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死に戻り聖女は、魔王への愛を叫ぶ  作者: 三歩ミチ
2章 フィリスは何も知らない
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2-2 フィリスは料理を知らない

「実のところ私はもっぱら『焼き』担当でして、それ以外の調理はしたことがないんです」

「そうでしたか。大丈夫ですよ、ジャム作りは煮るだけですから。ではまずはマルベリーをさっと洗ってください」

「はい、ディルさん」


 気分は師と弟子である。良い返事をしたフィリスは、マルベリーがたっぷり入った籠に向かう。


「水はどこに……?」

「湧き水を引いてあるんです。そこの水場から、必要なぶんを汲んで使ってください」

「へえ……すごいですね。やっぱり湧き水を使うと味は違いますか?」

「食べ比べたことがないのでわかりませんが、違うと思いますよ。料理には水をたっぷり使いますからね。……飲んでみますか? どうぞ」


 厨房の中央付近にある水場に湧き出る水を、ディルはカップでさっと掬う。なみなみ注がれた水を飲んだフィリスは、目を丸くした。


「美味しい……!」


 よく冷えた水が喉を流れてゆく爽快感。無味ながら、何となくさっぱりした感覚だけが口の中に残る。

 湧き水と比べてみると、魔導具から出る水は生温い上に独特の風味がある。この湧き水を使った料理はさぞ美味かろうと、料理初心者ながらにフィリスは思った。


「それは何よりです。では、洗い終わったら教えてくださいね」

「わかりました」


 フィリスは、ディルに渡された手桶に水を汲み、与えられた厨房端のスペースに戻る。料理の手順の中で水は何度も必要になるらしく、ディルだけでなく、先程の三人衆も何度も組み上げている。あそこにいては邪魔になってしまう。一番小さな少年アリャはあの湧き水を皿洗いに使っているようだが……洗い物に使うなんて勿体無いと思うほどの美味しさだったと、先ほどの感動を思い出しながらマルベリーを手に取る。

 ころんとしたマルベリーを洗うのに手間はかからない。水にくぐらせ、大きなざるに入れる。ごく単純な作業をマルベリーの数ぶん繰り返すだけだ。とは言え、背負える大きさの籠いっぱいに摘んだマルベリーを洗うのには、それなりの時間がかかった。


「終わりました」

「はいはい、わかりましたよ。では、そこにある鍋を取ってください。ぼくは今少し手が離せないものですから」


 ディルが手に持つフライパンでは何かがじゅうじゅうと音を立てて焼かれ、香ばしい匂いが漂ってくる。あれは今日の夕飯になるのだろうか。気になりながら指示された鍋を持ってくる。


「そこにマルベリーを全部入れて煮てください」

「全部、ですか? ここに……?」


 フィリスは、山と積んだマルベリーと手元の鍋を見比べる。鍋の大きさは、せいぜいフィリスの顔くらい。とてもじゃないが、摘んできまマルベリーは入り切らない。


「ええ。はじめは鍋の中ほどまで入れてください。弱火で煮ていると水分が出てだんだんかさが減りますから、そうしたらまたマルベリーを足すんです。マルベリーはほとんど水でできていますから、全部入ってしまいますよ。しっかり煮詰めたら、甘くて美味しいジャムの出来上がりです。あ、火はこちらをどうぞ」

「……この火を使うんですか……?」

「おや、何か問題でも?」


 ディルが調理しているのは、石造りの台の上で薪を燃やし金網を乗せた上であった。魔導具を用いない、なんとも原始的な方法にフィリスは戸惑う。


「魔導具しか使ったことがないので、びっくりしてしまって」

「ああ、そういったものはないんですよ。大丈夫です、この端なら火から遠いのでちょうど弱火になりますよ」

「そうなんですね……」


 水にこだわる人は、火にもこだわるのだろうか。もしかしたら魔導具の火で焼くのとは違う味わいがあるのかもしれない。ディルの職人らしいこだわりに感心し、フィリスは指示通りに金網の端へ鍋を置いた。

