後
趣味が合うから、じゃあ結婚。とはさすがにならないものの。
「結婚を視野に入れて同棲してみるのはどうだろうか」
と提案されたとしても、ふつうはためらう。
なにせ初対面。
ノエルは一方的に相手の名前と顔の良さと魔術士としての腕の良さは耳にしているものの、私生活をともにするのであれば、もう少しお互いを知り合ってからにしたいと思うところ。
であるのに。
「ええと、じゃあ、よろしくお願いします……?」
ノエルがその場で頷いてしまったのは、初対面で女であると疑いもせず思われたことに驚いていたせいと相手の顔があまりにも良かったから。
「え! 良いの!? ねえ、ちょっと、早まりすぎじゃないふたりとも!」
金髪の彼の言うとおり。
あまりの顔の良さにうっかり同意してしまったノエルだが、ルシアンのほうは早まったと思っているのではないだろうか。
そう思い、彼の顔を恐る恐るのぞいてみたノエルだったが、すぐに目を逸らしてしまう。
なにせ顔が良い。まじまじと見たところで、顔の良さを再確認するだけだった。
※※※
ルシアンからの「やっぱりあの話は無かったことに」という連絡もないまま、十日。
お互いの休日が重なる日に、ノエルが待ち合わせ場所に向かえば、そこにはルシアンが待っていた。
美しい彼が人を待って佇んでいる。
その姿に足を止める者が続出し、噂を聞きつけた少女たちが集まって、彼を中心に大きな輪ができていた。
集う少女たちはどこでめかしこんできたのか、色とりどりのドレスに花飾りをいくつもつけて、まるで花の妖精のよう。
対するノエルは、今日も今日とてズボンに詰襟を羽織った魔道具士の制服だ。なぜって、着飾ることに興味を持ったことがないノエルはまともな私服を持っていないので。
今からでも近場の店に飛び込んで、頭のてっぺんから足の先まで服を取り換えてくるべきだ。せめて、制服以外の何かに。
ノエルがそう思って踵を返そうとしたとき、不意にルシアンが顔をあげた。そして彼はノエルに気づくと、麗しい顔に笑みを浮かべる。
あちらこちらで黄色い悲鳴があがり、群衆がどよめいた。
こうなっては今更、彼に背を向けるわけにもいかない。
ノエルは腹をくくってルシアンの元へ足早に進む。
「すみません、お待たせしました。それにこんな格好で……」
「いいや、俺がはやく来てしまっただけだ」
予期せぬ甘い言葉に群集が再びざわめいた。「そんな!」「お相手も男性だなんてっ」そこここであがる悲鳴じみた声を聞きながらノエルも戸惑うけれど、ルシアンは気づかずに続けた。
「大魔時計の音を聞いていたくてね」
「ああ!」
君に会いたくて、ではなく魔時計の音を聞きたくて。
そう告げられたノエルは、がっかりするどころか歓喜の声をあげた。
「わかります。この世で最も規則正しいリズムを刻む大魔時計の音は、いつまでだって聞いていて飽きがきません」
「そう、これほど大きく、そして正確な魔道具を俺は他に知らない。ああ、修理のために内部に入れる魔道具士がうらやましくてならない」
「あの、もしよろしかったら今度、なかをご案内しましょうか」
そう提案したのは、ルシアンの目が本当に愛おしげに大魔時計を見つめていたから。
澄んだ瞳が驚きに見開かれ、ノエルを映す。
「そんなことができるのか! いや、あなたは姿勢が良いから、魔道具士の制服がよく似合うと思ったはいたが。もしや、大魔時計の修理資格を持つ魔道具士なのか」
「はい、ありがたいことに。末席ではありますが、大魔時計に通じる扉の鍵を預かるひとりに数えていただいています」
ノエルが魔道具士の制服の胸元から引っ張り出したのは、金の鍵。
形ばかりの鍵ではなく、それ自体が魔道具としての機構を備えた特別な鍵だ。
ほう、と吐息をこぼしたルシアンが顔を寄せ、まじまじと見つめている。
「そうか、これが……鍵ひとつとってもこれほどに美しい……」
うっとりと鍵を見つめる美形のルシアンと、青年にしか見えないノエル。
