笑顔が一番
翌日は日曜日だったので、早起きをして時間の許すかぎり子供たちと過ごした。
ユヅキが言っていたとおり、二人の様子に変わりはなく元気そのものだった。唯一の変化といえば、また少し大きくなっていたことぐらいだ。とくにジョウはまだ小さいので、成長が目に見えてわかるのが嬉しかった。
「ちゃーちゃん、ユヅね、あいうえお全部書けるようになったんだよ〜! 足し算もできるようになったんだぁ、すごいでしょ〜!」
「へぇ〜、すごいじゃん! ちゃんとお勉強してるんだね、偉い偉い」
「ユヅに問題出してみて!」
ユヅキは算数の教科書を持ってくると、自分でページをめくり「ここから出して」と言った。たぶんこの辺の問題が得意なのだろう。その中からいくつか選んで問題を出すと、ユヅキは自慢げに答えて「すごいでしょ〜!」と私が褒めるのを催促する。そのたびに褒めると、満足したように今度は国語の教科書を持ってきて、五十音を丁寧に書き始めた。
「ホントだ〜、全部書けてるじゃ〜ん」
にこっと笑うユヅキ。その笑顔がたまらなく可愛い。
「あ、そうだ。ユヅ、別のノート持ってきて」
「ノート?」
「そう、何も書いてないやつ。ちゃーちゃんが問題出しとくから、またひと月経って病院から戻ってくるまでに頑張ってやってみて! 全部できたら花マルだよ〜」
「わかった、頑張る〜!」
「ちゃーちゃん、なにやってんの?」
となりの部屋からジョウがやってきた。
「ジョウ抱っこして。ぎゅーってしてー」
「ジョウ〜、甘えん坊さんだね〜」
言われて少し照れ笑いを浮かべながらも、また「抱っこー」と催促してくる。
「はいはい、可愛いですねー。ジョウ〜」
リクエストどおりに、ぎゅっとジョウを抱きしめた。くすぐったそうにけらけらと笑うジョウをもっと笑わせたくて、荒く頬ずりしてみる。耳元でも構わず大声で笑うので少し耳が痛かったが、その痛みは治療と違って心地好い。
「ジョウばっかりずるい〜! ユヅも〜!」
「はいは〜い、じゃ今度はユヅね〜」
ユヅキが自分から抱っこを催促してくるのは、入院して以来久しぶりだった。……ずっと我慢していたのだろう。
私は力一杯、ユヅキを抱きしめた。二ヵ月前にはユヅキが私の肩に顎を乗せていたのに、今は私がユヅキの肩に顎を乗せている。一度ユヅキから体を離し、あぐらを解いて正座をしてからまた抱きしめると、ちょうど頭と頭が同じ位置になった。目に見えてわかるジョウと同じく、ユヅキもまた成長していた。
子供たちは終始楽しそうに笑っていたので、私も心からこの時間を楽しんだ。二人の笑顔を見ることは、いつでも私の大きな力になる。
窓から夕陽が差し込み始めてきた。病院へは八時までに戻らなければならないので、そろそろ準備を始める時間だ。といっても、荷物などは子供たちが昼寝をしている間などに用意しておいたので、あとはバスの時間を確認して家を出るだけだ。
「さぁ、バス停まで送りに行こう」
父が子供たちに言うと、二人は「はーい!」と元気よく返事をする。
バス停までは子供たちと手を繋いで、三人で並んで歩いた。バス停に近づくにつれ、ユヅキの顔がだんだんと泣き顔に変わってゆく。
「毎日、電話ちょうだいね……待ってるから」
(……どうしたんだろ? 前回はこんな表情、ほとんど見せなかったのに……)
今回のクール間の休みは前より長く、今日も一日中一緒にいたので、もうずっと家にいるものだと錯覚してしまったのだろうか。
「大丈夫、ちゃんと電話するよ」
「ホント? 絶対だよ!」
「うん、約束」
そう言いながらも、ユヅキは私の手をしっかりと握って離さない。
「……もうバス、来ちゃうね」
先ほどよりも表情暗く、呟くように言うユヅキ。私は一段と明るい声でユヅキを励ました。
「また帰ってくるから、ジョウと仲良くしててね。あ! あと、お勉強ノートもちゃんとやっとくんだよ!」
「うん、花マルもらえるように頑張る! だからちゃーちゃんも頑張ってね!」
子供というのは、どうしてこんなにも真っ直ぐなんだろう。私もそんな曇りのない気持ちが欲しい。あれこれ考えるのは、もう疲れた……。
バスが到着し、乗車口の扉が開く。一段目のステップに足を掛けても、まだユヅキは手を離さない。
「ユヅキ。ちゃーちゃんが乗れないよ」
父が、私には言いづらいセリフを代わりに言ってくれる。指を一本ずつゆっくりと引き剥がすようにして、ユヅキは手を離した。
「……病院着いたら、すぐ電話するよ」
私には、それぐらいしか言葉が浮かばなかった。ユヅキは涙をこぼしながら、
「……頑張ってね、ちゃーちゃん。バイバイ」
と声を震わせた。父のそばにいたジョウも、ユヅキの泣き顔を見てなきだしてしまう。──もう二人を泣かせないと、あれだけ心に決めたのに。私の弱い気持ちが伝わってしまったのか……。そう考えると、安心させるような言葉など出てこなかった。
少しでも長く二人の姿を見ていられるように、バスに乗り込むと最後部の歩道側の席に座った。
「バイバーーーイ!」
バスが見えなくなるまで、ユヅキとジョウは手を振りながら叫んでいた。できることなら、私も大声でそれに応えたかった。私は精一杯大きく、バスの中から二人へ手を振り続けた。
近くに他の乗客がいなかったので、子供たちの姿が見えなくなってからハンカチを手に、声を殺して泣いた。
(……待っててね……。必ず治して帰ってくるからね……)
バスもだいぶ進んだところで気分も落ち着いてきたので、手鏡を取り出して顔を映す。病院に戻るだけなのでノーメイクだ。ハンカチで涙の跡を拭き取り、笑顔を作ってみる。──やっぱり、笑顔が一番。
ガンから逃げないこと。ガンと、そして自分自身と闘うこと。
病院に戻っても、仲間がいる。みんなそれぞれ病気を持っているのに、明るくて元気だ。誰かが落ち込んでいる時はみんなで励まし合い、嬉しいことも共有する。毎日一緒にいて家族のようになり、病気以外のことも相談できるほどになった。
治療はもちろんつらいことだらけだが、病室のみんなだけでなく、先生方や看護師さんたちも楽しくて優しい。そんな安心感のある入院生活なので、今となっては病院へ戻ることがそれほど苦ではない。
思うことは、たったひとつ。
(三クール目も頑張らなきゃ!)