7-6 聖女は、魔王への愛を叫ぶ
「……緊張して来ました」
「お前でも緊張するのだな」
「しますよ。私を何だと思ってるんですか?」
「感情の機微に疎いところもお前の美点だ。俺はその鈍感さを好ましく思っている」
「そんな言い方されたら怒りにくいですよ」
「わざと言っている。緊張は多少ほぐれただろう」
「ほぐれましたけど……!」
「こんなところで痴話喧嘩するのはやめてもらえるかな。必要な緊張感まで削がれてしまうよ」
小声で言い交わすのは、諮問室の扉の前。これから三人で、諮問会が開催されている中へ乗り込もうというのである。
「行くよ」
短いリナルドの合図と共に、扉が押し開かれる。
「何用であるか、リナルド。お前の入って良い部屋ではない……ぞ……」
リナルドと同じ、金の瞳が見開かれる。淡々とした国王の表情が崩れ、驚きの色に染まった。
「……アラバ!」
「はっ!」
国王が叫ぶよりも先に、騎士団長のアラバは動いていた。フィリス達との間に体を差し込み、国王を守る体勢を取る。
「魔王城を出入りしているという報告は受けていたが……まさか謀反を企てるとは。失恋程度でそこまで落ちぶれるとは、見損なった」
「驚かせて申し訳ありません、父様。僕から、この諮問会で議題に上げて頂きたい用件がありまして。……聞いて頂けないと、この場が僕達の墓場になる可能性がありますが」
「……余が脅しに屈すると思うてか」
「事実を述べただけなのです。魔王が僕達を皆殺しにする前に、話し合いの場に乗せた僕を褒めてほしいくらいですよ。魔王は今日、人魔戦争の終結を求めてここへ来てくれました」
「人魔戦争の……終結を……?」
驚いた顔をしているのは、国王とアラバだけである。大司教のモールドは表情を変えずに話を行先を見守っている様子だ。研究局長のマデルは……さっきからずっと、口を半開きにして宙を見ている。心ここに在らずといった雰囲気だ。
「ええ。僕達はずっと、魔王を敵と見做して戦いを続けて来ました。魔獣は無限に湧き、民は怯え騎士達は疲弊する。そんな不毛な戦いを終えられるのなら、終えるべきではありませんか」
「終えられないから、今まで続いてきたものなのだぞ」
「それを終わらせる時なのです。我々は対立するではなく、手を取り合い、新たな敵に立ち向かうべきなのです」
「新たな敵だと?」
「何のことだかわかるな、アラバ」
「……いえ……自分には……」
首を左右に振るアラバの顔は、先ほどよりも青ざめている。
「僕は先日聖女の力を借りて、瘴気の壁の向こうーー魔王城のさらにその向こうにある街へ行ってきました。昔からあると語り継がれている隣国は、確かにそこにありました」
「……その話は関係ないであろう」
「あります、父様。その街には、武装した兵士がおりました。この国では見ない、金属製の鎧を全身に着けていましたが……アラバ、君はそんな鎧に見覚えがあるのでは?」
「そ、それは」
「僕は騎士達から、森の中で見慣れぬ武装の男達を目撃したと聞きました。一度交戦し、相手の見知らぬ武器に対応できずに退避したとも。その報告は既に上がっているのでしょうか」
「……アラバよ」
「相手が敵対者なのか、組織的なものなのか何なのか、情報を把握してからお伝えするつもりでおりました」
「交戦した騎士の言っていた武装は、僕がその街で見た兵士達の武装とよく似ています。隣国は、何らかの方法で瘴気の影響を受けずにこちらへ来ることができるようになったのではないでしょうか。そうなれば、攻め込まれるのは時間の問題です。壁のこちら側で争っている場合ではない」
ここでリナルドは、シルヴァンを手のひらで示す。
「今のうちに魔王を味方にするべきです。彼が敵に回れば僕達に勝ち目はありません。逆に魔王の力を借りれば、侵略者からこの国を守ることもできます」
「……これは謀られたな」
誰にも聞こえないよう、シルヴァンがぼそりと呟く。問いかけるフィリスの眼差しに、シルヴァンは眉をひそめて応える。
「俺がこいつらと手を組んで、隣国の奴らと戦う話になっているではないか」
「嫌ですか? シルヴァン様が嫌なら、今のうちに……」
「お前は呑気な奴だな。今ここでそんなことを言ったら、お前の望みも叶わぬのだぞ。……まあよい。なるようになる」
リナルドに話を合わせてやることにしたらしいシルヴァンは、わざとらしく咳払いをして注目を集める。
「リナルドは我が妻の旧友。彼への協力ならば、俺は惜しまない」
「旧友、ね……」
「何か?」
「いや、何でもないよ。……とのことですが、いかがお思いですか。協力を申し出ている魔王とのこれ以上の軋轢は避け、外部の敵と戦うべき。これが僕からの提案なのですが」
「賛成じゃ!」
