過剰な期待
映画館を出た私たちは、「どこ行こうか?」と話し合った。
「私、観覧車乗りたいなぁ」
「いいね、じゃあ行こう」
観覧車へ向かって歩き出した先生を、「ちょっと待って」と呼び止める。「え?」と振り向く先生に、
「臨海公園のが大きいんだよね?」
と、遠回しに催促してみた。
「──ああ、葛西の?」
「うん。せっかく乗るなら〜、と思って。近いし……ダメ?」
「いいよ。そっち行こうか」
「ホント? ありがと〜!」
(やっぱり優しいなぁ♪ でも、あんまり調子に乗りすぎないようにしなくちゃね)
駐車場に向かいながら、腕時計を見る。三時半。子供たちの迎えには充分間に合う。
臨海公園へ移動している車内で、私は朝とは違う意味で緊張していた。──観覧車という個室に、二人きり。車も個室といえば個室だが、やはり雰囲気が違う。私は考えるつもりもなく〝そういう事態〟になった時のことを想像してしまった。
(ないない! 気ぃ早すぎ!)
(でも……観覧車だよ? もしかしたら、先生もその気に……)
(ならない、ならない!)
頭の中で自分自身と会話しながら、それを先生に悟られないように口では映画のことなどを話し続けていた。
無事──というのも変だが──公園に到着し、車を降りて園内を少し散歩する。
「……彼氏、欲しいなぁ〜」
先ほどの〝ひとり会話〟ではまだ早いと結論したつもりだったが、それでも期待を捨て切れなかった私は唐突に切り出してみた。
「ははは。プレッシャーかけてる?」
「──え? う、うん。ちょっとね〜! あはは……」
先生の意外な返答に、戸惑いを隠せなかった。
(もしかして、先生も私と同じこと……?)
私は期待が現実のものになるかもしれない、と密かに胸を躍らせた。
少し遠回りして、観覧車の前に着いた。先生がチケットを買ってくれている間、私は大きな車輪の真下まで近づいてゆっくりと見上げた。ぼーっと眺めていると、いつの間にか先生が私の真後ろにいて一瞬ドキッとする。
「あっ……。まだ夜じゃないから、ライトアップされてないね!」
平静を装おうとするあまり、当たり前のことを口にしてしまった。先生も頭をうしろへ反らし、
「そうだね、でもきっと眺めはいいよ」
と応えてくれる。
「うん、そうだね」
私は先生に向けていた顔を、もう一度あげた。観覧車の骨組みを通り抜けて、目に痛いほどの夕焼けの光が……。
(──夕焼け!?)
はっとして、慌てて腕時計に目をやる。……まだ四時十分だ。
(びっくりしたぁ……。日が落ちるの、早くなったなぁ〜)
「どうしたの? 時間、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがと、行こっ!」
係員に促されて乗り場の前に立つ。赤い色をしたゴンドラがゆっくりとやってきて、先に乗った先生に手を引かれて私も乗り込んだ。
ゴンドラはそのままのペースで地上から離れてゆき、その緩やかな動きからは考えられないほどあっという間に、建物や車をおもちゃのように小さくしてしまう。
景色が大きく広がってゆく様子を、二人でしばらく眺める。目線が夕陽とちょうど同じくらいの高さになった時が、一番綺麗だった。天然の鮮やかなオレンジ色のライトが、ゴンドラの中をまるで別世界のように演出してくれる。それが美しくもあり、また儚げでもあった。
「今日は楽しかった〜、ありがとう! ……でも寂しいなぁ、楽しい時間はあっという間だね」
正面に座っている先生に向けて、私は思ったことを素直に口にした。
「またすぐ会えるから、大丈夫だよ」
(──えっ? それって……)
驚いて次の言葉を待っていたが、先生はそれ以上何も言わなかった。
(そういう意味じゃないか……。そりゃそうだよね……)
少しがっかりはしたものの、その言葉自体はとても嬉しかったので、
「じゃあ、次はいつ会う〜?」
と気を取り直してデートの催促をした。
「はは、せっかちだな。休みが決まったらまた連絡するよ」
「うん、待ってるね!」
地上にいる人たちが私たちと同じ大きさに戻ってくると、ゴゴゴ……という音とともにゴンドラが乗り場に入る。乗った時と同じように、先に降りた先生に手を引かれてゴンドラから降りた。
「はーい、お疲れさまでしたー」
と係員が言う。『なんで観覧車に乗って疲れるのよ』と、少し醒めたふうに思いながらその場をあとにした。




