言ったとおり、やはり進めていくと難しくなってきて何度も糸をほどいたりしていたが、繰り返しいくうちにだんだんと慣れ、出来上がってゆくマフラーを見ているとワクワクした。
(シュウ、喜んでくれるかな〜)
(これ見たら、どんな顔するかな〜)
こんなに想いを込めて何かを作るのは、生まれて初めてだ。半分ほど作ったところで、去年と同様にバースデーカードも付けようと思い、せっかくなのでそれも手作りにした。
マフラーに合わせた色の紙を使い、気持ちを込めて書く。書きたいことはたくさんあったが、手紙のように長くなるのも嫌だったので『一年間、ありがとう! これからもよろしくね♪』とだけ書いた。
(これからも、か……)
書きながら、今回の治療が始まってから芽生えた、以前とは違う新たな不安を呼び戻してしまった。──いけない、と思い目を閉じて深呼吸する。
(これからは、支えてもらうだけじゃない。シュウに恩返ししたい。だから……)
……だから、病気が治っても一緒にいてね……。