5-2 フィリスの願い
眠ると思考が整理され、深夜にはぐずぐず悩んでいたことも翌朝にはすっきりした解決法が見つかることがある。それを期待して眠ったフィリスは、翌朝目覚めても悶々と考え続けていた。
(戦うことは、終わりにできないの?)
魔人から見た歴史では、悪いのは人間だった。魔獣を送ることで魔石を与えているから、魔人達が守られるという解釈だ。
そうなのだろうか。本当に?
頭の中を、まとまらない思考が浮き沈みする。フィリスはベッドの上で何度もごろごろと寝返りながら考える。
戦いを、終わらせたいと思っていた。戦場で戦う仲間達も、皆同じ思いを抱いていた。
魔獣は恐ろしい。襲われて命を落としたり、怪我をしたりした者もたくさんいると聞いている。もしこのまま戦いが続き、また失われる命や未来があるかと思うと、想像するだけで胸が痛む。
魔王を倒せば平和になると信じていた。しかし話してみれば、シルヴァンは優しく素敵な王だった。こんなに素敵な人を、人々は「悪しき魔王」として憎んでいる。その誤解を思うと、それも辛い。
シルヴァンもいい人だったし、城で出会った魔人は皆いい人だった。長年争ってきた相手は、言葉を交わせば分かり合える存在だった。
(やっぱり……どうにかしたいわ)
何よりも、フィリスにとって大切な仲間と、優しくしてくれた城の人々が対立しているのが悲しい。分かり合えれば、手を取り合って暮らす未来もあるはずなのだ。
(シルヴァン様に話してみよう)
グレアムのおかげで、魔人側の事情も何となくわかった。今なら「お前は何も知らない」と一蹴されず、少しは話を聞いてもらえるだろう。
そのためにも……フィリスはリサを呼び、ひとつ頼み事をしたのだった。
***
「こんにちはー、ライラ様のお使いで来ましたあ」
「そうかい。その名を聞くのは久々だなあ、元気にしてんのかい?」
「お陰様で、元気ですう」
「そんで、何を買っていくんだ? ライラの嬢ちゃんになら何でも売るぜ」
「えーっと……何だったっけ、フィリちゃん?」
「桃色の布に……白と、黒の糸を」
「はいよー、ちょっと待っとけ」
リサとフィリスは、以前のようにわざと小汚く汚した格好でサディロ街へと買い物に来ていた。サディロ街で暮らしていた頃のライラが生地等を買うのに使っていた店を教えてもらい、一緒に来たのである。
「桃色ってのも色々あるが、どれにする」
「その、白に近い淡いもので」
「大きさは? 何に使うんだ」
「ハンカチにしようかと……」
「じゃ、こんくれえだな」
お代と交換で手早く裁断された布と糸を受け取ったリサは、さっと服の中へしまう。店を出て、足早に来た道を帰る。道中、すれ違った人の風貌にふと視線を奪われた。
「見たことない感じの人だね、フィリちゃん」
「ね。……すごい、ちゃんとしてる」
薄い瘴気に包まれたこの街の住人はどことなく病んだ雰囲気を漂わせ、身につけるものもひどく粗末だ。ところが今すれ違った男は背が高く立派な体つきをしていた。姿勢も良く、指先まで神経が行き渡っている洗練された動き。随分と立派な服を着ていた。
「おいぃ、嬢ちゃん達」
「ひっ! ……びっくりした。なあに?」
下の方から声が聞こえたので、リサと一緒に肩を跳ねさせる。声を掛けてきたのは老女だった。小さな体で、建物の壁に寄りかかるようにうずくまっているので気付かなかった。
老女はしゃがれた声で、「あれに手を出したらいかんぞお」と続ける。
「あんたらは見たことがねえだろうが、ありゃ騎士様じゃ。やめとけやめとけ」
「……あっ、そーなんだ。何で騎士様がこんなとこに?」
「おらもよく知らねえが、死の森に出入りしとるっちゅう話よ。おっかねえこった。お前さんらも手を出したら死の森送りにされるかもしんねえぞ、気をつけろ」
「へえ。親切にありがと、おばーさん。じゃ、あたし達行くね!」
「おう、待ちなされ。情報料」
「……あー、そゆこと? はい」
