二日目
「検温ですよ」
と、看護師さんに呼びかけられて目を覚ました。
病院の朝は普段の私よりも早く、午前六時に起床だ。三時間おきにトイレに起きていたうえ、あんな夢まで見てしまったので眠った気がしない。
検温が済んで二時間後の八時には、ベッドに備え付けられた横長のテーブルに朝食が運ばれてくる。
クリーム色のプレートに、白いお椀や皿。小学校の給食のようだが、大人になった今はすべてプラスチックのその食器が、味気ないとしか感じられない。
中身はいかにも健康的、というより精進料理のような──テレビで観ただけの知識だ──色味の薄い食べ物ばかり。普段から濃い味付けを好む私には、視覚で楽しめるような食事ではないし、味もきっとそれに見合ったものだろう。病人だから仕方ないとは思うが……。
さらに私のベッドは廊下側で、この病室の位置に加えて病院自体がコの字型の造りのため、この時間はここまで陽が届かない。明るければ、多少はこの食事も違って見えたのかもしれない。
予想どおりの味がする食事を口に運びながら、しばしば左腕を見る。管の入り口を中心に十センチほどの幅で包帯が巻かれていて、もうすでに痛みはないのだが、見ているとなんとなくじわじわとした痛みを感じる気がする。それと同時に昨日のこと──点滴を打った時のことを思い出してしまったので、腕から目を逸らして食事に集中した。
朝食を済ませ、今日も始まる長い一日に備えて何をしようかと考えていると、徐々に胃のあたりがむかむかしてきた。
(もしかして、吐き気きたのかな……)
そう感じてから十分もしないうちに我慢しきれないほどになり、今の私が出せる全速力でトイレに駆け込んだ。
便座カバーを跳ね上げて便器に顔を突っ込むが、吐くのをためらっているせいで出てくるのは唾液と涙ばかりだ。なるべくなら吐きたくないが、ずっとこの状態でいるわけにもいかないので、意を決してしこたま吐く。
食べたものをすべて出し切ってしまったあとは何も出ない嗚咽が続き、時折胃液が出るようになった。残り少なくなった歯磨き粉のチューブを絞るように、胃と食道を締めつけて胃液が押し出される。胃液が口から出る前に一旦喉が塞がって呼吸が止まるので、食べたものを吐いていた時のほうがましだったと思えるくらいつらかった。
(はぁっ……はぁっ……。痛いし……苦し……)
それ以降、吐き気は常にあった。例えば、酒に酔って気分が悪くなり吐きたくても吐くまでには至らない、といった状態が延々と続いている──そんな感じだ。酒ならばひと晩眠ればなんとか回復するが、これはそうはいかない。なにしろ、それを促すような薬を体に流しているのだから……。
まともに食事が摂れないのはもちろん、飲み物すら受けつけない。何か口にできたとしても、喉を通ったものはろくに消化もされずすべて吐く。酷い時はトイレまで持ちこたえられず、ベッドの上で吐いてしまう。つらくて、悲しくて……自然と涙がこぼれてくる。
そんな中、仕事を終えたシュウが来てくれた。
「大丈夫?」
ここは正直に言うべきか、大丈夫と言うべきか……。
「う〜ん……あんまり……。今日から吐き気が出て、もう六回も吐いたよ。喉が痛い」
私は結局、前者を選んだ。これからのことを考えたら、強がっても仕方がないと思ったから。
「そうか……。ごめん、何もできなくて」
(──わかってる。でも、しょうがないよ……)
「いいんだよ、シュウが謝ることじゃないよ。今だって、顔見たら少し元気になったしさ!」
「そう言ってもらえると救われるよ。……って、これじゃ立場が逆だな」
「ふふ、ホントだね。でも、来てくれるだけで気分違うから」
「そっか。とにかくサユは治すことに専念して。何かできることがあれば言ってくれればいいから」
いつものように、優しい笑顔で励ましてくれるシュウ。
「うん、ありがと」
あっという間に、面会終了時間になってしまった。
「やっぱり仕事終わってからじゃ、時間短いね」
帰り支度をしながら、シュウが言う。
「そうだね〜。じゃあ今度は、休みの日に来てね!」
「わかった。また明日、メールするよ」
「うん。……シュウ、もし私が──」
「バカ」
私の言葉を遮るシュウ。
「そんなふうに考えちゃダメだ。信じてるんだろ? キセキ」
「……そうだね、ごめん」
目を伏せた私の頭を大きな手で撫でると、シュウは「また明日」と言って病室をあとにした。そんな彼を見て、やはり私には彼が必要だったと改めて思った。
だが、薬が効き始めたばかりでこんな調子では、次に来てもらった時にはあまり話せないかもしれない。それに今後、私が想像しているような姿になってしまったら……。そんな姿、絶対に見せたくない。
結局この日、十回以上吐いた。真夜中だろうがお構いなしに続く胃のむかつきでまともに眠ることもできず、採尿に行くのもつらかった。