間髪入れずに声を上げたのはマデルである。
「魔瘴石とやらを見せてもらったが、あれは莫大な力を秘めておる! 魔石なぞ比にならんのじゃ。わしは早く戻って研究の続きをしたい、さっさと話をつけましょうぞ!」
「……その態度はいかがなものかと思いますが、僕も賛成です。この国は聖樹によって立つもの。聖樹に愛されし聖女が、魔王の隣に立っているのです。これもきっと聖樹のお導きなのだと……僕はそう、信じます」
続いてモールドも声を上げる。
協力してくれたことに、嬉しさが込み上げる。じっと感謝の眼差しを注いでいると、モールドと目が合った。彼は苦笑し、視線を移せと言わんばかりに顎を微かに動かす。
モールドに指示された方へ視線を向けると、それは国王の居所だった。椅子に深く腰掛けた国王は、フィリスの目の奥を真っ直ぐに射抜いてくる。
「……魔王は、信頼に足ると?」
「はい。そもそもシルヴァン様は、私達の暮らしに魔石が必要であることをご存知でした。だから、意図的に魔獣を寄越していたのです。私達はそれを攻撃だと思っていましたが……魔獣が居なくなって魔石が手に入らなくなったら、困りますよね。魔獣の存在は、シルヴァン様の優しさだったのです」
鋭い眼差しに捉えられながらも、フィリスの言葉はすらすら流れ出る。本心を語っているからだ。飾らぬ言葉は、国王の威厳すらものともしない。
「そんな優しいシルヴァン様だからこそ、私は惹かれ、愛しているのです。シルヴァン様も私を愛してくださって、いる、はずで」
「なぜ急に歯切れが悪くなるのだ。俺の愛をまだ分からぬのか?」
「いえ、違うんです。自分の言葉が急に恥ずかしくなってしまって」
少し熱くなる頬をぱたぱた仰いでから、フィリスは言葉を続けた。
「愛し合い、慈しみ合える。私とシルヴァン様が特別なのではありません。魔人は、正体不明の悪しき存在ではありませんでした。言葉を交わし、分かり合える……信じられる存在です」
「…………もうよい。ここまで用意されておったら、余には頷くことしかできぬ。建設的な話を始めようではないか」
200年続いた人魔戦争は、聖女と魔王の愛が終わらせた。後の世にそう語られる歴史的な決定が、この時、なされたのであった。
***
「フィリス様ー! 見てくださあい、あれ! お花を売ってますう」
「うっわー、マジで人間ばっかじゃねーか。ほら見ろよアリャ、誰も角生えてねーぜ」
「あー! サムにい、ディルじいが何か食べてるよ!」
「ずりい! 行こうぜアリャ、マレーナも!」
「勝手に行動したらだめって……待ちなさいよ、もう~!」
かつての戦線から少し離れた、ネフィリア王国内の街。当時は魔獣と戦う騎士達でごった返していた出店通りに、黒い角を生やした魔人達が楽しげな声を響かせる。
花屋のきれいな花を指差すリサ、早速出店の前で立ち食いをするディルに、お裾分けをおねだりする子供達。他にも何人も、城で働く者達の中から希望する者を、こうして連れて来たのである。
「……不思議な光景だ。まさかこんな日が来るとは」
青い空の下、賑やかな通りで城の者達が楽しむ様子を眺め、シルヴァンがしみじみと呟く。
「街の者達は、まだ俺達を恐れているようだが」
「最初は仕方ありませんよ。それでも、騎士達がいろいろ話してくれたこともあって、だいぶ打ち解けてきた気がします」
「そうだな。……これは俺の、理想のひとつだった。お前のおかげで叶ったぞ、フィリス」
「シルヴァン様のおかげですよ」
あれから王命を受けた騎士達が改めて隣国との境界を探索したところ、高く険しい山の斜面に大穴を開けられていた。そこにシルヴァンが濃い瘴気を掛けることで、向こう側からの侵入は阻止できた。隣国では瘴気に耐える素材が開発されているため時間の問題かもしれないが、ひとまずは侵略を防ぐことができ、その功を評価され魔王シルヴァンは騎士達の信を得ることができた。
魔王城の者達と人間の交流は、少しずつ進められている。フィリスとシルヴァンの引率で街に繰り出すことを始めてからこれで四度目だが、確かに町人と魔人達は打ち解けてきている。
「俺達も何か食うか」
「ディルさんが食べてるあのふわふわしたお菓子、気になりませんか?」
「いいな。買いに行こう」
何よりも、シルヴァンと共に広い世界を歩けること。フィリスは、それが何よりも嬉しくて。
「……シルヴァン様、愛しています」
端正な横顔に向かってそう呼びかけると、彼はこちらを向いてふっと笑う。
「俺もだ」
重なる手の冷たさが何よりも愛しくて、フィリスはきゅ、と手のひらに力を込めるのだった。その薬指に輝くのは白い宝石。聖樹の涙は、太陽の光を受けて嬉しそうに煌めいた。
『死に戻り聖女は魔王への愛を叫ぶ』完




