六日目、隔離・初日
六日目ともなると、さすがに毎日の寝不足がこたえてくる。朝、腫れぼったい目を擦りながら軋む体を起こすと、今までとは違った気怠さがあるのを感じた。
(なんだか、やけにぼーっとする……。体も熱いし……)
額に手を当てると、少し熱い気がした。風でも引いてしまったのだろうか。
(せっかく頑張れてたのに……。気、張り過ぎたかな?)
検尿を済ませた頃、ちょうど看護師さんが検温にやってきた。私は念のため、体の熱さと怠さを伝えてから体温計を腋に挟んだ。
今日も箸が進みそうにない朝食が運ばれてきた時、ピピ……と体温計が鳴った。──三十七度四分。それを見た看護師さんが言う。
「あー、ちょっと熱あるね。今朝、採血したでしょ? それで詳しくわかると思うよ」
「うん」
(やっぱり風邪かなぁ。体力落ちてるし、なかなか治らなそう……)
初めは安易にそう考えていたが、時間の経過とともに体は重くなってゆく一方だ。
採血の結果、白血球の数値が四〇〇であることがわかった。
(やっぱり風邪じゃなかった……。そうだよね、病院で風邪なんて……)
この数値は、健康な人で平均七〇〇〇前後らしい。今の私は、言うまでもなく低すぎる。この数値が一〇〇〇以下に低下すると、自分や自分のまわりを清潔な環境に保たなくてはいけない。要するに〝隔離〟されるのだ。医師、看護師以外とは接することができなくなるため、他の患者がいるこの病室からも出される。
下限値を大幅に下回った私は、すぐに別の病室へ移されることになった。
「あ、先生。家に連絡しておきたいんですけど、いいですか?」
「そうだね、いいよ」
明日は日曜なので父が子供たちを連れてくる予定だったが、残念ながら会えなくなってしまった。きっと私よりも、子供たちのほうが楽しみにしていただろう。
父に電話して事情を説明したあと、ユヅキとジョウの声も聞かせてもらった。
「……わかった。頑張ってね、ちゃーちゃん」
寂しそうにユヅキが言う。
「誰? ちゃーちゃん? ちゃーちゃーん!」
うしろで大声を出したのはジョウだ。まだ状況を理解できる年齢ではないので、無邪気に私のことを呼んでいる。その声に、私は少し微笑んだ。比べてユヅキは、もう大体のことはわかっている。
わが子ながら、偉いと思う。わがままも言わず、逆に私のことを励ましてくれる。私も、もっとしっかりしなければ……。
今までの病室からさほど離れていないにもかかわらず、移った先の病室にたどり着いた時にはすでに息を切らせていた。怠さはこの時点でのピークに達していて、体全体が熱く、重く、ほぼ点滴台にしがみつくようにして歩いてきた。
私のイメージしていた〝隔離部屋〟──テレビドラマか何かで見たものだと思う──は、ひとつだけ置かれたベッドのまわりを透明なビニールのカーテンで覆った、機械の音しかしない無機質で閉鎖的な空間だった。しかしそこは、ベッドがひとつということ以外は今までとなんら変わりのない、単なる一人部屋だった。
ベッドに横になると、すぐに先生が「白血球を上げる注射打つよ」と言った。
(また注射……?)
副作用の説明で知らされていたはずだが、この時はそんなことを思い出す余裕などなかった。
小瓶に刺した注射器が、薬液を吸い上げる。腕に針を刺す直前になって先生が言う。
「痛いと思うから、頑張って」
「──え? そう──」
なの? と言い終える間もなく、針が私の腕に刺さった。
「いっ……! たい!」
言うだけあって飛び上がるほど痛い。ただの注射がここまで痛いとは思わなかった。CVと同じとは言わないが、それに近いほどだ。
「ごめんねー、もう終わるよー。──はい、終わり」
「……ホント痛い……。先生、もっと早く言ってよ……」
「ごめんごめん。あ、じゃあ先に言っとくよ。この注射さ、数値が上がるまで打たなきゃいけないんだよ」
「えぇ〜? どれぐらいで上がる?」
「うーん、わからないなぁ。かなり低いからね。抗ガン剤終わったばっかりで体力も落ちてるし、結構かかるかもね」
「そう……。注射、一日一回?」
「あんまり上がらないと、様子見ながら朝晩打つよ」
「……」
「すぐ上がってくれるといいね」
「……うん」
先生の優しい言葉も気休めにしか聞こえず、私はため息まじりの返事しかできなかった。
昨日までで下痢は治まりつつあるが、吐き気だけは強烈なままいつまでも続いている。きっともう、私の体は悲鳴を上げているに違いない。大声を出してもいいなら、本当に悲鳴を上げたいぐらいだ。とはいえ、そんな体力も気力もないのだが……。
夜中、酷い寒気を感じてくると同時に体の重さも増してきた。起き上がるのも大変で、ベッドからトイレまでのわずかな距離を歩くことすら困難だ。そのため、吐く時はベッドの脇に置かれたプラスチックの容器を使った。食事を摂っていないので、吐瀉物の臭いがないのがせめてもの救いだ。
……今夜もどうやら、あまり眠れそうにない。