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死に戻り聖女は、魔王への愛を叫ぶ  作者: 三歩ミチ
1章 聖女の使命
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1-3 シルヴァンとの夕餉

「わーあ、やっぱり! フィリス様にぴったりですねえ、オーダーメイドみたいですう」


 着替えを終えたフィリスの周りを、リサが拍手しながらくるくる回る。

 リサに案内された部屋は、シルヴァンの執務室と比較するとはるかに広く、よく整頓されていた。寝室を兼ねた居室のようで、部屋の奥には大きな寝台が置かれている。張られた天蓋は虫除けではなく飾りを目的とした綺麗なもので、それもまたフィリスを驚かせた。

 クローゼットや鏡台など、身だしなみを整えるために必要なものも揃っている。今フィリスは、リサがクローゼットから引き出した衣装を、勢いに流されて着たところだった。

 着せられたのは、淡くふんわりとした黄色のドレス。腰がきゅっと絞られ、裾はふんわりと広がっている。戦場に合ったシンプルな作りの白衣ばかり着ていたフィリスには、いささか可憐すぎて落ち着かない。


「こんなに綺麗な服……私が頂いて、いいんでしょうか」

「いいんですよお。ライラ様は自分が着ないのに、可愛らしい服を集めるのが好きなんです。『この服は小柄で可愛い子に着せたい』って言ってましたから、フィリス様はぴったりですう」

「小柄で、可愛い子……」


 確かにフィリスは背が低いほうだが、何しろ聖女である。求められるのは体躯に見合わぬ威厳や凛とした雰囲気であり、可愛らしいなどと評されたことはあまりなかった。気恥ずかしさを誤魔化すように、フィリスは服の袖を指先で弄る。


「……やっぱり私には、着てきた服のほうが」

「あれは洗いに出しちゃいましたよ、今更何言ってるんですかあ。ここに座ってくださーい、せっかく可愛い衣装を着たんですから、お顔も整えなくっちゃいけません」


 がし、とフィリスの肘を掴む手が案外強い。リサの流れに呑まれて鏡台の前に座らされる。鏡に映るのは、デコルテがしっかり開いた華奢なドレスを着た自分の姿である。照れて直視できないでいるうちに、フィリスの髪には甘い匂いの香油が塗り込まれる。


「綺麗な色の髪なんだから、ちゃんと手入れしたらもっと綺麗になりますよお。……見てくださいフィリス様、ほーんと綺麗な髪! この結い方可愛くないですか、あたしが考えたんですう」


 鏡に映る自分の姿に、フィリスは驚いて瞬きした。腰まである長さの髪は、今までただ無造作に垂らしていただけだった。リサの手が入った髪は窓から射し込む光を反射し、艶やかに輝いている。何やら複雑な形の編み込みを加えたハーフアップは、繊細で上品な印象を醸し出していた。


「……自分じゃ、ないみたい」


 ぽつりと呟いたのは、本心であった。白い頬が少し染まるのは、喜びの発露である。


(綺麗になると、嬉しいんだ)


 フィリスはそのことにも、新鮮な驚きを感じた。着飾って楽しむなどというのは若い女性達のものであり、戦場に出なければならない聖女の自分には無縁のものだと思っていたのだ。そのことに不満もなかった。フィリスの心は、魔獣を討伐し人々の命を守っている、その事実だけで満たされていたから。

 しかし今、こうして鏡に映る見違えるような姿を見ると、感じたことのないようなぽわぽわした温かな気持ちが胸の底から湧いてくる。


「間違いなくフィリス様ですよお。そろそろ夕飯なんで今はこれだけですけど、お風呂に入ったら肌の手入れもさせてくださいねえ。婚礼の儀までに、つるっつるのとぅるとぅるにしましょう」

「とぅるとぅる……」

「そうです、とぅるとぅるでふわもちの肌にしましょうねえ」

「とぅるとぅるで、ふわもち……」


 触れるとがさついた感触のある自分の頬が「とぅるとぅるでふわもち」になったとき、どんな風に綺麗になるのだろう。

 想像するだけで頬が緩んでしまう。綺麗になるというのは、フィリスにとっても楽しいことだったらしい。


「……そうなれば、魔王様は喜んでくれるかしら」

「あっ、駄目ですよフィリス様。肩書きで呼んでたらいつまで経っても距離が縮まらないんですー、だからぜひお名前で呼んであげてくださあい」

「……シルヴァン様、でいいのかしら」

「ばっちりですう」


 満足気に微笑むリサの顔を鏡越しに見ながら、フィリスは舌の上に残る魔王の名の感触を味わっていた。シルヴァン。シルヴァン。


(魔王にも、名前があるんだわ)


 それは考えてみれば当然のことだが、今まで一度も意識したことはなかった。フィリスにとって、魔王は魔王。それ以上でも以下でもなかったのだ。


「さて、そろそろ行きましょうかあ。厨房から良い匂いがしてたんで、今日のご飯もきっと美味しいですよお。ま、ディルさんの作る料理は何でも美味しいんですけどねー」


 リサは立て板に水が流れるように滔々と喋りながら、フィリスを立たせて服の皺を払う。

 促されるがままに部屋の扉へ向かうフィリスは、最後に一度だけ鏡を振り返った。鏡に映るドレスの後ろ姿は、綺麗な令嬢そのものである。


(……こんなことに喜んでいる場合じゃないのよ。ここは魔王城なんだから)