集った人々は魔道具オタクがふたり待ち合わせをしていただけだ、と悟ってぱらぱらと散っていく。
なかにはあからさまに胸をなでおろす少女も見えて、ノエルはなんとなく彼女たちをだましているようで気まずかった。
ノエルとしては男装しているわけではなく制服を着用しているだけなので、非はないのだけれど。
「ああ、いや、あなたの案内で大魔時計を見学できるというのはたいへん、たいっへん! 興味ぶかい。が、今日はそろそろ行こう。あなたが居住地を見つけてきてくれたのだものな。名残おしいが……」
「では、大魔時計はまた今度ということで」
「ああ、ぜひに」
そうだった、とノエルも我に返って大魔時計の鍵を懐に戻す。
本日は単に待ち合わせをしていたわけではない。同棲のための物件を案内すべく、待ち合わせたのだ。
「あなたといるとつい魔道具のことを語り合いたくなってしまって、いけないな」
「本当に。時の経つのを忘れてしまいますね」
互いに苦笑しながら街を歩く。
馬車を停めてある場所までほんの短い距離だ。
けれどその短い距離を行く間にもとんでもなくひと目を集める同行者に、ノエルは制服で来てむしろ良かったと思うのだった。
「ここが、お試しの家……なんですけど……」
同棲をするための場所は、ノエルが安心できるところを選んで欲しい。ルシアンからのお願いをノエルは引き受けた。
が、ノエルは魔道具士としてそこそこ忙しく過ごしており、そして何より物件に興味がない。
そこで信頼できる相手に物件を見繕ってくれるよう頼んだのだが。
乗り込んだ馬車が止まったのは、街の中央にある大時計から城へいくらか走ったところ。
城の区画の一画にそびえる屋敷の前でおろされ、ルシアンとノエルはそろって目の前の建物を見上げる。
「ここは……俺の記憶が確かであれば、宰相閣下の邸宅では無かっただろうか」
「はい。その、色々あって、私の身元保証人を宰相閣下が引き受けてくださいまして」
ほぼ初対面状態のため、ちょっとややこしいノエルの過去はまだルシアンに説明していなかった。
「そういった話も含めて、屋敷のなかで……」
しましょう、とルシアンを招き入れるために屋敷の扉に手を伸ばしたのだが。
ノエルが取っ手に手をかけるよりはやく、ドアノブが素早く回され扉が勢いよく開かれた。
「ノエルぅ〜!」
飛び出してくるなり、ノエルを抱きしめたのはシルバーグレーの髪をきれいになでつけた紳士。
「さ、宰相閣下?」
ルシアンが珍しく動揺した声をあげるのも当然だろう。
そう、飛び出してきたのは城で采配を振るう威厳ある紳士、わが国の宰相閣下。のはずなのだが、今はノエルを抱きしめて見事に相好を崩している。
「閣下、政務はどうされたのです」
「もう~、パパって呼んでって言ってるのに~! ノエルが結婚相手を連れて来るって聞いて、お休みもらって帰ってきたんだよ! だってかわいいかわいいわしの一人娘の相手だよ、ひととなりを知らなきゃ、不安でしょう!」
ぎゅうぎゅうぐりぐり。
過剰な愛情表現を無表情のまま受け入れていると、ルシアンがとなりで顔を引きつらせていることに気が付いた。
引きつっていても顔の良さに変わりはないが、これはいけない。
「ルシアンさま、こちらの宰相閣下が私の身元引受人なのです。そして、このたびの同棲について相談したところ、まずは屋敷の空いている部屋を使うようにと提案してくださいました」
とつとつと説明するノエルを腕に抱えたまま、宰相が「そうそう」とあいづちを打つ。
「お付き合いもあいさつもすっ飛ばしてうちのノエルと同棲って、とんでもない非常識野郎だと思ったんだけど。ノエルってばお仕事場に近いほうが良いからって、このお屋敷に住んでくれないんだもの。ちょうどいいから不届き者を利用してノエルにうちに住んでもらおうと思ってね。得体の知れないどこぞの馬の骨なんてぽいしちゃえばいいんだし」
