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死に戻り聖女は、魔王への愛を叫ぶ  作者: 三歩ミチ
2章 フィリスは何も知らない
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2-4 フィリスは街を知らない

「近頃城の者から、お前の噂をよく耳にするぞ」

「えっ! ……どのような……?」


 ある日の朝食でそうシルヴァンから伝えられ、フィリスはさっと青ざめた。


(どこで怪しまれたんだろう? 最近は、厨房と中庭にしか出入りしていないのに……)


 気をつけていたつもりだったが、自分が迂闊であるという自覚はある。どこかでシルヴァンへの愛が嘘だとばれただろうか。このまま殺される?

 その青い目が今にも赤く光るのではないかと、フィリスは恐れながらシルヴァンの瞳の色を観察する。そんな風に焦り怯えていたものだから、シルヴァンが続けて


「菓子を作っては振る舞っているそうではないか」


 と言ったのに、反応が遅れた。


「かし……?」

「マルベリージャム入りのクッキーに、リモーネジャム入りのクッキー。それにアプル、オランジのジャムもあったか」

「なあんだ、菓子ですか!」


 嘘がばれた訳ではないらしい。安堵に表情をぱあっと明るくするフィリスの態度に、「なあんだとは何だ」とシルヴァンは不服そうな反応を見せる。


「自由にしていろと言った以上、お前の行動を制限する気はないが、グレアムがうるさいのだよ。『周囲から懐柔する気なのでは』『城内の味方を増やして謀反を企てるつもりなのではないか』とな」

「……?」


 物騒な単語が並んだ気がするが、謀反など考えたこともないフィリスの理解は追いつかず、ただきょとんとして首を傾げる。


「無論、そんなはずはなかろうとは言ってある。不穏な動きがあれば俺が手を下すとも。だがな……頭の硬いあいつを黙らせるには、やはり証拠品が必要らしい」

「……はあ。大変そうですね」


 グレアムについて何か愚痴を言っているのはわかった。フィリスの気の抜けた相槌に、シルヴァンは溜息をつき、視線を泳がせ、頬を薄く染めて唇をもごもご動かす。


「つまりだな…………俺のは、ないのか?」

「えっ? あっ! あ、あ、あります! もちろん!」


 漸くフィリスにもシルヴァンの求めに合点が行く。


(他の人にはクッキーを配ってるのに、自分に寄越さないから怒ってるんだわ!)


 厨房での会話がつい弾んでしまい、クッキーがなかなか納得のいく仕上がりにならないのが原因である。話すのは楽しいし振る舞った皆に喜ばれるので、「まあいっか」と思っていた節もある。ディルいわく、シルヴァンは甘いもの全般が好物らしい。まさかクッキーの噂が本人まで届くとは思わず、「自分だけ振る舞われない」という疎外感を味わわせてしまったとは。

 挽回しなければ。焦ったフィリスの口が勝手に回り始める。


「シルヴァン様に食べていただけるようなものが、まだ出来上がっていないんです。皆さんにお配りしたクッキーは試作で……シルヴァン様には、もっとすごい、とっても美味しいお菓子を作ろうと思ってるんですよ! 楽しみにしていてくださいっ!」

「……そうか。……楽しみにしている」


 どうにかその場を乗り切ったフィリスは、朝食が終わり、シルヴァンと一旦別れたその足で厨房に向かった。


「ディルさん~! とんでもない啖呵を切ってしまいました!」

「はいはい、聞いていましたよ。『クッキーよりすごい、とっても美味しい菓子を作る』と豪語しておられましたね」

「どうしましょう。クッキーだってちゃんと作れないのに、それより美味しいお菓子なんて……」

「それは無駄口を叩いてしまうからだと……まあ、ぼくもつい楽しくてお嬢さんに話しかけてしまうので、責任の一端はありますねえ」


 厨房内で交わされる会話は、もっぱらフィリスの知る料理についてである。好奇心旺盛なディルがどんどん引き出してくれるのが楽しく、つい喋りすぎてしまうのだ。そのせいで生地がだれたり、焼きすぎたり、焦げたり……そんな失敗作を、城の者たちに差し入れていたというわけである。