 隣では、美味しそうな音を立てているディルのフライパン。ついそちらに気を取られる。


「焦げてしまいますから、この木べらでよく混ぜておいてください」

「あっ……はい」


 いけない。今はジャム作りに集中しないと。

 フィリスはマルベリーを鍋のちょうど半分まで入れて片手に木べらを持ち、鍋の中を注視する。変化はすぐに表れた。

 鍋の底で熱されたマルベリーの皮が、ぱちんと弾ける。果汁が溢れ、ふつふつと沸く。焦がさぬように木べらで混ぜると皮もろともすぐにとろけ、赤色の透明なジュースと化す。それが少し煮詰まって色濃くなったところへ、新たにマルベリーを足す。

 ふつふつ、ふつふつ。繰り返すうちに赤色は濃くなり、少しずつとろみが増してくる。木べらに感じる抵抗が強まり、混ぜるたびにふわっと甘い香りが漂う。


「ディルじい、何作ってるんすか? やっべえ良い匂いする! 甘い!」

「お嬢さんがマルベリージャムを作っているんですよ」

「うわー、最高っすね。サンドイッチにするんすか?」

「ははっ、そうですねえ。坊ちゃんの分を取り分けて、余ったものはサンドイッチにしましょうか」

「おっ、やったぜ! マルベリージャムのサンドイッチ、オレは一番好きなんすよねー」

「ボクも好き! マレねえも好きだよねっ、ねっ!」

「アタシも好きだけど、欲張ったこと言ったらだめなのよ。あれは聖女さまが魔王さまのために作ってるものなんだから」

「えー、なんでだよお」


 また揉め始める三人衆の声を聞きながら、フィリスはマルベリージャムの味に思いを馳せる。朝はパンケーキ全体の美味しさに感動するあまり、ジャムの味に集中していなかった。これだけ甘い匂いがするのだ。生のマルベリーよりも甘く、濃厚な味わいなのだろう。パンに挟んで食べたら美味しいという彼らの気持ちもわかる。パンケーキも美味しかったから。


「このジャムなら、クッキーに入れても美味しそうですよね」


 それは何気ない相槌だった。マルベリーの甘い香りを嗅ぐうちに、どこかで食べたジャム入りのクッキーを思い出したのである。恐らく、騎士の誰かが恋人に貰った差し入れであろう。中央にハート型に入れ込まれたジャムを見て、皆で冷やかした記憶がある。


「ジャムをクッキーに入れる、ですって……?」


 ディルの声音が少し変わったことに、フィリスは気付かなかった。例の如く音もなく近寄ってきたディルに反応する間もなく、両の手をがっと掴まれる。勢い良く跳ね上げられた木べらから熱いジャムが飛んで頬に付いたというのに、ディルは顔色ひとつ買えない。きらきらとした眼差しが、フィリスを射抜いた。


「そうか、そうですよね。お嬢さんはつい最近まで外で暮らしていたんですから、外の料理も知っているんですね。ぜひお教えください、ジャム入りのクッキーとは何ですか?」

「えっと……そのまま、ですよ。丸いクッキーの真ん中に、いろんな形をしたジャムが入ってるんです」

「練り込むのではなく、そのまま! いろんな形と言うのは……? 中央に穴を開けてジャムを入れている? それではこぼれてしまいそうですが……」

「穴が開いているっていうよりは、へこんでいる感じです。真ん中のへこみに、ジャムが入っているみたいな」

「ほおお、なるほど。どうやって決めた形にへこませるんですかねえ。あっ、いえ、自分で考えますよ。ははっ、そうかそうか、良い話を聞きました。ありがとうございます、お嬢さん」

