初めての就職
翌朝、ユヅキを保育所に送ってすぐに『これから行っても大丈夫ですか?』と所長さんへメールした。五分もしないうちに『待ってます』と返事が来たので、ジョウを自転車に乗せて事務所へ向かった。
中へ入ると、今日は所長さんしかいなかった。静かな事務所に向かって、少し遠慮がちに挨拶をする。
「おじゃましま〜す」
「いらっしゃーい。──あら、可愛いわねー! 下の子?」
「うん。ジョウっていうの」
「ジョウくーん、こんにちはー」
所長さんがジョウの頬を突つきながら言うと、ジョウも笑顔を見せた。
「人見知りしない子ねー。あ、じゃあいろいろと書類作ってもらうから、そこ座って」
「は〜い」
すぐそばにあった椅子に腰掛け、目の前に出された数枚の書類に必要事項を記入する。
「そうだ、健康診断もあるから。それは明日ね」
「は〜い。──これでいい?」
すべての書類を書き終え、所長さんに確認を取る。
「オッケー! じゃあまた明日……十時頃、来れる?」
「うん、大丈夫」
「じゃお願いね! ジョウくーん、バイバーイ」
「ほらジョウ、バイバーイ」
私はにこにこと笑顔を振りまくジョウの手を持って振りながら、事務所を出た。
翌日の健康診断も問題なく終わらせた。私はついこの間、ジョウを産んだばかりだ。どこか悪い箇所があればその時点でわかっている。
「オッケーだね! じゃあ、いつから働く? 明日からでもいいわよ」
「あ、まだジョウの保育所の手続きが済んでないから、そのあとでもいい?」
「そう、じゃあまた連絡ちょうだい」
「うん」
「──あ、サユちゃん。あなた、スーツは持ってる?」
「スーツ? う〜ん、たしか一着だけあったような……」
「なかったら適当なの買っといてね」
「は〜い。ホントありがとう、所長さん」
二日後に保育所の手続きを済ませ、スーツも無事にタンスの奥から探し出した私は、正式に保険会社へ就職した。
所長さんの言ったとおり、会社には私以外にもシングルマザーの人が何人かいたし、そうでなくても大半の人が子育てをしながら働いていた。子供が病気になったりして休むことも、ここでは当たり前のようにできる。そういった環境で、以前のように好奇の目に晒されることもなく堂々と働くことができた。
初めての就職、初めての営業。慣れない仕事に悪戦苦闘しながらも、子供たちのために頑張って働いた。しかし軽い営業ノルマすら思うように達成できず、なかなか稼げない。固定給はあるものの、この仕事は歩合によってかなり差が出る。借金は利息で増えてゆく一方……。
半年が過ぎても、相変わらず営業はうまくいかない。そんな中、所長さんが会社を辞めてしまった。まだ教えてもらいたいことがたくさんあったのに……。
「大丈夫よ、サユちゃん。あなた、二人も子供いるんでしょ? 頑張りなさい」
(それはそうだけど……。頑張ってるけど、うまくいかないよ……)
明日からは新しい所長のもとで働くことになる。誰かに頼ってばかりもいられない。
就職して一年が過ぎ、全体的に仕事には慣れた。だが、慣れただけでは成績には関係しない。私は毎日ノルマに追われていた。
(このままじゃ全然稼げないよ……。私、営業向いてないのかなぁ……)
稼ぐことしか頭になく、所長さんからの励ましの言葉も忘れてそんなことばかり考えていた。それが顔に出てしまっていたのかもしれないが、その時は客観的に自分を見る余裕などなかった。
(……掛け持ち、しようかな……)
そう思ってから行動に移すまで、時間はかからなかった。父には話さず、その日のうちに仕事を終えた足で、以前勤めていたキャバクラへ向かった。
根掘り葉掘り聞かれるかもしれない、という私の不安を余所に、ママとチーママは何も追求せず私を迎え入れてくれた。
子供たちとの時間をできるだけ取るため、掛け持ちは週三回までにし、入店時間も家事が終わってからにした。同伴やアフターもなるべく避けたかったので、指名されないようにもした。そんなわがまままで許してくれたママとチーママには、ものすごく感謝している。
家事、育児、仕事、借金返済のストレス……。体力的にも精神的にも厳しく、何度も弱音を吐いた。しかしそのたび頭に浮かぶのは、ユヅキやジョウの顔。
産まれた時から父親のいない二人。それは私の責任だし、それを補うほどの幸せを二人に与えるのが私の使命。
愛しい私の子供たち。私の大切な、宝モノ。必ず幸せにするよ──。