「ジャム入りクッキーよりすごいお菓子……」


 うーん、と首をひねったディルが、「ああ」と何か思いついた声をあげた。


「クッキーをより美味しく作るというのはどうでしょう。今まで作ってきたものはざくざくと粗く硬い食感ですが、ほろほろした優しい食感のものを作ることができるんですよ」

「ざくざくが、ほろほろに……?」

「ええ。耳で聞いた印象以上に、食べると違いますよ。美味しさは保証します」

「それなら、ぜひそれを作りたいです!」


 ディルが保証するなら間違いない。即答するフィリスに、ディルは「ただ、材料がなかなか手に入らないんですよね」と返す。


「ここでは作れず、街で買わないといけないものがありまして。だから坊ちゃんにも、ほとんど振る舞ったことがないのですよ」

「……今日作るのは、無理ってことですか?」

「ぼくは城から出られませんからねえ。どなたかが街へ買い物に行ってくれるのなら……」

「私が行くのはどうでしょうか?」


 既にフィリスの思考は、街に出る方向で回っている。深いフードをかぶって髪と目を隠せば、聖女だとわからず買い物ができるだろう。


「迷ってもことですから、案内をつけたほうが良いでしょうね」

「魔王城に一番近い街ですよね? ひとりでも大丈夫です、行ったことがありますから」

「うん? ……リサちゃんは角を隠せますから、案内してもらうことを勧めますよ。ぼくからあの子に買い出しリストを渡しておきます。お嬢さんはその間に、坊ちゃんにひと声掛けておいてください。無断で伴侶を街へ送ったとなれば、ぼくもお叱りを受けてしまいますから」

「わかりました」


 無理を言って逆らうほど、一人での行動にこだわりがあるわけでもない。フィリスは頷き、素直にシルヴァンの執務室へ向かった。廊下を歩いていると、ちょうどぱたんと扉が開いて背の高い人影が出てくる。グレアムだ。


「おや、珍しいですね、聖女様。こんなところでどうされたのですか?」

「シルヴァン様に、外出の報告をしようかと思いまして……」

「外出? 自由に外へ出られるようなご身分だとお思いですか?」

「わかっています。ただ、シルヴァン様に差し上げるお菓子作りに必要な食材を、買い出しに行かないといけないんです。もちろんひとりではありません、リサさんも一緒です」

「リサと一緒に買い出し? ……ああ、そちらへ行くのですか」


 グレアムの険しい表情が、ほんの少しだけ和らぐ。


「それなら問題ないでしょう、自分から伝えておくので直接の報告は要りません。万が一今日中に帰らないなら逃走と見なして行動しますので、お覚悟を」

「必ず帰って来ますから、大丈夫です」

「では、お気をつけて」

 

(リサさんと一緒に行くことになっていて良かった! ディルさん、ありがとう!)


 いろいろ揉めるかと思っていたのに、すんなりと許可が下りた。きっと、同行者が居るからだ。ディルへの感謝で胸がいっぱいのフィリスは、あの厳しいグレアムがすんなりと許したことに違和感のひとつも覚えなかった。


「行ってきます、シルヴァン様にもよろしくお伝えくださいー」

「…………あんな街に行くと言うのに、随分浮かれていますねえ」


 だから、グレアムの不穏な呟きなど、耳に入るはずもないのであった。


***


「あ、フィリス様! ちょうど良かったですう。あたしは準備が済んだので、今度はフィリス様が着替えてくださあい」

「……え? リサさん? どうしたんですか、その格好」

「どうした、って……買い出しに行くんですよねえ? そんなに綺麗な服を着て行ったら危ないですよお。ライラ様のお出かけ服が残ってるので、それを着てくださいー」


 自室に戻ったフィリスが目にしたのは、ぼろぼろにくたびれた服を着たリサだった。元は何色だったかわからないほど、色褪せ薄汚れた生地。裾のよれた大きめのシャツに、ほつれた長ズボン。よく見れば、服だけではない。いつもなら綺麗に結われている栗色の髪も、ぼさぼさに乱して雑に結んである。

 着ろと言われた服も、リサが着ているものに負けず劣らずぼろぼろの見た目だ。ひとまず、ドレスを脱いで服を手に取る。触れてみると、生地は案外丈夫だった。ぼろぼろというよりは「ぼろぼろに見えるように加工した」印象の手触りである。


「あー……その綺麗な髪は、隠さないとまずいですよねえ。ちょっと、座ってもらえますかあ?」


 鏡台の椅子に腰掛けると、リサはフィリスの長い髪をきつく結い上げる。後頭部の皮膚が引っ張られて痛いほどだ。可能な限り小さくまとめた髪全体を覆うように被せられた布も薄汚れている。


