余命宣告
翌朝、シュウからメールが来た。朝にメールなんて、私が送らないかぎり来たことがなかったので少し驚いた。
(珍しいなぁ〜、なんだろ?)
不思議に思いながら、携帯を操作する。
『今日、電話で話したいことがあるんだ。仕事が終わったら電話してもいい?』
(……急に何? なんか、嫌な予感……)
私は気持ちをそのままメールに打って返した。
『何? なんか怖い。メールじゃダメなの?』
『大事なことだから……。じゃあ、あとで電話するね。』
──きっと良くないことだ。勝手にそう思ったが、こういった勘は意外と当たる。今すぐ言わないなら、わざわざ前置きなんかしないでほしい。
朝からテンションが下がり、いろいろな不安が頭をよぎる。もしかしたら、私にとって最悪の内容かもしれない……。
彼から連絡が来るまで、不安を抱えたまま過ごさなくてはならなくなった。気を紛らわせてくれるものもない。昨日とはうって変わって曇り空の一日、落ち着かない気持ちで夜を待った。
あまり食欲の出なかった夕飯も終わり、子供たちを寝かせてから少し経ったところで携帯が鳴った。時間は十時を過ぎていた。
(とっくに仕事終わってるのに、なんでこんな遅いの……?)
疑念を抱きつつ、画面も見ずに受話口を耳に当てる。
「……」
私は何も言わなかった。
「……もしもし」
普段より少しトーンの低い、シュウの声。
「……もしもし。どうしたの?」
「うん……えーっと……」
数秒ほどの沈黙。
(何よ……。黙ってないで早く言ってよ)
私の考えていることが伝わったかのように、シュウが話し始めた。
「……自分でもどうしていいのかわからなくて……この先、サユと結婚を考えてるなら、一緒に病気と闘っていこう! って迷わずそう言ってあげられるんだけど……。ずっと一緒にいたいとか、結婚したいとか、今は考えられないんだ。そんな中途半端な気持ちじゃ、サユのこと支えていけない。支えてく自信もない。こんな時に申し訳ないけど……正直な今の気持ちです」
半ば予想していた内容だったが、言葉にされると思いのほかショックは大きく、私は何も言えなかった。──が。
(……ホントに、なんでこんな時に。なんでそんなこと言えるの? なんなの?)
何度も練習を重ねたセリフを読むような彼の話し振りが、ショックをすぐ苛立ちに変えた。私はわざとわかりきった質問をした。
「……それって、別れたいってこと?」
「──うん。そうなる」
(は? 「そうなる」? 何、その言い方……。病気の彼女の面倒なんて見てられないってこと? てゆうか、結婚とかあんま関係ないじゃん……)
「なんで? いきなり? 昨日まで頑張ろうって言ってくれてたじゃん! なんで!? やだよ!」
「……ごめん。俺にはやっぱり、支えてく自信がないんだ」
「やだ……別れたくない」
「でも。……俺には何もできないよ。ごめん」
その言葉を最後に、彼は一方的に電話を切った。取り残された私はしばらく携帯を耳に当てたまま、ツー、ツー、という今はひと際寂しく感じられる音を聞いていた。
そのうち音も消え、がっくりと携帯を持つ手を床に落とす。焦点の合わない目でどこかを見つめたまま、頭の中には『なんで?』という言葉だけが繰り返すばかりだった。
「……ユ。サユ」
名前を呼ばれ、ぼやけていた視界のピントが合う。ゆっくり振り返ると──幸い、泣いてはいなかった──父が一枚の紙を持って立っていた。
「……何?」
「これを見ろ」
なぜか少し乱暴に渡されたその紙は、私のカルテのコピーだった。
(……そうだった。お父さん、今日病院行ったんだ)
コピーを読んだ私は、なぜ父と私が別の日に説明を受けたのか、その理由を知った。
そこには、
〝予後は半年から一年と考えている(本人には伝えていない)
