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死に戻り聖女は、魔王への愛を叫ぶ  作者: 三歩ミチ
5章 婚礼の儀へ
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5-1 賢王の石碑

「服ができてくるといよいよって感じがしますね、フィリス様!」

「そうね。……なんだか、落ち着かないわ」


 ライラが仮縫いしたドレスの試着を終え、フィリスはひと息つく。ドレスの仕上がりに合わせて婚礼の儀の日取りも決定した。

 結婚し、伴侶となる。文字にすれば簡単なことだが、フィリスにはまだ実感がわかない。何となく足元がふわふわした気分で毎日を過ごしていた。


「婚礼の儀の準備……本当に、私は何もしなくていいのかしら」

「綺麗になるのがフィリス様の大事な大事なお仕事ですよお」

「そう言ってくれるけど……それって、リサとライラさんがしてくれることじゃない。私にできることが何かあればいいのに……シルヴァン様に聞いても、リサと同じで『何もない』って言うし」


 何となく城全体が忙しい雰囲気に包まれていることも、フィリスは感じ取っていた。ディルはレシピの試作に余念が無く、マレーナ達も仕事の合間に何か細々した作業をしている。割って入るのは申し訳なくて、フィリスは最近厨房から足が遠のいている。

 厨房だけではない。廊下を歩けばいつもより多くの人が床を掃除したり窓を拭いたりしているし、玄関ホールに出向けば花に水をやったり天窓を磨いたりしている。どこにいても邪魔になりそうで、フィリスは結局部屋でゆっくりするしかない。

 自分のために多くの人が動いているのに、自分だけ何もしないのは申し訳ない。フィリスが落ち着かない原因はそこにあった。


「うーん、そうですねえ……あっ、グレアムさんに聞いてみればいいんじゃないですかあ?」

「グレアムさんに? どうして?」

「グレアムさんなら、婚礼の儀の前に奥さんに何をしてもらえたら嬉しいか、きっと教えてくれますよお。経験者ですから」

「経験者……えっ、グレアムさんって結婚してるの?」

「してますよお。ご存知なかったんですかあ? ネリーですよう、話したことありますう?」

「……あります。ええ、ネリーさんとグレアムさん、夫婦なんだあ……」


 いつでも凛とした厳しいグレアムが、一体どんな風に恋をして夫婦になるまで至ったのだろう。簡単には想像できず、フィリスはしみじみと驚きを呟く。

 意外な事実はともかく、やることは決まった。フィリスは立ち上がる。


「グレアムさんに聞いてきます」

「はあい、いってらっしゃいー」


 グレアムを見つけるのは簡単だ。執務室の前で待っていれば、シルヴァンの用を済ませるために出てくる。待ち伏せして少し経った頃、案の定グレアムはひとりで廊下を歩き始めた。


「グレアムさん」

「うわ。……聖女様。どうされたのですか」

「グレアムさんに少しお伺いしたいことがありまして」

「……自分は今、厨房に向かうところなのですよ。手短に頼みますよ。長話をすると、魔王様にご心配かけますから」


 そういえば厨房でグレアムと話し込み、シルヴァンが探しに来たこともあった。懐かしい記憶に微笑ましい気持ちになりつつ、フィリスは頷く。


「婚礼の儀に向けて、私にできることを教えていただきたくて」

「……なぜそれを自分に聞くのですか?」

「皆さん『何もしなくていい』って言うんです。ですが、私も何かしたくて……婚姻の儀の経験者であるグレアムさんなら何か教えてくれるかもしれないって、リサさんから聞きました」

「リサから? まったく、あの娘は……」


 グレアムは、深々とため息をつく。


「聖女様も聖女様ですよ。そう助言を受けたからって、婚礼の儀に反対している自分の元へ聞きに来ますか、普通」

「あっ……そうでしたね」

「その程度の認識なんですか」


 今度は目を丸くするグレアム。驚き、呆れ、諦める。表情筋が忙しそうである。


「……仕方のないお人ですね。お話しますよ」

「いいんですか? ありがとうございます!」

「婚礼の儀に際して、聖女様側ですべきことは特にありません。全て魔王様による手筈が整っており、順調に進んでおりますから。よってここからは、自分の個人的な経験談になりますが……」


 いつも固いグレアムの表情が、ふっと緩んで柔らかくなる。


「……妻は、婚礼の儀の前にちょっとした贈り物をくれたんです。これからの未来を共に歩む者として、その記念に。それは……嬉しかった、ですね」


 言い終えたグレアムの耳は、ほんの少しだけ赤くなっている。それを見たフィリスは、何とも言えず幸せな気持ちになる。


「素敵……!」

「ですから、何か用意して差し上げても良いのでは? 危険物や毒物を仕込もうものなら、魔王様の手に渡る前に自分が廃棄しますが」

「そんなことしませんよ」

「……存じております」

「ぱっと見で安全なもののほうが、グレアムさんも安心ですよね。どうしようかしら……永遠に咲き続ける花って魔導具があって、よく恋人への贈り物にするんですけど、ここでは手に入りませんし……」