 前を行くリサの髪から覗く小さな角を見て気持ちを引き締めはするものの、フィリスの足取りはどこか軽く、浮かれた気分を表してしまうのだった。

 フィリスが案内されたのは4階、シルヴァンの執務室があったのは3階、そして今向かっているのは2階である。魔王城には食堂がひとつ。シルヴァンが食事を終えたあと、働く者たちも順繰りに同じ部屋で食事をするらしい。

 つまりここは、大勢の食事も同時に捌ける食堂。となれば、案内されたフィリスの感想はただひとつ。


「広い……」


 20人は掛けられそうな大きいテーブルが中央にどんと置かれた食堂の、天井の高さと広さを目にして、暫し呆然と立ち尽くすことになるのだった。


「遅かったな。そこへ座れ」

「あっ……はい」


 長方形のテーブルの長辺、ちょうど中央辺りに既にシルヴァンは座っていた。指示された通りに対面の椅子へ腰掛ける。対面、とは言ってもこれだけ大きなテーブルだと、距離は随分あるように感じる。この距離感もフィリスには慣れないもので、なかなか落ち着かず、視線はうろうろと机上を行き来する。

 空のグラスと、一揃いのカトラリーが目の前に置かれている。その光景すら見慣れない。フィリスの普段の食事といえば、土の上に建てたテントの中で、数人と顔を寄せ合って食べる煮物や焼いた肉だ。第二王子のリナルドですらその飾り気のない食生活に染まっていた、戦場での生活に体が馴染んでいるフィリスにとって、この食堂の雰囲気はあまりにも洒落ていた。


「落ち着かぬ様子だな」


 向かいから投げかけられたシルヴァンの声に、フィリスは視線をそちらへ向ける。

 シルヴァンは、執務室で会ったときと変わらない装いだった。ゆるりとした黒いローブが窓から射し込む橙の光に染まっている。彼の青い目を見るとそれが赤く染まった瞬間を、角を見ればそこから瘴気が噴き出し、命を奪われたことを思い出す。

 フィリスの緊張感は、嫌でも高まる。粗相はできない。笑顔を作り、掛けられた言葉に応える。


「落ち着きません……幼い頃からずっと戦場に出ていたものですから、こんな風に静かな場所で食事をするのも久々のことで」

「幼い頃から? ……お前を城の近くで見かけるようになったのは、10年前ほどだったように思うが」

「多分そうです。……見てたんですか?」

「当然だ。ここは俺の城だぞ」


 それもそうだ。フィリスは頷き、説明を付け足す。


「10年前から、前に立つことが許されたんです。それまでは騎士の皆さんの後ろに居なくちゃいけなかったので、できることもあまりなくて」

「ふむ……10年前に、何かあったのか」

「単に成人を迎えただけです。一応、15歳までは子供扱いなので。といっても、大人の皆さんとそう変わらない生活をしてたんですけどね」


 フィリスにとって、それはひとつの自負である。子供の頃から騎士に混ざり、人々のために魔獣と戦ってきた。大人と同等以上の成果をあげてきた自信がある。……そんな自負も、魔王城の中では何の役にも立たないが。


「ということは、お前……今、25歳なのか?」


 シルヴァンが引っかかったのは、フィリスの自負とは関係のない部分だった。それまで涼しい表情を浮かべていた彼が、青い目をわずかに見開き驚きを露わにする。


「そうですが……見えませんよね、よく言われます」

「そうだな、俺より下かと……いや、そうでもないか。失礼した」


(今ちらっと胸元に目が行ったこと、気づいてますよ、シルヴァン様)


 背が低く、目も丸いフィリスは本来の年齢よりも下に見られがちだ。

 戦場に初めて投入された騎士は、聖女であるフィリスに必ず挨拶をする習わしになっている。その時先輩騎士が「聖女様は何歳だと思う?」と投げかけるのが、いつの間にか恒例になっていた。「外すなんて勉強不足だぞ」などと煽られ答えに窮する新人騎士は、大体フィリスの顔と胸を交互に見て、「18?」などと答えるのだ。間違っているし、まずその視線が失礼なのである。だが変わり映えのない戦場での暮らしにおいて貴重な娯楽となっていたようだったので、フィリスは咎めることはしなかった。

 ……あのくだらないやり取りも、もう二度と行われないのだろうか。そう思うと、何だか胸の片隅がきゅんと寂しくなった。


「シルヴァン様はおいくつなんですか?」

「俺? 魔王の代替わりくらい把握しているだろう、当ててみろ」

「えっ……」


 魔王の代替わりなんて、全然把握していない。フィリスは戸惑い、シルヴァンを観察した。

 青い目に宿る理知的な光は、経験の豊富さを窺わせる。こけた頬や焼けた色の肌、がっしりした体つきからは、何らかの鍛錬を積んだ形跡を感じる。何よりそのどっしりとした態度、魔王らしい威厳から察するにーー。


