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ダメ女のエール ~笑顔のキセキ~  作者: F'sy
第二章・恋愛
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初デート・海

 カーテンの隙間から一筋の直線となった柔らかい陽の光が、まだ完全に開き切っていない私の瞼に注がれる。眩しさにぎゅっと目をつぶり、布団の中で小さく伸びをすると、徐々に思考回路が現実の世界に戻ってくる。

(……今日、先生と会うんだ……)

 ぼんやりと気付くようにそう思うと、一気に目が覚める。寝坊したような錯覚に囚われ、慌てて時計を見ると六時五十分。アラームが鳴る十分前に目覚めた私は安堵のため息をついたあと、ゆっくりと着替えて保育園へ行く準備を始めた。


 朝食の支度をし、子供たちを起こす。

「ユヅキ〜、ジョウ〜。朝だよ〜」

「……う〜ん……。ちゃーちゃん、おはよ〜……」

〝ちゃーちゃん〟とは私のことだ。わが家では、子供たちは私のことを〝お母さん〟や〝ママ〟ではなくそう呼ぶ。

 口をいっぱいに広げて大きなあくびをし、眠たそうに目を擦りながらユヅキが起きる。それにつられてジョウも一度は目を覚ますが、寝返りを打ってまた瞼を閉じてしまう。

「ジョウ〜、起きないとお友達に会えないぞ〜」

 そう言うと少し間を置いて、ユヅキと同じように大きなあくびをしながらようやくジョウも起き上がる。

 二人が食卓につくと父も新聞を片手にやってきて、みんな揃って食事を始める。いつもと変わらない、わが家の朝の風景。


 朝食が終わり、子供たちを着替えさせる。八時になったあたりで外へ出て、二人を乗せた自転車を走らせると思ったより肌寒い。保育園から戻った私は、父が仕事へ出掛けたことをしっかりと確認してから着替え直した。寒かったからではない。

 昨晩の仕事の帰り、デートに着ていく洋服を買うために友人を連れて買い物に出掛けた。時間と予算の都合でいろいろと買うことはできなかったが、久しぶりに女の子らしい服を買えて──好きな人のために服を買うなんて、本当に久しぶりだ──とても満足した。

 子供を持つと、どうしても動きやすさを第一に考えた服装になってしまうので、最近はデートに着ていけるような服をほとんど持っていなかった。初デートぐらいはオシャレをしたかったので、こうして新しく買った服に着替えているのだ。


 さらに今日は、嘘をついて会社をサボってしまった。先生の仕事は土曜や日曜の休みが少なく、それは早くても三週間後だった。少しでも早く会いたかったので一番近い先生の休日に会わせ、予定を入れた時点ですでにサボる理由を考えていた。

 もちろん会社や子供たちに対して罪悪感がないわけではないが、欲求に負けて「今日だけ……」と自分を許した。


 鏡に全身を映し、自分の恰好に合格を与えてから玄関を出て、慣れた道を歩き始めた。

 待ち合わせ場所は私の家の近くで、先生が車で迎えに来てくれることになっている。昨夜のメールで目印になるスーパーマーケットの名前を出すと、『あぁ、あそこね』と先生は教習所の教官らしく地理に詳しいところを見せた。


 九時。あたりはいつもと変わらず、人や車が行き交う。私の家は団地なので、この時間に近所を歩いていると見知った顔に出くわす可能性がとても高い。

(誰にも会いませんように……!)

 あたりをキョロキョロと見回しながら歩く私は、端から見れば少し不審だったかもしれない。家を出たタイミングが良かったのか、お蔭で近所の人には会うことなく無事に約束の場所へたどり着いた。建物の影に身を潜め、ドキドキとワクワクを混同させて先生を待つ。


 五分ほど経ち、たった今目の前を右から左へ通り過ぎた一台の車が、十メートルほど先でハザードランプを点滅させて停車した。

(あれかな……?)

 壁と壁の間から顔を出すと、その車は小さくクラクションを鳴らした。

(あ、やっぱり先生だ!)

 私は小走りで車に近づき、コンコン、と助手席のドアをノックして開けた。

「おはよう」

 朝日のように爽やかな先生の笑顔が、私の気持ちをドキドキで埋める。

「おはようです♪ おじゃましま〜す」

 若干緊張しながらも、私も笑顔で車に乗り込んだ。

 初めて見る先生の私服姿。ただ若い、というより、童顔な先生にとっては高校生といっても通用するような、赤いチェックのネルシャツにジーパンというラフでカジュアルな恰好。キャップを斜めに被っていることが、その印象をさらに強くしている。

 教習所では、夏は水色のワイシャツを腕まくりしていて、衣替えのあとは夏よりも少し濃い青のワイシャツにネクタイを締めていた。そのどちらにも私はいちいちときめいていたのだが、今日の恰好には何ともいえない可愛らしさを感じ、制服姿とのギャップもあってまたときめいた。


 走り出した車のフロントガラスを朝の日差しが突き抜けて、車内は心地好い暖かさに包まれる。その中で私は、ふわふわと宙に浮いていた。

 ──大好きな人が、すぐそばにいる。今までの恋愛では感じたことのない、緊張と高揚。間近で先生の顔を見つめているだけで、嬉しくて自然と微笑んでしまう。車内で交わした会話は、ほとんど覚えていない。今、この瞬間を感じているだけで満足だった。


 目的地のお台場に着き、予定していた映画を観に行く。タイムテーブルを見ると目当ての映画はすでに始まっていたので、次の上映まで食事をして待つことにした。

「ねぇ、先生。ちょっと海、見たいなぁ」

「海? いいよ」

 私の希望で、外へ出て海まで向かう。

「わぁ、綺麗だね〜!」

「ホントだ、綺麗だね」

 水面に太陽の光が反射して、波打ちたびにキラキラと輝く。朝の海を見るのは初めてで、夕方や夜とはまた違う美しさがあり、思わず見とれてしまった。

 しばらく二人で浜辺を歩いていると、波打ち際にいくつかクラゲが打ち上げられているのを見つけた。

「あっ、クラゲだ〜」

 水族館で見たことのあるクラゲと違って、それは雨水が溜まって薄茶色く汚れたビニール袋のようだった。

「触ったら危ないよ」

 素手で触ろうとした私にそう言い、先生は落ちていた小枝を拾って私に差し出してくれた。

「ありがと〜。……なんか、気持ち悪い……」

 小枝を受け取ってクラゲをちくちくと突いてみると思ったほどの弾力はなく、少し力を入れたら突き破ってしまいそうな、けれど多少の硬さもあるその感触はなんとも気味が悪かった。

「クラゲ、美味しいのになぁ……」

 ぽつりと口にした言葉に、先生が応える。

「ははは……。じゃあ、そろそろごはん食べに行こうか?」

 ──しまった。これでは〝色気より食い気〟だ。

「……そうだね〜、映画、遅れちゃうしね〜!」

 言いながら私は先生の前に立ち、レストランへ向かって歩き始めた。うまくごまかしたつもりだったが、ちらと腕時計に目をやると上映時間まではまだかなり余裕があった。

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