リサがぽい、と硬貨を投げ渡す。老女は、さっきまで力無くうずくまっていたとは思えない俊敏さで硬貨に手を伸ばした。
「毎度」
「噂を売りつけられちゃった。……もう行こ、フィリちゃん。面倒なことになる前に」
「うん」
リサが老女にお金を渡した瞬間、近くに腰掛けていた男の目の色が変わったことにフィリスも気づいていた。息を合わせ、小走りで移動する。瘴気の壁まで辿り着き、やっとひと息つけた。
「……騎士様って人達、何人も居ましたねえ」
「ね。あのお婆さんは、死の森……? を調べてるみたいなことを言ってましたけど……何かあるんですかね、そこに」
「フィリス様、情報の押し売りを間に受けちゃいけませんよお。そんな気にするようなことありませんってえ」
「……そうかしら」
通りを歩く騎士の雰囲気は、何かある感じだった気がする。鍛錬を積んだ騎士達と長いこと暮らしたフィリスの勘だったが、上手く言語化できない。
うーん、と唸るフィリスの前に小包が差し出される。
「こちらをどうぞー、フィリス様。ハンカチをお作りになるんですねえ。ご自身にですかあ?」
「いえ……シルヴァン様に差し上げようかと。婚礼の儀の記念に……」
「きゃあっ。なんだあ、それならそうと言ってくださいよお。とってもいいと思いますう、刺繍のプレゼントなんて素敵ですよお」
途端に色めき立つリサの反応を少し恥ずかしく思いつつ、フィリスは胸元に大切な小包を抱いた。
言葉だけでは、自分の思いを上手く伝えられない気がする。シルヴァンのことを思い、残してきた仲間のことを思い、フィリスの気持ちをここに込めるつもりだ。
「どこへ行っていた」
「きゃあっ! ……わ、わ、シルヴァン様。びっくりしましたあ。フィリス様と一緒に、サディロ街へお使いですう」
「俺は聞いていないぞ。なぜ黙って出かけた?」
「それは、その……」
シルヴァンの視線は、フィリスに批難の意を伝えている。胸元の包みをきゅっと抱きしめて隠し、フィリスは口ごもった。
「そのうちわかりますから、今は聞かないであげてくださあい」
「…………理由を知りたいわけではない。出かけるなら言ってくれ。……心配、するだろうが」
「えっ」
「何を驚いている。俺がお前を心配して悪いか」
「わ、わるくありません」
シルヴァンの耳がほんのりと染まっている。そのことに気づいた途端、フィリスの顔は一気に熱くなった。
「次から、ちゃんと報告するので」
「……次などなくても良いのだぞ。外で何かあったらと、やきもきしている時間が惜しい。俺が共に行ければ、そのような心配をしなくてもよかったのだがな」
「……そうですよね」
何気ないシルヴァンの言葉が、フィリスの胸に響く。
共に行ければ。
その仮定は、現状ではありえないことだ。
シルヴァンの頭に生えた角は、ぐるぐると渦巻く大きなもの。隠すことなど到底できない大きさである以上、騒ぎになってしまうから外には出られないのだ。
(今のままじゃ、二人で外を歩くなんてことは絶対にできないのね)
手に入らないものが欲しくなるのは人の性である。今まで想像したこともなかったのに、二人で街を歩けないことが急に残念に思えてくる。
サディロ街を歩きたいとは、あまり思わない。シルヴァンとならそれでも楽しいかもしれないが……ネフィリア王国の綺麗な街並みを、シルヴァンと楽しめるのなら。
「シルヴァン様、この格好のフィリス様をいつまで留めておくんですかあ? せめて着替えてからにしてくださいよお」
「……ああ、確かにそうだ。悪いな、行ってくれ」
リサの機転で、その場は一旦解散となる。
薄汚れた衣服からドレスに着替えさせられながら、フィリスの胸の中にはやる気が燃え始めていた。
(やっぱり今のままじゃ駄目なのよ。戦いを終わらせれば、手を取り合って歩める未来が来るはずなんだからーー)
グレアムに「善良すぎる」と評されたフィリスは、そんな理想的な未来を心から信じているのだった。