「30歳くらいですかね?」

「…………そう見えていたのか」

「ははっ、坊ちゃんは落ち着いていますからね」


 突然、背後から声がした。びく、と肩を跳ねさせてからフィリスは振り向く。そこには恰幅の良い、前掛けをした男性が立っていた。手には大きな盆を持っている。くるんと巻いた金の髪から伸びる長い角が、彼が魔人であることを示していた。


「何だ、ディル。俺が老けていると言いたいのか」

「そんなことは申しておりません。坊ちゃんは昔から大人びて見えますから……聖女様も、同い年だとはお思いにならなかったのでしょう」

「えっ……同い年、なんですか」


 フィリスは、まじまじとシルヴァンを見つめる。聖女としてそれなりに凛とした雰囲気を身につけてきたつもりのフィリスだが、彼の纏う威厳ある雰囲気には敵わない。同じ年数生きてきて、この堂々とした雰囲気をどのように得たのだろう。

 彼の過去に思いを馳せるフィリスの前に、軽い音を立ててカップが置かれる。


「続きはぜひ、こちらを食べながらどうぞ。本日のスープとサラダです。スープはモイモのポタージュ、サラダは青菜と香草を、リモーネベースのオイルで和えたものです」

「芋のスープと葉のサラダだな」

「坊ちゃんの翻訳を通すと、情報量が半減してしまうから困りものですね」

「お前の作る飯が美味いことは知っている。それで充分だろう」

「ええ、ええ、充分ですとも。それではごゆっくり」


 空になった盆を片手に、ディルは壁に向かって歩いていく。色合いが馴染んでいて気づかなかったが、壁には扉が付いていた。手をかけて押すとくるりと開き、奥には厨房が見える。ふわっと一瞬複雑な匂いが漂い、扉が閉まることで消えた。


「では、食うとするか」

「はい……頂きます」


 戦場では、フィリスもリナルドも立場関係なく、輪番で料理をしていた。大勢の腹を満たすこと、短時間で作ることが大切だったので、料理といっても野菜と肉を適当に放り込んだスープばかりだった。

 こんな風に、とろとろにすり潰したモイモのスープなど見たことがない。それに、瑞々しく鮮やかな色合いのサラダも。食べるのは保存のきく食材ばかりだったから、すぐに萎れてしまう生の葉野菜なんていつぶりに口にするだろうか。

 その青さに惹かれ、サラダを口に運ぶ。しゃく、と歯切れの良い食感。酸味が鼻を抜けたあと、苦味が追ってくる。嫌な感じではない、爽やかな青い苦味だ。


「おいし……!」


 酸味と苦味が絶妙に混ざり合っている。噛むとしゃくしゃく、小気味良い音が鳴るのも耳に美味しい。フィリスの舌は、感動で震えた。


「だろう? ディルの作る飯は美味いんだよ」

「びっくりしました。こんなに美味しいサラダ、初めて……」

「スープも美味いぞ」


 そう言われては、味が気になってしまう。フィリスは、今度はまったりとしたポタージュにスプーンを差し込んだ。口に運ぶと、ほんのりと素朴な甘さが広がる。


「ああ、ほっとする味……」

「美味そうに食うな、お前」

「……お恥ずかしい」


 飢えた子供のような姿を晒してしまった気がして、フィリスは赤面しながら頬に手を添え、ちらりとシルヴァンを見る。あまり気にしていない様子でスプーンを口に運んだシルヴァンは、「美味いな」と頬を緩めた。


(美味しいものを食べて、笑うんだ)


 その姿は、フィリスにはいささか意外なものだった。あまりにも人間的な反応である。彼にも心があるのだということを、当然のことながら、改めて感じた。

 食事はつつがなく進み、メインの肉料理もデザートも、大変美味しかった。特に甘いものなど本当に久々に食べたものだから、フィリスは感激し通しであった。


(まだ舌の根に甘みが残っている気がするわ)


 食堂を出て自室に帰りながら、フィリスは舌に残る余韻を楽しむ。乳と蜜に浸したパンを焼いた上にクリームを絞ったあのデザートほとても美味しかった。すぐにでもまた食べたい。

 夢みたいな美味しい食事の名残りでふわふわした足取りになりながら、扉を開けて部屋に入る。ひと息吐こうと鏡台前の椅子に座ると、鏡には自分の姿が映った。見たこともないドレスを着た姿に、フィリスははっとする。


(魔王城にいることをすっかり忘れて、食事を楽しんでしまったわ……!)


 勿論目の前には魔王であるシルヴァンも居たし、ディルにも立派な角が生えていた。魔人に囲まれているという自覚はありつつも、食事中、フィリスの意識は完全に味に向いていた。警戒どころではない。シルヴァンへの愛を伝えなければ、という意識すら抜け落ちていた。


(粗相はしていないはずだけど……)


 味に夢中だったから、シルヴァンへの愛を疑われるような会話もしていないはずだ。疑われたら死んでいるはずだから、それは間違いない。安堵に胸を撫で下ろすと同時に、つい周囲に気を取られてしまう自分の迂闊さを呪うフィリスなのであった。

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