「そういうところですよ、聖女様」


 少し柔らかかったグレアムの雰囲気が、急にいつものぴりりとしたものに戻る。


「あなたは、本当に何も知らないのですね」

「まだ何も知りませんか? 私は……」

「ええ」


 断言され、フィリスは俯く。確かに「魔獣を倒すと魔石を得られる」という答えに辿り着いて以来、特に何かがわかったという自覚はない。

 だがもう、何をどう考えたらいいのかもわからない状況ではあった。


「…………我々は、地下にある石碑へ毎日交代で祈りを捧げています」


 暫く沈黙したグレアムが、そう言葉を紡いだ。


「今夜は自分の番なのです。聖女様がお望みになるなら、同行して頂いても構いません」


 グレアムが今こう言うということは、それはきっと、フィリスが何かを知るために重要なことなのだ。


「もちろん行きます」

「では後程」


 フィリスの答えを聞いたグレアムは、すぐにその場を去る。フィリスはその背を見送りつつ、優しい王の部下はやはり優しいのだな、などと呑気なことを考えていた。


***


 夜である。フィリスはそっと部屋を抜け、玄関ホールの奥の暗がりに潜んでいた。あの後グレアムに手渡された紙切れに、約束の時間と場所が書かれていたのだ。


「聖女様」


 息だけで発声する小さな囁き声。そちらを向くと、人影はふたつあった。ひとつはグレアムである。隣に寄り添うひと回り小さな影は、優しそうに微笑む女性のものであった。角は小さい。リサ同様、自ら望んで城に暮らしている人なのだろうか。


「こちらは妻のネリーです。ネリー、こちらが聖女様だ」

「こんばんは、フィリス様。グレアムがいつもお世話になってます」

「はい……こちらこそ」

「夜更けに異性と二人で会うなど問題しかないので、ネリーにも同行してもらうことにしたのです。了承して頂けますね?」

「ええ、もちろんです」


 断る理由など特にない。フィリスが頷くと、グレアムは中庭に続く扉を開けた。

 明るい夜だった。月はちょうど城の真上にあり、月光が中庭にも降り注いでいる。


「ごめんなさいね、お邪魔してしまって。わたしは気にしないと言ったのだけれど、グレアムって真面目すぎるんです。女性と2人きりで夜待ち合わせるなんて絶対に駄目だって言うんですよ。可愛い人でしょう?」

「余計なことは言わんでよい」

「余計じゃないわ。わたしがこうして説明しないと、あなたは誤解されてばかりじゃないの」

「…………」


 穏やかな口調で話すネリーに、グレアムは敵わないらしい。無言のまま、中庭の中央で立ち止まる。植木鉢をいくつかどかすと、そこに下へ続く階段が現れた。


「え、こんなところに……」


 中庭には何度も来ているのに、こんなところに階段があるなんて気づかなかった。グレアムは、階段へ一歩踏み出す。


「ここを下ります。途中暗いですから、足元にはお気をつけて」

「手すりを掴むといいですよ、フィリス様。少し行くと明るくなりますから、そこまではゆっくり進んでくださいね。グレアム、今日は後ろがいることを忘れちゃだめよ」

「お前が居るのに忘れるはずなかろう」

「あらっ」


 あれ、今のは甘いやりとりだったのでは。

 グレアムの放った紳士的な台詞を反芻しながらフィリスも階段を降りる。月明かりはすぐに見えなくなり、あたりは完全に真っ暗になった。壁に付いた手すりをしっかり握り、足先で段を確かめながら一歩ずつ降りる。

 ぽわ、とやがて前方が明るくなる。地下に下りているはずなのに、進むにつれてどんどん明るくなる。近づくとそれは、壁や天井に生えた苔が光っているものだった。


「すごい、明るい……」


 光苔という種類はあるが、こんなに光っているのは見たことがない。幻想的な光景に感動していると、足がとん、と階段の一番下へ着いた。


「こちらです」

「城の下に、こんな場所があったんですね……」


 光る苔に包まれた、円形の広い空間だった。グレアムはその中央へ進んでゆく。彼の腰くらいの高さの石碑が、そこにあった。グレアムは石碑の前で足を止め、膝をつく。

 ネリーが、すっと彼の隣に並んだ。フィリスもネリーの隣へ膝をつき、石碑と目線を合わせる。隣を見ればネリーもグレアムも目を伏せ、軽く俯いている。フィリスもそれに倣った。暫くそうしていると隣で動く気配がするので、目を開けて立ち上がる。


「我々はここで、失われた同胞の命のために祈りを捧げています」


 グレアムの声が厳かに響く。その長い指先が石碑に刻まれた文字を示す。


「ここに刻まれた言葉が、わかりますか?」

「『愛には、愛が返る』……でしょうか」

「ええ、賢王様のお言葉です。愛には、愛が返る……」


 読み上げる声音は、自分に言い聞かせるように。グレアムはそれから、フィリスを真っ直ぐに見た。


「賢王様は、人間の街に魔獣を送り込んだお方です」

「……人魔戦争を、始めた方……?」

「あなた方の言葉を借りるなら、そういうことになるのでしょう。しかし我々にとってはそうではありません。賢王様は我ら魔人の暮らしを守ってくださったのです。……自分も、伝聞でしか知りえないことですが」


