幼少期〜高校入学
この物語は作者の友人の物語であり、実話に基づいたハーフフィクションです。地名は実際のものを使っていますが、人物名は仮名、施設名は伏せさせて頂きました。
物心がついた頃の記憶は、おばあちゃんと一緒にいたものばかりだ。
おばあちゃんは父方の祖母で、静岡に住んでいるのにしょっちゅう東京に出て来ていて、私のことを「サユちゃん、サユちゃん」と呼んでとても可愛がってくれた。
私の母は焼肉屋を経営していて、その店が明け方まで営業していたので、母は昼間から夕方にかけて寝ていた。配送の仕事に就いていた父も、もちろん昼間はいない。おばあちゃんがいつも東京にいたのは、私の親代わりだったからだ。
小学生になったある日、ふと夜中に目が覚めると、となりで寝ていたはずの父の姿がない。この頃にはおばあちゃんも、以前のように頻繁には東京に来なくなっていた。この日も来ていなかったので、いつの間にかひとりぼっち。
(お父さん、どこ行ったんだろう……?)
気付いてみれば簡単なことだった。母の店を手伝いに行っていたのだ。私は『なんで何も言わずに、寝かせてから出掛けるんだろう?』と、それ以来いつも寂しい思いをしていた。寂しさを紛らわすために、真夜中でもお構いなしにおばあちゃんの所へ電話していた。
三年生にもなると、おばあちゃんが東京に来ることはほとんどなくなった。もう私がひとりでも留守番できる年齢だと思ったんだろう。だが私は毎日、昼も夜も寂しい日々を過ごしていた。
正月や夏休みに、静岡へ行っておばあちゃんに会えるのが楽しみだった。みんなでお餅をついたり、海水浴に行ったり……。その時だけは、父と母からも家族を感じられた。
しかし子供の頃の両親とのふれあいは、そういった時のわずかな記憶しかない。母の店に行ったことも数えるほどしかなく、〝夜中に目が覚めると、ひとりぼっち〟という記憶だけは今も鮮明に残っている。この寂しさは、今後ずっと引きずることになる。
六年生の時、現在住んでいる団地へ引っ越してきた。それまで住んでいた界隈でも二度引っ越したことがあり、そのたびに転校するのがすごく嫌だった。
この引っ越しでは、学校もあと一年で終わりということで転校せずにバスで通ったが、どちらにしても中学校は友達と離れてしまうので、この一年でたくさん思い出を作ろうと思った。しかし今、思い出と呼べるようなものは残っていないので、それには失敗したのだろう。
引っ越しに伴って店も自宅の近くへ移転することになり、業態も焼肉屋ではなくスナックのような飲み屋に変わった。
憶えているかぎりでは、以前の店はがやがやと騒がしかったが、今回はこのあたりの雰囲気に合わせたのか静かでこじんまりとした店構えになった。
店が変わってからは、中学生になった私も手伝わされた。母は未成年の私でも構わず深夜まで働かせた。料理やお酒を作り、カウンター越しにお客さんと会話する。お客さんからは「若いのに偉いね」などと言われたりもしたが、人と接するのがあまり好きではなかった私にとって、それは褒め言葉にもなんにもならなかった。
躾に厳しい両親なので叩かれることなど日常茶飯事だったが、この頃からさらに酷くなり、「店に行きたくない」などと言おうものなら「じゃあ来なくていい!」と怒鳴りながら、座っている私の背中を思い切り蹴ってくる。他のちょっとしたことでもミミズ腫れになるほどハンガーで叩かれたりもしたし、その体罰は様々だった。
中学校生活は、まったく楽しい思い出がない──というより、作れなかった。
学校から家に帰ると、すぐに店の手伝い。ほぼ年中無休でやっていた店なので、遊ぶ暇なんてなかった。親は束縛も強かったので、どのみち遊びになど行けなかったとは思うが……。
そんな生活が続く中、三年生になった私は進路相談で工業高校を選んだ。特別な理由はない。建築のデザインに興味を持って、単純に楽しそうだと思ったから。あまりレベルの高くない高校だったので、受験には難なく合格できた。
高校の授業は、設計や色の勉強、のこぎりを使った実習など、自分の興味のあることばかりでとても楽しかった。女の子は全クラス合わせても四、五人しかいなかったが、それなりに楽しい高校生活を過ごしていた。
相変わらず店の手伝いはしていたが、学校が楽しかった分、まだ中学生の時ほどつらくなかった。