悲しい夏休み
翌年の夏休みも、またニューヨークへ行った。この時も私が行きたいと言ったわけではなく、前年のように母に言われたから。──なんでそんなに行かせたがるんだろう、と不思議には思ったが、それを口に出すことはしなかった。なんとなく、聞いてはいけないような気がしたから……。
向こうの雰囲気やニオイを思い出すとあまり気乗りはしなかったが、優しくしてくれたおばさんたちや誕生日のことがあったので、前年よりは気が重くはならなかった。
飛行機の中で楽しかったことを思い出しながら気分を盛り上げていたのだが、ニューヨークへ着くなり悲しい知らせを聞かされてしまう。詳しくは尋ねなかったが、旦那さんが病気で亡くなってしまっていたのだ。
私のことを、まるで娘のように可愛がってくれた旦那さん。一年前に初めて会って少し一緒にいただけなのに、すごく悲しかった。やはり、あれだけの思い出を作ってくれた人だからだろう。私は話を聞いたその場で泣いてしまった。
おばさんの家には旦那さんに代わり、おばさんの妹さんがいた。今回も色々な所へ連れて行ってもらえて、前年のようにここでの生活を楽しむことができた。
私は当時、ルイ・ヴィトンの長財布に憧れていた。確かその頃流行っていた記憶があり、欲しい理由も単純にそれだけだったと思う。
そのことを話すと、おばさんがルイ・ヴィトンの専門ショップに連れて行ってくれたので、目当ての物を手に入れることができた。「人生初のブランド品だから」と自分の小遣いで買っただけに、喜びも大きかった。
帰りの車中、助手席にいた私に妹さんが「あなたのママ、あなたのママ」と、片言の日本語で後ろから何度も耳打ちしてきた。その言葉の意味がわからず、私も「えっ? 何?」と繰り返すが、他の家族と同じく彼女も日本語がほとんど話せないので、同じ言葉を繰り返すばかり。
私は仕方なく、運転しているおばさんに尋ねた。
「妹さんに何回も〝あなたのママ〟って言われるんだけど……。どういう意味?」
しばらく黙っていたおばさんは、
「……ごめんね……」
と呟いた。そのひと言だけで、私の胸は早鐘のようにドキドキと鳴る。
(何? わからないよ……。ごめんね、って何……?)
「……どういうこと?」
「……」
質問には答えず、それきりおばさんは沈黙してしまった。どうしたらいいのかわからなくなった私は、おばさんが口を開くまで聞き返した。
「ねぇ、おばさん! 意味わかんないよ、教えて! 〝あなたのママ〟って──」
何度目かの同じセリフを言いかけた時、根負けしたおばさんがようやく話し始めた。
「ごめんね……。何があっても話さない、隠し通す、ってあなたの両親と約束したんだけど……。でも妹は、本当のことを言えずにあなたと接している私が可哀想だと思って、つい言ってしまったみたい……」
頭はパニックだ。遠回しに説明されて、理解するのにかなりの時間がかかった。
(じゃあ……おばさんが……私の、本当のお母さん……なの……? そうなの……?)
急な告白。急すぎて、何も言えない。それに、そんな自分の人生を変えてしまうようなこと、すぐに受け入れられるわけがない……。ショックで顔から血の気が引き、気分も悪くなってきた。心臓の鼓動もますます速くなる。
倒れてしまわないように気を保ち、しばらくして少し落ち着いたところで次の疑問が浮かんできた。私が絶句している間は誰も言葉を発していなかったので、囁くような自分の声がとても大きく聞こえた。
「じゃあ……お父さんは、誰……?」
普通に考えれば亡くなった旦那さんのはずなのだが、その疑問は自然に口をついて出た。おばさんは諦めたように言う。
「……あなたの、よく知ってる人」
──やはり旦那さんではなかった。考えてみれば、旦那さんはアメリカ人。私が二人の子供だとしたらハーフのはず。私は目鼻立ちがはっきりしているわけではないし、当然おばさんにしか似ていない。
そう考えて気付いたのは、まったく違うというほどではないが、私は日本にいる母にあまり似ていないし、父にも似ていない。おばさんの曖昧な言葉からも、父親もまた日本にいる父ではないと察したが、これ以上のショックを避けたい気持ちからか、
「あ、お父さんは日本のお父さん?」
と答えていた。
「……違うよ」
(やっぱり違うんだ……。じゃあ……)
その時、ひらめいた──というより、私が知っている中でその人以外に思い当たる人がいなかった。……信じられない。だがここまで聞いてしまったら、うやむやにはしたくない。私は勇気を出して言った。
「もしかして……叔父さん……?」
叔父さんとは、日本にいる母の弟のことだ。
「──そう。……本当に、ごめんね……」
(ごめんね、って……。そんなこと……言われても……)
今まで受けたことのない衝撃に、ただ涙が溢れていた。たぶん十七年間の人生で一番、悲しい涙を流したと思う。そしてそれを、昨日のことのようにはっきりと憶えている。
私があまりにも泣きじゃくるので、おばさんや妹さんは何も言えなくなり、車内は私の泣き声でいっぱいだった。
〝十七歳の夏、終わり〟──始まったばかりの特別な一年がたった数日で終わりを迎えてしまったような、そんな虚しさを感じていた。
しかし、この年齢だったから良かったのかもしれない。もし中学生の時に留学していて、このことを聞かされていたら……。考え方が少しだけ成長していたから、生みの親と育ての親のどちらも恨むことがなかったのだと思う。『いろんな事情があって、こういうことになったんだろうな……』と、十七歳なりに思えた。──そう思うしかなかった、と言ったほうが正しいのだが。
眠る前、おばさんに「私が事実を知ったことは、両親には内緒にしておいて下さい」とお願いした。両親が知ったことで、帰ってからぎくしゃくするのが嫌だったから。
翌日、何事もなかったように日本へ帰り、今までどおりの生活に戻った。二、三日は意識してしまって、両親と顔を合わせるたびにドキドキしていたが、そのうち自然に振る舞えるようになった。
それから数ヶ月後のある日、母が唐突に「知ってるんだって?」と言ってきた。すぐにその言葉の意味を察し、とっさに「何が?」と知らないふりをしたが、母は見透かしたように「やっぱり、顔が似てるもんねぇ……」と冷静に呟いた。
(ごまかしきれないか……。でも、なんでわかったの? おばさん、言っちゃったのかな?)
母とおばさんは頻繁に連絡を取り合っていたようなので、その中で喋ってしまったのかもしれない。それ以外に、母があのことを知る機会はないはず……。私はおばさんに対して不信感を覚えたが、そんなことはどうでもよかった。
「あ〜……。でも別に、気にしてないから」
私はそう答えた。本心だったのかどうかはわからないが、嘘ではなかった。
「──本当のお母さんの所、行きたい?」
「え? ……行かないよ」
(何でそんなこと言うの? 気にしてないって言ってるのに……)
自然と流れそうになる涙をこらえる。
「……お父さんには、知ってるって言わないで。きっと傷つくから……」
(……そうだね。でも、言うつもりなんて初めからない。だから今まで、自分の中にしまっておいたんだもん……)
「……うん、大丈夫だよ。言わない」
帰国した時点で、私は今の家族と仲良くやっていこうと決めたんだ。だから、誰も傷ついたりはしない──。