 200年も前のことですからね、とグレアムは付け足す。人魔戦争は200年続いているが、その始まりについてフィリスは聞いたことがなかった。興味深く、自然とグレアムの語りに耳を傾ける。


 今サディロ街に魔人達が出て行っているように、かつてはネフィリア王国側に魔人達は出て行っていた。その頃は魔人であることを隠す必要もなく、角の大きい者も小さい者も、本人の望みに応じて自由に行き来していた。

 ところが、ある時を境に消息が不明になる者が増えた。同時に、魔導具というものが流通し始める。魔導具には魔石が使われている。魔石は魔人達の命そのもの。消息を絶った者は人間達に魔石を抜かれ、魔導具として使われてしまっているのではないか……という予想が立った頃には、街に住む魔人の数は目に見えて減っていた。

 魔人側に、人間に危害を加えた覚えはなかった。賢王はネフィリア国王とのやり取りを試みたが上手く行かなかった。魔人達は襲われ、人間の軍勢が瘴気の壁近くまで迫る。城を守るために魔人も戦ったが、仲間の命を費やして振るわれる魔導具の武器を前にすると、攻勢の手は緩んでしまった。

 魔獣が人間に襲いかかったのは偶然である。危険なので発生したらすぐに消されていた魔瘴石が、たまたま人間の軍勢の傍で生まれたのだ。襲いかかってきた魔獣は討伐され、人間はその魔石を大切に持って帰った。

 その様子を把握した賢王は、人間は魔人へのこだわりなどなく、魔石そのものを目的としているのだと気づくのである。

 以降、魔瘴石は放置され魔獣の数は増え、魔人ではなく魔獣の魔石が使われるようになった。魔人の暮らしを守った賢明な判断を讃え、彼は賢王と呼ばれている。


「……それが、いわゆる戦争の起こりです。今に至るまで、我々は魔獣の魔石を差し出すことで自分達の命を守っているのです。魔導具は、我々の命の代わりに魔獣達を犠牲にした結果そのもの。そんなものを、あなたは魔王様に贈りますか?」

「…………」


 フィリスは、黙り込んだまま首を緩々と左右に振る。今の話を聞いて、魔導具をシルヴァンに贈ろうなどと思うはずがない。

 衝撃的な話だった。

 人間側から見れば魔獣達を使った侵略以外の何物でもなかったそれに、別の側面が生まれる。魔王の側にも真っ当な理由があり、こちらから見れば悪いのは人間である。

 魔石のために魔人の命を奪う。そんなことが本当にあったのなら……考えるだけで恐ろしくて背筋が震える。フィリスは複雑な表情を浮かべ、石碑をじっと見つめた。


「『愛には愛が返る。恨みには恨みが返る』と、賢王様は言い残したそうです」

「人間への恨みを抱いて攻め込むのなら、それは恨みとなって返ってくる。魔王様は、それは望んでいません。魔獣を送り込み魔石を与えることは、人間への愛であり、我々魔人への愛なのです」


 時間をかけて、グレアムの説明がフィリスの中に染み込んでくる。

 違う、と言いたい。フィリス達は魔石のためではなく、人々を守るために戦っていた。魔獣の脅威がなくなって平和な国になることだけを願っていた。


「納得ならないという顔をしていますね」


 フィリスの思いが言葉になる前に、グレアムがそう指摘する。図星だったフィリスは、はっとしてグレアムを見た。


「聖女様、あなたは善良すぎる。人間の欲望は時に醜いものです。魔石のためになら何でもするはずです。魔王様は、仲間の命のために魔獣を差し向けているに過ぎません。……それでもあなたは、魔王様に戦争をやめろと訴えますか?」


 グレアムの言葉が胸にぐさりと刺さる。

 今までフィリスは、シルヴァンに戦争を終えることを打診する度「何も知らないのだな」とあしらわれてきた。グレアムの言葉で、記憶が繋がる。

 フィリスは何も知らなかった。人間側から見た事実と、魔人側から見た事実がこれほどに異なるとは。魔獣を生み出し続けなければならぬという判断が下されるような歴史があったということ。


「自分からお伝えすべきことは以上です。何かご質問は?」

「いえ……」

「では戻りましょう。……結局全て教えてしまいましたね。教えてやる必要もないと思っておりましたのに」


 グレアムはそう言いながら、元来た道を引き返していく。フィリスも後に続いた。徐々に暗くなる階段を少しずつ進む。


「手を差し伸べたくなるほどの善良さは、あなたの美徳だと思いますよ」


 グレアムがそんな褒め言葉をくれたが、フィリスには喜ぶ余裕なんて微塵もなかった。

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