(ここまでの変装が居るような街じゃないわよね……)


 魔王城に最も近い街は戦線で暮らす騎士達が物資を購入したり休日に遊んだりするため、賑やかで栄えている。こんな物乞いのような格好は、かえって目立ってしまう気がするのだが。


「……よーし、完璧ですう。お顔にもちょっと埃を叩いといたほうがいいですかねえ、フィリス様は可愛らしすぎるのでー」


 ぽふぽふ、とパフで頬を優しく叩かれると、薄灰色に汚れる。鏡に映る自分はひどく薄汚れた浮浪者のようだった。


(これはひどいわね……)


 戦場で湯沸かし器が壊れて数日風呂に入れなかった時ですら、ここまで汚くはならなかった。自分とは思えないような酷い有様に、ついついじっくりと観察してしまう。


「早く買ってきて着替えましょうねえ、こんな服、一刻も早く脱ぎたいですう」

「……そんなに嫌なら、普通の服でもいいんじゃないでしょうか」

「えっ? 駄目ですよおフィリス様、そんなことしたら悪い人に襲われちゃいますう」

「悪い人に襲われる……?」


 フィリスの記憶にある街は、決してそれほどの治安の悪さではない。首を傾げるフィリスの手を、リサがぐっと引く。


「他の人に見られたくないんで、厨房にある勝手口から出ましょうねえ。さっさと行って、さっさと帰ってきましょうー」


 リサは、この服装が余程嫌らしい。あまり乱暴なことはしない彼女なのだが、今回ばかりはぐいぐいとフィリスの腕を引いて城内を進む。厨房に飛び込むと、「予算が余ったらあたしのご褒美を買いますからねえ」と言いながら奥へ進む。噛みつこうとするガブをかわし、向こうにある扉を開いた。


「えーと……あっ、あった!」


 きょろきょろ左右を見渡し、リサは城を取り巻く瘴気の壁に駆け寄る。そこには、矢印型の小さな看板が立っていた。矢印の先は、瘴気の中を指している。


「じゃ、進みますよお」

「あれ……? こっちから行くんですか?」


 ここは城の裏手である。フィリスがやってきたのは城の正面側だ。方向が逆のような気がしたが、「合ってますよー」とリサが言うので飲み込んだ。瘴気の中は暗かったし、方向の感覚もよくわからなかった。単に、シルヴァンが正面から案内してくれただけかもしれない。

 瘴気の中に入ると、目を凝らしてぎりぎり見える距離にまた矢印の看板が立っている。看板を追ううちに、少しずつ瘴気の色が薄れていく。なるほど、確かにこうやって目印を付ければ迷わずに済む。感心しながら、フィリスはリサの背を見失わないように進んだ。


「そろそろですかねえ。……『フィリス様』って呼んでると危ないので、街では『フィリちゃん』ってお呼びしますねえ」

「あ……はい」

「敬語も良くないんですよお。あたしのことは『リサ』って呼び捨ててくださあい」

「……わかったわ」

「『わかった』でいいですよう」

「わかった……」


 一体、リサは何を警戒しているのだろう。フィリスの疑問は膨らむばかりである。


「……フィリちゃん、こっち」


 矢印に沿って、リサはひょいと曲がる。瘴気が急に薄れ、視界はだいぶクリアになった。完全に見える訳ではない。薄い瘴気が、もやのようにかかっている。

 出たのは、家と家の間のようだ。なるほど、ここなら瘴気の奥から出てきても人目に付かない。ごちゃごちゃ積まれた木箱の隙間に足を差し込み、家と家の間を進んでいくと、やっと通りらしいところへ出る。


(え……何、これが街なの?)


 通りを行き交う人がいる。だからここは確かに街なのだろうが、フィリスが知るものとは全く違っていた。

 そもそも、ここにはまだ薄らと瘴気がかかっている。その影響を受けているのか、家の壁もどことなく朽ちている。行き交う人の顔色は悪く、着ているのはフィリスのものとそう変わらないぼろだ。


「何、ここ……」

「ノディラ王国リム公爵領サディロ街、だったかなあ。行こ、フィリちゃん。こっちだよー」


(ひとつも聞いたことのない地名だわ……!)


 唖然とするフィリスの手を引き、リサは慣れた様子で通りの人波に乗り、歩き始めるのであった。

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