「は、はあ……」


 出会った時から紳士的な態度を貫いていたディルの豹変に、フィリスはちょっと付いていけない。「型抜き……へこませる……?」とぶつぶつ言い始めたディルに声を掛ける勇気が湧かず、煮詰まった鍋とディルをおろおろと見比べる。


「この半分になるくらいまで煮詰めたほうが良いですよ。もっと、うーんとどろどろになるまで」


 ひょい、と傍から覗き込んで来たのは最年長の少女、マレーナであった。ちらりとディルに目をやると、にかっと笑う。


「ディルじい、ああなると長いんです。新しいレシピを考えるのが何より楽しいんですって」

「ああ、そういうことですか……!」


 豹変の理由がわかってほっとする。職人気質極まれり、ということだ。食材にこだわるディルはその活かし方にも余念がないようである。


「ディルじいって、城にある本は全部読んじゃったらしいですよ。料理本だけじゃなくて、普通の本も読み尽くしちゃったって言ってました。だから聖女さまが新しい外のレシピを教えてくれるの、すっごく嬉しいと思います」

「教える、というほど知っているわけではないんですよ。ジャム入りのクッキーにしたって、食べたことがあるだけで」

「ううん、それでもです。城にいたら、新しい情報なんてなかなか入って来ないじゃないですか」

「そうですか、お忙しいですもんね」

「うん? ……まあ、はい。半分まで煮詰まったら火から下ろしてくださいね、焦げちゃうんで」


 毎日、これだけこだわって料理をしているのだ。外に食べに行く余裕もないのだろう。感心するフィリスに指示を与え、マレーナは自分の作業に戻っていく。

 あと半分。底から湧いてくる泡の塊を眺めながらへらでかき回していると、長い時間もあっという間に過ぎて行った。言われた通りに鍋を火から下ろし、フィリスはディルの方を見る。床に座り込んだディルは、木を削っていた。


「あの、ディルさん……」

「なんです? ……ああ、お嬢さん。終わりましたか。どれどれ……おお、良い具合です。それでは最後に愛情を込めましょう。こちらをどうぞ」

「これは……リモーネですか?」

「そうです。果汁を絞って、愛を込めて混ぜてください。このひと搾りが、味をさらに良くするのですよ」


 半分に切った黄色いリモーネを受け取り、片手でそっと握る。


(シルヴァン様への愛を……愛を……愛してる、と)


 フィリスの胸に、シルヴァンへの愛などない。それでもないなりに何かを振り絞り、指先に力を込めて果汁を鍋の中に振りかけた。木べらでくるくるかき混ぜるが、見た目に変化はない。


「これで熱が取れるまで置いておきます。……折角ですから、教えて頂いたジャム入りクッキーに仕上げましょうか。明日には型が出来上がりますから、また来て頂けますか」

「明日には型が出来上がるんですか?」

「はい、これですよ。ははっ、新しいレシピなど久々のことで、つい夢中になってしまいました」


 ディルが摘んで見せるのは、彫り途中の木片である。何が出来るのかフィリスには想像できないが、木片を見せるディルの目があまりにも輝いていて、今充実していることだけはわかった。


「喜んでいただけて良かったです」

「ええ、ええ、それはもう。ではまた明日……いえ、まずは夕飯の時間にですね。大丈夫ですよ、そちらの支度もつつがなく進んでおりますから」

「はい。……では、また」


 厨房を辞し、人のいない食堂から廊下に出る。また当てのない散歩が始まってしまった。少し歩き厨房からだいぶ離れても、フィリスの鼻の奥にはマルベリージャムの甘い甘い香りが残る。


(……これ、私の匂いじゃない?)


 長いこと甘い香りに浸っていたために、甘い匂いが染み付いてしまったのだ。

 これでは、計画がシルヴァンに知れてしまう。折角彼の好物を作るのなら、いきなり見せて驚く顔が見たい。そう考えたフィリスは着替えのため、リサの待つ自室へ帰るのだった。

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