朗らかな宰相の視線の先で、ルシアンが顔面を蒼白にしていた。
色を失った美形というのもまた作り物めいて美しい。
ではなくて。
彼の美貌に見とれている場合ではなく、容赦のない宰相の言葉に反論してルシアンを守らなければ。
そうノエルが思ったとき。
「お言葉ですが、閣下」
ルシアンが青ざめた顔のまま、ぐっと踏み込んできた。
「確かに俺はノエル嬢と出会って日が浅い。けれど、これから長い時を共に過ごしたいと思っているのは本心です」
初耳である。
真摯な顔で訴える美形。
顔が良い。声が良い。けれどそれらが脳を上滑りするほどには、ルシアンの発言は思わぬものであった。
「ほう? くわしく聞かせてもらおうか」
驚き固まるノエルをよそに、宰相は抱き込む力をゆるめてルシアンに向き合う。
ノエルは抱えられた腕からそろりと抜け出し、宰相のやや後方に立ってルシアンを伺った。
「俺は魔道具が好きです。ですから、彼女と語り合う時間は楽しくてたまらない」
「ふむ。ノエルは魔道具好きを突き詰めて、実力で今の職を得た子だからね。納得ができる。だが、それだけならば友人で良いだろう」
「楽しさだけで結婚を申し込むほど、愚かなつもりはありません」
きっぱりと言ったルシアンの視線がノエルを向く。
「あなたの、魔道具に似た静かな佇まいを美しいと思ったんだ。寄り添い、共に生涯を過ごすならばあなたのような人が良いと」
美形の真顔は心臓に悪い。
そして寝耳に水な愛の告白も心臓に悪い。
「……てっきり、趣味仲間として程よく、令嬢よけにうってつけだからだと思っていたのですが」
驚きすぎたノエルの口からついつい本音がこぼれれば、ルシアンはノエルの手をとって続ける。
「言葉が足りなかった。ノエル嬢、実を言えば俺はあなたと会う前からあなたを知っていた」
「え、と……どなたかとお間違えではなく?」
ノエルはルシアンを一方的に知っていた。けれど顔を合わせたのは十日前がはじめてだ。
そう、思っていたのに。
「俺は魔道具が好きで、暇さえあれば魔道具を眺めている。魔塔に入ってからは魔塔のあちこちで、魔道具を整備するあなたを見かけていたんだ。だが、魔道具と向き合うあなたはあまりに美しくて、声をかけられずにいた。だから先日、機会が巡ってきたときに、こらえきれず同棲を申し出てしまったんだ」
これが驚かずにいられるだろうか。
魔道具士として地味に黙々と仕事をこなしてきたノエルの姿を名の知れた魔術師が見つめていた、などと。
絶句するノエルにルシアンが続ける。
「あらためて、俺と結婚を前提にお付き合いしてもらえないだろうか。これは俺の本心だ。嘘に反応する魔道具を使って、誓ってもいい。俺は魔道具を思うのと同じくらいに、あなたを愛おしく思っている」
「う……あ……あの、私はあなたの顔が良いから、いっときでもそばで鑑賞させてもらおうかな、なんて邪な心で承諾してしまいまして……」
あまりに真っ直ぐな言葉に、ノエルは耐えきれずに本心を吐露した。
幻滅されると覚悟していたノエルだけれど。
ルシアンは笑った。
うれしくてたまらないと言うように、頬を染めて少年のようにくしゃりと笑う。
「俺の顔を好いてくれてるのか! うれしいな」
「えっ、うあ」
美形の無防備な笑顔がまぶしすぎて、ノエルはまともな言葉が出てこない。
「顔だけでも好んでもらえているなら、どうか俺をあなたの隣に置いてくれ。俺の中身はこれから好いてもらえるよう、がんばるから」
「あぅ……」
「どうか、俺に機会を与えてほしい。あなたの恋人として、同棲をさせてくれないか」
美しい顔に期待を込めて、美形がノエルを一心に見つめている。
これに頷かないでいられるだろうか。いや、いられない。
「はい……その、よろしくお願いします……」
蚊の鳴くような声でようよう答えたノエルは、ルシアンに抱きしめられて目を回す寸前。
となりでぶすくれる宰相を宥める余裕もなく、ルシアンの輝く笑顔を浴びていた。