もっと早い可能性もある(肺動脈が詰まると突然死)
急変時、家族としてはNO CPRを希望(蘇生処置をしない)〟
と書かれていた。
……私は愕然とした。とても自分のこととは思えない。命に期限を設けられるなんて──。
しかし今、目の前に信じがたい現実が突きつけられている。疑う余地はない。そんな権利は、私には与えられていない……。
今までいろんな不安は抱えてきたが、〝死〟に関しては考えなかった。考えないようにしていたのではなく、そんなことは思いもしなかったから。
ただ呆然とその紙切れを見つめることしかできずにいた私に、父が語気を強くして言った。
「お前の自分勝手な行動が、いつもたくさんの人に迷惑を掛けるんだ。本当はお前には見せちゃいけないんだろうが、お前みたいなのはそれを知って、もっと意識を高めるぐらいがちょうどいいんだ」
……相変わらずこの人は、時と場合を選ばず厳しい。子供のことなどいろいろと迷惑を掛けたのはわかってるし、申し訳ないと思ってる。でも、それと今回のことは関係ないのに。そうじゃなくても気持ちが弱ってる今、昔のことを持ち出してまで厳しくされたくない。
だが今はそれよりも、父の言葉を考えるのが先だ。
(そんなこと言われても……どうしたらいいの? 考えてどうにかなるの? 私、どうすればいいの?)
わからない。とにかく、死にたくなんかない。誰か助けて。──シュウ、助けて……。
父が出ていって、再びこの部屋には静寂が戻った。うるさいくらいの耳鳴りの中、私は手にした一枚の紙を読みもせずにずっと見つめていた。
そのうち窓がトントンと音を鳴らし、外では雨が降り始めたことを知らせる。魂が抜けたようになってしまった私の代わりに、空が泣いてくれているようだった。
……どれくらいその場に座り込んでいただろう。どれほどこの難しい問題に頭を悩ませていただろう。
解決策なんてなかった。ただ、自分なりの答えを導き出した私は、鈍い手つきで携帯を掴みメールを打ち始めた。
『シュウには言わないほうがいいと思ったんだけど……。
どうしても離れたくないし、そばにいて欲しいと思ったの。
だから言うね。さっき知ったこと。
〝予後は半年から一年。突然死あり。蘇生処置はしない〟って。
……でもね、キセキはあると思う。そう願ってる。
私は絶対、治る。生きるから。キセキを信じて、頑張ってみる。
だから……もう少しだけ、一緒にいてもらえませんか?
……お願いします。』
──余命宣告なんかされた私と一緒にいても、悲しい思いをさせてしまうだけ。彼のためを思うなら別れるべきだと、何度もそう思った。私のわがままで、彼の人生をも狂わせてしまうことになりかねない。私がそんなこと、しちゃいけない……。
でも私はきっと、誰かがそばにいてくれないとダメ。もちろん、子供たちが心の支えになるのは間違いない。私がいなくなった時のことを考えたら、死ぬわけにはいかないと思える。それに、責任を果たさないまま二人の前から姿を消せない。父親のいない家庭に産んでしまった、大きな責任を……。
そんな想いがありながらもそれだけで頑張れないのは、母親として失格だろうか。ただ、子供たちはどんな状況でも母親である私を頼ってくるだろうし、自発的に振り絞れる気力にも限界があると思う。
そんな時、私も誰かに頼りたい。……いや、本当はいつも頼っていたい。好きな人に、そばにいて欲しい。それが迷いに迷ってたどり着いた、私の答え。
(ごめんね、シュウ……。私なんかと付き合わなきゃよかったね……。でも今の私を救えるの、シュウしかいないよ。ごめんね……)
ベッドに俯せて枕を濡らす。変わらない返事でも、返事が来なくても、これ以上彼を追い詰めるのはやめよう。私のわがままは、これでおしまい──。