6-3 フィリスの使命
「さあ、お菓子を一緒に作りましょう! ディルさん、今日は何を作りましょうか!」
「おやおや、今日はいつにも増して元気ですねえ、お嬢さん。坊ちゃんもご一緒で……して、そちらの方は?」
「私の仲間です。シルヴァン様に、彼のいいところを見て欲しくって……地道で苦痛な作業が得意なんですけど、そういう仕事ってありますかね?」
短い移動時間でフィリスが必死で考えたのは、料理の作業中にリナルドの良さをアピールするという作戦だった。彼は素直で真面目で、人が嫌がる訓練にも黙々と懸命に取り組める美徳がある。他の騎士達にも、その点を認められ慕われていたのだ。
シルヴァンにリナルドのそんな一面を見れば、彼が本気で人のために行動していたのだと信じてもらえるはずだ……多分。恐らく。きっと。そうでないと困る。
「たーんとありますよ、お嬢さん。それじゃあ坊ちゃんとそこの坊やには、鍋磨きを頼みましょうかね。忙しいもんですから、なかなか手が回らないんですよ。おーい、マレーナ。聞いていましたか。鍋磨きのやり方を、お二人に教えて差し上げなさい」
「えっ、アタシが? 魔王さま達に、アタシが教えるんですか……?」
「ええ、君に任せます。ガブが居る辺りに、古い調理道具が積んであるでしょう。せっかくの人手ですから、あれを磨いてもらいますよ」
「あれを……?」
マレーナは、怖気付いた表情をする。厨房の奥とシルヴァン達の顔を、何度も見比べ困惑した様子だ。
「アリャとサムにも手伝わせれば、今日中には終わりますよ。大丈夫です、君たちの仕事はこちらで済ませておきますから」
「……はーい、わかりました。皆さん、こちらです」
マレーナの後ろを青年ふたりがすごすごと付いていく様子は、なかなか似つかわしくなく、少し滑稽なものだった。
リナルドはともかく、シルヴァンはよく引き受けてくれたものだ。ディルの采配がどうにかして良い結果を生んでくれるといいのだが。フィリスは祈る気持ちでその背中を見送る。
「では、彼らがひと仕事終えた後のご褒美を作りましょうか。プリンにしましょう。お嬢さん、お願いします」
「はい……」
プリンはもう何度も作ったから、作業に不安はない。器具を準備しながらも、フィリスの視線はちらちらと厨房の奥へ向く。ここからは向こうの様子は見えないのだ。果たして上手く行っているのかどうか、気になって仕方がない。
「大丈夫ですよ、お嬢さん」
心ここに在らずのフィリスを宥めてくれるのは、ディルの柔らかな声であった。
「坊ちゃんが、お嬢さんの願いを叶えないはずがないじゃありませんか。信じて待っていれば、きっと上手くいきますよ」
「……そう、でしょうか」
「そうですよ。お嬢さんが注いだ愛は、返ってきますから」
愛は、愛で返る。ディルがさらりと引用した辺りからも、賢王の言葉が彼らにはしっかりと浸透していることがわかる。
果たして、そう楽観して良いものなのだろうか。
不安に思うフィリスだったが、できることなど何もないのだった。
***
ざりざりざり。
錆を落とす無骨な音が、薄暗がりに響く。魔獣のガブですら、空気を読んだように静かにしている。皆で錆落としをする異様な空気に本能的な怯えを感じているのかもしれない。
(俺はなぜこんなことをしているんだ……)
指の腹が痛くなってきて、シルヴァンはそう嘆かざるを得ない。左右にはマレーナとアリャ、サムは手伝うふりをして遊んでおり、向かいにはあの男。リナルドがいる。
シルヴァンは、この男を許してやる気はなかった。仲間に愛を注ぐフィリスにさえも矢を射掛けた人間達に慈悲はいらない。そう判断したにも関わらず、こんな厨房の奥で、殺すと決めたはずの人間の男と共に訳のわからない作業に取り組んでいるのは、ひとえにフィリスのためである。
(愛とはこれほどに、意思を挫くものなのだな)
シルヴァンは確かに一度、リナルドを殺してやろうとした。それを止めたのはフィリスである。彼女があまりにも悲痛な表情をしていたのを見て、シルヴァンは攻撃することを止めたのだ。
この男を殺したら、フィリスはもっと辛い顔をするだろう。失望されるかもしれないし、責められるかもしれない。そんな想像をするだけで、シルヴァンはその先に踏み出せなかった。
全く、弱くなったものである。フィリスがこの男の良いところを見つけて欲しいと願う以上、自分がそうしてしまうこともシルヴァンにはわかっていた。
視線を向ければ、こちらの眼差しにも気づかないほど、リナルドは集中して錆を落としている。いきなり魔王城に連れて来られ、フィリスとも碌に話せないまま見知らぬ連中の間で錆落としという訳のわからない作業をするなど、とても集中できる状況ではないだろうに、真面目な奴だ。そんな真面目なところはフィリスに似ているかもしれない……などと、彼女の喜びそうな方向に自然と転がり出す思考に、シルヴァンは密かに苦笑する。
(惚れたら負けだと言ったのは誰だったか。今となっては、言い得て妙だな)
この男を評価してやるのは癪だが、フィリスの思い通りになってやるのは悪い気分ではない。困ったものだと、シルヴァンは心の中で呟くのだった。
***
「……うん、美味いな。相変わらず、フィリスの作る歌詞は美味い」
「良かったです。少し温めすぎてしまったので、心配していたんですが」
「これ、フィリスが作ったのか……? あのフィリスが? すごいな……」
「そんなに驚くのやめて、リナルド。ディルさんに教えてもらって、料理が上手くなったのよ」
作業を終えたシルヴァンとリナルドは、並んで……厳密に言えば間にひと座席挟んでいるが、とにかく並んでプリンを食べている。ふたりの間に剣呑な雰囲気はなく、それだけでフィリスの胸は感動に打ち震えていた。ディルの言う通りだ。シルヴァンが譲歩し、リナルドを受け入れようとしてくれたことはフィリスにもよくわかった。
ディルに命じられた作業は大変だったのだろう、ふたりとも指先に付着した茶色い痕を落としきれていない。それが同じ苦労をした証拠のようで、見るだけで嬉しくなる。
(やっぱり、魔人と人間だって手を取り合えるんだわ……!)
フィリスとシルヴァンだけが特別な訳ではない。共に過ごせば分かり合えるのだ。
それは、人が増えても同じことだろう。戦いを止めるために、やらなければならないことはきっとまだある。フィリスの胸の奥に、そんな使命感が再度芽吹くのであった。




